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リニアはたぶんダメ じゃろーな③

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リニアモーターカーのことでワシも考えた、の続きです。

 

 

そもそもリニアモーターカーって、いつ頃から騒いでたんだっけ?と考えてみるに、上図切手のように高度成長期の万博の頃でしょう?って思っていました。

 

大阪万博の日本館に展示されたリニアモーターカーの模型がこれ

 

 

やっぱ、日本の未来は、すべて万博だな、と。

逆にいえば、大阪万博で日本の未来は出尽くして、以降は折り返しているの感。

 

 

この1970大阪万博に提案されたさまざまな技術はその後、実現され我々の生活に寄与したものもあれば、実現されることなく別の技術にとって代わられたり、その後の社会的ニーズの変化で捨てられていったもの、その後の技術の発展や研究により実は有益とはいえなくなったもの、さまざまです。

 

当時の原電では、「万博に原発の灯を届ける」と、福井県の美浜で昼夜兼行の頑張りによって送電にこぎつけました。

「資源が乏しい日本では、原発しかないんだ!」という切羽詰まった使命感をみなさん発揮されてのことでした。

 

 

この原子力予算にしても、当時、改進党にいた中曽根康弘氏が主導したといわれていますが、

実際に「原子力は無限動力なり!」とその推進を提言したのは、TDKの創始者にして科学技術庁の創設者、

「2勝98敗の男」と呼ばれた立志伝中の人物、

斎藤憲三の似非理数系的な巨魁っぷりによる振れ幅です。

 

 

若いころは、秋田県の農村の振興に燃えており、アンゴラウサギの飼育の奨励や、アンゴラ兎の飼育斡旋と兎毛の販売を目的としたアンゴラ兎興農社という会社まで設立し、鐘ヶ淵紡績、カネボウと取引の段取りまでしています。

兎の毛?そんなものが売れるのか?ましてや農業の支援?と今の私たちが聞くと、やはり不思議に思うでしょう?

 

でも、これを見ると、ちょっとイメージ変わるんではないでしょうか

もっふもっふです。

 

かなり、期待されていた産業だったようです。農村副業界(そんな界があったのですね)の花形、とあります。

 

 

実際に、毛織物というとずべて「ウール」と思っている方も多いと思いますが、それは羊の毛のことで、

他に、カシミアヤギの「カシミア」、ラクダの「キャメル」、アルパカの「アルパカ」があり、

アンゴラヤギやアンゴラウサギの毛は「モヘヤ」と呼ばれ区別されています。

 

しかし、そのアンゴラ兎興農社は、あっけなく頓挫してしまいます。原因は兎の寄生虫による病気でした。

 

その後、斎藤は東工大で加藤与五郎教授と出会います。

そこで、加藤教授により、「今の日本に工業など存在しない。西洋の模倣ではなく日本人の発明を事業化しなければ真の日本の工業とはいえない」と発破をかけられました。

 

加藤博士の言葉に深い感銘を覚えた斎藤は「じゃあ、博士の発明の中で一番独創的なものはなんですか?」と尋ねます。

その加藤教授が示したのが「フェライトだ。まだ何にどう使えるのかもわからないものだがな」と、

斎藤が偉いのは、その言葉を信じ、加藤教授の発明したフェライトの実業化に着手します。

 

その会社が、われわれの世代ではカセットテープで有名な東京電気化学工業株式会社、TDKなのです。

 

フェライトって何?って思われる方も多いでしょう。

身近なところでは、普通に見かける棒磁石がそうです。

いわゆるフェライト磁石と呼ばれるものです。

 

そもそも磁石というのは天然にみられる磁力を持つ磁鉄鉱、Fe2+Fe3+2O4(4酸化3鉄)しか存在しませんでした。

この磁石が方位を指し示すことが知られていました。

 

 

ちなみに、磁石の磁はその産地である中国の慈州(磁州)からきたものです。

慈州で取れるなにやら力をもった石だから、磁石であり磁力と書くのです。

慈州(磁州)は現在の河北省の磁県であり、邯鄲の夢で有名な邯鄲市にあります。

 

 

英語で磁石をマグネットというのは、やはり産地であるマグ二シアからきています。

 

 

15世紀のイギリスの物理学者であるウィリアム・ギルバート(William Gilbert 1544-1603年)が磁石の研究をおこない磁石論を記し、いくつかの磁気をもった鉄の製造方法や特徴を見つけています。

 

1. 天然磁石の極を針の両端それぞれ接触させると針が磁石となる。
2. 地球の南北方向に置いた赤く熱した鉄の棒をハンマーでたたくと磁石となる。
3. 赤く熱した鉄の棒を南北方向に置いて冷やすと磁石となる。

4.鉄が磁石化した後でも熱っすると磁力がなくなる。

 

その後、何世紀も経て、人工的に新合金により永久磁石を作り出し世界を驚かせたのは、日本人です。

本田光太郎の磁性鋼、KS鋼です。

 

その後に、加藤の発明したフェライトとは、磁性をもったセラミックスのことであり、要は磁石の焼き物です。

そのため、磁石といわず、もっと汎用性を感じさせる磁性体と呼ばれています。

鉄に加え

こらは、戦前戦後を通じての日本人による大発明中の大発明といってもいいものであり、世界の電気や機械産業の製品性能を変えました。

 

 

フェライトはコイルの芯になって、トランスはTVのブラウン管のビームコアを構成したり、スピーカーやアンテナ、記録媒体である様々な磁気テープやモーターを使う、大型産業インフラや家電製品まで、現代社会の様々なシーンで電気と磁気をつなぐものとして、なくてはならないものになっています。

 

そこにTDKを設立した斎藤憲三は最大限の貢献をしたといえるでしょう。

 

 

電気と磁気はかつては長い間、別々の力と思われていましたが、電気も磁気も融合していることを示す象徴的部品、製品、物体がこのフェライトです。

 

そのような、大発明の下敷きによって現代社会があるのです。

アンゴラ兎でカネボウと毛織物のつもりが、世界を変えてしまいました。

 

その電気と磁気の集大成として構想されたもののひとつがリニアモーターカーといえるもののはずなのです。

なぜなら、電気と磁気の力で物体を動かす、というものだからです。

それが、どこまで有効なものかどうか、産業として使えるものかどうか、50年もかかっていますが、、

 

始まりは大阪万博だろうと思っていました。

 

実際に、1972年、昭和47年に、旧国鉄の鉄道技術研究所でML-100が公開されて、リニアといえばこのイメージ。

 

 

 

 

実際はもっと前からだったらしいです。

 

 


アースダイバー 東京の聖地

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みなさんは「アースダイバー」を知っていますか?

 

アースカイザー?なんかカッコいい言葉だぞ、なんかのヒーローだっけ?

それは「超絶変身アースカイザー」もしくは「ゴッドサイダー」です。

カイザー・ソゼ?なんか聞いたことあるような・・・

それは、「ユージュアルサスペクツ」のケビン・スペーシー演じるところのキントが想像でつくった殺し屋です。

 

 

アースダイバーとは、文化人類学者の中沢新一先生の著書というか、世界の見方、

思考のフォーマットといってもいいでしょう。

人類の歴史を地形と空間との関係を、多面的角度から思想する行為、

時間と空間を同時に脳内に展開するためのツールです。

 

アースダイバーという言葉は、水に潜る鳥アビが勇気を振り絞って水中に潜り、

その深い水底から持ち帰った泥によって、地上の世界が作られた。

という神話に基づいたイメージです。

 

 

この神話における地上とは我々の住むこの世界ですが、この世界を認知する我々の思考や認識も、

神話の潜水鳥のように深い深い潜在意識の中にもぐり込んで掴みとった泥のような不定形で不確かなものによって、

徐々に形作られていくのだということを隠喩しています。

 

今の大将棋ブームのちょっと前ですが、プロ棋士になれなかった主人公を描いた「ハチワンダイバー」というマンガがありましたが、その「ダイバー」の意味も、9×9マスの将棋盤の中に「思考ダイブ」するイメージを表現したものでした。

 

 

つまり、ここでいうダイバーは現実の世界に自らを投企する、深い思考の中に潜る、意識をもっと大きな全体像の中に沈める、

そんなイメージと考えればいいでしょう。

 

そのことを我々の住む身近な都市をサンプルとして思考実験した

「アースダイバー」シリーズという本があるのです。

 

 

この本はですね、ベストセラーになりました。

タモリさんが日本中の街を歩き、その街の魅力や歴史をそこに生活する人々の暮らしをともに体感する番組。

今、大人気の「ブラタモリ」という番組があります。

また「スリバチ」なる地形を体験するスリバチ学会、坂道を堪能し坂道体験をする企画、夜の街を散歩しながら昼間とは違った顔を記録した「東京夜散歩」とか、

そういった、現実の空間体験と脳内の体験や知識が渾然一体となることで、大きく思考の枠組みが広がるようなそんな企画の大本といっていい、中沢新一の真骨頂といってもいい、そんな本です。

 

この本が出版された頃に、ほぼ日刊イトイ新聞さんで詳細にその背景や中沢新一さんの人となりが紹介されています。

http://www.1101.com/experience3/01-0714.html

こちらは、まさにアースダイバーについて中沢新一さんと糸井重里さんの対談です。

https://www.1101.com/nakazawa/2005-12-22.html

 

そのアースダイバーの最新刊が出ました!

 

 

「アースダイバー 東京の聖地」(講談社) です!

 

「アース」、「ダイバー」、「聖地」、とキラーワードの連発です。

 

そして、その聖地とは!

 

海民二千年の知恵 築地市場

 

 

太古の無意識の現出 明治神宮

 

 

どっちも、森山が大騒ぎしとる場所やん。

そです、どっちもこの数年間、その場所の帰趨を巡って世論が沸騰している場所です。

 

そして、この二つの聖地について、僕は中沢新一先生とずっといっしょに行動しているのです。

もちろん、世俗的現実と高尚な思惟と、文化的行動と政治的行動、思考空間と現実空間のそのすべてで、

です。

 

 

このアースダイバーを巡る冒険を始めてみましょうか

 

つづく

小池東京都知事の都民ファシスト党

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国会では森友問題を巡る公文書の書き換え騒動が相当に尾を引いていますが、

そこへきて、そこゆえに、このドサクサに紛れてなのか、

 

小池百合子東京都知事がなにやら妙な条例を通そうとしています。

 

真っ先にこれを報道したのは!

