今の荒川は、荒川でなく、今の隅田川が元は荒川だった…の話の続きです。
この左の図のとおり、昭和になるまで、「今の荒川」はありません。
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このでっかい荒川は、人工の川なんです。
だから、生まれたときの名は「荒川放水路」と、人工っぽい名前がついていました。
完成は昭和5年です。
「放水路」と名付けられたように、荒川(今の隅田川)からの水を逃がすためにつくられたものです。
日本は、そのモンスーン気候という高温多雨な気象要因と、峻険な山々から海岸までの距離が短く、
毎年のように台風や大雨があれば、洪水にみまわれていました。
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こうした水害の様子を、仮名絵本にした仮名書魯文の『安政風文集』では、現代でいえば写真誌のような生生しいルポを書き残しています。
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氾濫した川からの浸水で、人々は屋根や木の上に避難していますが、風雨が続く中助けはまだ来ていません。
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床上浸水した江戸の街、運河に浮かぶ家財道具や瓦礫です。
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屋根が吹き飛ばされた町家、逃げる人々は胸まで水に浸かっています。
このような、ひどい洪水が毎年のように起きていたのが江戸の街だったんです。
明治になってからもそれは続いていました。
明治29年、35年、40年にも大きな水害がありましたが、明治43年の東京大水害は大変な被害をもたらしています。
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『メディアに見る 明治 43 年の東京大水害』 東京・埼玉大水害 100 周年記念講演会実行委員会より
明治時代ですから、写真記録も残されています。
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明治維新から40年を経過し、被災地は家内制手工業の職住接近型の中小製造業はじめ工業地帯となって、
富国強兵の日本の工業化を支えていました。
東京都からの建議書等の影響もあり、国家としても東京の治水に万全を期す必要に迫られたのでした。
そこで、満を持して登板したのが沖野忠雄です。
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この人はですねえ、安政元年に豊岡藩で生まれます。
豊岡は兵庫県でも山陰側の城崎温泉の山側に位置する街です。
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明治3年に藩の貢進生として大学南校、其の後の東京大学に入り、物理学修得のためフランスに留学。
ここで土木建築を学び、帰京後、内務省の土木技師になった人です。
日本の治水港湾工事の始祖と呼ばれ、河川改修工事に彼が関わらなかったものはないとまで言われています。
淀川と大阪湾の整備で力を奮いました。
淀川もしばしば氾濫を起こす暴れ川として有名でしたが、沖野の手にかかりようやく水害を克服しました。
また、淀川の流砂のため大型船の入港が難しかった大阪港を整備し、今日までの大阪の経済的基礎を築きあげた人です。
もう一人、荒川放水路の建設で活躍したのが、その沖野の片腕、原田貞介です。
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原田も明治16年に東京大学に入学しましたが、学生ストライキの活動を経て退学。
ドイツに自費留学して河海工学を学び帰国したという異色の経歴です。
内務省の技師として、主に設計の方で、ひとまわり年の離れた沖野と共に淀川の堤や大阪築港で大活躍しています。
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沖野と原田の写真ですが、
どことなく「水曜どうでしょう?」の名コンビ、ミスターこと鈴井隆之と大泉洋を思い起こさせる雰囲気ですね。
土木というのは建築と似ていますが、英語のシビルエンジニアリングのシビルの語源。
人々の、市民の、みんなの技術工学という意味では、より公共性の高い、縁の下の力持ち的な仕事であって、
インフラストラクチャーの名のとおり、普段はその存在や恩恵は見えない気づかない。
建築家のように華々しく、アーチストぶることもなく、もちろん、たった一人で構想することなどできないものです。
同時に、長い時間をかけて多くの人々と連携して組織として仕事をします。
だから、組織を動かせる力量がある人間でないとできません。
また、長期的視野で地域社会を見る視野の広さを深さ、実行に至るまでの利害関係者の調整、
粘り強く実直な面と大胆かつ爽やかに多くの人を引き付け、
行政や政治家や議会に意見し、地域住人を納得させ、将来の人々にこそ評価される、そんな仕事です。
そういった稀有な力が集まって、荒ぶる大川、荒川に挑んだのです。
そこに、パナマ運河から帰ったきたばかりという、青山が合流したのでした。
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しかし…、青山士、なんで、パナマ運河なんかに行ってたんでしょうねえ。
青山もですねえ、その名のとおり武士の魂、というか気合の入った男なんです。
つづく