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Channel: 建築エコノミスト 森山高至「土建国防論Blog」Powered by Ameba
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とにかく築年数が経過した建物は地域資産になります。⑦

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だいぶ、間が空いてしまいました。

ここんとこ、メルマガなんかを発行し始めてしまったがために、

文章を書くならメルマガを優先にしなきゃ、その前に依頼されている雑誌の原稿や書籍の原稿を優先しきゃ、

ということで、ブログに書かなきゃいけないことはたっくさんあるんですけど遅くなりました、すいません。

モダニズムの名作がまたしてもピンチ!世田谷区役所を壊すんじゃない、という話しをします。

 

その前に、建築家の前川國男さんの続きです。

 

前川さんは、

こんな、雰囲気。

映画監督みたい。

はい、カットー!!と俳優に指示を出してそうなところ。

 

田舎の厳格な校長先生みたいなところと、ハイカラなところが同居していますね。

 

 

 

新潟のご出身ということですが、お父様が内務省の土木技官であったことで、

東京の小中高校を卒業されて1928年(昭和3年)に東京帝国大学の建築学科から、パリのル・コルビュジェの元に、

留学ではなく就職されています。

その後、1930年に帰国され、レーモンド事務所を経て、ご自分の事務所を開設。

 

なぜか、青森県の弘前にて、我が国最初のモダニズム建築ともいわれる、

木村産業研究所(建物は現存し、弘前こぎん研究所として使われている)を、27歳でサクっと設計完成されています。

この建物は登録有形文化財としても登録されています。

 

1932年(昭和7年)完成です。

日本初のモダニズム、文化財、と、聞くと、どんな建物なんだろう…とワクワクしますが、

 

 

 

 

こんなんです。

 

 

 

普通?

 

 

 

って思うでしょう。

 

 

今の人達、現代の我々から見れば、普通過ぎる、公民館過ぎると…

 

違うのです。

当時の弘前の街並みといえば、まだこんな風景です。

日本中、こんな感じだろうと思いますが。

 

瓦屋根が並ぶ街並み、素材も板張りか漆喰か、灰色から焦げ茶か黒い色の素材です。

まあ、いってみれば玄米ご飯と根菜類の精進料理のような、戦前までの日本の原風景ですね。

そのような時代に、前川國男の処女作が出来あがっています。

 

つるんと

真っ白な

ディテールのない

平滑な面と直角で構成された

モダニズム建築が

突如立ち上がったわけですから

 

 

 

小さな建築ではありますが、ル・コルビュジェから受け継いだ建築の遺伝子、そして後の前川國男の原点の全てが詰まっています。

 

 

 

ちなみに、その頃のル・コルビュジェといえば、

40代で、油の乗りきった頃、小住宅から後の大型建築や公共建築に移行しようか、という頃です。

完成していたのは住宅作品が多いですが、事務所では大型建築の依頼や設計が増えていた頃です。

 

 

ジートルンク

 

 

サヴォア邸

 

 

マンドロウ邸

 

 

今から90年近くの前の建物ですが、

現代の建築デザインも未だにこのコルビュジェの初期作品の周辺をウロウロしています。

手前の自動車のクラシックな(当時の最新の)デザインと比較してみれば、

建築の方が際だって、その斬新さが分かりますよね。

 

 

つづく

 

 


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