いまや、真の日本のジャーナリズムはここ!と2chでも大評判の

日刊ゲンダイさんのお手柄です。

 

審議は1回 小池都知事が密かに急ぐ“デモ封じ条例”の中身

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/225379/2

 

日刊ゲンダイ

名誉毀損の成立もハードルが大きく下がる。現行刑法の名誉毀損罪は「公然と人の社会的評価を低下させること」が要件な上、被害者の告訴が必要だが、今度の条例案は、告訴が不要で「公然と」は抜け落ち、単に「名誉を害する」だけで成立。国会前や路上での抗議行動もSNSの発信も、捜査機関が「名誉を害した」と判断すれば即、逮捕だ。
■3月29日にスピード採決
 さらに「監視していることを告げること」も処罰の対象となり、張り込み取材やオンブズマンの監視活動も制約される。
 こんな危険な条例案を19日の都議会「警察・消防委」で、たった1回だけ審議し、29日の定例会最終日には採決する段取り。施行は7月の予定だ。

 

 

東京都迷惑条例の改正案です。

 

いわゆるストーカー行為を取り締まるための法の強化なのですが、、、

ストーカー犯罪というのは、人に対するある種のコミュニケーションを起因とした感情の投影や、

歪んだ自己同一化を求めることで、現実認識が壊れ、最終的に犯罪行為にエスカレートしていくたぐいのものです。

 

殺人にいたるケースもありますが、第三者にはその行為の外形がつかみにくく、

被害者の申し出から始まる、警察の初動が遅れ気味になっていることに対する批判、

さらに現実のコミュニケーションの行為がネットワークやメールだけでなく、

匿名のSNSが一般化したことで、その萌芽を取り締まることがますます困難になってるからです。

 

その目的は、わかるのですが、ストーカー被害者に苦痛を与える行為の中に、

家の近くをうろつく、盗撮する、デマを流す等々があるがために、

 

迷惑行為の範囲を条例で設定しようとしているわけですが、法の枠組み設定をきちんと議論することなく決めようとしている点。

特に、ストーカー行為の要件に関する条項がキチンとしていないため、法案として論旨が閉じていない。

対象の範囲が警察の主観にゆだねられ解放されている点に問題があるのです。

 

特に、報道や政治活動に拡大適用できる余幅を残している。

主観要件を厳密に書き加えて範囲を限定しなくてはいけない内容なのです。

 

つまり、今回の東京都迷惑条令改正案は未完成というか欠陥法なのです。

 

まだ、十分に出来上がっていない法律

雑でいいかげんな法律

なのに、急いで成立させようとしている法律なのです。

 

なぜ、そんなに急いでいるのか、、、それだけでも危険なのですが問題は

東京都議会が小池百合子党首が率いる「都民ファースト」という党が牛耳っているせいで、

都知事の言いなりにしかならず、知事と議会で丁々発止の議論ができない状態だ!というところです。

 

“デモ封じ条例”に反対せず 都Fは「都民ファシストの会」か

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/225495



日刊ゲンダイ
小池都知事が忍び足でスピード成立を目指す「デモ封じ条例」。都迷惑防止条例を改め、つきまといや名誉毀損の要件を大幅緩和し、捜査当局の腹ひとつで、デモや取材活動をも取り締まりかねない。
 そんな危険な重要条例案を、たった1回の審議で強行採決の意向だから、ムチャクチャだが、その審議が19日、都議会の「警察・消防委員会」で行われた。
 傍聴には定員の倍の40人が詰めかけた。デモ封じ条例について、当初は共産のみの質疑予定が、注目の高まりで全会派が質疑。ただ、審議はわずか1時間余りで、内容もお寒いもの。

 

というわけで、

この法をこのままスルーで通そうとする者どもは、将来社会の敵、民衆の敵と呼んでかまわないかもしれません。

むしろ監視を要するパブリックエネミーとは、小池百合子と徒党を組む都民ファーストの連中なのです。

 

その証拠に報道ステーションの取材において

http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000123397.html

 

2年後に迫る東京五輪、パラリンピックの開催に向けて、東京都議会では迷惑防止条例の改正案が22日、委員会採決される。改正案の主なポイントは「盗撮」と「つきまとい行為」の規制強化だ。盗撮行為については、学校や会社のトイレ、住居などでの盗撮を取り締まりの対象に加えるとしている。つきまとい行為については、新たに「住居などの付近をみだりにうろつくこと」「名誉を害する事項を告げること」などが規制対象に加えられる。これらはストーカー規制法で禁じられている行為だが、条例の改正案では恋愛感情がなくても“悪意”があれば規制できる。ただ、つきまとい行為については、政治家への批判や市民運動、取材活動の規制につながるのではないかという懸念の声が上がっている。小池都知事は16日の定例会見で「基本的には乱用されない」と強調した。

 

小池知事は「基本的には乱用されない」と、乱用が可能であることを図らずも示唆しているからです。

非常に危険な法律を通そうとしている、非常に危険な東京都知事と、その徒党である危険な政党「都民ファースト」は、確かに将来は都民ファシスト党と呼ばれる可能性が出てきました。

 

というわけで、昨年、わたくしが記した予言の書を公開しておきます。

 

これまた、真のジャーナリズムはここにしかないんじゃないか!と新宿ゴールデン街

方面では評価の高い、

「紙の爆弾」2017年11月号です。

まだ、ペンひとつである政治的団体をぶった斬った、烏合の衆を一網打尽にした、現代の荊軻こと、

横田一さんの「排除するのか!」の前

小池百合子の希望の党を世間がチヤホヤしていて、

安倍さんの自民党は今選挙したら危ない!と言われていたころのものです。

 

 

 

 

 

群れや集団を形成し生活する生物というものがある。
これらは「社会性動物」と呼ばれ、我々人間をはじめ多くのほ乳類や鳥類はじめ昆虫その他集団生活をする生物全般の生活形態を指すといっていいだろう。その集団化組織化の程度や範囲は、個々の生物種族によって異なるものの、生活圏をともにするもの、採取や狩猟を協働するもの、ハーレムを形成するもの、群れを適格に移動させる統率性をもった社会まで様々である。


そのような「社会性昆虫」として身近なところではアリやハチの仲間がそうだ、女王アリ、女王バチが産んだ多くの働きアリ、働きバチが同じ一族を成す。昨今、この社会性に関する研究が進み、社会性昆虫であるかどうかの判断は、我々の人間生活から想像するような社会の分業性や組織リーダーの存在、女王アリや女王バチに統率された集団といったような「群れの中に分業的な階層があるかどうか」「リーダーと配下の組織行動」に寄るのではなく、「群れの中で繁殖を行う個体が女王に限られること」にその根本特徴がある、と米国の昆虫学者であり、社会生物学と生物多様性の研究者でもあるE・O・ウィルソンにより「真社会性」と再定義された。
その観点で研究が進んだ結果、よく知られたアリや蜂以外の昆虫、カメムシやアザミウマの一種から、昆虫以外の生物としては、カリブ海の珊瑚礁に住むテッポウエビ、ほ乳類からもハダカデバネズミと、いくつかの「真社会性」をもつ生物が発見されている。そして、現在では社会性動物とは、この新たな概念「真社会性」を持つものとされる。


人間の社会を考える意味でも、この社会生物学という統合的な学問の果たす役割は益々大きくなるだろう。
 昨今の政局、特に東京都知事当選以降の小池都知事周辺を概観して思い出すのが、このあらたな定義、「真社会性」概念である。


人間における社会組織とは、多くの人々が高度に専門化した役割分担と、それをつなぐ複雑な機構を宿したものと考えていいだろう。当然ながら組織規模が大きくなればなるほど、その機構はより複雑になり、二段構え、三段構えとその複雑性を増していく。結果として、組織構造の厚みは伝達経路をも多段式に結合することから、脳の神経回路のように多くの複雑な事象を同時進行でこなす必要もある。そのため、巨大になればなるほど組織決定や運営は、徐々に鈍重かつ迂遠なものとなる運命だ。


そういった意味では、東京都とは日本の地方行政の単位でありながら、年間予算13兆円を超え、スウェーデン一国同等の巨大な組織であることは間違い無い。
これだけの巨大な行政組織内には、いくつもの意志決定の連なりがあり、ひとつの目的の下にそれらがキチンと統合されていなければ、中途で頓挫したり、伝言ゲームのように途中でその内容は変節し歪曲されることになる。同時に政策の最終目的が何であるのか具体的にはっきり示されていない場合には、当初の目的の合目性から徐々に離れ、最後には目的とは違う場所に到達し、目的が果たされていないにもかかわらず、プロセスの手続き遂行が果たされたことをもって完了とみなすようにもなる。そのような愚昧な結果も、目的なき組織構造が機能した結果に他ならないのである。
 

傾斜地マンション問題が都内にもあるの?

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かつて物議をかもしていた、傾斜地マンション問題ってご存知でしょうか?

傾斜地マンション問題と呼ばれたり、地下室マンション問題とも呼ばれたりしますが、、

要は、斜面地に建てようとするマンションにおける建築において

建築基準法での想定外の問題、もしくは脱法的解釈の問題です。

 

傾斜地に建つマンションって、こんな感じに建ってたりしませんか?

 

 

傾斜の角度や段差によっては、この図のように上と下で高さ関係が数階も違うようなケースがあります。

 

当初、この問題が大きく報道されたのは、横浜です。

横浜を含む神奈川県といってもいいでしょう。

それは、神奈川県の地形的特徴によるものです。

 

神奈川県東部は、海に向かって複雑な尾根の稜線がたこ足に海に向かって下りています。

ちょうど手のひらを広げて指と指の間に谷や川や低地が入り組んでいるのです。

 

 

そのため、このエリアで建築設計や工事をしたことがある方ならわかるはずですが、、

坂だらけ、崖だらけ、擁壁だらけ、路地が階段、路地が細くウネウネ、非常に設計しずらい、許可を取りにくい、工事が大変。

ということに加え、横浜は崖地条令が超キビシイので、斜面地を元に開発しても採算が取れない。

安い土地と思って飛びついたら大変なことになる。

 

そういう場所ですね。

 

そこが、現在では山を削り、谷を埋め、海を埋め立て都市になっているのです。

 

この横浜村は、江戸時代の末期に、黒船来襲によって1854(安政元)年日米和親条約が締結され、

その4年後には日米修好通商条約の締結により、まず神奈川宿に開港場が置かれた後に、

1859(安政6)年7月1日(旧暦6月2日)、横浜が開港したのです。

 

▲ 安東広重の東海道五十三次に描かれた、神奈川宿

 

なぜ、神奈川から横浜に移ったのか?諸説ありますが、湾の水深です。

当時の大型船の停泊のためには、四尋(よんひろ)約水深7メートルが必要だったようなのですが、

神奈川港ではその水深に至るまでは1㎞の距離がかかりました。

 

それにひきかえ横浜村はググッと急に深くなる。

100メートルも沖にいけば7メートル水深に到達したからこそ、といわれております。

 

 

今の首都圏では東京に次ぐ大都市、未来都市、有名都市としての横浜ですが、明治まで町ではなかったのです。

漁港ですらない。むしろ、寒村。総戸数100戸くらいの半農半漁の小さな漁村。

 

元々、狭いのです。

平地が少ない、山から一気にすぐ海になるという典型的な日本の地形ですね。

 

なので、住宅地が斜面を上ってきてしまったわけです。

 

つづく

築地市場移転の前に豊洲市場問題はまったく解決していない①

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築地市場の移転が延期されて大騒ぎしていたのは2016年のことでしたね。

あれから2年を経過しようとしていますが、本当にいろんなことがありましたね。

新国立競技場問題にまさるとも劣らない

いや、むしろ

新国立競技場問題以上に大きな問題を孕んでいる。

日本の現在の状況を反映している

日本の公共事業の問題を象徴している問題んじゃないかと思います。

 

で、私の見解としましては、

小池都知事は今年の10月11日に移転します!と無根拠に言ってるけれども、

結局、移転はすぐにはできない。

やっぱ、再度延期します!って言い出すんじゃないか?

