月刊サイゾー3月号掲載の記事
新国立競技場に「NO」をつきつける
「新しい時代の希望の灯台になるような競技場を作りたい」
2020年開催の東京五輪に向けて建て直される「新国立競技場」のデザイン募集に当たり、審査委員長を務める建築家・安藤忠雄はそう息巻いていた。そして12年に行われたコンペの結果、選出されたのはイラク出身の女性建築家ザハ・ハディドだった。だが、この新築に対しては費用面などで、一部から疑問の声が上がっている。建築家の森山高至もそのひとりだ。建築エコノミストとして日本の建築とそれを取り巻く経済環境を考察している彼は、自身のブログで、この新築がいかに問題であるかについて積極的に発言している。
この新国立競技場の記事を書いていただいた、
かもめマシーン主催劇作家の萩原雄太さんのお芝居があります。
『ニューオーダー 』作・演出 萩原雄太
2014年4月25日(金)~29日(火) 東京公演 北品川・フリースペース楽間
concept
少なくない数の人が、東京を離れていった。けれども、僕は東京を離れるという選択をすることができなかった。なぜできないのかと問われれば、さまざまな理由がある。僕も、僕の妻も東京で仕事をしているし、多くの友達や知り合いが東京に暮らしている。決して住みやすいとは言えないが、便利だし気楽だ。「安全」言われる場所には、頼れる親戚も友達もいなかった。
けれども、それらは、本当の理由なのだろうか?
観終わって帰るときの京急北品川駅の夜の風景もシュールでいいですよ。
「なぜ、ここに住んでいるのか」を、3年前からずっと考えているような気がする。そして、考えれば考えるほど、その理由のなさにイライラしながら、それでも僕はこの街に住んでいる。それは、住んで「しまって」いると言い換えてもいい。
いったい、どれくらい危険だったら、僕はこの街を捨てるのだろうか?
で、早速行ってきました。
この北品川フリーースペース楽間という箱がなかなか面白いんです。
旧東海道品川宿のど真ん中にある北品川本通り商店会の空き店舗活用事業として2010年9月にオープンしたものらしいのですが、、、
外観はこんな感じ、、古い木造の商店
でも中はなんだかいい雰囲気なんですよ
この劇場のあり方が既に芝居かかっていて結構シュールです。
なにを隠そう私も若いころは友人と芝居やってましたから一目でこの箱イイぜ、、、とこの場所を選んだ萩原さんの作品に期待が膨らみます。
かもめマシーンの過去作品のタイトルを見ますと、「スタイルカウンシル」とか「パブリックイメージリミテッド」とか、80年代ニューウェーブのおっさんホイホイなタイトルが並んでおりまして、当然この「ニューオーダー」という僕らからしたら、芝居に、、えっ?、、ていう大胆なタイトルも萩原さんならではでしょう。
で、肝心のお芝居の方ですが、ゴドーを以前演られているように、いわゆる抽象化された暗示的な戯曲の現代的作品なのですが、丁寧に練られたセリフがリアリティをもって迫ってきます。
シャッター越しに聞こえてくる車のエンジン音や風に揺れてガタつく音や周囲の商店からの声などが芝居のBGMとして意味を持ってくるという不思議な感覚です。
ネタバレにならないようにレビューしてみますと
この戯曲は「土地」とは何か、「人間と土地」の関係を浮かびあがらせようという試みです。そして、その媒介となるのは人の記憶です。
土地の記録、来歴といったものと人々の記憶が幾重にも織り成すことによって、初めて都市像が生まれる。もしくは都市とは何か、、といったようなことを考えさせられる作品です。
ちょうど、今僕らが問題にしている新国立競技場問題にも関係する話ですが、都市とはそこに関わるそれぞれの人々の認識と記憶のネットワークによって歴史的な像を結ぶわけですが、この「ニューオーダー」では、商店街の中にあるただの木造20坪ほどの空間に都市が現れます。
その演出もふるっていて、ちょうど落語の枕のように萩原さんが、地方から東京という街に出てきて違和感を感じたままその中に居住しつづける覚悟といった開園前のご挨拶があるのですが、、そこからもう芝居は始まっています。出演者それぞれの出身地の挨拶すらセリフの一部なのですよ。
