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築地市場の豊洲移転が不可能な理由⑭

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豊洲の法外な建設費用、坪220万円を目の前にして、正直ドタマにきています。

なんなんでしょう、この建物が世界の安藤忠雄さん、谷口吉生さん、槇文彦さん、伊東豊雄さんらの建築作品よりも高い!まったくわからん。
どこに金が消えているんでしょうか。


新国立競技場問題では、予算がどこまで膨れあがるかわからない、、、というのが問題になっておりましたが、豊洲市場は予算がなんで膨れあがっているのかわからない、、、という意味では、またしても建設業界の信用にかかわる大事件に発展しそうな勢いなんです。

と、憤っておりましたら、なんと!今週号のヤングマガジンに凄い記事が載っておりました。

漫画家の三田紀房先生と大和ミュージアム館長の対談です。
話題は『アルキメデスの大戦』という作品についてなんですが、、なんと!この作品は、新国立競技場問題から着想されたそうなんです。

現代ビジネス 賢者の知恵にも詳しくインタビュー記事が掲載されました。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49318

こう始まっています。

三田先生は、なぜ『アルキメデスの大戦』を描こうと思ったのですか?

三田 この漫画を描こうとしたきっかけは、2020年の東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場となる新国立競技場建設計画で、当初は1300億円だった総工費が3000億円を超えることになったことへの疑問でした。
なぜそうなったのか? を考えているうちに、ふと戦艦「大和」が思い浮かんだんですね。建造費1億4503万円、当時の国家予算の4.4%もの巨費を投じて造られた戦艦「大和」が。


一昨年からの新国立競技場騒動のときに、建築家の槇文彦先生が確か、次のようなことをおっしゃっていました。

巨大過ぎる。当初の見積もり1300億円がどんどん膨れあがり、3000億円を超えてなお設計が収束していない、巨大なアーチをどう作るのか運ぶのかも見通しがたってない。コンペ審査委員たちもその辺に言及しない、無駄に労力をかけ、時間だけが過ぎ去っている。まさに戦艦大和を作って敗戦に突き進んだ無責任体制の再現である。


私も、新国立競技場問題を戦艦大和の話やインパール作戦、レイテ沖海戦等々にたとえて来ましたが、まさか、現実の事件から歴史的再解釈をおこないながら、エンターテイメントに仕上げた作品が登場していたとは、非常にびっくりしました。

三田先生、さすがです!

三田先生は高校野球マンガの概念を塗り替えた「クロカン」が有名ですが、これまでも、「こんなんマンガになるんかい?!」といった難しいテーマで大成功を納められてきました。
その中でもみなさんがよく知っているのは、受験勉強をテーマとした「ドラゴン桜」でしょう。

ベンチャー企業をテーマにした「マネーの拳」や、ヘッドハンティングと就職を扱った「銀のアンカー」、現在連載中の「インベスターZ」では、投資をテーマに日本経済のを幅広く取り扱いながら、面白くドキドキするエンターテイメントに仕上げられています。

その特徴は、圧倒的な自信に溢れた主人公が、短期的で世俗的欲望にとらわれた敵対勢力、しがらみに囚われている凡人の群れに対峙していくときの、その小気味よさと爽快さです。


この『アルキメデスの大戦』という作品はおよそ、これまでに試みられた戦記物、ビジネス物、ヒーロー物、そのいずれとも違いながら、その全てを盛り込んであるという画期的な作品です。

太平洋戦争突入前の日本海軍内部でのお話です。

世界最大の巨大戦艦を建造しようとする軍内部の主流派に、これからの海軍は航空戦力重視でなければならないとする山本五十六の急進派が対峙しています。

この巨大戦艦プロジェクトの精査のために、軍に呼ばれた帝大の学生が、主人公の櫂直(かい ただし)です。


講談社ヤングマガジンは、若者向けでありながら大人の読書にも応え、エッチな作品と同時に哲学的な作品も掲載しつづけ、今でも掲載作品のバリエーションが幅広く、本当に頑張っている雑誌です。
特に、わたくしは故風間やんわり先生や小田原ドラゴン先生の無意味シュール系の脱力ギャグ作品も毎号非常に楽しみにしております。

『アルキメデスの大戦』はちょうど、今3巻が出たばかりですので、ぜひみなさんにもオススメいたします。


と、三田紀房解説やヤンマガ解説をしていると話が終わらなくなってしまいますので、豊洲の建築的諸問題に戻りますが、、

これまで建物の平面図ばっかり見てきましたが、高さ方向はどうなんだ?と、高さに関して問題は、間違いはないのか?と。
高さ方向についても見ておきたいと思います。

この赤いラインでカットした断面図はこうです。


ずいぶん平べったい建物なんですね、と思うでしょう?パット見。
それは、縦横の比がずいぶんあるからそう見えるだけで、結構高さのある建物なんです。


断面図の赤い丸の部分を拡大した図があります。


これは断面図の詳しい図で、建築業界では矩計図(かなばかりず)と呼びます。そこに高さの表示を入れます。


24メートルくらいというのがどういう高さかというと、塔のの先端は東京駅の方が高いですが、ボリュームとしては東京駅よりも高い感じです。


確か、築地は平屋だったし、豊洲で問題になってる狭い狭い連絡通路。仲卸と卸のつながりは1階だけだったような、、、、平屋で機能させてんじゃないの?と。

じゃあ、なんで高さ24メートル、普通のオフィスビルなら天井高さ3メートル以下ですから、7階か8階建て相当の高さがあるんだろう、豊洲?

って思ったんですね。

なんで、こんなに高いんだろう?と。

これらの図面を見ておりましたら、またしても、ややや!っていう部分が見つかったんです。

築地では卸売業者と仲卸業者は一体かつ連動していることは、このページをご覧の方々は既によくご存知だと思います。
それが、平面図的には細い通路が3本しかない、だから移動や荷役を含め大変なことになる!ってことでした。


しかしながら豊洲の建築的問題は平面だけではないのです、

6区と7区はうまく繋がっておりません。ていうか繋がっているという既成事実を作らんがための接続。細すぎて低すぎて卸と仲卸をつなぐに無理のある導線計画です。

現状はこうなっています。


4~5階建てのビルの導線接続は道路の下。
こんなんで市場は機能するのでしょうか?
まったくしないと思います。

つづく



築地市場の豊洲移転が不可能な理由⑮

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連載01:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12175575070.html
連載02:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12176233153.html
連載03:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12177304039.html
連載04:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12177861238.html
連載05:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12179682327.html
連載06:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12180173429.html
連載07:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12181179050.html
連載08:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12181631290.html
連載09:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12182100325.html
連載10:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12182683151.html
連載11:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12183541347.html
連載12:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12185531559.html
連載13:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12186263423.html
連載14:http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12188160963.html

とうとう15回目となりました築地移転豊洲問題です。
本日のニュースですが

築地市場移転、延期に含み=「総合的に判断」小池都知事
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160812-00000168-jij-pol
時事通信 8月12日(金)16時31分配信

東京都の小池百合子知事は12日の定例記者会見で、築地市場(中央区)の豊洲新市場(江東区)への移転をめぐり、「都民が新市場から流通する食を安心して食べられるのか、(使い勝手など)働かれている方々の環境がどうなのか、総合的に判断したい」と述べ、延期する可能性に含みを持たせた。
 小池氏は16日に新旧市場を視察する予定。
 新市場をめぐっては、国への開場申請が8月中に予定されるなど、11月7日の移転に向け準備が進んでいる。一方、土壌の安全性や利便性の確保に問題があるとして、仲卸業者から移転日変更を求める声が上がっている。小池氏は「こういう流れだから仕方がないというのは、あまり理由にならないと思うことも案件によってはある」とも指摘した。
 小池氏は会見後、移転慎重派、推進派双方の市場関係者からヒアリングを実施。記者団に「(新市場の)空気中の汚染状況がどうなのか、調査を指示した」と述べた。 


TVのニュースにもなりました。

この築地移転問題は、その実態が大きく報道されないまま数年を経過してきておりますが、日刊食料新聞の豊洲担当記者さんによれば、https://twitter.com/nikkan_toyosu
都知事が公に築地市場の業界の人と直接会って話を聞くというのは、実は初めてで、超画期的なことなんだそうです。

築地の豊洲移転を強行した石原慎太郎都知事は築地の方々とは議論してなかったんですね。
そりゃあ、計画がおかしくなるはずですね。

これまで14回にわたり、築地がどういったところなのか、そして豊洲計画が、どうダメなのか概観しておりますと、市場機能にまったく配慮しないで計画したハコに無理矢理、市場をぶち込もうとしているのがよくわかってきました。

なぜ、豊洲がどんどんデタラメになっていったのか?というと

「機能上、平屋であるべきものを高層ビルにしたから」

が結論です。

じゃあ、なぜ高層ビルにしたのか?というと

「敷地が狭いから」です。

なんで、敷地が狭いか?というと

「道路を十文字に通したから」です。

ということなのですが、これは逆で、
この豊洲の埋め立て地が作られてきた経緯を見て、日本の国土開発政策を考えて見れば、道路が後で計画されるはずはないので、

「元々、十文字道路計画があって敷地が狭くて市場が入らない場所に市場を強引に持ってきたから、計画がぶっ壊れた。」

ということが分かります。

以上を原因として、設計を無理矢理進めているため、プランが破綻している。

それはm6区と7区をつなぐ平面導線が全然足りない、というだけでなく


市場の中に上下動を持ち込んでしまったからです。
しかも、その1階から2階や3階へ動く、上下の導線が異様に少ない。


サッカー場が10個分入ろうかというスペースの中に、エレベーターが11基しかない。

11基ってたくさんあるんじゃないの?と、普通のオフィスビルを想定していると、間違いますよ。

築地ではターレが2000台動いているんです。


豊洲のエレベーターの大きさは、けっこうでかいんですが、、
人だけが乗る分には広いんですが、、

ターレが乗るには、厳しい、、

パット見、2台かな、、


しかも、、エレベーター11台といったけど、
卸棟5基で、仲卸棟6基の別々ですから!