結局、再度延期するしかない!って分かるんじゃないか?

もはや、延期をどうやって言い出したらいいのか、悩んでるんじゃないか?

そう思わざるを得ないんです。

 

なぜなら、そもそも、昨年の12月に「移転を決めます」の小池判断に中身がなかったからです。

その辺は追々また解説するとして

今、一番ホットな話題。

 

といっても、都市計画や土地や不動産や建築や海洋の環境問題、そういったものに関心のない方々からしたら、

なんのこっちゃ?と

なにが問題やねん?と

分からへんねんと、そうかもしれない。

だから、もうええやん、と

環境やら行政手続きやら法律やらに関心のない、知識のない人だったら、知らなくても、分からなくても、まあしょいうがない。

 

築地市場と豊洲市場の魚がどうした、刺身がどうした、

豊洲市場の屋上でたこ揚げしてみた、敷地周囲の公園が気持ちよかったな・・・

その程度の関心なら、やむを無いののですが

同様に、小池都知事もその程度の認識だったらしいんですが

 

そんな、普通のオジサン、オバサンにはちょっと特殊な話題

特殊な言葉、

それが「遮水壁」です。

 

なんか、聞いたことがあるようなないような、

聞きたくないような言葉、「凍土壁」というのもあった。

なんか、すっごく大変な場所で使われて、結局うまくいかなくて外資系企業にボッタくられたヤツです。

 

「遮水壁」と「凍土壁」、これは同じ役割を目指したものです。

が、

外資系でなく、日本の大手企業、スーパーゼネコン等がやった工事なんですけど、

もしかしたら、ここでもボッたくられてるかもしれない。

当初の性能が発揮できていないかもしれない。

 

そんな問題が先週発覚しているんです。

 

 

なんだろう、この話し。

なんかヤバそう、そう考えるのが普通のことなのですが、、、、

 

小池都知事はどうやらまったく事態を理解出来ていないみたいなんです。

 

つづく

 

遮水壁図面はこちら

 

https://goo.gl/GnfMKp

 

 

 

 

 

 

 

築地市場移転の前に豊洲市場問題はまったく解決していない②

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「築地市場移転の前に豊洲市場問題はまったく解決していない」ってことで、

先日、6月2日のことですが、東京お茶の水の明治大学のリバティタワーで講演してきました。

 

 

当日の模様は、いくつか動画サイトでもご覧いただけるようですが、

プレゼン資料をご紹介しておきます。

 

同時に、ちょこっと講演中の再現コメントも入れておきます。

 

2年前の東京都HPですが、28年に移転延期されましたけれども、豊洲市場の問題は放置されたまま。

なにも解決されていない、ということです。

 

最初に断言しておきますが、豊洲市場施設は出来損ないです。

その出来損ないを見て「綺麗だー」、「これでいい」と言ってる人は素人なんです。

 

それは、ちょうど、パソコンのケースだけを見て、「綺麗だー」、「素晴らしい」と言ってるようなものなのです。

マニアはケース無しでも自作パソコンを使ってたります。

配線や基板も剥き出しですが、それはその方が改造が楽だったり、自由が利くからです。

つまりは、パソコンはケースではなく中身なんです。

そんな中身のない状態の建築を見て、中身と関係ない屋上で見学会をおこなう都知事の愚行は、

パソコンのケースだけを見て、立派なコンピューターに違いない、と判断しているのと同じ滑稽さなんです。

ここで、パソコンの話しをしているのには理由がありまして、パソコンはケースの外からではブラックボックスであるように、

市場というものも外からいくら見いても、ちょこっと2~3回覗いたくらいでは、本当の機能や意図は何がなんだか分からないんです。

 

それは、パソコンの中身である、様々な基盤や配線や部品と同じように、

市場で働く業者さんも何らかの機能に特化したひとつの部分でしかないからなんです。

みなさん、自分の職務に誠実かつ忠実に迅速に取り組んでいるわけで、

全体を把握できている人は市場内にもいません。

 

全体をわかっているのは、築地研究で有名な人類学者のテオドール・ベスターさんか、私だけです。

いや、この数年間、築地市場内を調べまくり歩きまくり、建築空間との関係を理解しているという意味では、

この巨大なコンピューターともいえる築地市場をタイムリーに分かっているのは、私だけでしょう。

コンピューターの機能と非常に似ているのは、大量の入力を迅速に捌き出力する。

同時多発的に処理と貯蔵がおこなわれていくということです。

 

コンピューターの場合には流動するものが情報というか電子信号ですが、

築地市場の場合は、情報と物体と人の具体的質量をともなう動きです。

 

築地市場の空間構成と機能を理解してもらうために、皆さんが体験したことがある建築として、

私がよく説明に使っているのは、空港です。

しかも、国際線と国内線の乗り換え空港をイメージしてください。

大量の人が時間どおりに同時多発的に動いている。

ひとりひとりは自己目的の充足でしかないのに、全体が有機的に機能している。

 

それを可能にしているのが今の市場です。

市場機能をもっと端的に表現すると、「集める」「拡げる」の繰り返しともいえます。

それは、呼吸する大きな渦と小さな渦の集合のような空間といってもいいでしょう。

そこまで、市場機能と空間が理解できれば

現在の豊洲市場施設が、いかに出来損ないかご理解いただけるでしょう。

この中身のないパソコンケースのようなものを見て、

移転できると信じ込んでいるのが、現在の都知事の姿なのです。

一昨年の市場問題PTでも、中身がまったくうまく入らないことが証明されています。

それを無視して移転日を決めてしまった都知事は今後大混乱の責任をとらせることになるし、

その事実を知りながら、

知事に適切にアドバイスできていない、知事の側近の小島敏郎氏の罪は大きいです。

 

では、出来損ないの②について

目指したものと相違がありながら、放置されています。

東京都は4つの目標を掲げていました。

 

目標の1、食の安全・安心ははなっから捨てていることがわかっています。

しかも、その危険な埋立地への対処方法。

 

その約束が全部うそだったということが判明しております。

土壌汚染対策法に抵触するだけえなく

環境アセスメントのやり直しの必要もあり、水質汚濁防止法にも抵触する。

 

最大の問題は、地下で汚染された土壌を撹拌し続け、雨水の流入により汚染物質が上昇し、

海面とつなっがった水域に地下でつながり、地上からは垂れ流しているという、

満潮干潮ごとに汚染水がかきまぜられるような構造になっていた、という問題です。

目標の2、効果的な物流は実現できませんでした。

これは、ほうぼうで繰り返し報道されたとおり、市場の空間連続性がない。

2000代以上のターレやフォークが何往復もすることを想定していない。

 

結果として人もモノも渋滞します。

次も、もうみなさんご存知のトラック搬入時の欠陥。

駐車できないくらい詰め詰めの駐車場計画

ウィング車が使えない荷捌き駐車場

 

自動車を運転したことがない人物が設計したんだと思われます。

仲卸業者さんのお店の寸法がメチャクチャです。

1.8メートル必要だった間口を1.35まで縮めて設計するという、

なんというか、真の無能とは、こういうことを言うんではないかと思います。

で、ですね、実際に車両を動かしたときの動画を紹介しました。

 

百聞は一見にしかず、といいますか

百回聞いてもわからないバカは1回見ても、この問題事実を無視していますが

 

なにもかもが狭いんです。

移転前の築地市場よりも狭く設計する、なんという愚行、なんというビフォア―・アフター、なんて無能な設計者なんでしょう。

 

そう思って市場問題PTで設計者ヒアリングしたんですが、実際の設計者さんはわかっていましたし、

都の指示によるもので、やむを得なかった、と悔しがっていました。が、都もそのことを公表することなく今に至っています。

Youtube動画を貼りましたので見てください。

駐車場から外に出ようとするところからです。



一昨年にわかっていた、都も立ち会いの動線の欠陥です。

 

市場でもっとも迅速におこなわなかればいけない荷物処理がまったくうまくいかない。

買い出し人と搬入トラックの動線もぶつかっている。

とにかく、駐車場のキャパシティが足りない。

 

築地に荷物を運んでこられる全国のトラッカーのみなさんが最も気にしているのは、荷物の到着時間の厳守です。

せっかく市場に早く到着しても、市場内でもたもたしたんではその努力も台無しです。

 

というわけで、働く自動車に関する雑誌書籍で、一部では有名な、マニアごころをくすぐる雑誌を多数出している、

芸文社さんという出版社をご紹介します。

「カミオン」というトラックに特化した雑誌の2018年5月号で、大間から築地にマグロを運ぶ運送会社さんの奮闘を描いたドキュメンタリーDVDが付属しています。

このビデオが大変すばらしいので、ちょっとここで紹介します。
 


 

ここでいったん休憩

後半に移ります。

 

さて、大問題の築地市場移転の豊洲市場問題なのですが、もっともっと大問題になるであろう市場問題があります。

ビッグサイトが2年近くも使えない問題です。

これは、商品見本市、ビジネス見本市が2年間開けなくなってしまうことを意味します。

見本市というのは、自動車なら自動車業界、ホテル・レストラならその業界、建材業界、宝飾業界、メガネ業界、スポーツグッズ業界、食品加工機械、ファッション業界、ガーデニング業界、通信機器業界、医療業界、・・・・

多種多様な業界の集まりです。

見本市というのは年に1~2回の頻度で日本の世界の様々な業界が集まるイベントです。

イベントといってもPRだけではありません。

そこで、仕事が売り買いされる、事業が目利きされる、取引先がせりにかけられる。

いわば、一日築地市場現象です。

つまり、建材見本市を例にあげれば、その日は「建材のための築地市場」みたいなものが、

ビッグサイトに出現します。

その2~3日の間だけ、さまざまな、ありとあらゆる建材が集められます。

参加する企業も、超有名大手一部上場企業から、この日のために企業したベンチャー、家族経営の中小企業まで、木材から壁材から屋根から、断熱材や窓やドア、金具やネジや釘のたぐいまで、北米やヨーロッパやアジアからも、小さなサンプルや大きな原寸大モックアップを組んでやってきます。

 

その場で商談がおこなわれます。

これを買う、あれを売る、というよりも、このビジネスのパートナーになる、この商品の代理店になる、といった具合にです。

私も過去、いくつかの建材メーカーの役員やったり開発のお手伝いやったりした関係で、この見本市のブースに出たことがあります。築地でいえば仲卸業者さんをやってみたようなものですが、、、

多くの目利きや新しい商売を探す来訪者と喧々諤々のやりとりがあったりする、そういう場です。

この見本市で仕事を生み出すのです。

 

そのビジネスマッチングが2年間閉鎖ということは、人間でいえば2年間、男女の出会い中止、結婚禁止、みたいなもので、

そんなことがおこなわれたら、日本が滅亡しますよね。

 

それがね

 

おこなわれようとしています。

 

大変な事態なんです。

 

 

 

TV局の建築について

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前回のブログ記事

築地市場移転の前に豊洲市場問題はまったく解決していない②

について、かなりの反響でした。

 

えーっ、2年たって何にも解決してないの!