萩原さんの扱うセリフは、演劇的でない普通の言葉ばかりなのですが、そのひとつひとつを吟味し、各役者さんが同時に、数秒遅れに、多発的に重なり合いながら発声されることで、都市的な喧騒に早代わりしたり、一人の人格を複数で演じるため、場面が自然に劇的にカットアップされていくという、高度に洗練された演出がなされており、全体でひとつの現代的都市の個人的叙事詩となっています。
それが、抽象化され漂白されたパフォーマンスで終わらないのが、おそらく萩原さんの根底にある呪術的なものへの信頼です。
この芝居を観て思い出したのが、
平安時代の有名な陰陽師、安倍清明の次のようなエピソードです。
ある人から「呪(しゅ)」とは何かと清明はたずねられた。
「呪」、それはそこに咲いておる花に、たとえば藤と名づけるようなものだ。
人々がみなその花を藤と呼ぶようになったとき「呪」は成るのだよ。
かもめマシーン「ニューオーダー」オススメです。で、早速行ってきました。
この北品川フリーースペース楽間という箱がなかなか面白いんです。
旧東海道品川宿のど真ん中にある北品川本通り商店会の空き店舗活用事業として2010年9月にオープンしたものらしいのですが、、、
外観はこんな感じ、、古い木造の商店
でも中はなんだかいい雰囲気なんですよ
この劇場のあり方が既に芝居かかっていて結構シュールです。
なにを隠そう私も若いころは友人と芝居やってましたから一目でこの箱イイぜ、、、とこの場所を選んだ萩原さんの作品に期待が膨らみます。
かもめマシーンの過去作品のタイトルを見ますと、「スタイルカウンシル」とか「パブリックイメージリミテッド」とか、80年代ニューウェーブのおっさんホイホイなタイトルが並んでおりまして、当然この「ニューオーダー」という僕らからしたら、芝居に、、えっ?、、ていう大胆なタイトルも萩原さんならではでしょう。
で、肝心のお芝居の方ですが、ゴドーを以前演られているように、いわゆる抽象化された暗示的な戯曲の現代的作品なのですが、丁寧に練られたセリフがリアリティをもって迫ってきます。
シャッター越しに聞こえてくる車のエンジン音や風に揺れてガタつく音や周囲の商店からの声などが芝居のBGMとして意味を持ってくるという不思議な感覚です。
ネタバレにならないようにレビューしてみますと
この戯曲は「土地」とは何か、「人間と土地」の関係を浮かびあがらせようという試みです。そして、その媒介となるのは人の記憶です。
土地の記録、来歴といったものと人々の記憶が幾重にも織り成すことによって、初めて都市像が生まれる。もしくは都市とは何か、、といったようなことを考えさせられる作品です。
ちょうど、今僕らが問題にしている新国立競技場問題にも関係する話ですが、都市とはそこに関わるそれぞれの人々の認識と記憶のネットワークによって歴史的な像を結ぶわけですが、この「ニューオーダー」では、商店街の中にあるただの木造20坪ほどの空間に都市が現れます。
その演出もふるっていて、ちょうど落語の枕のように萩原さんが、地方から東京という街に出てきて違和感を感じたままその中に居住しつづける覚悟といった開園前のご挨拶があるのですが、、そこからもう芝居は始まっています。出演者それぞれの出身地の挨拶すらセリフの一部なのですよ。
萩原さんの扱うセリフは、演劇的でない普通の言葉ばかりなのですが、そのひとつひとつを吟味し、各役者さんが同時に、数秒遅れに、多発的に重なり合いながら発声されることで、都市的な喧騒に早代わりしたり、一人の人格を複数で演じるため、場面が自然に劇的にカットアップされていくという、高度に洗練された演出がなされており、全体でひとつの現代的都市の個人的叙事詩となっています。
それが、抽象化され漂白されたパフォーマンスで終わらないのが、おそらく萩原さんの根底にある呪術的なものへの信頼です。
この芝居を観て思い出したのが、
平安時代の有名な陰陽師、安倍清明の次のようなエピソードです。
ある人から「呪(しゅ)」とは何かと清明はたずねられた。
「呪」、それはそこに咲いておる花に、たとえば藤と名づけるようなものだ。
人々がみなその花を藤と呼ぶようになったとき「呪」は成るのだよ。
観終わって帰るときの京急北品川駅の夜の風景もシュールでいいですよ。