どうなんだろう?上の階に上がるターレが約半分の1000台だとしても、、
1000台割る6は
166.6になり、エレベーター1基にターレが2台乗るとして、83台。

エレベーターの前に83台行列している。

果たして、83台もEV前に並んでられるんでしょうか?

orz....
並ばなかった、、
60台くらいしか、、、

じゃあ、しょうがねえ、スロープ使うしかねえ!
と3カ所あるスロープに向かって走っていったところ、、、

スロープはこんな状況でした。


ヘアピン


ヘアピン


ヘアピン


これ、曲がれんのかなあ、、、



フォークの移動は不可能なんじゃないですかね。
またしても、これですかねえ。


やっちまったのか!


と思いましたが、

安心してください。

ターレという乗り物は、3輪ですから、メーカー資料によれば
キツイカーブでも曲がれるようなんです、、、、が、、、


現在の築地はいくつもの抜け道がありますが、それでも、タイミング的に、ちょっとでもターレやフォークが集中すると

こうなります。




EVが使えなかったターレが次々やってくると、、
同時に、上から戻りもやってくると、、


荷物を満載したターレどおしが、渋滞

渋滞


やっぱ、こうですか。

どうなんだろうか、、


また続きを書きますね。

築地再生計画はじめました①

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約2ヶ月にわたり、豊洲市場とかいう巨大なポンコツ設計を見てきたわけなんですが、

じゃあ築地が今のままでいいのか?というとそれは多くの方々が認めていらっしゃるようにダメだと思います。


築地の豊洲移転問題が吹き出した約10数年前から、築地はどうせ移転なんだからさ、、と築地施設のメンテナンスも現状の修復もほぼ放置されてきた状態です。

何か抜本的に手を施さなくてはいけないのも事実。

同時に、築80年を経たおじいちゃん建築の問題だけでなく、魚や生鮮食品流通を巡る社会的環境も大きく変化してきています。

我々の身近なところで考えてみても、町の魚屋さんっていうものが猛烈な勢いで減ってきています。
魚屋さんの無い商店街もあるくらいに。
それらは皆スーパーの中に入ったり、スーパーの鮮魚部に押されてしまって後継者なく廃業したり、この10~20年間で大きく変化しました。

それには様々な理由があるのですが、大きくは衛生面での基準の強化や、大規模施設建築による消防法はじめ規制の強化です。

そのことにより、海外市場も見越した運営をしていかなくてはならなくなっているのです。

それがあるから、築地の維持、築地的空間、築地的ダイナミズムは失われざるを得ないのでしょうか、、、
それではあまりに残念過ぎる。

現代の新しい基準も抑えながら、魚市場の活気も復活させることは出来ないのでしょうか、、、

それにチャレンジした卸売り市場があります。
出来たてホヤホヤです。
しかも、非常な困難を乗り越えながら非常に短期間に実現しました。
多くの人達の地域復興の願いを担って、水産業者も市場業者も農水省も設計者も建設者も全力で頑張りました。

石巻市水産物地方卸売市場です。

東北大震災で壊滅的被害を受けてから、4年で復活しました。


世界最大級と言われております。



バースの長さは800メートルあります。


特殊爪に換装したフォークも走っている。



見学者スペースも市場全体を見ることが出来る。



屋上デッキから海を眺めることが出来ます。


夜景も綺麗ですね。

奇しくも、この建物を設計したのは、

80年前に築地市場を設計したのは伝説の「横河工務所」、現「横河建築設計事務所」です。
http://www.yae.co.jp/history/



石巻魚市場について見ていきながら、築地の再生について考えていきたいと思います。

横河工務所とは立志伝中の人物、横河民輔が1903年(明治36年)に
創設した日本で最初の民間建築設計会社です。


戦前から多くの日本の重要な建築に取り組まれていますが、横河民輔の凄いところは、耐震を重視した鉄骨造の建築を日本で最初に実現したことと、いくら設計しても鉄骨がなきゃ建築出来ませんから、そのための鉄骨会社、横河橋梁をも創業させたというところです。


戦前は、横河財閥と言われるくらいに産業界における様々な技術分野に進出されています。

私は、マイコン少年時代に、横河ヒューレットパッカードのプログラム電卓でその名を知りました。

建築家でありながら、ただ単に雇われ仕事を唯々諾々とこなすのではなく、社会に必要な事を草案し実行し、日本の産業界を牽引したという意味で、社会資本整備全体を俯瞰する建築家の中の建築家、建築王といってもいいでしょう。

その横河民輔DNAを受け継いだ、横河建築設計事務所が被災した石巻の市場の再生に携わったということは運命的とすらいえます。

そんな、横河民輔の設計事務所が存在していることすら、今のどや建築教育を受けている若者は知らなかったりするんですよねえ。
実務系で雑誌やメディアに登場しないから。

一方、デザイン性や先進性で横河民輔のリアルDNAを受け継いでいるのが、新国立競技場問題のときに、槇文彦さんといっしょに問題提起されていた、建築家の横河健さんです。

http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-11735037931.html

横河健さんは、多くの斬新な建築作品で非常に著名な方ですが、横河設計事務所とはまったく別のデザイン組織を運営してらっしゃいます。
ちょうど、市販車のホンダに対する、F1レース用エンジンの無限ホンダみたいな感じです。


この石巻市場の工事に携わったのは、鹿島建設の特命チームです。

被災で全面的に壊滅した石巻市場の復興には10年はかかると言われた工事ですが、3年でやり切っています。


http://www.kajima.co.jp/tech/c_great_east_japan_earthquake/deconstruction/deconstruction06/

鹿島HPより抜粋

10年かかるとされていた建設事業をわずか3年で完成させるため、民間の高い技術力・施工能力を早い段階から活用する「アットリスクCM方式」が導入されました。

「アットリスクCM方式」では、ゼネコンをCMR(※)(コンストラクション・マネージャー)としている点が他のCM方式とは異なり、国内の公共建築工事では初採用となります。従来の設計施工と類似していますが、特別条件として「オープンブック(原価開示)方式」と「専門工事業者の選定承諾」「周辺関連工事との調整業務」を行うことが求められ、「石巻型アットリスクCM方式」と呼ばれています。

鹿島はCMRとして、調達・施工前段階において横河建築設計事務所に実施設計業務を発注。実施設計と施工の一貫体制および周辺関連工事との調整を同時に行うことで工事を効率的に進めています。



マスコミ報道等でゼネコンや建設業はブラックとか言われていますが、違います。

やるヤツはちゃんとやっています。
同時に、ゼネコンを利用してやろうとかいう政治的勢力にも大いに問題があるのです。

だいぶ話がズレてしまいましたが、この記事を見るとなんか凄そうな組織の名前が、基本設計者として載っています。

「一般財団法人 漁港漁場漁村総合研究所」
略して、「漁村総研」。
なんか、かっこよくないですか

エヴァ文字がぴったり似合う感じ

設立趣意書によれば

昭和57年9月13日農林水産大臣所管の公益法人として

「新しい時代の要請に対応して、美しい自然に囲まれたよりよい漁港、漁村を整備していくためには、漁港、漁村整備関係の研究成果及び実施例を活用しつつ、近年の大量情報処理技術等も積極的に取り入れて、計画、設計、施工あるいは管理運営等に関する実用技術を確立することが前提であり、このような問題に取り組む唯一の組織(研究機関)として設立

されたものだそうです。



と、さらにエヴァっぽくしてみました。

つづく



築地再生計画はじめました②

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震災で壊滅的被害を受けた石巻市場ですが、再建にあたって何を目指したかというと、海外マーケットへの対応です。



HACCPシステムを導入しようということでした。
エッチエーシーシーピー?ではなく、ハサップと読むのですが、
HACCPとは、Hazard Analysis and Critical Control Pointの略です。

Hazard Analysis (危害の分析)、Critical Control Point(重要な管理のポイント)

HA分析に基づいて健康へ悪影響をおよぼす可能性のある要因の発生を防止または排除、もしくは、許容できるレベルにまで低減するための工程(CCP)を決め、その工程を重点的に管理する手法であり、これまでの事後対応型ではなく、食中毒などの健康危害の発生をあらかじめ予防することを念頭に置いたものです。

1993 年に
国際食品規格委員会であるとコーデックス委員会により食品産業事業者が守るべき、国際的な食品衛生管理システムとしてHACCPシステムが位置づけられました。

特にEU市場に水産物を輸出しようとすると、HACCP システムによる衛生管理の導入が必要となります。

漁村総研資料「地域と一体になった水産物の衛生品質の管理について」より抜粋

上図でもわかるように、決められた衛生基準管理の仕組みを導入した、漁船からはじまり漁港、市場、加工場から輸出先の消費者まで一貫した認定登録の流れを構築しなければなりません。

この流れのどこかに、未認定部分があるとHACCPシステムによるサプライチェーンは成立しません。

しかしながら、その導入に成功すると、生産者は市場を通じて世界中に顧客を広げることも可能になるというわけです。

食品加工場でHACCP認定を取得している施設は多々ありましたが、この石巻魚市場が完成するまで、国内には対EU輸出水産食品取扱認定施設としての「市場」は皆無でした。


それをクリアしたのが石巻魚市場なんです。
だから、認定を受けた漁船なら石巻へGOなのです。


つづく

緊急解説!!豊洲市場の構造設計に疑義アリ

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本日、東京都知事の小池百合子さんが、築地市場と豊洲のハコを視察されるようです。

