平成3年に始まっていたという現地再整備計画。
その配布パンフレットを見てみたわけなのですが、かなり大規模な計画です。
市場のリニューアルだけでなく、周辺に屹立するビル。
そのビルデザインもバブル当時のポストモダン建築を意識したような、
意識どころか、当時のポストモダン建築家の磯崎新さんの「つくばセンタービル」を、もってきて縦横に引き延ばしたかのようなものです。
こうして、今見てみると、「つくばセンタービル」もなんでもない普通の建築に見えますよね。
むしろ、はあ?これ建築家の作品なの?と。
というのも、「ポストモダン建築」というのは、モダン建築の次にいったい何をやったらいいんだろう?モダニズム建築って機能や幾何学や抽象的立体構成に行き過ぎて、その場所性や歴史や大衆文化とは縁が切れ過ぎちゃったよね?とかいう問いを自らに発して、
じゃあ、歴史とか入れたらいんじゃね?わかりやすいモチーフで、と短絡的に思考してしまった部分がありました。
磯崎さんはその傾向をさらにカリカチュア(戯画化)して、
歴史も様式もモチーフも素材であって絶対的に建築造形を統一的に支配するものではない!といったことを言わんがために、「歴史様式をヒップホップのようにサンプリング&コラージュしる!」としたのが、このつくばセンタービルです。
そのように、流行に対し醒めた目線の中で、しかし!流行の中で最先端をいかねばならぬ、という捻れた分裂した思考は、新築計画のイメージなのに、数十年後の廃墟化したつくばセンタービルを描くという、非常にわかりにくい、しかし、磯崎さんキャラならではの、わかりやすいこともされています。
実際のつくばセンタービルは、意外なことに30年経過しても廃墟化することなく、当初意図された「歴史的引用による隠喩や象徴によるマニエリスムの多彩な読み取り性」といったものは、読み取れるはずもなく、その賑やかなデザイン性はむしろ駅前の商業モールのごとく活発に利用されています。
この30年後のつくばセンタービルの様子を見る限り、それを真似たデザインの築地現地再生計画は、1988年のポストモダンタイプであったなら、こうした商業イベント性を発揮していたかもしれませんね。
で、その後紆余曲折があった、、、と思っていたのですが、
実は!
1988年の築地現地再生計画よりも前に、さらなる計画があったことが分かりました。
しかも!
図面もありました。
入手しました。