とか

市場問題ヤベーじゃん。

とか

ビッグサイトってそういう使われ方してたのか

とか

築地市場移転問題だけではなく、オリンピック準備段階での心配や東京都の都市計画についてのご意見等、

さまざまなご感想いただいておりますが!

 

もっとも、多くの人が興味を持たれたのが!

フジテレビ問題。

お台場移転はどうだったのか?20年目の検証。

そうだったのか!という驚きと同時に、そうなんだよ!森山さん、よく書いてくれた!というテレビ製作現場の声。

 

特に、産業の城下町構造についての感想もチラホラ。

それだけではなくて、この10年で各局が社屋の新築をおこなっていますが、

建築についてどう思う、局の建築のことを書いてくれ!との要望も寄せられております。

 

そうなんです。

局の建築について、いろいろ思うところあるんです。

 

そもそもTV局というのは、映画製作現場の延長にあると思われがちなのですが、、、、

むしろ、最初はそういう映画製作現場と同じようであったと思われます。

ですが、結果としてTV局と映画撮影所は、似ていますがけっこう違います。

 

市場でいえば、築地市場と産地市場、水揚げ港くらい違います。

 

私はテレビ局に頻繁に出入りしたことで局の建築構造がわかりましたが、

20年ちかく前に東映さんのお仕事に関わったこともありまして、

練馬の東映撮影所に出入りしたこともあり、その違いがよくわかりました。

 

同時に、現在の首都圏キーステーションの建築がそれぞれに立地やプランで大きく違いがあって、

非常に興味深い傾向を示しています。

 

見た目だけでも結構違います。

 

まずNHK。

 

渋谷区神南2-2-1、完成は1974年、設計は建築家の佐藤武夫さんです。

実は、佐藤武夫さんだけでなく、10年がかりで多くの設計者との連携で出来上がったものなんです。

株式会社山下寿郎設計事務所
株式会社武藤構造力学研究所
日本技術開発株式会社
株式会社梓設計
株式会社日建設計

始まりは昭和39年、1964年です。

なんと!前回の東京オリンピックのメディアセンターとして、建築されたものがNHK放送センターの前身なんです。

なんだ!オリンピックメディアセンターが後の放送局になってる、ちゃんとしてんじゃん!昔の日本人。

 

昭和の社会人、設計者、ゼネコン、みんなちゃんと考えてくれてました。

だからこそ、このNHKの社屋40年たっても、損傷もなく、今でも活躍してます。

公園通り含めて、立地もよかったんですけどね。

 

 

オリンピックメディアセンターのときの写真がこれです。

 

 

それが、増築されて、今があります。

ね?四角の窓がギッシリ並んでるデザインのところを見ると、オリンピックメディアセンター時代と一致するでしょう?

 

 

ちょうど、これらの建物ができる前のワシントンハイツ時代の写真を見ると、その非現実感に卒倒しますけどね。

 

後ろの丹下さんの近未来建物が牧歌的なヨーロッパの田舎町に降臨してるかのうようであり、同時に周囲は既に都市化されており、このワシントンハイツの緑とコロニアルスタイルの住居群が箱庭的で、不思議な現実感のない風景です。

 

 

 ワシントンハイツとは、大戦後の日本を占領していた米軍が代々木に有していた、兵舎と宿舎の軍用地の総称です。

つい、50年前の風景です。

 

放送開始順にご紹介するなら、続いて日テレ

 

 

本当はNHKよりも先に開局する予定だったテレビ局です。

正力松太郎っていっても今の若い人にもピンとこなきゃ、若くない人にも大変なつかしい名前でしょう。

戦前、戦後をつなぐ魔神のごとき人物ですが、

その人が初代の社長です。

なんか、めちゃくちゃ怖そうなんですけど、、

昭和にはこういう怖そうな、なんかもう話しつけちゃうような、大人がたっくさん居ました。

 

 

今の日テレは新橋の南側、汐留と言われる場所に高層ビルとしてあります。

 

 

これが放送開始の頃の社屋。

そしてタワーです。

正力松太郎さんって人は、タワーが好きだったみたいなんですけど。

高さ550メートルを超える正力タワーなるものを新宿に建てようとしてました。

 

 

つづく

築地市場移転問題に関する記事のまとめ

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ここで、再度おさらいする意味で、掲載します。





「問題を時系列で追って行くために記事の索引を作りました。
上から順番に読めばコンテクストが見えると思います。」

 

2016年6月より始まります。

築地市場の豊洲移転が不可能な理由①~⑮です。

 

築地ってどんなところ?
グルメマンガの発展進化の過程で築地を舞台としたマンガもありました。

連載01:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12175575070.html

 

築地市場の平面計画と空間の意味
築80年の築地市場。油圧回路と電子回路の違いから読み解く物流動線
連載02:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12176233153.html

 

築地には昔線路があって列車が入ってました。
ターレやフォークが動き回る血球と血液のような空間
連載03:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12177304039.html

 

豊洲市場施設ってどんな風なの

大田市場ともずいぶん違うけど大丈夫?
連載04:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12177861238.html

 

豊洲市場の問題が大噴出しはじめたころ

床積載荷重が足りない、海水付けないコバエが沸く、舛添元知事が辞任します
連載05:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12179682327.html

 

豊洲市場施設の機能不全の根本原因は配置計画です。

都知事選挙が始まります。候補は築地に言及し始めました。
連載06:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12180173429.html

 

漁獲から築地市場に来るまで何がおこなわれているのかな?

「集める」、「拡げる」、「繰り返し」の法則
連載07:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12181179050.html

 

築地市場の物流空間の解説
実は築地市場より、豊洲市場は小さかった!衝撃の事実
連載08:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12181631290.html

 

築地市場に集まる車両の数と時間が半端ない

なんと!豊洲市場は冷えていない!衝撃の事実
連載09:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12182100325.html

 

築地市場の豊洲移転が不可能な理由シリーズ最大の爆笑ヒット

「トレーラー、横開きなんですけど!」 やっちまったなあ。氷もないしね。
連載10:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12182683151.html

 

築地の由来について、江戸時代から振り返る

築地市場の卸・仲卸とはなにか、解説
連載11:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12183541347.html

 

築地が特別な場所になっている理由

マンガ「築地魚河岸三代目」から学ぶ目利きとは何か
連載12:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12185531559.html

 

豊洲市場の異常な工事費を解説

そういえばこの頃小池都知事が誕生しました。その後、豹変し人気も信用も失墜しますが
連載13:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12186263423.html

 

新国立競技場問題以上に建築業界の信用が問われる事態

三田紀房「アルキメデスの大戦」にみる止められない公共事業
連載14:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12188160963.htm

 

豊洲市場の内部動線の欠陥について

階層を上限するターレやフォークの運用が困難、物流不能な施設

連載15:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12189744690.html

 

以上が、2年前の2016年6月~8月にかけての記事でした。

今読み返してみても、実に的を射た、予言的な内容に満ち満ちております。

 

いまだ、これ以上に築地と豊洲の問題を適格かつわかりやすく説明した文章はですね、存在していませんね。

 

 

つづいて、築地再生計画を含む、より大きな社会制度の問題についての記事を紹介します。

築地市場移転問題に関する記事のまとめ

 


築地市場移転問題に関する記事のまとめ②

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築地市場移転における豊洲の問題がだいたい理解できたら、

次は、市場機能と空間と制度の話しです。

ものづくりに携わる人もそうでない人も建築設計者なら大変興味深く読めると思いますし、

一度、築地市場を見学してみよう!と思うはずです。

 

築地再生計画はじめましたシリーズは、都知事選挙で小池百合子さんが知事になった直後の2016年の8月から始まり、

私が市場問題PTの委員を経て、このPT会議運営の欺瞞に気づきはじめた2017年の1月より再開し2月まで連載したものです。

 

 

市場建築はどうあるべきか?過去から現代へ解説

80年前の横河工務所から現代の横河建築設計事務所が登場

築地再生計画はじめました①

 

石巻魚市場と水産業の未来

HACCPは水産施設でどう考えるべきか

築地再生計画はじめました②

 

漁村総研とは?築地を知りたいなら必見

映画「築地ワンダーランド」とテオドル・ベスターさん

築地再生計画はじめました③

 

東京の都市計画と環状2号線の解説

2016年9月小池知事は築地移転の延期を発表されました。私は市場問題PTの委員に任命されました

築地再生計画はじめました④

 

築地市場の現地での再生計画は30年前から構想されてました。

バブルの頃なので、デザインはなんとなくポストモダン建築の磯崎新風です。

 
築地再生計画の変遷について
昭和50年代から時代の雰囲気を反映した築地市場の再生計画デザイン
 
築地市場を詳細調査された建築家
環境システム研究所の建築家原田鎮郎さん、伝説巨人菊竹清訓事務所出身
 
築地市場の空間流動調査記録を見てみよう
空間の冗長性を持たないと、築地のような市場は成立し得ない
 
築地市場の居ながら施工計画は練られていた
真の建築家の役割について、大高正人さんも参照
 
これまでの、築地再生計画についての問題点を分析
築地市場は空港モデルで解くしかない。ゲルカン・マルク登場
 
築地市場の人と物の流れを再分析
再生計画の中止にいたる間違った判断
 
築地市場の重要な空間機能が「茶屋」です。
流動する空間の心臓・肺胞、循環器の茶屋機能を忘れて計画しては市場機能しません。
 
このシリーズの最重要記事。築地は生き物
有機的建築とは何か?フラクタルとはカタチだけをいうのではない
 
築地市場の配置計画を昔に戻せば機能する
列車からトラック輸送に変わったけれど空間構成は同じ
 
真・築地市場、築地はこうしてリニューアルする
やはり、青木茂先生の力が必要かな、、ということで、この頃、東京都に青木先生を委員推薦

築地再生計画はじめました⑮

 

以上

 

築地市場の機能と意味と空間構成への解説です。

これで、築地市場移転問題のベース知識が入ると思います。

 

 

中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ①

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築地市場の移転問題について、あいかわらず森山さん延々と文句言ってるよね。

という人がいます。

同時に、築地市場は移転して欲しくないですよー、今日も場外で買い物してきたよ、森山さん。

という人もいます。

 

いずれにしましても、

築地市場移転問題に関する記事のまとめ
築地市場移転問題に関する記事のまとめ②

これを読んでいただければ、

ああ、なんだ、反対だとか賛成だとかの前に、個人的思惑とか意志の強さ弱さの前に

 