ところが!築地は今日は市場がお休みですからねえ。
築地のダイナミックロジスティクスの現場は見れない。
一方の豊洲は、中身がないから市場機能は分からない。

都の推進者はうまくヤッたな!ババンバ、バンバンバン墓穴掘れよ!
という感じなのですが、

豊洲の現状について、下記にまとめておきました。

築地移転豊洲欠陥問題の夏(2016年8月11日)

と、同時に非常に興味深いツイッターをまとめときました。

築地移転問題の豊洲市場の建築構造がヤバイらしいという話

建築の構造設計の専門家による豊洲市場の建築構造に関するコメント集です。
いきなり読んでも、専門用語が多く、さらに内容がボカシてあったり、途中にチャチャを挟む人達との口喧嘩もあったり、でよくわからんと思うんで、この人はいったい何を言わんとしているのか、解説してみます。

ここで言われていることは、建築構造の考え方に間違いがあるのでは?ということなんですね。

豊洲の構造図はこんな感じです。

上から見ると細かいマス目がモチ網みたいに見えますが、ひとつのマス目が12メートルです。

これは断面図、横から見たところです。
こちらも12メートルごとに立ての柱があり、約5メートルごとの水平線が梁を現わしています。

この四角い枠で作る建築構造のことを「ラーメン構造」といいます。
この場合のラーメンはもちろん豚骨醤油ラーメンのことではなく、ドイツ語でRahmen、「枠」や「額縁」を意味するラーメンです。

柱と梁が縦横でつないでつくる現代建築における基本的な構造方法です。



もう少し、具体的な絵ではこんな感じ、皆さんも街の工事現場でHのカタチとした鉄骨を見たことがあるでしょう?



豊洲の施設の構造は、これがダーっと並んでいる状態です。
いってみればごく普通の、なんでもない建築構造システム、初めて出てきたとか、見たこともないデザインだとか、とんでもない特殊なケースというわけではありません。

で、こうした建物の耐震強度の構造解析をするときには、その床に乗る人や荷物の用途ごとの、荷重設定が必要になります。

まあ、そこまでは割と単純な話です。

豊洲の場合、その床に設定された積載荷重が1トン切ってたりして、物議を醸しているのですが、実際に使う魚河岸の方々は困るのでしょうが、

東京都が重たいものは置かせません!設計者も重たいものを置かない約束で設計しました!と言われば、

非常識ではありますが、、、言い逃れできてしまう。
各柱や梁の強さも同様です。

ここまでは、通常の鉛直荷重時。
建物もじっとしている状況。


が、耐震強度については違う。
地震とは地面が揺れる現象ですが、これを建築構造設計を考えるときには、横から押されている状態と設定します。
つまり、横から押されても大丈夫か?というのを計算するのです。


構造計算にあたってては様々な検討要素があるのですが、下図におけるように、建物の変形を受ける部分の耐力設定が非常に大事なのです。



曲がらないように見えるコンクリートや鉄といった建物の部品もけっこうしなりがあって、多少の変形に耐えます。
また、耐えるように設計する。

当然といえば当然なのですが、上のモデル図のように背の高いものほど、地震時の横からの力にフラれる。
上の階にいけばいくほど横方向にはもってかれる、というわけです。

そのため、建物は階数ごとに耐震強度の計算をするときのルールが法律上設けられているのです。

では?豊洲は何階建てなのでしょうか?


3階建て、プラスアルファの屋根裏部屋がありますね。

鉄骨のラーメン構造で3~4階程度といえば、横には長くデッカい建物ですが、しょせんベタッと広がっている。

しかも、イオンとか、ドンキホーテとか、島忠、コーナン、といったような郊外モールやホームセンターと同様の、薄型の四角いハコ。

経済スパンと言われる12メートル角でできた巨大な餅網ですから、
高層ビルなんかと違って、地震時の耐力計算なんて大したことない建物となるはずでした。

が、なにやらおかしな部分があると言うのです。

それが、、この基礎部分



まあ、普通に考えて、豊洲は埋め立て地ということで、地盤が相当弱いので支持地盤まで深さ40メートルくらいに杭を打ち、建物の基礎を乗せて、その上に鉄骨が組んであるのです。

なので、杭の頭も基礎も地面に埋まっているものとして構造計算が成されているということらしいです。

が、

実際は、そうではないらしい。
基礎は浮いている、高床化している。
基礎下でごっそり土がなくなっている。

と、なると、どういうことになるかというと
建築物と地盤の強度を考慮した耐震設計上の地震時の力の設定が変わってくることになるのです。

上記、解説文にもあるように、

「基礎が固定されていない」

「SRモデル、スウェイ+ロッキングモデル」
スウェイはボクシングなどで左右前後にパンチをかわす水平の動き
ロッキングはロッキングチェアやブランコのように回転運動

それらが基礎下の部分に大きく発生する。

基礎がフワフワ上がっている。
杭の頭も左右に振られる、十分固定されていない可能性です。

もちろん、
これ、人が乗ったりトラックが乗ったりしてフワフワ、ガタガタするとかいったヤバイ話じゃなくて、
あくまで、耐震設計上のお話ですよ。

ただし、建築確認を上記の地面まで基礎も杭も埋まっている「基礎固定」で取っているとしたなら、、、、
現実は「基礎固定とはいえない」のだから、、、

耐力不足の可能性が大であるのと同時に、許認可の出し直し、取り直し、場合によっては耐震補強の必要性、それまで使用許可降りない。

という、大事件の予感なんです。


築地再生計画はじめました③

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JIFIC(漁港漁場漁村技術研究所)略して漁村総研が
石巻市場が目指したHACCP(ハサップ)システム。
Hazard Analysis and Critical Control Pointの略ですが。
そのためにやらなきゃいけないことは
「トラック車両と荷さばき作業と衛生管理を両立させた平面計画」
だということでした。

具体的には簡単っていえば簡単
要は、「大きくいったん閉め切ろうぜ、」ということでした。

施工した鹿島建設もその辺を明記しています。
http://www.kajima.co.jp/tech/c_great_east_japan_earthquake/deconstruction/deconstruction06/

水産庁も積極的に推し進めています。
http://www.jfa.maff.go.jp/j/gyoko_gyozyo/g_thema/sub38.html

それはなぜか?というと水産庁の資料では次のように書かれています。


漁村総研や鹿島が記述している内容と基本的に同じです。
つまり、消費者向けの対策なのです。
同時に、消費者ニーズに対応することで生産者にメリットがあるように。
作る人、売る人、買う人、皆がうまくいくように
むかしの近江商人のように三方よしの仕組みづくりです。

そのときの施設の衛生管理レベルも呈示されています。



この表でもあるように、レベル2をまずはクリアしましょうよ、というのが趣旨です。

では、レベル3はどういう施設なのか、といいますと、、、、



築地の現状施設ではレベル2に届いていない状態なんです。

「屋根がない」、「鳥獣の進入を防げていない」

築地は都会のど真ん中にありますから、地方の漁港のように大量のカモメや昆虫がやってくるということはありませんが、、やはりその辺はツーツーです。

また、築地にも屋根はもちろんありますが、どんどん増えていく搬入トラックがすべて屋根の下に入れていない。雨が降ればぬれてしまう状態です。

しかし、
逆に言えば、これだけ。

まずは、荷下ろし場への大きな屋根と動物の侵入(ネズミとか雀、カラスですかね)防止。
大きなガレージみたいなもの?

レベル3に挑むといっても、
閉鎖施設と温度管理?土足の車が入らないように?
建物として普通でしょ?そんなの。

家やビルで考えれば、土足禁止にしてクーラーかければいいだけじゃん、と簡単簡単、なことのように思えますよね。

それがそうでもないんです。

築地の現状を勉強してきたみんなならすぐに分かりますよね。
開けっ放しの冷蔵庫問題です。

なんとか、この冷蔵庫問題を克服するか、もしくは全面冷蔵庫化は否定するか、

私は、一部冷蔵庫化、「ゾーンクーリング」でいいと思っています。

衛生管理の「ゾーンディフェンス」と一部空調化の「ゾーンクーリング」で、HACCPではない、築地独自の規格を作り出せばいいと思っています。

なぜなら、唯一無二の築地は世界のTSUKIJIなのだから、日本から築地から運用と管理の新しい規格を生み出して、むしろ諸外国を従わせればいい、と考えています!


これまでの議論を通じて、築地で起きているイベントの面白さや世界中の人々が喜び、食の専門家が驚嘆する魚食と仲卸文化の伝統は皆さんよくわかってきたと思うんです。

しかし、施設改修について、これまであまりにも議論がオープンになってこなかった。

アスベストがあるんでしょう?どこに?
第5福竜丸のマグロが埋まっているんでしょう?どこに?
築地の土地も汚染されている?

