鬼滅の刃の建築的考察の続きです。
家族を鬼に皆殺しにされたことで、鬼を倒す剣士、鬼殺隊になりたいと思い、
鬼殺隊の若者を養成している鱗滝左近次のところに入門し、厳しい修行を経た竈門炭治郎でしたが、
その修行を終えた頃、さっそく、指令が降ります。
北西の町に鬼が出現し、女の子をさらっている。
その鬼を倒せ、との指令です。
指令を寄越したのは、鎹鴉(かすがいがらす)といいますが、このネーミングも凄いですね。
この手の通信、伝言系のキャラが光ってるマンガは成功してる気がします。
ワンピースでいえば電伝虫、昔の作品では「トリントン来た…、トリトン来た…」の通信クラゲ。
カラスからの指令を受けた炭治郎は、その北西の町に向かいます。
そこで、改めて気づくのですが、何?この世界?と。
時代劇じゃないの?侍系の、と
炭治郎は妹の禰豆子を背負って、その健脚で北西の町に向かいますが、そのシーン。
田舎の町、茅葺の屋根も広がる田園風景、そこに圧倒的な違和感で伸びる電線です。
ああ、そうっだか、この物語は、時代背景が確か明治・大正なんだったと。
鱗滝さんと修行してたのは山だし、電気製品もなかったし、すっかり忘れていたんです。
この文明開化の時代にあって、日本刀の剣士が活躍する物語であったことに。
で、着いた北西の町がこんなんですよ。
凄い街並み。
懐かしいような、江戸時代のような街。
そこに電線があることで、時代劇のセットじゃなく、何か現代に繋がりをもっているような、そんな風景です。
ここがですね、ミソなんじゃないですかね。
この作品の。
以前、近未来SFには、歴史的建築がなぜ重要かを解説したことがありますが、
…初期のSF作品に見られるように、以前は「未来」とはこことは別の遠い世界、一足飛びに数千年後、もしくは数万光年遠くの世界、完全異世界を「未来」と認識していた。
それが、実際には「未来」は「現在」の延長線上にあり、「現在」は過去の延長線に存在しているという意識に変化した。もしくは気づいた。
だから歴史的様式というものがどのように作用するのかを探り当てたんではないでしょうか。…
…これらのボッフィール建築に共通するのは、建築としての情報量の多さです。デザインに教養が滲み出しているともいえます。さまざまな歴史様式や文化に技術的解答を与えて破綻なく統合するまさに建築家の中の建築家というのがこのリカルド・ボッフィールですが、それもそのはず彼の事務所にはただ単に設計だけをおこなうスタッフはいません。詩人、社会工学者、哲学者、経済学者、文学者、歴史学者、小説家、美術評論家、などなどのさまざまなジャンルのスペシャリストが集っているそうです。そしてそれらの英知の集合体としての建築空間…
それと同じような空間背景におけるリアリティが、
この鬼滅の刃では「時代劇に文明開化が合体した大正時代」を採用していることです。
フィクションの異世界ではあるものの、現代の私たちの世界と地続きであることを感じさせてくれているんです。
つい最近まで、日本中の街並みはこんなんだったんですよ。
映画、「男はつらいよ」シリーズを観ていると、旅先の町がどこもこういう風情で、日本の風景って、
つい30年くらい前までは、まだ綺麗だった、そこの田舎街にも風情があった、と気づかせてくれます。
瓦屋根も漆喰も格子も障子も、つい最近までリアルだったのです。
それが、ホンの10年ほどの間に、コロニアルになりガルバリウムになりサイディングになりアルミサッシになった。
無機質でツルツルで薄っぺらく味わいのない工業製品だらけ、
そして、みんな貧しくなった。
古い街並みに電線がありネオンがあり、という風景は戦前と戦後を繋いでいたのです。
そして、こういう懐かしさ、
こういうシーンを寄りで見せてくることで、
後々に登場する強敵、「沼鬼」の恐ろしさ、女の子を喰う鬼の気味の悪さが伝わるようになります。
この舞台になった街はいったいどこでしょうか?
関東だったら、川越かなあ?とか思われるかもしれません。
関西なら京都?と考える人もいるかもしれませんが!
もう既に京都の町は、この10年のインバウンドブームで、ぶっ壊れてしまいました。
滋賀県の長浜はどうでしょうねえ、長浜も古い街並みを維持しようと頑張ってましたが…
川越の町はですねえ、やはり道路が入り込んでしまっているんですよねえ
長浜の町も大好きだったんですが、
高層マンションを許可してからは、どんどん、普通の地方都市の寂れに近づいていますね。
では、北西の町とはいったいどこか?
ズバリ言いますと、
それは、奈良県の橿原市にある。
今井町に間違いありません。
今井町というのは、戦国時代の寺内町がそのまま残り、堀に囲まれ武装した環濠集落なんです。
織田信長とも戦っており、海の堺、陸の今井と並び称された、自治都市です。
つづく