リニアモーターカーのことでワシも考えた、の続きです。
そもそもリニアモーターカーって、いつ頃から騒いでたんだっけ?と考えてみるに、上図切手のように高度成長期の万博の頃でしょう?って思っていました。
大阪万博の日本館に展示されたリニアモーターカーの模型がこれ
やっぱ、日本の未来は、すべて万博だな、と。
逆にいえば、大阪万博で日本の未来は出尽くして、以降は折り返しているの感。
この1970大阪万博に提案されたさまざまな技術はその後、実現され我々の生活に寄与したものもあれば、実現されることなく別の技術にとって代わられたり、その後の社会的ニーズの変化で捨てられていったもの、その後の技術の発展や研究により実は有益とはいえなくなったもの、さまざまです。
当時の原電では、「万博に原発の灯を届ける」と、福井県の美浜で昼夜兼行の頑張りによって送電にこぎつけました。
「資源が乏しい日本では、原発しかないんだ!」という切羽詰まった使命感をみなさん発揮されてのことでした。
この原子力予算にしても、当時、改進党にいた中曽根康弘氏が主導したといわれていますが、
実際に「原子力は無限動力なり!」とその推進を提言したのは、TDKの創始者にして科学技術庁の創設者、
「2勝98敗の男」と呼ばれた立志伝中の人物、
斎藤憲三の似非理数系的な巨魁っぷりによる振れ幅です。
若いころは、秋田県の農村の振興に燃えており、アンゴラウサギの飼育の奨励や、アンゴラ兎の飼育斡旋と兎毛の販売を目的としたアンゴラ兎興農社という会社まで設立し、鐘ヶ淵紡績、カネボウと取引の段取りまでしています。
兎の毛?そんなものが売れるのか?ましてや農業の支援?と今の私たちが聞くと、やはり不思議に思うでしょう?
でも、これを見ると、ちょっとイメージ変わるんではないでしょうか
もっふもっふです。
かなり、期待されていた産業だったようです。農村副業界(そんな界があったのですね)の花形、とあります。
実際に、毛織物というとずべて「ウール」と思っている方も多いと思いますが、それは羊の毛のことで、
他に、カシミアヤギの「カシミア」、ラクダの「キャメル」、アルパカの「アルパカ」があり、
アンゴラヤギやアンゴラウサギの毛は「モヘヤ」と呼ばれ区別されています。
しかし、そのアンゴラ兎興農社は、あっけなく頓挫してしまいます。原因は兎の寄生虫による病気でした。
その後、斎藤は東工大で加藤与五郎教授と出会います。
そこで、加藤教授により、「今の日本に工業など存在しない。西洋の模倣ではなく日本人の発明を事業化しなければ真の日本の工業とはいえない」と発破をかけられました。
加藤博士の言葉に深い感銘を覚えた斎藤は「じゃあ、博士の発明の中で一番独創的なものはなんですか?」と尋ねます。
その加藤教授が示したのが「フェライトだ。まだ何にどう使えるのかもわからないものだがな」と、
斎藤が偉いのは、その言葉を信じ、加藤教授の発明したフェライトの実業化に着手します。
その会社が、われわれの世代ではカセットテープで有名な東京電気化学工業株式会社、TDKなのです。
フェライトって何?って思われる方も多いでしょう。
身近なところでは、普通に見かける棒磁石がそうです。
いわゆるフェライト磁石と呼ばれるものです。
そもそも磁石というのは天然にみられる磁力を持つ磁鉄鉱、Fe2+Fe3+2O4(4酸化3鉄)しか存在しませんでした。
この磁石が方位を指し示すことが知られていました。
ちなみに、磁石の磁はその産地である中国の慈州(磁州)からきたものです。
慈州で取れるなにやら力をもった石だから、磁石であり磁力と書くのです。
慈州(磁州)は現在の河北省の磁県であり、邯鄲の夢で有名な邯鄲市にあります。
英語で磁石をマグネットというのは、やはり産地であるマグ二シアからきています。
15世紀のイギリスの物理学者であるウィリアム・ギルバート(William Gilbert 1544-1603年)が磁石の研究をおこない磁石論を記し、いくつかの磁気をもった鉄の製造方法や特徴を見つけています。
1. 天然磁石の極を針の両端それぞれ接触させると針が磁石となる。
2. 地球の南北方向に置いた赤く熱した鉄の棒をハンマーでたたくと磁石となる。
3. 赤く熱した鉄の棒を南北方向に置いて冷やすと磁石となる。
4.鉄が磁石化した後でも熱っすると磁力がなくなる。
その後、何世紀も経て、人工的に新合金により永久磁石を作り出し世界を驚かせたのは、日本人です。
本田光太郎の磁性鋼、KS鋼です。
その後に、加藤の発明したフェライトとは、磁性をもったセラミックスのことであり、要は磁石の焼き物です。
そのため、磁石といわず、もっと汎用性を感じさせる磁性体と呼ばれています。
鉄に加え
こらは、戦前戦後を通じての日本人による大発明中の大発明といってもいいものであり、世界の電気や機械産業の製品性能を変えました。
フェライトはコイルの芯になって、トランスはTVのブラウン管のビームコアを構成したり、スピーカーやアンテナ、記録媒体である様々な磁気テープやモーターを使う、大型産業インフラや家電製品まで、現代社会の様々なシーンで電気と磁気をつなぐものとして、なくてはならないものになっています。
そこにTDKを設立した斎藤憲三は最大限の貢献をしたといえるでしょう。
電気と磁気はかつては長い間、別々の力と思われていましたが、電気も磁気も融合していることを示す象徴的部品、製品、物体がこのフェライトです。
そのような、大発明の下敷きによって現代社会があるのです。
アンゴラ兎でカネボウと毛織物のつもりが、世界を変えてしまいました。
その電気と磁気の集大成として構想されたもののひとつがリニアモーターカーといえるもののはずなのです。
なぜなら、電気と磁気の力で物体を動かす、というものだからです。
それが、どこまで有効なものかどうか、産業として使えるものかどうか、50年もかかっていますが、、
始まりは大阪万博だろうと思っていました。
実際に、1972年、昭和47年に、旧国鉄の鉄道技術研究所でML-100が公開されて、リニアといえばこのイメージ。
実際はもっと前からだったらしいです。