といった根も葉もあるんだかないんだか分からない噂だけ。

築80年の建物状況の検討のためにも、現在の築地の建物の良さはないのか?ということについて、実は日本の人より海外の築地ファンの方がよく知っている。

素晴らしい映画が控えています。
「築地ワンダーランド」
10月から全国ロードショー



世界が注目する日本の食文化の集積地


日本が誇る「世界一の魚市場」


あなたはまだ「本当の築地」を知らない


TSUKIJI WONDERLAND


建築は世界的にも一流だ


建築は世界的にも一流だ


これほど長い歴史と豊かな伝統を誇る場所はない テオドル・ベスター


といったことをおっしゃっていますね、皆さん。

またケンブリッジ大学の建築学科のアリス・コルバード、アレキサンダー・マクレーンにより築地の建築研究論文も発表されています。


http://archleague.org/2014/02/tokyos-pantry-tsukiji-and-the-commodification-of-market-culture/


彼女達は築地の建築について、研究しその空間の特徴と、そこで育まれてきた、伝統と文化に言及し、豊洲の建築状況を鑑みると、移転するとこのスペクタクルは失われてしまうだろうと言っています。

築地の詳細な実測もおこなっていますね。

築地市場の構造断面図や、仲卸店舗の調査スケッチもあります。彼女たちの方が、豊洲のクレイジーさをよく分かっているでしょうね。

1コマ、2コマ店舗の内部空間も調べています。



店舗の断面図もありますね。

彼女たちも論文の中でい言っていますが、築地におけるスペクタクルは制御された混沌と多様性、そして空間の開放性と公平性だと。

その築地の魅力と伝統を残しながら、不具合を修正し衛生基準を確立する、新しい築地スタイルを目指さねばならないのです。

つづく



築地再生計画はじめました④

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皆さん、もうご承知のことと思いますが、築地市場の豊洲移転はいったん止まりました。

 

8月31日の午後1時30分のことですが、都知事主催の記者会見がありました。

 

築地移転、「小池都政に既定路線の考えなし」
小池知事が豊洲への移転延期を正式発表

http://toyokeizai.net/articles/-/133925?

 

東京都の小池知事が31日午後、記者会見し、11月7日に予定されていた築地市場の移転の延期を正式に発表した。

小池都知事「11月7日に予定されております築地市場の豊洲新市場への移転については、延期といたします。小池都政におきましては、もう既定路線でしょ、一度決めたなら、もう作ってしまったのだから、何も考えなくてよいという考え方はとりません」

小池知事は記者会見で、11月7日に予定されていた築地市場の移転の延期を正式に発表した。移転先の豊洲市場の土壌や地下水の安全性に対する不安や、使い勝手の悪さを指摘する声があがっていることを受け、移転の延期に踏み切ったという。

その一方で、移転を見据えて業者がすでに契約を終えている設備のリース代などの補償をどうするか、都心と臨海部を結ぶ環状2号線開通の遅れ、それに延期の期限については今後、「市場問題プロジェクトチーム」を設置し、検討するとしている。

日テレニュース24

 

 

 

都知事がまず最初に結論「移転は延期」とはっきりおっしゃったことは、とてもよかったです。

同時に、問題が山積していることも発表されました。

 

土壌汚染対策工事のモニタリング調査終了前の開場ということが、大きな理由であるとのことです。

それ以外にも、建築工事費の増大について、これはこのブログをお読みの方でしたらみんな知ってること、使い勝手の問題、これは連日のTV報道でも国民全員が知ってしまいました。

 

なぜ、築地移転豊洲開場をそんなに急ぐのか、、、一応その理由はオリンピック開催に向けて道路を通すため、となっている。

えっ?と思いました。

まだ4年もあるのに?どんな道路なんだよ?と皆さん思われるでしょうね。

 

僕も思いました。で、調べてみました。

こんな道路です。

 

 

環状2号線というらしい。

 

それと築地とどう関係あるのか?

もう少し拡大した絵がこれ

 

 

赤い線が、浜離宮と築地の間に通っています。

築地の敷地に掛かっているっぽい。

 

 

確かに、ちょっとかすめている。

で、結局、築地が移転延期なので黄色いバイパス工事をおこなっているらしい。

じゃあ、そのままでいいんじゃない?

と思いますが、築地大橋のところでデッカいシケインになっています。

 

シケインというのは、カーレースでコース上に設けられた、Sの字やカギ型の減速カ所のことです。直線の早さだけを競うのではなく、ブレーキングからコーナリング、加速等のドライビングテクニックは発揮されるように設けられたものですね。

 

 

どうやら、しばらくはこの環状2号線はシケイン有りで運用されるようです。

 

が、そもそもなんでこうなってしまったか?というと、築地の問題が未解決なのにささっと道路計画なんかしてしまったから、もしくは道路計画が先にあってそこに築地移転を組み込んだのかもしれませんが。

 

まあ、実際はレースコースのシケインよりは幅も広く、カーブも緩いのでしょうから、スピード抑制にはいいかもしれません。

同時に、築地への搬出入ルートを増やすことになるかもしれません。

 

この道路と築地の既存施設の配置関係を見ていくことにしましょう。

なぜなら、道路と築地が共存(既に共存していく状況になりつつありますが)すれば、むしろオリンピックのときに「築地でおもてなし」、たくさんの人々が「世界最大の魚市場、築地を初体験」という、強烈な東京の観光資源、歴史資産、生きた文化財として活躍できる可能性もあるのですから

 

というわけで、さらに細かく見てみますと、、、

 

赤が元々の計画位置、黄色が臨時対応の計画位置。

どちらもダメ。

妙に中途半端なところに道路を通そうとしています。

 

こんなんだったら、黄色も止めてこうすればいいのに、

下記のように青いところを道路にする。

 

 

それだけじゃなく、紫のところも道路にして晴海通りとつなぐ

 

 

こうすれば、まず築地の敷地周囲全体に道路ができますよね。

紫のところはかつて船着き場があった部分、それをトラック輸送に入れ替えた状態です。

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

 

 

東京五輪ボート会場について

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この数週間各紙の報道によっても皆様ご存知のように、

先月末に小池知事はじめ都政改革本部から次のような提言がありました。

 

五輪3施設の建設見直し 都調査チームが中止含め提案へ(東京新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201609/CK2016092802000252.html

 

二〇二〇年東京五輪・パラリンピック開催費用などを検証している都の調査チームが、費用削減のため競技会場となる三施設の建設中止を含めた抜本的見直しを提案する方針であることが、都幹部への取材で分かった。二十九日の都政改革本部の会議で第一次報告として公表する。
 小池百合子都知事は大会関連のコスト圧縮に意欲を示しており、会場計画が再び変更される可能性が出てきた。大会組織委員会は年内に予算計画を国際オリンピック委員会(IOC)に提出する予定で、見直しとなれば、こうしたスケジュールにも影響しそうだ。
 都幹部によると、調査報告は都が整備する会場のうち、先行して建物の実施設計に入っているバレーボール会場「有明アリーナ」、水泳会場「五輪水泳センター」、ボート、カヌー・スプリント会場「海の森水上競技場」の費用や機能の妥当性などが中心。
 調査チームは、三施設は代替地での開催が可能との見解を示す。その上で、仮に現在の予定地に建設する場合、大会後にコンサートやイベントでも利用するとしている「有明アリーナ」は、不要な設備を省いて競技場に特化した設計にするべきだと指摘する。
 大会時に客席を二万席用意し、終了後に五千席に減築する予定の五輪水泳センターは当初の座席数が過大と強調。近くに東京辰巳国際水泳場があることから再検討が必要とする。
 整備費用が招致段階の六十九億円から四百九十一億円に膨らんだ海の森水上競技場は、競技団体から風や波の対策が不十分だといった意見があり、都外への会場変更案を示す。
 関係者によると、代替会場の候補として、ボートとカヌー・スプリントは宮城県登米市の長沼ボート場、バレーボールは横浜市の横浜アリーナが挙がっているという。
 都の施設整備費は招致段階で千五百三十八億円だったが、四千五百八十四億円に膨らむ可能性が浮上。三会場の建設を中止するなどして現在は二千二百四十一億円になっている。小池知事は、五輪開催費用が不透明だとして今月一日、有識者らによる調査チームを設置した。

 

 

この三施設の中でも、費用の増大を巡って真っ先に議論されているのが、ボート・カヌー競技場についてです。

下記に施設計画資料があります。

http://www.2020games.metro.tokyo.jp/docs/第1回諮問会議_【資料7(3)】.pdf

 

lこの場所は通称「海の森」と名付けられ、公園化を目指している埋め立て地です。

 

 

この場所は、長い間、領土を巡る紛争のタネにもなっているという興味深い場所です。

 

東京湾埋め立て地めぐり 江東区と大田区が「領土争い」

http://www.j-cast.com/2011/01/15085207.html?p=all

 

東京Deep案内 住所なし帰属未定。江東区と大田区が領土争い!知られざる東京の人工島

http://tokyodeep.info/chuo-bouhatei/

 

そこがこうなる!という絵も発表されていました。

 

 

 

現状はまだこんな、森とはほど遠い感じですが。

 

 

この海の森競技場は費用がかかり過ぎるということで、浮上してきたのが

長沼です。

 

長沼?どこ?と思われる方もいらっしゃるでしょう。

登米市にある人工の湖です。のぼりごめ?どこ?と思われる方もいらっしゃるでしょう。

登る米と書いて「とめ」と読みます。

 

実は、私は登米と関わるのは二回目なのです。

前回は私が設計した建物の屋根に使う石材を登米から求めました。

 

登米は国内最高級の玄昌石、粘板岩、天然スレートが採れたのです。

 

宮城県にあります。

行ってきました。

 

 

 

 

 

なんか、凄い良いところでしたよ。

自然は雄大で、遠くに山並みが見えるだけで、長沼の周辺にはなんにもない。

湖の周囲もキャンプ場みたいな広場が段々に広がっておりました。

 

そもそも、このオリンピックのボート会場論争がなぜ巻き起こっているのか、既存のボート施設はないのか、前回はどうしたんだよ、と皆さん疑問に思うでしょう。

 

既存のボート施設はあります。

前回の東京オリンピックのときに整備され、現在はボート競技の聖地とされている戸田です。

 

戸田?どこよ?と思う方もいらっしゃると思うのですが、ボートといえば戸田です。

 

 

この空撮で荒川沿いに一直線の水路が見えますが、これが前回のオリンピックのときに作られた、ボート場です。

 

場所は、荒川を挟んで東京都に接しています。

 

