荒川放水路に関わることになる青山士(あおやまあきら)が、なぜパナマに行ったのか?というところからです。
なぜ、パナマなんかに行ったのか?というと…
これはですね、当時の人より、現代人の我々の方が共感しやすいと思うんですが、
それは!明治から大正にかけての立志伝中の人々の中でも珍しい、
ちょっとビックリなんですが、堂々と言ってます。
青山さん、なぜ、パナマに行ったんですか?
それは、
「自分探し」のために、です。
はあ?自分探し?
・
って思いました。
それはですね、士(あきら)のお爺さんの影響があるからなんです。
アキラのじいさんは、宇宙を平和にすると書いて、青山宙平というんですが、前島密と共に、
地域振興や資産を背景に静岡県内初の国立銀行の設立に協力しました。
「普済院規則」に従い、奉仕活動を行って身寄りのない生活困窮の大人と子供、身心障害者の救済に尽力し、
東海道本線の着工に際しては、土地を提供し中泉駅舎(現 磐田駅)に用地を提供した地域の立志伝中の人物です。
こーんな、厳しい風貌をしています。
ああ、こんなジイさんがいたんじゃあね、アキラは悩みますね。
また、ジイさんもきっとアキラを追い込んだと思います、お前はいったい今世で何を為すのか?
土木学会の土木人物アーカイブスというページがあるのですが、そこでアキラのことが採り上げてあります。
なぜ青山は、そんな難しい所に、大学を出てすぐ飛び込んだのか。
それは一言で言えば彼の人生観ですね。
第一高等学校にいたときに、彼はほとんど毎晩、眠れなかった。
それは、自分は何のために生きてきたのか、自分は死ぬまでに何をなすべきかということで悩んだそうです。
悩みに悩んだ青山は、内村鑑三の教会に通います。
その教会で内村鑑三の教えを受けた。
その講話の中に「後世への最大遺物」という標題の講話がございます。
人生にとって一番大事なことは、子供や孫のためになるような仕事をすることこそ人生の生き甲斐である。
そのためには土木技術者になることだと。
内村自身が河川工事とか土木の現場を見るのが大変好きだったそうです。
この工事は後世にどう役立つだろうか、あるいは現在の一般民衆にとってどういう意味があるだろうか。
これは!!まさにアンパンマンの思想です。
みなさんは、アンパンマンの歌を知っていますか?
正しくはアンパンのマーチというんですが、
1988年の放送開始ですから1985年前後生まれの子供たち、今の35歳以下の人たちはみんな知っています。
そうだ うれしいんだ 生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために 生まれてなにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
今を生きる ことで 熱い こころ 燃える
だから 君は いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ 生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン やさしい 君は
いけ!みんなの夢 まもるため
なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ
わからないまま おわる そんなのはいやだ!
忘れないで 夢を こぼさないで 涙
だから 君は とぶんだ どこまでも
そうだ おそれないで みんなのために
愛と 勇気だけが ともだちさ
ああ アンパンマン やさしい 君は
いけ! みんなの夢まもるため
時は はやく すぎる光る星は 消える
だから 君は いくんだ ほほえんで
そうだ うれしいんだ生きる よろこび
たとえ どんな 敵が あいてでも
ああ アンパンマン やさしい 君は
いけ!みんなの夢まもるため
なんのために 生まれてなにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのは いやだ!
ってことで、アキラは東京大学の土木学科に行ったんです。
しかしながら、そこでもアキラの悩みはまだまだ解けない。
俺は…土木技術者になれる。
しかし…ただ漠然と土木技術者になれるというのでは、抽象的であって、
具体的にどういう仕事をすべきなのか…。
それが彼の次の悩みでした。
地球上で人類のために最も大事な仕事は何であるのか…、
俺は俺は、それを俺は…やりたい。
当時の世界情勢の中で地球上で最も大事で人類のためになる仕事は…
パナマ運河しかない…というのがアキラの結論でした。
だから 俺は いくんだ ほほえんで です。
ああ アオヤマ アキラ やさしい 君は
パナマにいけ! みんなの夢 まもるため
です。
つづく