菊竹清訓さんという人はですね、建築家として圧倒的に独自です。
日本の戦後の建築界は、戦前にヨーロッパやアメリカに留学していた方々によって、大きな潮流がつくられています。
その中でも、フランスの建築家ル・コルビュジェのところに行った方々の系譜です。
これは非常に特殊で、本来なら明治維新での近代化の過程での政策が現代までつながっています。
明治政府は各国に働きかけお雇い外国人と連動するように、さまざまな外国のシステムを導入しています。
憲法や医学はドイツを参考にしたとか、軍隊はフランスが中心で、アメリカ人は教師とか開拓使とか、
建築や鉄道等のインフラは圧倒的にイギリスでした。
海運や港湾、運河や河川の水利については、その道の先進国家のオランダで、船員や海軍もオランダでしたが、
後に海軍もイギリス式に変わっています。
それくらい、英国贔屓でした日本は。
40年後には日英同盟とか結んじゃうくらいですからね。
その英国から日本に建築を教えにきたのが、ジョサイア・コンドルです。
鉄道を教えにきたのがエドモンド・モレル。
モレルは来日して2年目には結核で亡くなってしまい、その意志を継いだのがジョン・ダイアックです。
彼らの設計した多くの建設物がいまだに現存しているのは素晴らしいことだと思いませんか?
コンドルは工部大学校(現・東京大学工学部)の教授でもあったことから、明治以降の日本の建築家を数多く育てています。
片山東熊 、辰野金吾 、曽禰達蔵、佐立七次郎、渡辺譲、久留正道、河合浩蔵、新家孝正、滝大吉、妻木頼黄、桜井小太郎といった、錚々たるメンバーです。
この時代の建築は、関東大震災とその後の火事、太平洋戦争のときの都市爆撃による空襲によって、多くのものが失われてしまっています。
また、せっかく残っていたのに戦後の高度成長期に再開発等で失われたものも多いです。
日本の工部省(建設とインフラを合わせたような省庁)は、ほぼ英国伝授のエンジニアリングの伝統が続いています。
彼らの世代が現代まで続く日本の近代化の屋台骨をつくりました。
その明治維新から50~60後の大正年代に登場したのが、ル・コルビュジェを中心としたモダニズム建築運動なんです。
コンドルの弟子たちの孫世代にあたる建築家、前川国男がコルビュジェの事務所に入所したところから、日本の近代建築の流れが大きく変わります。
つづく