ちょうど、大田区と川崎とか、世田谷区と登戸とか、江戸川区と市川や浦安とか、葛飾区と松戸とか、そういう関係。

北区や板橋区の人達からしたら、戸田はお隣で、ほぼ東京。

 

 

ならば、、なんで戸田じゃダメなの?と思いますよね。

前回のオリンピックレガシーの戸田漕艇場があるのに、新たな施設つくるのか?と。

 

それはですね、50年前と今で、ボート競技の会場規格が変わったからなんです。

大きくなって、戸田に入らないと言われています。

 

その、ボートの聖地戸田にも行ってきました。

 

 

 

 

 

なるほど~。

 

つづく

 

 

 

 


今年の流行語大賞は「P」だと思います。

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今年の流行語大賞のノミネートが揉めているようですね。

流行語というのは世相を反映し、多くの人がその言葉を使ったり、その言葉を二次使用してさらに広まったり、これまでなかった新語だったりするのが一般的なんだと思うんですね。

そういう意味では、方々で批判にさらされているように、

「保育園落ちた日本死ね」が果たして流行語なんでしょうか、、一時期話題にはなりましたが、そのことで待機児童問題が話題にはなりましたが、私のまわりで「保育園落ちた日本死ね」を使っている人など聞いたことがありません。

 

百歩譲って、この派生形「会社面接落ちた日本死ね」「資格試験落ちた日本死ね」「公団住宅落ちた日本死ね」でも、あった日には、まあ、流行っているといえなくもない。

 

しかし、こうして派生形を考えてみると、そのおかしさがはっきりします。

普通、何かに落ちたからといって、日本死ねとか、こういう言い方はしない。

 

そもそも、流行語大賞というものが、どういうものかを紐解いてみると、wikiによれば、

https://ja.wikipedia.org/wiki/新語・流行語大賞

結構、聞いたことがあるような、今ではすっかり忘れてしまったような言葉も数多くあります。

この中で、今でも使われたりその語彙が生き残っているもの等、稀です。

Jリーグ、無党派、リベンジ、雑草魂、IT革命、毒まんじゅう、マニフェスト、品格、アラフォー、政権交代、なでしこジャパン、くらいでしょうか。

 

後は、なんだかもはや、前後関係も意味も分からなくなっているものばかり。

昨年の「爆買い」は、まだ実感ありましたが、今年の「神ってる」については、えっ?いつこんな言葉流行したの?というくらいのものでした。

 

私個人的には、今年は、やはり「盛り土」でしょうと思いましたが、散々盛り土盛り土言われていましたが、豊洲市場問題以外で「盛り土」が出てくることはないし、昔から建設現場ではよく使われる言葉であって、新語でもない。

普段の生活で「盛り土ってるねえ」とか使われる汎用性はありませんでした。

 

そういう意味では、私が今年散々耳にした言葉としては、「P」の付く言葉がずいぶん多かったなあ、という印象です。

 

「TPP」

「PPAP」

「AP2.0」

「PT」

「HACCP」

全部、Pが付く。

Pだらけ。

今年はPの歳

 

「TPP」とは、環太平洋戦略的経済連携協定(Trans-Pacific Strategic Economic Partnership Agreement )

 

 

「PPAP」とは、ペンパイナッポーアッポーペン(Pen Pineapple Apple Pen)

 

 

「AP2.0」とは、荒川工事基準面から2.0メートルの高さ(Arakawa Peil)

 

 

「PT」とは、特別目的に編成された臨時の組織(Project Team)

 

 

「HACCP」とは、危害分析重要管理点(Hazard Analysis and Critical Control Point)

 

 

がそれぞれの略です。

 

それぞれがどういうものかを簡単に見ていきますと、TPPの方は自由貿易に関する国際的な協定のことです。参加国間で自由に貿易しましょうよ、という意味です。

自由に貿易?昔から言われているように、日本は資源がないから、どっかの資源国から原料を輸入して、加工品を輸出している、今でも自由にやっているんじゃないの?と思われるでしょう。

貿易における自由というのは、輸出入をおこなうことの自由を指すのではありません。

 

これ、たぶん翻訳ミスだと思うのですが、Free Trade Agreementを自由協定としてしまうと、なにやら、「気ままに自ままに好きなように行動できることは良いことだ」という風に結びついてしまい、なんで?なんで自由がダメなの?と現代の日本人は考えてしまうでしょう。

 

Freeというのは、「自由」という自発的な語意よりもむしろ、「束縛を受けない」「制限されない」という語意を強くもった言葉であり、Free Trade Agreementとは、「無制限貿易協定」と約すべきものだからです。

 

自由貿易というのと無制限貿易というのではずいぶんニュアンスが違って聞こえませんか?日本人は勘違いしている人が多いですが、Free Tradeの本当の意味は後者、自由ではなく無制限です。

 

フリーランスという言葉も、自由に契約して稼ぐ自由人という風にカッコよく解釈されていますが、語源をたどれば、「フリー」な「ランス=槍騎兵」であり傭兵、いわば無法な兵士です。

 

つまり、TPPとは、「無制限貿易のための環太平洋戦略的経済連携協定」ということなのです。

 

無制限貿易というのは具体的には関税の廃止です。

その他関税同様に作用する免許制度や許認可制度の廃止を意味します。

 

この一見、いいことのように聞こえる自由貿易ですが、その歴史は非常に最近のもので、概念が登場したのが19世紀前半、実行に移されたのは1842年のアヘン戦争からです。

 

 

 

上野の森が伐られているらしいんだが

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新国立競技場問題でも多くの方々が心を痛めた樹木の伐採、そのときと同じようなことが上野でも起こっています。

作家の森まゆみさんから教えてもらいました。

 

この写真にあるように樹木の幹になにやら張り紙がしてある。

 

 

この樹を伐るつもりらしい。

 

このような看板が張り出されていると聞きます。

 

 

えっ?なんで?なんで伐る必要があるの?というのが素朴な疑問です。

この場所を知ってる人であれば、まったくそんな必要はないんじゃないのか?と誰しも考えると思います。

こんなところですから

 

 

上野駅から公園側にすぐ出たところです。

 

 

え?なんで?なんでこの樹を伐る必要があるの?って改めて思いますよね。

 

まあ、基本、樹は伐ってはいけない。

 

どうしても伐らなきゃいけない場所や状況や事情というものがあったとしても、まず伐ってはいけない。

 

なぜなら、樹の寿命はたいがいの人間よりも長いから、です。

伐った樹がそこまで大きくなるのにはまた数十年の月日がかかるから、です。

 

伐らないで済む方法を徹底的に考える必要がある、人間には。

特に、都市に住む人々には。

 

都内にはいくつかのパブリックスペースがありますが、日本における公共空間のあり方を古い時代から残して今に至るのは神社でしょう。

 

神社というのは社殿だけではダメです。

むしろ、社殿は簡素でもいいから、大事なのは森です。

鎮守の森の意味を強調してか、杜とも書きますが、樹木がこんもりと生い茂っている場所です。

そんな樹々に囲まれながら開けた場所が神聖なものとされ、人々の憩いの場として機能してきたわけです。

 

だから、建物の周りには樹がなきゃいけない。

しかも、樹高が十メートルくらいにまで育った樹がないと。

そして、そこまで樹が育つには数十年かかります。

 

神宮外苑の銀杏もそうでしたが、

これらの上野の樹木は、今やっとそこまで来たところでしょう。

 

それを、なぜ今伐ろうとしているのか?

大変疑問に思いましたので、いろいろと調べてみることにしました。

 

と悠長なことを言っていると、明日19日から伐採に入る予定だったらしいです、東京都は。

 

森さんたちが以下のキャンペーンサイトを始められたそうで

キャンペーン「上野の森の大木を切らないで」

 

とりあえず、明日19日の伐採工事は見合わせとなったようですが、東京都はまだ伐るつもりでいるらしいですね。

 

なぜ、こやつらは、そんなにまでして伐りたいのか、紐解いていきたいと思います。

 

 

 

1月16日に築地で選挙があるらしいんだが

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明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

昨年は、築地移転豊洲問題がわたくしの予言どおりというか予想どおりというか、

大ブレイクしてしまいましたね。

経緯については、もはや皆さんよくご存知のことと思います。

 

半年前までは、なにもかもがウヤムヤなまま、舛添知事の号令の下

 

 

猪瀬知事の見逃しの下、

 

 

石原知事の命令の下、

 

 

全てを隠して突き進んでいたのです。

 

元東京ガスの工場跡の土地には大変な汚染物質が長年にわたり堆積しており、そのことを分かっていたにもかかわらず、汚染対策工事の内容や手続きに不備があった。

同時に、そういった対策を施しながら、突貫で設計を進め、工事を進め、それでも予定よりも遅れた。

突貫設計と突貫工事のために、使い勝手や構造設計に様々な見落としや、要望の汲み取りや、手続きの拙速さがあった。

結局、計画は杜撰なまま、移転予定日に向かって猪突猛進したあげくに、、、、、

 

 

あるはずの、盛り土がなかった。

盛り土の代わりに、空洞があった。

その空洞に水が溜まっていた。

その水に地下から汚染化学物質が溶け込んでいた。

 

それらが、発覚した。

 

何年も前から、盛り土してあります!と言い続け、盛り土があると書類を作成し、盛り土がある豊洲市場の断面図を、つい最近まで都のホームページでも、ず~っと掲載していた。

 

で、それが小池知事に代わったとたんに止まった。

巨大な無謀な公共施設工事が、完成目前で直前でブレーキがかかった。

 

 

一昨年の新国立競技場問題に続き、巨大な無謀な公共施設工事が止まった。

 

 

凄いことが起きました。

 

快挙といってもいいでしょう。

 

これまで公共事業が止まることはなかった。

 

