先日、驚天動地の出来事がありました。
天を驚かし地を動かすような出来事、それは!
あの!伊東豊雄先生が!新国立競技場の改修案を試みている!
という情報です!
で、5月12日にシンポジウムがあります。
私も不肖の身ながら、この伊東先生のお考えを精一杯応援しております。
新国立競技場もうひとつの可能性。
伊東豊雄の国立競技場改修案発表をうけて
槇文彦先生による第二弾文書も晴天の霹靂でしたが、
この伊東先生による「現国立競技場を改修してみんとてするなり」
というご提案は、あり得ないことが今起き始めた!
とビックリすると同時に、
さすが伊東先生だよヤルなあと、
ウオーっと熱くなるよりもピキーンっと凍りつくような厳しさ、
これは浮かれるわけにはいかんとどっか醒めた感じでも受け止めてもいました。
というのも、伊東豊雄先生も日本の建築家を代表する大家も大家、大大家。
高松宮殿下記念世界文化賞、RIBAゴールドメダル、日本建築学会賞作品賞2度、グッドデザイン大賞、プリツカー賞と当然新国立競技場のコンペへの応募資格を有しておられるし、むしろ本来なら審査員サイドにいらっしゃるべきような方です。
そして、伊東豊雄さんといえばつくられた建築作品も凄いのですが、
優れた建築家人材を多数、しかも各世代ごとに重要な活動をおこなっている建築家の方々をコンスタントに育てられたという物凄い実績をお持ちです。
ざっと主だった方々をネットから検索しても、錚々たるメンバーです。
石田敏明1973~81年在籍 前橋工科大学大学院教授。
妹島和世1981~87年在籍 慶應義塾大学教授。
城戸崎和佐1985~93年在籍 京都工芸繊維大学准教授。
曽我部昌史1988~94年在籍 神奈川大学大学院教授。
ヨコミゾマコト1988~2000年在籍 東京藝術大学大学院准教授。
マーク・ダイサム
アストリッド・クライン
佐藤光彦1986~92年在籍 日本大学大学院教授。
福島加津也1994~02年在籍 早稲田大学非常勤講師
平田晃久1997~05年在籍 東京大学非常勤講師
中山英之2000~07年在籍 東京藝術大学非常勤講師
末光弘和2001~06年在籍 建築士首都大学東京非常勤講師。
白川在2001~06年在籍 武蔵野美術大学非常勤講師
篠崎弘之2002~09年在籍 東京電機大学非常勤講師
その他にも作品でメディアに紹介されたり教育や著作活動に携わられたりしているもっともっと多くの伊東豊雄事務所ご出身者かの方々が居ます。
これって、相当凄いことなんです。
と、いいますのもプロ野球でも名選手必ずしも名監督にあらず、
名横綱の部屋からなかなか次の横綱が出ないとかと言われるように、
高名な建築家であればあるほどより集まって来がちなのですが、優秀な学生や優秀な人材を擁していながら、次世代を育てられない、元スタッフが羽ばたかない、もしくはスタッフを潰してしまって、人材が消えてしまう。
といったようなことがザラにあるからなんです。
それがですね。
伊東豊雄先生のところは確率統計的にも正規分布を打ち破るような特異点をたたき出しています。
伊東豊雄先生のところは言ってみれば、
日本の建築家のお母さんみたない事務所。
建築家母艦です。
その母艦が動いた。
さらに、伊東先生の「建築家のお母さん的活動」は突き抜けていらっしゃって
建築の塾も運営されておられます。
本当に塾です。子供相手の。
凄いでしょう。
伊東建築塾NPOこれからの建築を考える
昔は学校以外の習い事ってみんなやってたと思うんです。
習字とかそろばんとか、柔道とかお花とか、学校の先生とは違う大人の先生は一味違ってて、普段聞けないようなこと教えてくれたり、塾って強制じゃないから無理に反抗したり、すねてみせてもしょうがないから、イヤな子はやめてもいいんで、勉強嫌いだけどとてつもなく字が上手い子とか、算数は苦手なはずなのにそろばんはさっさと段取ってたり、友達も学校とは別の意外な一面を垣間見たりしたものでした。
それが、最近は割と学習塾一辺倒になっている。
小学生のときから。
でも、みんなそんな進学塾に行きたいわけではないはずなんです。
進学用の勉強なんて嫌いな子だっていっぱいいると思うし。
そこで建築の塾ですよ。
プリツッカー賞受賞者の先生が教えている子供向けの塾なんて、
ちょっとあり得ないくらいとんでもないことです。
グラミー賞受賞者のギター教室とか、セリエAの選手がやっているサッカー教室とか、パリコレのデザイナーによる裁縫教室よりも、もしかしたら凄いかもしれない。プリツッカー賞って十数人しかいないんだから、、、
建築を小学校の学科で考えてみると、図画工作も家庭科も入っているし、社会科の要素もあるし、算数や理科も含まれている。
あと、子供相手だと肩書きとか通用しないから、面白くてわかる授業をやんないとついてこないから、真剣勝負ですよね。
過去にあんだけの建築家を育て、今現在のスタッフさんを育て、さらには子供達に建築教育をしようという、どんだけ人育てんですか!伊東先生は!
こんだけ育てながらお仕事の方も精力的にこなされています。
いわゆる現代建築のコンセプチャルな作品を引っ提げて常に第一線ですしね。
この人を育てる力とコンスタントに現代建築の設計活動を続けられている力には、実は共通した伊東先生の行動指針があります。
これ、常人には成しがたいことなのですが、それは何かというと。
伊東先生の
「それまでの自分を壊す」
「今までの作風や実績を捨てて次に挑む」
「俺の屍を超えて行け!」
っていうようなところです。
2章で伊東豊雄先生の年代ごとの作品の変遷について解説します。
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新国立競技場のもう1つの可能性。建築家母艦出撃
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