築地の現地再生計画が平成11年になぜかたった6名の人達の陳情によって頓挫してしまった、という経緯の続きです。
その頃の計画案がどういうもので、なぜ止まってしまったのか、
資料を見ますと、こうなっている。
下の青で囲った部分ですが
既に手をつけていたわけですが、始めてみたら、大変だよ~っと弱音を吐いています。
4つの問題を挙げてあります。
①工事が長すぎる 20年以上かかるんじゃないのか?
②工事費が掛かりすぎる 立体建て物にしたりするのと、仮住まいが多いよ
③営業が大変だよ~ 物流導線が複雑で混雑しています
④は、不安に駆られて、とって付けたような理由。このまま進めて本当に物流も機能も良くなるんですか?
①と②については、確かに不安になってしまったことは分かる。
住宅のリフォームでも仮住まいで別の場所に一時引っ越ししてもらってればいいのですが、住まいながらの場合には、工事中に家の一部が使えなかったり、音がうるさかったり、残材が散らばってオガクズやホコリが舞う中で暮らしていると、必ず途中で施主さんは不安になる。
毎日毎日現場と隣り合わせで暮らしていると、遅々として工事が進まないような気がして、どんどんクレームが増える。
③については、工事の段取りと途中の流れの中でやむを得ない点はありますが、、、、
下図で薄青い色の部分が、築地の現地再生を前提にして、実行した仮設建築部分です。
これが、ずいぶん使い勝手を邪魔しています。
そんな大変な状況で、まだなんとか回していた市場運営ですが、ピンクの茶屋と言われる部分も、工事スペースで閉鎖されようとしていた。
そのため、こりゃかなわんということで、当時悩んでいたようなんです。
たとえば、それまで手狭ながらもなんとか片付いていた部屋でも、
引っ越し準備のために部屋中に段ボールが散らばってしまって、
足の踏み場も無い状態になって途方に暮れることがありますよね。
そのような状況になってしまった。
実は、③の理由の工事中ゆえに導線計画がグチャグチャになって営業しずらいというのは、
築地現地再生をいったん棚上げにしたその後も現在まで解決されていません。
途中まで引っ越し準備したままで、
そのうち引っ越すんだから片付けなくていいやと、
部屋に段ボールが散らかったままの状態で、
20年近く暮らし続けてきている家のようなもの
それこそが、現在の築地の車両の混雑による危険性の原因なのひとつなのです。
なんで、そんなことになってしまったかというと、
当初の昭和59年から、昭和62年から、平成22年の民主党による再検討も、
すべてにおいて言えるのは、
それまで延々と受け継いできた築地現地再生計画のプランが基本的に間違っているから、
設計思想が築地の機能空間とズレているからです。
築地再生になっていない。
築地の機能空間を無視した、築地DNAを踏襲していない、
まったく別の顔をした平面計画を
築地の敷地に無理矢理押し込もうとしてきたからなんです。
だから、現地再生がうまくいかなかったんです。
それをひもといていきましょう。
つづく