破綻した事業であろうと、計画時点から社会的事情が変わろうがなんしようが、一度決めたことは、止まらない、止められない。

愚策であろうと愚挙であろうとなんだろうとやる、やり続ける。

ブレーキのない暴走列車、制御回路のない燃焼炉、頭脳のないロボット。

そんな、諦めの境地、されるがまま。

 

それが、急ブレーキ。

計画の見直し、安全確認、慎重路線、徐行運転。

 

しかし!公共事業がこうも何度も何度も止まってしまっては、

面目の立たない人たちもいます。

 

そういった人たちの反逆も始まろうとしている2017年の幕開けです。

 

よかった、よかったでは、なかなか終わらせてはもらえない。

むしろ戦後処理の方が結構大変なのです。

 

スターウォーズでもそうでしたね。

 

銀河帝国軍の圧政下、オビ・ワン・ケノービの指導を受けたルーク・スカイウオーカーがフォースに目覚め、ジェダイの騎士として豊洲のデス・スターを屠った、「スター・ウォーズ エピソード4/新たなる希望」

 

 

デス・スターを反乱同盟軍に破壊された銀河帝国軍の反撃は激烈を極め、銀河系中にルーク探索の追っ手を放ち、デマを流してまで必死の移転推進派を描く、「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲」

 

 

デス・スターを護るシールドを破壊し決死の総力戦を挑み、遂に築地と豊洲の宿命の対決に終止符が打たれることとなる、「スター・ウォーズ エピソード6/ジェダイの帰還」

 

 

という意味では、築地移転豊洲問題は今、エピソード4と5の間くらいまできています。

 

ちなみに、新国立競技場問題はエピソード5と6の間で、惑星エンドアの軌道上に第2デス・スターの建造が開始されているあたりです。

 

さて、2017年の念頭にあたって築地では重要な出来事が待ち受けています。

 

あまり話題になっていないようなのですが、

 

それは、

 

東京魚市場卸協同組合の理事長選挙なのです。

 

なぜ、それが重要なのか?と申しますと

 

これまでの理事長は、当然のごとく豊洲移転推進を推し進めてきたわけですが、昨年の一連の騒動によって、慎重にならざるを得なくなっているわけです。

 

私の取材により、築地の方々に聞くところによると、現理事長である伊藤淳一さん(オオハシ商店)は、豊洲移転完了をもって退任の意向であったものが、一転再出馬に意欲的であるとのことです。

 

 

一方、築地全体では昨年の豊洲安全性疑念噴出とこれまでの都の推進手法に不安と不満の声の高まりもあり、移転に慎重な、移転に反対な理事長候補の擁立も視野に入っているとのことです。

 

つまり、築地移転の「推進派」VS「反対派」の理事長候補者がガチでぶつかり合う可能性があるという情報です。

 

これまでの東京魚市場卸協同組合執行部の公式見解はあくまで「移転」で決まっておりましたが、昨年の仲卸業有志による移転の是非を問うアンケートでは約400人を対象とし、「移転延期希望」が8割、「移転推進もしくは無回答」が2割であったということです。

 

 

この組織の上(豊洲移転推進)と実際に働く多くの業者(移転延期・築地維持)間でのネジレ現象が、理事長選挙で解消されるものかどうなのか、非常に注目される選挙なのです。

両派ともに水面下で票集めに静かに動いているとも、各理事の言質を固めているとも聞いておりますが、いずれにしましても今年の豊洲市場問題の流れを大きく左右する出来事です。

 

私はこの選挙日程は1月16日という風に聞いております。

 

築地移転豊洲問題を担当されているマスコミ各社、ジャーナリストの方々は是非、事前取材を進めていただき、漁業関係者や飲食業の方々だけでなく都民、広く国民の方々もこの市場協同組合理事長選挙に注目してみてください。

 

以上

 

何か新事実が分かり次第追ってご報告いたします。

 

築地再生計画はじめました⑤

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”築地再生計画はじめました”シリーズもずいぶん間が空いてしまいました。
この数ヶ月の間に豊洲市場の移転延期からモニタリング結果から、
次々と新たな事実が発覚し、関係者の証言や実態調査も進んでおり、
これからどうなっていくのか予断を許さない状況が続いておりますが!
 
ひとつ確実にいえることは!
昨年の11月7日には絶対移転できなかった!ってことでしょう。
 
まず、準備が出来なかった。
同時に手続きに不備があった。
あるはずの盛り土がなかった。
 
もともと、小池都知事誕生のときにいわれていた「モニタリング結果を待ってから」が大正解であったということです。
 
過去のモニタリング、1回から7回まで、なんの問題もなかったのだから、
8回目も大丈夫かなあ、、と思っていたら多少検出されてしまった。
いよいよ9回目ではっきりするか、、と思ってましたら、
はっきりするとかしないとか関係ない、まさかのメガトン級の検出、79倍。
なんだ?それ?
 
って思った方々も多いでしょう。
私も、最初耳を疑いました。
急激過ぎる、変化。
変化というより、突如降臨。
 
ベンゼン降臨
ヒ素降臨
シアン降臨
 
実際には降臨ではなく溶出なのですが、、
 
科学的な視点からは、徐々に下がるとか徐々に上がるとか、そういう風に予測していたはずです。
 
なぜなのか?
そこについては再検証ということになっております。
再検証、再検証、ここんところの公共事業では、この再検証ばっかり耳にしますよね。
ふたたび検証、では最初の検証とはなんだったのか。
 
検証【けんしょう】 実際に調べて証拠立てること、仮説を実証すること
 
つまり、土壌汚染は完璧に除去します!という仮説が実証出来なかった、ということを意味します。
もういちど実証しようというのが再検証、
もしくはなぜ仮説が実証できなかったのかを問うのも再検証
 
そういう意味でも再検証は大事です。
特に大きなプロジェクトや歴史的事件ではこの再検証により、
原因を特定し他の選択肢や対策を模索し、真の解決方法を見いだしておかなくては、
同じようなケースでまた同じように間違ってしまいます。
 
たとえば、私が若年のころより再三再四、机上での再検証をおこなっていることのひとつに、戦前の太平洋戦争回避、早期英米講和、南支撤退について、があります。
 
というわけで、豊洲市場計画の再検証が進んでいるようなのですが、私が以前から気になっていることのひとつに、築地市場の現地再整備計画の再検証があります。
 
今から30年ほど前に計画され、正式決定され、実行されていたものです。
当時、配布されていた資料を築地の方から入手しました。
 
これです。
 
 
平成3年には一部の施設建物の仮移転も始まっていたのです。
 
 
この当時の計画についてまずは再検証してみましょう。
つづく
 
 

築地再生計画はじめました⑥

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平成3年に始まっていたという現地再整備計画。

その配布パンフレットを見てみたわけなのですが、かなり大規模な計画です。
市場のリニューアルだけでなく、周辺に屹立するビル。
 
 
そのビルデザインもバブル当時のポストモダン建築を意識したような、
意識どころか、当時のポストモダン建築家の磯崎新さんの「つくばセンタービル」を、もってきて縦横に引き延ばしたかのようなものです。
 
 
こうして、今見てみると、「つくばセンタービル」もなんでもない普通の建築に見えますよね。
むしろ、はあ?これ建築家の作品なの?と。
 
というのも、「ポストモダン建築」というのは、モダン建築の次にいったい何をやったらいいんだろう?モダニズム建築って機能や幾何学や抽象的立体構成に行き過ぎて、その場所性や歴史や大衆文化とは縁が切れ過ぎちゃったよね?とかいう問いを自らに発して、
 
じゃあ、歴史とか入れたらいんじゃね?わかりやすいモチーフで、と短絡的に思考してしまった部分がありました。
 
磯崎さんはその傾向をさらにカリカチュア(戯画化)して、
歴史も様式もモチーフも素材であって絶対的に建築造形を統一的に支配するものではない!といったことを言わんがために、「歴史様式をヒップホップのようにサンプリング&コラージュしる!」としたのが、このつくばセンタービルです。
 
そのように、流行に対し醒めた目線の中で、しかし!流行の中で最先端をいかねばならぬ、という捻れた分裂した思考は、新築計画のイメージなのに、数十年後の廃墟化したつくばセンタービルを描くという、非常にわかりにくい、しかし、磯崎さんキャラならではの、わかりやすいこともされています。
 
 
実際のつくばセンタービルは、意外なことに30年経過しても廃墟化することなく、当初意図された「歴史的引用による隠喩や象徴によるマニエリスムの多彩な読み取り性」といったものは、読み取れるはずもなく、その賑やかなデザイン性はむしろ駅前の商業モールのごとく活発に利用されています。
 
 
この30年後のつくばセンタービルの様子を見る限り、それを真似たデザインの築地現地再生計画は、1988年のポストモダンタイプであったなら、こうした商業イベント性を発揮していたかもしれませんね。
 
で、その後紆余曲折があった、、、と思っていたのですが、
実は!
1988年の築地現地再生計画よりも前に、さらなる計画があったことが分かりました。
しかも!
図面もありました。
入手しました。
 
 
 

築地再生計画はじめました⑦

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昭和62年度に製作されたという、築地現地再生案を見てみようの続きです。

 
浜離宮側から見た空撮イメージ
 
南側の運河上空から
 
この計画案を作成したのはいったい誰なのでしょうか?
資料によれば、(株)環境システム研究所とされています。
 
環境+システム、という名の会社。1979年設立
としては、「環境」と「システム」をキーワードに据えたのはずいぶん早いですね。
地球環境問題が声高に言われ出したのは1990年代頃だと思います。
 