全然、移転なんで出来ないわ

 

と皆さん一瞬で理解できると思います。

 

ちょっと長すぎると言う方は、この記事だけでもダイジェスト的にわかります。

築地市場移転の前に豊洲市場問題はまったく解決していない②

 

解説動画もありますね。

 

 

まあ、これまでの議論の中で築地市場の機能面、空間面、そういったことを詳しく解説かつ
、築地市場の業者さん達、市場外の業者さん達、築地周辺の街の方々、
そして中央区から始まる東京都の食文化全般を、私なりに応援してきたわけなんですが、

 

そもそも、なんで森山さん、築地なの? 熱すぎるんじゃない?といった声を聞きます。

築地に実家でもああるの?実家が魚屋さん?
違いますが、なんだか市場はじめ築地の皆さんによくしていただいて、



お祭りにも参加してますので、御神輿も担いじゃってますので、
もはや築地は僕の第二の実家、第二の田舎なのかもしれません。

そんなにまで、築地のことが好きなのか?と問われれば、
「好きです!」と即答できるのですが、

じゃあ、俺は築地のファンなのか?と問われれば、
なんでそうなったのか分からない。
いつからそうだったのか、もう分からない。

 

 

かつて作詞家の森雪之丈が、
日本で最初のロックバンドと呼ばれるジャックスのレコードの帯に、

「今、君はジャックスにファンとして選ばれた!」って書いてましたが、

確かにそういう感じ、
 

こちらから築地を好きになったとかいうんじゃなくて、築地にファンとして選んでいただいたな!波除様に呼ばれちゃったなって感じなんです。

 

なぜ、この街がこうまで人を魅了するのか

なぜ、毎日大勢の海外観光客が訪れているのか

なぜ、ここに来ると元気になるのか

 

それには理由があります。

 

よくいわれる、日本の食文化がー、寿司がー、グルメがー、古い建物がー、

ノスタルジーがー、活気がー、とかではありません。

 

そのような様々な多元的かつ多様な評価、たくさんの食材や物量や情報、大勢の人の出入り、

活況を呈する取引、一刻を争う輸送、大量の大型から小型までの車両移動と脇目もふらない労働者、

溢れる水、流れる海水、さばかれる魚、貝、マグロ、処分される血、ウロコ、はらわた、排水、ゴミ処理、

 

それらの同時多発的労働活動を生み出し、うながし、後ろ盾し、エネルギーを注入しているのは、築地の土地や建物ではないのです。

 

目に見えないパワー、その源泉にあるのは、目に見えない仕組み・制度。

人が造り出したモノの中でも最高レベルに素晴らしいモノの考え方、思想。

それが、中央卸売市場制度、そして、市場法なんです。

 

そして、この仕組みや制度は、日本にしかありません。

日本独自の制度です。

 

かつて、我々の先人達が非常な苦しみや犠牲を経て、考えてみれば当たり前じゃん、といえる、

しかしながら、近代国家成立後でもなかなか実行できなかった、日常の暮らしの中から見つけ出したすごい仕組み。

そして、万人に幸せをもたらそうと考えた仕組みのひとつです。

 

ここ数ヶ月、築地市場ってどんなとこ?という建築家の仲間達からの疑問た質問に答えるために、

じゃあ、一度いって見るかい?と「築地と都市を考える建築家の会」を開催していますが、

 

 

やはり、優れた建築家の方々はすぐに見抜きますね、築地市場建築の独自性と普遍性を。

こんな感想をいただいています。

 

  曲面の平面計画が全体を制御する構成と動線、局部的・同時多発的に 起きる活動の自由さが相乗的に両立していて、素晴らしい。

 

  空間も風や光が抜けて、ザッハリッヒで合理的でシステマチックで ありながら、ロマネスク的な荘厳さも存在している。

 

  建築が先が人間が先か、どちらでもなく建築と人間が一体的に機能し、 人間の強さを引き出しながら、建築の存在感が伝わってくる。 

 

  築地市場、この建築は、モダニズム精神の結晶だ。

 

築地市場の建築について、さんざん説明してきましたが、そのようなモノがなぜ設計できたのか、

それは偶然ではありません、はたまた一人の天才の仕業でもない。

80数年前に、日本の社会の好ましい未来のことを考え抜いた、技術者や社会学者や経済学者が愚直かつ生真面目に取り組んだ。

その結果、世界大戦すら経た3世代も後の我々の時代に、今でも世界で唯一の仕組みと空間が残されているのです。

 

これから、中央卸売市場制度と市場法の話しをします。

かつての日本人の発明した素晴らしい制度です。


これを知れば、頭の中のモヤモヤも晴れて、今回の市場移転はいったん保留にして、じっくりと考えていこうという気になる。

 

もはや築地市場の一択しかなくなるでしょう。

 


つづく

中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ②

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築地市場がいかに素晴らしいか、

その根幹をなす卸売市場法について解説する!と名打った記事でしたが、

今週、大変なことが起きました。

それは、築地市場の守り神である水神社、その水神さまを一部の業者が勝手に動かしました。

 

 

中沢新一氏も憤慨 築地「水神様」の遷座強行で神様不在に

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232511

 

「複数の市場業者からなる魚河岸会内部では、もともと『6月中に取り壊し作業に入る』と囁かれていました。しかし、会員の間で反対の声が広がり『遷座は移転の直前』で意見がまとまっていた。にもかかわらず、何の前触れもなく、作業は強行されてしまった。移転はまだ3カ月も先です。多くの業者が『神様不在』の状況を不安視しています」(魚河岸会会員)

 

実際、一部業者からは「聞いてない」「勝手になことをするな」「罰が当たりやしないか」と不安の声が上がっている。明治大学「野性の科学研究所」所長で人類学者の中沢新一氏はこう言う。

「仮遷座を強行する市場関係者の方たちは何か勘違いをしているのではないでしょうか。庶民の間に根付く神道にとって、社殿とそこに収められているご神体は魂を込める『器』ではあれど、それ自体が神様というわけではありません。神様はおまつりした方たちの心に宿るものです。そして、信仰は、例えば祭りでお神輿を担ぐといった行為をもって、地域全体に広がるものなのです。築地の水神様の歴史は古い。地域の方は皆、水上様が日本橋から移ってきた経緯や根拠を深く理解している。本来、神社を移転させるなら、氏子全体の総意を得なければなりません。一部の関係者のみで強行するというのは、過去に例を見ませんし、地域の方たちの心を踏みにじる暴挙であると言わざるを得ません」

 2日午前11時時点、水神社は閉鎖され敷地内では重機が社殿の取り壊し作業を進めている。3日には鳥居が解体される予定という。強引なやり方は許されるのか。

 

引用おわり

 

この記事で書かれているように、水神社というのは築地市場が出来たはるか昔、天正18年(1590)徳川家康が江戸幕府を開いたときに江戸に移住してきた摂津の国の佃村・大和田村、現在の大阪の西成区の漁師たちが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して「弥都波能売命(みつはのめのかみ)」を祀った「大市場交易神」です。

その後明治34年に神田神社の境内に「水神社」本殿を建立し、その後、築地市場が日本橋から移るにあたって遥拝所が市場内に建立されたものです。

 

葛飾北斎の富嶽三十六景の中にも、日本橋魚河岸から見た富士山の図がありますが、神田明神から数えても魚河岸と水神社の関係は400年以上にわたるものです。

 

 

市場が日本橋から築地に移ってから、はや80年以上を経過しておりますが、

つい、先週までは、水神社は築地の守り神として鎮座ましましてございました。

 

 

これをですね、一部の不埒な連中が壊してしまったんです、昨日。

平成30年7月4日、築地の一部の業者が水神社をぶっ壊した。

なんですが、そんなこと軽々しく出来ないはずなんですよね。

 

 

 

中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ③

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「卸売市場法」、(おろしうりしじょうほう)、と読みます。

この法律がいかに画期的なものであるのか、それを解説しているのですが、

 

「市場とはいったいなにか」、市場の哲学といったものを考えた人がいます。

 

 

カール・ポランニー、見るからに賢そうな人ですね。

1886年に生まれ、1964年に亡くなっています。

経済学者、経済人類学者ということになっていますが、私は哲学者の中にいれるべきなんじゃない?と思っています。

 

それは、この人が「市場とは何か」から始まり、人類の社会統合のあり方、市場経済や通貨の意味について、

大変俯瞰的かつ歴史的、体系的なおおつかみの理論を打ち立てた人だからです。

 

「大掴みの理論」というのは、専門家でなくとも大体その意味がわかり、専門家ならその大掴みを土台にしてさらに多様な研究の枝葉が広がるような、大樹の幹や図太い根っこになるような理論です。

 

今のアカデミズムというのは、この「大きく掴む理論」というのが、なかなかできないんです。

 

とりあえず、目の前の学位を取ろうとして、論文の査読をうまく切り抜けようとして、狭い狭いニッチな蛸壺的研究者が多い。

大きく掴んでいないから、自分以外の他者になかなか伝えることもできない。

だから余計にその意味や価値が伝わらない、の悪循環。

 

ポランニー先生は、そのような研究とはまったく真逆で「経済とは何か?」を追及しているうちに、もっと大きな人間社会全体に行き渡っている組織的活動、いってみれば人間という種があらかじめ抱え込んでいる仕組みとしての経済概念を発見した。

 

そのことを大胆不敵にも「大転換(The Great Transformation)」という名前の本にしました。

 

 

この本は1940~1943年に執筆され1944年に出版されました。

 

第二次世界大戦中に書かれたものなのですが、

「大転換」に込められたその意味は、世の中の人が当たり前だと信じ込んでいる「市場経済」というのもが、

実は人類本来が備えている経済概念、いわゆる経世済民概念、世を助け民を救うものと、いかにズレているか、

いかに異常な事態か、その挙句に人々の社会を壊していくか、を皆に気付かせようとしたものなのです。

 

彼が言わんとしたことは大きく3つです。

 

市場社会以前に社会を統合してきた本来の経済の仕組みとは、互酬、再配分、交換、である。
市場経済は、本来は商品ではない労働(人間)、土地(自然)、貨幣を商品化している。

結果、人間の生活が破壊される(擬制商品論)。そして、経済人と呼ばれる市場経済的な人間像は幻影にすぎない。

そして、市場経済は、市場価格によってのみ統制される社会に作り替えようとしたが、それはユートピア的な擬制であり、最終的に社会が崩壊する。

 

つまり、市場経済的な考え方は、非常に単純化したモデルでしかない。

人間の多様な社会を超微分し、一時的、一元的な乱暴な捉え方、

その市場経済的な考え方を元に、積分し演繹したものでは、現実を捉えるにはおおざっぱ過ぎて、異常な政策に陥る。

 

そういうことです。

 

ものすごい先取りしているでしょう?