それまでは、どちらかというとこのジャンルは、我が国ではむしろ高度成長期に急激な重工業化の裏で全国でさまざま名問題を起こしてしまった公害、その「公害対策」でした。
 
日本の主な公害事件を見てみますと、

1885年 東京市深川区(現東京都江東区)の浅野セメント(現太平洋セメント)深川工場の煙突からの降灰
1890年頃 足尾鉱毒事件 - 原因企業:古河鉱業(現古河機械金属)
1910年頃 イタイイタイ病 - 原因企業:三井金属鉱業
1923年 神奈川県川崎市の鈴木商店(味の素)工場からの排水により、ノリ養殖に被害。
1937年頃 安中公害訴訟 - 原因企業:東邦亜鉛
1956年 水俣病 - 原因企業:チッソ
1958年 江戸川漁業被害 - 原因企業:本州製紙(現王子製紙)
1965年 第二水俣病(新潟水俣病) - 原因企業:昭和電工
1960年 四日市ぜんそく - 原因企業は四日市コンビナート複数
1969年 大阪空港訴訟 - 大阪国際空港(伊丹空港)の航空機騒音
1970年 光化学スモッグが東京で初めて確認。
1970年 田子の浦港ヘドロ公害 - 製紙会社からの排水によるヘドロ公害。
1970年代 スパイクタイヤによる粉塵公害。
1971年 土呂久砒素公害 - 宮崎県高千穂町の砒素焼きをしていた鉱山の周囲に砒素公害が発生。
1975年 江戸川区六価クロム廃棄事件
1975年-1990年 豊島事件 - 香川県豊島で廃棄物処理業者が有害物質を含む廃棄物を不法に埋め立て。
 
もっと規模の小さな公害は日本中いたるところで起きていたと思います。
横浜国立大学に安全工学科が設立されたのも1967年でした。
その後、大阪大学にも環境工学とか北海道大学にも衛生工学とかが設立され、公害対策を吃緊の課題としながら、人間生活における安全と快適性を検証する学問分野が広がったのです。
なぜ、私がこんなに詳しいかと言いますと、
 
たぶん、ヘドロ怪獣の出て来る「ゴジラ対ヘドラ」や、公害をテーマにした特撮ヒーロー「スペクトルマン」、またしてもヘドロ怪獣「帰ってきたウルトラマン」第1話登場のザザーン、宮崎駿先生の「風の谷のナウシカ」らのせいだと思うのですが、
 
高校時代に地球環境悪化を憂いて、将来はそれらの汚染された自然を浄化するような仕事に付きたいと考えたのでしょう、横浜国立大学の安全工学科を受験しているからです。
 
ヘドロが原因とされた公害怪獣が構想され、繰り返し登場した昭和40年代は、科学技術の発展の影の部分で、日本中の海や川が汚れていくことを、公害=怪獣として象徴化することで、全国民が悲しみの目で見ていたことがわかります。
 
 
昨年、豊洲市場の盛り土問題でテレビでよくご一緒した浦野先生は、横浜国立大学の安全工学科教授でしたので、控え室で、「先生、実は僕は先生の教え子になってたかも知れないんです。」とお話しましたら、すいぶん喜んでおられました。
 
 
結局、早稲田の建築学科に進学してしまったのですが、
もし、横浜国大の安全工学に進学していたら、最後の安全工学生でした。
なぜなら、翌年に安全工学科はなくなってしまったからです。
 
公害対策は、もっと広く、環境を考える学問に広がっていきました。
 
それと、同時に「公害対策基本法」も、「環境基本法」と名を変えています。
環境基本法の中の、大気汚染対策法、土壌汚染対策法、悪臭防止法、騒音規制法、工業用水法等に受け継がれています。
 
と、いう風に、大学の専攻ジャンルの統廃合は社会の動きに影響を受けやすいのです。
たとえば、かつての工学部の花形であった造船学科は今はどこにも無いです。
船舶海洋工学として統合されています。
 
話しは戻りまして、
 
昭和62年度版の築地再生計画を立てた(株)環境システム研究所。
どこかのシンクタンク?研究所?なのでしょうか。
 
代表者は原田鎮郎(はらだ・しずお)さん。
愛知万博のチーフプロデューサーも勤められています。
そういえば、愛知万博は「愛・地球」をキーワードに環境をテーマとされていましたね。
 
 
原田鎮郎
工学修士 一級建築士 
愛知県立芸術大学客員教授 上海同済大学客員教授 国際建築アカデミー(IAA)プロフェッサー 
早稲田大学、日本大学非常勤講師
■略歴
1943    東京に生れる
1966    早稲田大学理工学部建築学科卒業
1968    同大学院理工学部吉阪研究室修士課程修了
1968〜75    (株)菊竹清訓建築設計事務所 在職
・ハワイ海上都市計画
・東京湾海上都市計画
・パサディナハイツ
・沖縄海洋博覧会政府館「アクアポリス」等を担当
1979    (株)環境システム研究所を設立 現在に至る
建築設計と共に社会システム、人工地盤システム、
エネルギーシステム、新交通システム、
福祉環境システムの開発に従事
2001    2005年日本国際博覧会チーフプロデューサーに就任
会場マスタープラン策定、グローバル・ループ設計
■賞暦
・第6回世界建築ビエンナーレグランプリ
・中部建築賞
・'91商環境デザイン優秀賞
・照明学会優秀施設 (以上 フォルテ)
・屋上、壁面、特殊緑化技術コンクール特別賞 (2002年 総泉病院) 
・2005年度 グッドデザイン賞(愛・地球博 共同受賞)
■著書
「コミュニティーと都市」    1976    産業能率大学出版部(共著)
「縦型都市構想」    1989    海文堂
「都市居住のフロンティアデザイン・層構造モジュール」    1991    理工図書
「建築を考える1」    1991    鹿島出版(共著)
「空へ伸びる都市空間」    1999    オーム社
「地球大交流」    2006    東急エージェンシー(共著)
 
という、ご経歴ですが、その中に非常に興味深いご実績があります。
それは、「菊竹清訓建築設計事務所ご出身」で、「アクアポリス担当」です。
 
「アクアポリス!」
「なにもかも懐かしい」
 
当時、建築とSFが融合した世界観を具体的に示した、伝説巨人・菊竹清訓の名作。
 
 
昭和40年男であれば、誰でも知ってる「海場実験都市アクアポリス」です。
 
 
1980年代にピアノ&ロジャースたちによる「ハイテク建築」が流行しましたが、
彼らのようにデザイン表現としての「デフォルメされたハイテク感」ではなく、
マジのハイテク、ガチのハイテク。
 
この「アクアポリス」が、なんで建築関係の受賞を受けていないのか?大変不思議です。
 
「海に浮かぶ都市」の実験棟です。
 
 
石油採掘のためのプラットフォームを彷彿とされる重機動メカですが、このアクアポリスは実際に海上を移動しました。
さらには、台風等で海が荒れるときには、波浪を避けるために自沈し再浮上可能な機構が盛り込まれていたという、
「建築というには巨大過ぎる、都市と呼ぶには人口密度が足りない」その正式名称は、
「半潜水型浮遊式海洋構造物」こと、通称アクアポリスです。
 
このアクアポリス、当時の小中学生にはとてつもない、未来的なプロジェクトに思えたのですが、沖縄海洋博後は観光客も訪れることなく、徐々に朽ち果て、最後は屑鉄として上海にえい航されていったと聞きます。
 
 
高度成長期のクライマックスといえるような、永遠に未来志向の建築を、菊竹清訓の下で手掛けた後に、
ご自分の事務所を始められた環境システムの原田さんは、
築地再生計画においてどのように思考されたのか?といいますと、
 
 
この報告書を読むと分かりますが、徹底して現地調査を試みられています。
特に、流通量調査が凄いです。
 
築地の中を動く人と運搬車を、深夜から午前中まで10分刻みで調べて、平面図中にプロットしてあります。
 
 
上図は午前5時15分から25分における、築地の中での人の動きと混雑度です。
200人を示すターレの黒玉と、200人以上を示す人の導線が円弧の内側に集中しています。
 
これを見る限り、すべてが混雑しているわけではないですね。
時間ごとに、集中している箇所は移動しています。
 
 
このような、流通量調査が10分刻みで、何枚も存在します。
築地の全稼働時間中の流通構造の調査がおこなわれているという凄い資料です。
しかも、昭和62年前後が築地がもっとも混雑大盛況していた時代です。
 
つまり、この調査書類の流通量が歴代MAXなんだ!ってことです。
これ以上の混雑は未だかつてない。
この資料さえ押さえておけばいい。
 
この調査の凄いところは、量と空間と質の変化を記録してあることです。
 
 
この時間軸に並べられた棒グラフも、人と乗り物の種類に分けてある。
そして、築地内のどの箇所かが分かる。
 
 
取り扱い品目ごとの集計もとってあります。
 
当時はパソコンも非力で表現能力も限られていた時代ですから、
手書きの表やグラフで現されていますが
 
このデータを今、活用するならば、流通項目の動的なアニメーション化して把握することも可能でしょう。
 
同時に、なぜ混雑しているのか、その原因は何か、検証分析するこもでき、
 
さらには、築地の方々が運用不可能視する現豊洲市場の空間構成や平面構成の問題点もすぐに分かるということです。
 
 
つづく

築地再生計画はじめました⑧

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環境システム研究所の原田鎮郎さんが計画された、
昭和62年版の築地再生計画の続きです。
 
模型写真もありました。
 
 
晴海通り側の上空からみた模型
 
 
朝日新聞社上空から見た模型
 
この計画が、築地の人、車両、モノの流通状態を綿密に調査された結果のものであることは、前記事でご紹介しましたが、
 
 
環境システムは、いきなり画を図面をひいていません。
 
資料によれば
それらの調査結果を踏まえて、魚市場の空間構成について論じています。
 
 
 
 
 