もしくは、本来当たり前の考え方であるはずの、地域経済や社会の互助作用をあらためて理論化しており、

何事も単純化しモデル化し社会の多様性をこそげ落としていく一方の現在の経済学という土俵の中で、その問題点を大指摘したものです。

 

つづく

中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ④

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卸売市場法ってなんだ?の続きです。

 

 

このシリーズを書くにあたって、またこの記事を読んでいただくにあたって、

「市場」という言葉の意味や定義が、キチンと線引きできていない、同時に皆さんににも、おそらくよくわかっていただけてないと思います。

 

「市場」と書いて、しじょうと読むか、いちばと読むか、でもずいぶんとその意味するところが違います。

 

同じ言葉で、抽象的な意味と具体的な場所を示すくらい違いがある。

たとえば、「農」という言葉でいえば、農業と農場くらいの違いがある。

「農」の言葉が、畑や田んぼのような場所を指してることもあれば、農家や百姓を意味したり、農学全般を指し示しているときもある、

それくらい範囲が広い。

 

以前、「建築」という言葉が、一般社会と玄人の間でその意味するところの範囲が違っているため、混乱を帰しているのだ。と解説したことがありますが、それくらい、それ以上に、使う人や使うタイミング、使う場所によって、意味する範囲が違っています。

 

新国立競技場のもう1つの可能性。ケンチクボカン伊東豊雄②

 

このときに示した、「食」→「食事・料理」→「食べもの」と、「建築」→「建築・建設」→「建てもの」で比較した、言葉の意味と概念の構造。

これに即して、「市場」の言葉の意味とと構造を示すとこのようになる。

 

 

「市場」→「しじょう・いちば」→「いちば」、上から下まで「市場」で同じ。

 

哲学的、経済学的な抽象的な概念も「市場(しじょう)」、社会的制度や具体的空間も「市場(しじょう)・市場(いちば)」

ごく一般的な世俗的な、物の売り買いをおこなう場所や、年や月に一度のお祭りのことも「市場(いちば)」なんです。

 

その点もですね、築地市場問題を語るときに、やっかいな、わかりにくい部分なんです。

言葉が分かりやすい分、余計に混同したり、受け手の教養や経験で、示す意味の範囲がことなってしまい、正確に通じにくい。

逆にいえば、非常備に広範囲のものごとを含んでいる概念。

それが「市場」ともいえます。

 

 

しじょう【市場】

1 売り手と買い手とが特定の商品や証券などを取引する具体的場所や社会制度。

 空間や制度として:中央卸売市場・証券取引所(金融商品取引所)・商品取引所、見本市会場など。マーケット。
2 財貨・サービスが売買される場についての抽象的な概念。

 経済用語としての、国内市場・労働市場・金融市場など。マーケット。
3 商品の販路を含めた社会組織的つながりの空間

 マーケット、「市場開発」

いちば【市場】

1 一定の商品を集め大量に卸売りする所。

 「魚市場」「青物市場」
2 小売店が集まって常設の設備の中で、食料品や日用品を売る所。

 フリーマーケット。「公設市場」

3歴史的、伝統的に物の売り買いや、新規提案が為される場所や行事。

 八日市、くず物市、ほうずき市、見本市、朝市、年の市、蚤の市、バザー
いちばせん【市場銭】中世、荘園領主・地頭などが荘園内の市場に課した税金。江戸時代には市場運上を徴収した。
いちばまち【市場町】市の立つ所に発達した市街。

らくいちらくざ【楽市楽座】

 

中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ⑤

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市場をめぐる経済概念とは、水の循環のようなもので、文化人類学的にも民俗学的にも、生物の生存をめぐる物理的、社会学的な環境を含め、人類の歴史と一体であるということを確認しました。

 

 

また、市場という言葉が非常に多様かつ包括的に使われているために混乱を招いてしまう。

ここまでの議論を前提として、より理解を深めるために、市場という言葉の定義を以下のようにしたいと思います。

 

レベル1

市(いち) 歴史的・伝統的にモノの売り買いが行われる行事や、フリーマーケットも含む小規模の売り買いイベント。

レベル2

市場(いちば) 一定の商品を集め大量に売買する場所、小売店が集まり食料品や日用品を売る常設の場所。

レベル3

市場(しじょう) 商品や証券、財貨、が売買される具体的場所や社会制度を包括する経済的かつ哲学的な抽象的空間や概念。

 

 

そういった意味では、休日だけのイベント魚市というのは、市(いち)です。

また、多くのみなさんが観光客も含め築地市場だと思っている築地市場の場外というのは、

市(いち)と市場(いちば)が混在している場所のことで、市場(しじょう)ではありません。

 

築地市場の場内だけが市場(しじょう)と呼べる場所です。

なぜならば、そこは法を含む制度によって周到に設計され組み上げられた、抽象的概念と空間を具現化した場所だからです。

 

中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ⑥

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昨日、観測史上初、東京都で気温が40度を超えました。

今年は6月中に梅雨明けするという異常事態です。

 

平年の印象では、梅雨明けは夏休みの始まる前、7月中盤ではなかったでしょうか?

そこから二週間くらいの8月初旬までがいわゆる「夏」で、お盆には涼しくなり夏が終わる。

我々のように瀬戸内沿岸で少年時代を過ごした者にとりましては、

お盆前に「海にクラゲが出るようになったら海に入ってはダメ」で、夏の終わりを意味します。

 

今年は、6月から連日30度を超える猛暑が、すでに1ヶ月近くも経過したうえで、平年の夏が始まる印象です。

 

その夏前に、私の故郷である岡山県や西日本全体で、未曾有の事態が起こりました。

連日のニュースでもその被害の甚大さが報道されていますが、大雨による河川の決壊です。

被害に遭われた皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。

今なお、災害復旧の途上であります、酷暑の中での作業で健康を害したりなさいませんように

 

瀬戸内海沿岸は、冬に大雪が降ることもなく、台風の被害も少なく、地震も少ない。

自然災害といえば、夏の日照り、水不足くらいでは?というイメージがありました。

 

決壊した小田川は私の実家の前も流れておりまして、泳ぐほどの水深はなく、子供の頃には魚釣りなどもしていたような川です。

普段は流量の川幅100メートルにも満たない川ですが、あそこまでの災害をなすとは、

これまでに経験したことのない雨量であったことがわかります。

 

しかしながら、よくよく考えてみれば、

日本という国土全体が大陸プレートの境目に位置し、地震多発国、火山国、島国

峻険な山々の地形的シワやヒダのような谷間を、流れる狭く急な河川、少ない平野

そこに、モンスーン気候特有の高温多雨、台風、大雪、大風、、、

そのような大変厳しい自然環境、と同時に水源が豊富であり高温は植物を繁茂させ、

昆虫を始めとする小動物が多数棲息し、寒流と暖流のぶつかり合うことで豊富な海洋資源にも恵まれ、

自然の厳しさと豊かさを常時感じさせる国柄です。

 

 

そのような太古から続く歴史が、自然への畏怖にもとづく文化を発展させたと同時に、人が生きるために

自然環境を人の住みやすいカタチに手なずけてきた治水と護岸の土木建築の歴史でもあります。

リンク:田舎の街や集落はなんでこんなに分散してるのだろう、

リンク:『宝暦治水伝 波闘』 みなもと太郎

 

その結果として出来た田畑が、現在の日本の風土や景観をつくりあげていますが、その実は飢饉と災害との戦いの歴史です。

 

 

 


中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ⑦

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「米騒動」という言葉のパッと見の印象は、「お米」に「騒動」ですから、すこし言葉のイメージが一般的な日常語彙なものですから

なんとなく大した事件じゃないんじゃないの?

ちょっとした揉め事にしか過ぎないんじゃないの?と思ってしまいますが

 

これまで見てきた歴史的経緯による食料危機のことです。

 

江戸時代の天保の大飢饉という食料危機の非情事態に、大阪奉行は大阪庶民の窮状を顧みず米を江戸へ廻送し、

そこでも、利を求めてさらに米を買い占めた豪商に対する民衆の怒りから、

それらを見るにみかねた、大阪町奉行の一役人であった大塩平八郎が武装蜂起した「大塩平八郎の乱」。

半日で鎮圧されてしまいましたが、それでも江戸時代の数少ないクーデターのひとつとして大塩平八郎の乱と「乱」がついています。

 

大正時代の「米騒動」は、騒動ですが、二ヶ月以上続き、

全国的な広がりを見せ、完全収束まで半年もかかっています。

本当は、それまでの明治政府や日本の屋台骨を軋ませる、社会を変えるような、大きな動きだったと考えるべきものです。

 

▲大阪市中の五分の一を焼いてしまったという大塩平八郎の乱

 

「米騒動」は、一般には次のようにいわれております。

大正7年(1918年)米価格の急騰によって起きた日本各地の暴動。

同年7月に富山県魚津市の沖仲仕の女達が、米問屋や資家が米の移送の中止を求めて声を上げたことをきっかけとする。

 

 

魚の豊漁で魚価が下落しているところにもってきて、米の値段が高騰しました。

魚を売って米を買おうにも、米が買えなくなってしまった。

にも関わらず、富山の米を値段が上がっている余所に売ろうと港から積み出している、なんてことだ!と

その状況下でも商社はさらなる投機的買い占めと売り惜しみにはやっている、なんてやつらだ!と

 

当時の米価の値動きです。

1912年から1921年の10年の幅でみると、20円から30円の中で推移しているように見えますが、米騒動直前で見ると

 

 

前年の大正6年から、15円から4ヶ月ごとに、20円、25円、と上がり続け、30円、40円と、

2.5倍にまで上がっています。

 

1石(いっこく)というのは、10斗(じゅっと)で、100升(ひゃくしょう)で、1000号(せんごう)です。

1日1升のご飯を食べるなら、3ヶ月分くらいの量ですね。

現代のお金に直すと、お米で消費者売価10キロ5000円だったものが、一気に1万3000円近くに上がるイメージ。

 

 

もっと分かりやすく、実感をともなうように米の値段上昇の影響を説明すると、

牛丼1杯は350円くらいだと思いますが、その原価率は40%くらいと言われております。

 

業者価格で牛肉=70円、玉ネギ=5円、タレ=20円、ご飯200グラム=40円 合計145円、

そこに人件費や店舗の水道光熱費もろもろが乗って350円になるものが、ご飯のところで100円に上がる。

牛丼一杯が原価で225円になる。すると、お店で出す牛丼の値段は560円に上がるということです。

 

350円だったものが3~4ヶ月で560円になる。

同様に値上がりすると、600円のカレーライスでは960円になります。

 

 

現実には、価格上昇の期間があまりに急激で、米価につられて他の食材も上昇していきますので、

同様のことが今起きたら、おそらく牛丼一杯は800円くらいに、いやそれ以上に上がってしまうでしょう。

 

 

社会問題として富山県魚津の魚商の女将さんらが、声を上げたことを「富山の女一揆」として全国に報道されました。

 

 

同様に各地で、次々と騒動は広がっていきます。

つづく

 

 

 

中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ⑧

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米騒動で国内が騒然としているにも関わらず、海外出兵に踏み切った政府の話しでした。

 

 

チェコ軍の救済とかいった大義名分はいつのまにか吹き飛んで、

勢いに任せて、バイカル湖周辺にまで前線を拡げています。

ちなみにこの図版は高校の日本史の授業で教科書の副読本で使われる「図説日本史」のものです。

 

この図を見ても明らかですが、軍事の専門家なら当然、軍事の専門家じゃなくてもシミュレーションゲーム愛好家とか、

普通に歴史好きな方ならすぐに気がつくと思いますが、脆弱な戦線が延びきっています。

輜重隊はちゃんと国内から行き届いているのかどうか、、ロジスティクスが破綻しています。

 

これは、軍事的占領とかいえるものではなくて、偵察部隊がちょっと侵入してみた程度を、前線の快進撃、我なにかを占領せり!

と言ってるに過ぎません。

 

輜重隊、兵站、ロジスティクスというのは補給部隊。

簡単にいえば、食料をデリバリーする部隊であり、敵と戦ったりすることもなく地味な存在なので、戦記物でも歴史小説でもほとんど出てこないので、その意味を忘れがちですが、

戦場では絶対不可欠の軍事部隊です。

 

 

日本という国は、戦国以降、石田三成以降といってもいいかもしれませんが、この輜重隊の絶対的必要性のことをキチンと教えていません。

 

私は小学生の頃、タミヤのミリタリーミニチュアシリーズの中で「ドイツ軍フィールドキッチン」というプラモを見つけ、購入しジオラマ製作したときに、兵站、輜重、ロジスティクスというものを始めて意識しました。

 

 

ロジスティクスとは現代の企業でいえば、仕入れルートや資金調達先のことです。

企業活動で、製品原料の仕入れが出来ず、資金が尽きれば、企業は死にます。

 

同様に、軍隊で武器弾薬の供給が間に合わず、食料の支給が途絶えれば、その軍は壊滅します。

 

だから、兵が起こるとき、食料危機も起こるのです。

 

つづく

 

 

中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ⑨

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「米騒動」を機に、戦前の日本は大きく変貌するのですが、

この時期を捉えた、映画や小説のたぐいが少なすぎるのです。

だから、わからない。

 

正直、歴史というのは年表やら学者の説明を聞いてもさっぱりアタマに入ってこない。

むしろ、そこは歴史小説が大活躍するところです。

そして、かつての大河ドラマです。

 

 

私も鎌倉時代をいえば「草燃ゆる」だし、幕末といえば「花神」です。

戦国から桃山時代といえば「黄金の日々」だし、室町時代は「太平記」でしょう。

そういったストーリーがまずないと、主人公がいないと共感や感情移入も出来ないでうわっ滑りの知識で終わってしまいます。

 

歴史小説の大家である、司馬遼太郎さんも、戦国に始まり幕末も縦横無尽に興味深い人物を史実に基づきながらも活き活きとユーモア溢れる熱い人物像を描いていますが、日露戦争までなんです。

 

 

その後の時代の作品がないだけでなく、いわゆる司馬史観といわれるものがありますが、

幕末から明治までは良かった、日本人近代の青春だ!

 

しかし、昭和はいけない、軍部は大嫌いだ、戦車兵で見たことも何もかも、、

戦前の列強と日本の関係については、太平洋戦争については、とりあえず見ない!

 

ということで、歴史小説のジャンルに組み入れていない。

 

また、もう一人の大家である吉村昭さんも、

 

 

大西洋戦争における敗戦から始まり、ドライな筆致で幕末から戦後復興を中心に、

極限状態の人間の尊厳を描く漂流記や牢獄ものも独特の作風ですが、

 

武将だけでなく市井の技術者や組織を通じて時代精神を描かれていますが、、

大正と昭和をつなぐ部分が抜けています。

 

記録や伝承も数多く残っているはずの時代です。

大きく時代を転回させたかに見える事件なのですが、何も描くに値しないのでしょうか?

いえ、そうではないでしょう。

つまり、ここには「何かがある」と見るべきでしょう。

 

ちなみに、司馬遼太郎さんも吉村昭さんも、その作品はエンターテインメントとしても優れ、詩的表現や豊富な語彙、そぎ落とされた文章のテンポ、方言、言葉遣い、慣用句の駆使、人間描写としても精緻極まり、読書という架空経験でありながら、主人公や文章の行間から時代精神をかぎ取り、当時の社会や空間がダイレクトに伝わり、読書後の読者の人生の体験を膨らませてくれる素晴らしい作品ぞろいです。

 

私が司馬さんの作品で好きなのは、全部好きですが、やはり「国盗り物語」、若き信長が「マムシ!死ぬな!」というところ

「功名が辻」の書き出し、ボロボロの伊右衛門が、「俺にも嫁が来る、嫁、嫁、嫁、嫁」、美濃の空は真っ青に晴れていた、っていうところ

 

 

吉村さんの作品でやっぱり凄い!と思うのは、全部凄いですが、尾崎放哉を描いた「海も暮れきる」、胃カメラ開発史の「光る壁画」、

 

 

今日は、この作品だったというだけで、時と場合によって、そのときの自分の心理状態や取り組んでる仕事の具合でも、

マイベストオブ司馬遼や、マイベストオブ吉村は変化するわけですけどね。

 

考えてみれば、そのような、歴史小説のネタになるような物語が、「米騒動」の周辺には転がっているはずだろうと思います。

もう一度、米騒動が起こった社会、時代背景をみてみましょう。

 

 

食料が投機的に扱われ、食料不足でもそれを市中に流さないような商社や倉庫や米屋や商人たち、

米騒動が勃発するまで、政府は何もしなかったのか?というと、そうではありませんでした。

 

明治政府が始まってすぐに、都市流入する人口をまかなうための食料事情の解決をはかろうとしていました。

 

明治10年(1877年)には「魚鳥並青物市場卸問屋仲買営業例規税則」というものを発布しています。

 

江戸時代から、日本橋市場とかあったんじゃないの?と聞かされてきましたが、

日本橋の魚市場は家康が、大阪の佃島から森孫右衛門を招いたときからが始まりです。

 

 

日本橋周辺は高層ビルが林立していますので、現在ではとても魚河岸があったようには見えないのですが、

現在でも日本橋川は残っていますから、往時と街区は同じです。

 

これは、私の好きな絵ですが、正月2日の日本橋の夜の賑わいを書いた絵です。

大江戸年中行事之内 正月二日日本橋初売
橋本貞秀画 万延元年(1860)

 

 

魚河岸付近を拡大してみました。

 

 

日本橋魚河岸の発展までは、江戸に大きな魚介を販売する所はなかったようです。

 

その前から、神田に青物市場がありました。

 

慶長年間(1596~1615)に現在の神田須田町付近の八辻が原にて野菜や果実の販売をおこなったのが始まりといわれています。

慶長5年に関ヶ原の戦い(1600年)、慶長8年に徳川家康が征夷大将軍となり江戸幕府を開いた頃です。

 

八辻の名のとおり、交通の要衝として商売繁盛の場所であったようです。

 

 

神田川を遡上して右岸の佐久間河岸に近在や千葉から運ばれた野菜を下ろしていたそうです。

 

 

神田川にかかる和泉橋と、土手の奥には柳森神社が見えています。

 

この近辺は今でも昔の地形を比較的にそのまま残しているところで、同じスケールで現在の地形が重なります。

 

 

柳森神社も同じ場所にあって健在です。

 

 

 

江戸時代にはすでに、神田市場、駒込市場、千住市場が江戸の三大市場として賑わっておりました。

そのほか、京橋、本所四ッ目、浜町、両国にも、路傍の売買から発展して常設の市場となったのは、交通の要衝と人々の賑わいを兼ねたところから発展したものです。

そのうち、神田市場が幕府御用の触頭を勤めていたわけです。

 

▲外神田青物市場図(葛飾北斎)

 

当時の市場は幕府御用達の日本橋と神田における、納魚・納菜制を頂点とし産地独占と営業独占を特権的に保証されたうえで、

各地に個別の問屋の集合体としての株仲間制度をとっておりました。

 

明治維新後、新政府は経済政策や食品行政の遂行のために市場の統制を図ろうとしましたが、

伝統的な商慣行と特権が、株仲間および問屋組合という強固かつ不明文な組織運営によって、維持されていたのです。

 

同時に新政府は、営業自由の原則への改革をかかげましたが!

既存市場における伝統制度の衝突による混乱と弊害をもたらし、かえって食料供給に支障ときたすことにもなりました。

 

食品は毎日、毎食のことですから、いきなり制度をつくっていじろうとしても、急に改革といっても現状の物の流れや仕組みを十分理解していないと、即座に混乱し、即時に人々の生活を脅かし、社会不安だけでなく場合によっては、官製不況や官製飢饉をもたらすからです。

 

そこで、政府は明治10年、前述の「魚鳥並青物市場卸問屋仲買営業例規税則」で、現状の市場組合を中核として、制度を再編することによって混乱の収束をはかったわけです。

しかも、この規則の中身は、老舗の組問屋の方から「市場の交通、衛生等に関する秩序維持のため、自らの取締規則措置」として作成され、市場の近代化のために再建と再興を求め、東京府に申請されたものです。

 

▲楠本正隆 大村藩出身、大久保利通の腹心とも言われる

 

それを、東京府知事の楠本正隆が、大隈重信大蔵大臣あてに、府税の出納者としての市場業者の保護のカタチで発布されました。

つまり、既に出来上がっていた市場の伝統的な仕組みや慣習を、制度化し規則化することで、行政政策に取り込もうとしたわけです。

 

この規則は、以降の模範的および先駆的な制度として全国に波及していくことになります。

 

この規則の大きな目的は、徴税のために許可市場以外の類似市場を認めないということと、

旧来の問屋組合の保護主義的政策により統制をはかるという2点です。

 

つまり、既存の民間派生的市場や、旧幕藩体制からの組織にお上のお墨付きを与え、その市場の仕切りを既存の頭目に任せるかわりに、迅速な食料行政と市場の統制を確保しようという意味では、実行力のある妥協的かつ穏便なものといえるでしょう。

が、結局は旧体制を追認したものに過ぎず、食料行政、市場統制においては、多くの問題を残したままでした。

 

東京の規則は各県ごとに同様に県令として整備されていくことになりました。

その中でも、滋賀県が明治19年(1886年)初めて「市場」というものを定義しています。

滋賀県市場取締規則第一条で「卸売市場とは、常に時日及び場所を定め、売買主の中間に立ち物品の競売をなすもの」としています。

 

▲滋賀県大津公設市場

 

次いで、長野県、宮城県では、「常設であること、魚または青物であること、と生鮮食料品卸売市場であること」を明文化しています。

 

▲伊達政宗公の仙台開府以来、300年の歴史をもった河原町市場

 

その後、全国に波及していく卸売り市場の最低限の要素として、以下に定まっていきます。

 

1.一定の場所であること

2.一定の日時であること

3.多数を集合させる

4.競売の方法の確立

 

その目的は、円滑な中継機能と公正な価格決定機能の二つです。

 

大事なことなので、もう一度いいますよ、目指すところは、生鮮食料品の

 

1.円滑な中継 

2.公正な価格

 

です。

これが、大事なんです。

 

逆に考えれば、この円滑な中継と公正な価格形成が出来ていなかったからこそ、

政府が統制に乗り出そうとしていたわけです、明治維新からすぐに。

すぐに始めた、そしてすぐにでも出来そうなことですが、

しかしながら、なんどもチャレンジするのですが、

日本近代政策の傑作ともいわれる、

日本の食文化を飛躍的に高め、日本人の食の知識や調理技術をほぼ全戸にまで広め、

日本人の衛生的かつ栄養学的な飛躍をもたらした、卸売市場法の完成と実施にいたるまで、

そこから50年もかかっているんです。

 

なぜか!

 

⑩につづく

 

中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ⑩

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卸売り市場とは何か、卸売市場を成立させる要素は次の4つでした。

 

1.一定の場所であること

2.一定の日時であること

3.多数を集合させる

4.競売の方法の確立

 

で、なぜ、卸売市場が必要なのか、その目的は、次の2つです。

 

1.円滑な中継 

2.公正な価格

 

現代の我々からすると、別に当たり前のような、特に意識もしていない、だから?なにが?といったような、

空気のような存在。

 

それが、卸売市場法。

 

お上が、国が、出るまでもない気がしますよね。

でも、お上が出ないとどうしよもない状況だったらしいのです。

 

 

 

一時期、農業改革が銭になるんじゃないか!と考えた広告代理店や、金融系シンクタンクも盛んに地方行政に出入りしておりました。

 

 

その結果は、どこも似たり寄ったりで、

外資系のシンクタンクやらがもったいぶって進言した地方再生案、シャッター商店街の再生案は・・・

 

だいたいが、「素人カフェ」、他世代交流の「素人カフェ」、地元のプー太郎の自称アーチストによる「素人カフェ」、

地方国立大学の学生による「素人カフェ」でした。

 

 

つづく

 

中央卸売市場制度って日本人の大発明なんだぜ⑪

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明治時代に入ってからの都市部への人口流入によって増え続ける食料需要と、

生産力の補強としての付加価値創造、同時に流通の円滑化という課題は、

明治初期からずっと懸念事項として残っていましたが、

 

市場の公的確立を目指して、立法化案が出されたのは明治40年(1907年)にもなってからでした。

当時の憲政本党の川島龍造議員より「市場法案」が提出されていますが、それは前々年の畜産市場法案に続くものであり、

第23帝国議会において、「魚鳥、家畜、肉、青果の各市場を含む総合食品市場法案」として出されています。

 

そして、第一回市場法案委員会が開催される運びとなります。

そのときの川島議員の提案主旨の一部を抜粋しますと

 

「どういうわけで市場法が必要かと申しますれば、・・・

多数の市場が各所にあるけれども、市場の取締法も付いておりませぬ。

ほとんど旧慣(きゅうかん)、昞習(へいしゅう)で甚だ困ったことになって居ります。 

たとえば、魚類の市場におきましては、各地方の荷主が問屋へ宛てて参ります。

問屋は仲買人に貫々(かんかん)=重量の確認、をしたばかりで、値段を決めず売り捌きます。

そうして仲買人は小売商に販売する。

その小売商への販売に値はつけますが、問屋と仲買人の間は、後で相場を決める。

百円のものを片方は80円といい、片方は120円という、そういう訳でほとんど定まった相場がないのであります。

それ故に不幸をみまするのは、皆各地方の送り荷主であります。

各地方の荷主というものはいい加減の相場を付けられて極められる。

・・・中略

之がためにも一日も早く市場法を実施して、

東京はもちろん各地方にも此の市場取締の上に生産の発達を十分に計り、又市場の調和を計り、

衛生上此他美観上にも不体裁のないことにしたならば・・・

是本案を提出した所以でありますから、御賛成を願いたいんであります。」

 

まことに立派な趣旨説明だと思いますが、本会では御賛成は得られず、持ち越しとなりました。

 

当時、他の議員は市場の仕組みを十分理解しておらず、

市場なんて煩雑なものがない方が自由に取引できていいんじゃないか?とか、

農商務省農務局長の答弁は、全国統一的な市場の取締や諸市場の整備の必要は認めるが、

具体化していくための調査を実施中であって、法案は時期尚早であるというものでした。

 

が、第二回委員会、第三回委員会と、川島案を修正し「市場法案」として正式に衆議院を通過し、貴族院に送られました。

そのときは審議に至らず、以降、否決されています。

 

よく今でも食品流通のことをよく知らない人がいう市場の古い慣習が、生産者を苦しめているのなら市場制度なんてない方がいいじゃないか?という、生産者と消費者を直で結べばいいんじゃないか、という短慮による放置と

現代の私たちにはちょっと想像しづらいでしょうが、各地域では県令というのがはばをきかしていて、法律が違う。

取り扱う品物もその価格もずいぶん違っていたので、実際別の食文化ともいえる慣習が存在していましたから、

日本全国に統一的な市場運営なんて無理だよ、国柄で全然違うんだから、というこちらも手つかずになりがち。

 

ですが、実際のところ、当時の農商務省は全国の市場調査をしていたのです。

 


 

これは、当時、なんらかの規制や統制を設けて管理していた各地の市場における県令の違いを調べたものです。

 

さらに興味深い資料があります。

それは、日露戦争後の経済動向に関する重要事項の調査や審議をするために明治41年に設けられた、農商務省の「生産調査会」が作成した様々な資料、その中における当時の市場調査です。

 

 

この「生産調査会」は会長葉農商務大臣牧野伸顕、明治の元勲大久保利通の息子

 

 

副会長に渋沢栄一を置き、委員70名で構成されていました。

 

ここでは、原材料・動力・工業教育・資金・運輸交通・税法等、我が国がとるべき指針と方策をまとめるものですが、

 

それに加え、組合及び職工・生活・海外工業状況・行政上の障害・官業の整理及び工業の補助、等も追加されていました。

この生活に関することの中に以下の五項目が入っていたわけです。

今見ても、大変立派な目標ですよ。

 

1.日用品ノ供給ヲ潤沢ナラシメ其低廉ヲ図ルコト       

      日々必要とする生活必需品々を不足させず安価にするように

 

2.公設長屋ノ制ヲ設クルコト                     

      公営住宅をつくるように

 

3.交通政策上職工二特別ナル制ヲ設クルコト          

      通勤労働者のための交通政策をおこなうように

 

4.貯蓄機関の設備ヲ完全ニシ質屋ノ取締ヲ厳二スルコト   

      銀行への貯金を奨励し、貸金業を厳しく取り締まるように

 

5.力メテ物価ノ低廉を期スルコト                  

      努めて物価を下げるように

 

この1.の日用品の供給を潤沢ならしめその低廉を図ること、のためには、各所に日用品市場を公設することを急ぐように。

という指示も出ていました。

 

都市細民層の生計が年々悪化することと、それが社会騒乱発生の基盤になり得ることを掲げ、

その解決手段として日用品市場を公設して、中間経費を節減し、「低廉良質」の日用品を供給すべきである、と書いてあります。

 

その「生産調査会」、本庁に座っているだけの調査員ではなかったようで、実際に現場をまわって凄い調査しています。

 

 

私が注目しているのは、この赤線部分、各地の市場の符牒や延滞金、前払い金、魚価の比較、のところです。

 

 

ほんとに調べてるんです。

 

この日本地図で示されているのは各地の市場ですが、凡例のとこを拡大しますと

こう、書いてあります。

黒丸のところ、「金額を明言して競売する魚市場」、そして白丸のところは「代名詞または符牒を用いて競売する魚市場」。

地図上で赤丸にしてみましたが、この時点で、金額を明言して競売していた市場は数えるほどしかありません。

 

市場ごとに様々にやり方が、慣習が違う、

数字ひとつとっても違う言葉を用いていました。

 

つまり、市場どおしで情報を共有していないんです。
むしろ、わざわざ言葉を変えて、新参者が入ってこられないように、閉鎖しているともいえるでしょう。

 

拡大していますが、京都の舞鶴市場では、リク、マタ、チカラ、ダリ、オンデ・・・、

大阪の雑魚場(ざこば)市場では、サ、リ、ト、ハ、オ、モ、シ、ロ、イ・・・

 

 

ここまで日本中を調べている、サボっていない。

しかも、こんな専門用語、市場内に入り込んで信用を得られなきゃ調べようがないでしょう。

 

これ、各県ごとに調査してあるんです。

 

現代でも市場内部の様々な動きや決まり事は、外部の人からは見えにくいわけですが、

当時、簡単に遠隔地に移動したり通信機器の発達していなかった当時、ここまでの調査はすごいです。

 

この各県、(当時はまだみんな藩とか国といった頭ん中なんでしょうが)市場の市場名を見てましたら・・・

ビックリなんですが、、民間ですよ、開設者・運営者。

 

静岡市場とか沼津市場とか、ごく一部じゃないですか!なんとなく公共っぽいの、公設っぽいのは。

 

 

大阪の雑魚場とか木津、堺のような、大都市だけじゃないですか?なんか民間とか個人じゃないのは。

これを、全国の市場を公設で、公共で統合しようとしていたのか・・・

それは、大変だろうって、利害調整やその後の保証ふくめ、大変だったろうと想像つきます。

 

また、こんな調査資料もある。

魚種ごとに、各地域での価格差を調べてあります。

 

わかりやすいように、色を付けてみましたが、

紫はウナギ、桃色はタイ、緑はサワラ、赤がマグロ、青がカツオです。

 

当時と今では人気の魚種も違うのかもしれませんが、やはり東京か大阪の方が高く売れる、高く買ってくれる。

同時に地域で差が出てるのが、中国地方ではそれほどでもないウナギが、東京と長崎で高騰しています。

 

ならば、生産者としては、是が非でも東京に持ち込みたいところですよね。

 

当時の日本橋への入荷統計というものもありますが、これも大変驚かされるのが「輸入」という文字です。

考えてみれば「輸入」には、「はこび、いれる」という意味であって、外国からを限定するわけではありませんね。

にもかかわらず、輸入と書いてあるということは、当時の感覚としては、市場を越境し入荷していたということなのでしょうね。

 

船による入荷が一番多いのは三崎からで、鉄道によって北海道からも入荷しています。

当時、北海道から入ってきているのはサケでしょうかニシンでしょうか

 

なんでも、入ってました!

 

すでに、当時から日本橋市場にはなんでも持ち込まれていたということです。

入荷時間も調査してありました。

 

なんだかですね、明治時代のコンサルタントの方がチャンとしていますね。

農商務省の人が、豊洲市場もやってれば、あんな、東京都みたいな失敗はしなかったでしょうね。

 

 

つづく

 

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