市場の立体化は可能かどうか?
非常に示唆に富んだ議論を踏まえたうえで、下記のようにまとめてあります。
 
 
わたくしのブログや報道等を通じて築地市場のことを勉強した諸兄には自明のことと思いますが、
上記の原田表によっても、
やっちゃダメな空間構成、良い点なしのタイプ5を採用してしまったのが、
 
豊洲市場施設計画です。
 
つづく
 

築地再生計画はじめました⑨

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昭和62年の築地現地再整備計画のつづきです。

 
敷地の有効活用のために立体化を検討してみたけれども、
水産卸と仲卸を上下に分けたり、配送先の茶屋を分けたりすることなく、市場は同一平面であるべきもの、ということでした。
なので、立体化は水産の上に青果を載せる、という考え方でしかあり得ないだろう、ということです。
 
で、この整備計画なのですが、いったいどうやって進めるのか?
築地には毎日もの凄い量の農水産物がひっきりなしに動いています。
現在でもその量は水産で1日あたり1800トンといわれていますが、環境システムさんが検証した時代は、もっとも物量が多かったピーク時であり、昭和62年は1日で2800トンでした。
 
そのような、大混雑状態の中でも、環境システムが提示したのは、
「居ながら工事」「使いながら工事」です。
 
検討されてました。
立体模型まで作成して
 
 
 
 
トラベリング工法です。
 
トラベリング工法というのは、徐々に移動しながら施工していくという意味で、大規模な工場施設やスポーツ施設等でおこなわれるもので、作業スペースや仮設工事の範囲を最小限にすることで、省力化とコスト低減が出来るというものです。
 
 
既存の築地施設の上に、新たに大きな架構を設けようとしていますね。
 
駅や病院等、簡単に引っ越しができなかったり、公共施設等で運用を停止することの出来ない施設では、「居ながら施工」というやり方で工事がおこなわれますが、これも現在では各ゼネコンが普通におこなっている工法です。
 
たとえば、鹿島
 
 
たとえば、戸田建設
 
 
熊谷組でも
 
 
飛島でも
 
 
銭高でも
 
 
昭和の時代建てられた建物の老朽化や耐震補強工事では最近で当たり前の施工方法です。
 
これを、築地でも検討している。
 
つづく
 
 
 
 
 
 

築地再生計画はじめました⑩

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これまでの築地計画が「再生」ではなく、「新生」になっているのではないか?

という疑問についての続きです。
 
↓以前に築地の空間構成とその意味についてやりましたよね。
 
この際、まとめておさらいしておいて欲しいのですが、
 
連載01:ターレ重量の話→http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12175575070.html 
連載02:築地が出来た頃→http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12176233153.html 
連載04:豊洲はダメかも→http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12177861238.html 
連載15:豊洲施設問題まとめ→http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12189744690.html
 
この連載7回目で使用した図、これが大事です。
「集める→広げるの法則」です。
 
 
The Low of Gather and Spread ギャザーアンドスプレッドの法則といいます、と今、わたくしが名付けました。
 
 
広げるといっても、雑然とまき散らすのではなく、綺麗に整理整頓して並べます。
なぜなら、
見やすいように、です。
何を見るのか?というと、
魚の善し悪しを、です。
 
つまり、市場というのは「見る」場所なのです。
ただ漫然と「見る」だけじゃなく、
判断のために「視る」、買い付けのために「観る」、働く人を「看る」、
同時にそれに関わる人々を、みんなが見ています。
これらを総称して「目利き」というのです。
 
売る側の人は買う側の人を見ます。
その逆もまた真なりで、買う側も売る側を見ます。
見る、視る、観る、看ることが出来る。
昨日、今日、明日、昨年、一昨年、将来なども見ることが出来るのが「市場」ですね。
 
そのために、いろんな場所から目利きに「見られる」物が集まってきます。
なるべくたくさんの種類を世界中から集めてくることが出来るのが良い「市場」です。
 
だから、モデル図にするとこんな感じです。
 
 
で、選別された魚は買い出し人、料理屋さんや小売仕入れ担当によって、市場から搬出されていきます。そのモデルはこんな感じ。
 
 
この市場機能をカタチに出来ていたのが、かつての築地市場です。
 
 
これが、築地市場の物流の空間化モデルです。
 
 
この上図での水色のアミかけ範囲が、築地のコア機能であり、
ここのプランニングがもっとも重要。
そして、入荷の触手と出荷の触手がスペースを必要とする機能です。
 
そういった視点で、62年度の築地再生計画の機能空間ダイアグラムを見てみると、、、、
どうもうまく築地に合致していないんです。
 
 
築地市場のコア機能が、十分に空間化されていない。
そこがブラックボックスのままで、輪郭のみのハコモノ。
ただの平場で、周囲を通路が取り巻いているスタイル。
 
特に荷受けスペースや待機スペースとコア機能がリンクしていない。
買い出し人の買い物品を届けておく茶屋機能も盛り込まれていない。
 
それよりもなによりも、水産と青果が重層されている事以外は、
なんかどっかで見たようなプランニング、、、
 
豊洲じゃん!これ
 
 
というか、豊洲市場の施設計画は62年の築地再生計画のプランをさらに細分化して、
一番重要な荷受けと仲卸空間のつながりを使えなくしてダメにしたものだったということです。
 
ここでもう一度、築地空間モデルを見てみましょう。
 
この図のように、築地のコア機能である目利きエリアがブルーのアミかけ部分
赤いラインの搬出入をつないでいるのがターレやフォークであり、ピンクのアミかけ部分
 
 
上図のブルーとピンクの部分を合わせもった空間としてプランニングしないと、
築地は機能しません。
 
そのような建築は果たして可能なのでしょうか、、、
可能というか、お手本になる施設として考えられるのは空港です。
 
 
 
 
つづく
 
 
 
 
 

築地再生計画はじめました⑪

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築地市場の機能をプラン的に突き詰めていくと”空港に似る”。
しかしながら、ただ単に駐機台数を増やすと直線的に伸びていって、
移動距離が長くなって、乗り換えに不便な空港が出来あがってしまう。
 
そこで、
ゲルカン&マルクが設計したドイツのベルリン・テーゲル空港を参照してみようということでした。
 
平面図はこうなっています。
 
 
六角形のリング、上図では右下にあたるところが、ターミナル入り口で、アプローチの道路も六角形に沿うようにグルリとループしています。
 
 
なるほど、、、
 
こうなっている。
 
 
で、築地の方を見てみますが、
 
たとえば、、昔の築地に旅客機を並べてみました。
 
 
なんか、空港としてもいけそう。
ていうか、まんま空港と同じ空間デザイン思想で出来ていた。
 
 
動きも、このような流れになっていた、、、かつては。
 
 
それが、今ではこうなっている。
動きがせき止められている。
 
 
なので、建て物内の大通路が大変な混雑。
荷受けのスペースと導線が迷路。
 
ここです、解決しなきゃならんのは!
 
老朽化しているから使えないのではなく、新旧の建て物が無秩序に増築されている。
結果、通り抜けが出来なくなっている。
 
なんで、そんなことになっているのか?
ちょうど、今、そのあたりの資料をひもといています。
 
つづく
 
 
 
 

築地再生計画はじめました⑫

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築地の現地再生計画が平成11年になぜかたった6名の人達の陳情によって頓挫してしまった、という経緯の続きです。

 
その頃の計画案がどういうもので、なぜ止まってしまったのか、
資料を見ますと、こうなっている。
下の青で囲った部分ですが
 
 
既に手をつけていたわけですが、始めてみたら、大変だよ~っと弱音を吐いています。
4つの問題を挙げてあります。
 
①工事が長すぎる 20年以上かかるんじゃないのか?
②工事費が掛かりすぎる 立体建て物にしたりするのと、仮住まいが多いよ
③営業が大変だよ~ 物流導線が複雑で混雑しています
④は、不安に駆られて、とって付けたような理由。このまま進めて本当に物流も機能も良くなるんですか?
 
①と②については、確かに不安になってしまったことは分かる。
住宅のリフォームでも仮住まいで別の場所に一時引っ越ししてもらってればいいのですが、住まいながらの場合には、工事中に家の一部が使えなかったり、音がうるさかったり、残材が散らばってオガクズやホコリが舞う中で暮らしていると、必ず途中で施主さんは不安になる。
毎日毎日現場と隣り合わせで暮らしていると、遅々として工事が進まないような気がして、どんどんクレームが増える。
 
③については、工事の段取りと途中の流れの中でやむを得ない点はありますが、、、、
 
下図で薄青い色の部分が、築地の現地再生を前提にして、実行した仮設建築部分です。
これが、ずいぶん使い勝手を邪魔しています。
 
 
そんな大変な状況で、まだなんとか回していた市場運営ですが、ピンクの茶屋と言われる部分も、工事スペースで閉鎖されようとしていた。
そのため、こりゃかなわんということで、当時悩んでいたようなんです。
 
たとえば、それまで手狭ながらもなんとか片付いていた部屋でも、
引っ越し準備のために部屋中に段ボールが散らばってしまって、
足の踏み場も無い状態になって途方に暮れることがありますよね。
 
そのような状況になってしまった。
 
実は、③の理由の工事中ゆえに導線計画がグチャグチャになって営業しずらいというのは、
築地現地再生をいったん棚上げにしたその後も現在まで解決されていません。
 
 
途中まで引っ越し準備したままで、
そのうち引っ越すんだから片付けなくていいやと、
部屋に段ボールが散らかったままの状態で、
20年近く暮らし続けてきている家のようなもの
 
それこそが、現在の築地の車両の混雑による危険性の原因なのひとつなのです。
 
 
なんで、そんなことになってしまったかというと、
 
当初の昭和59年から、昭和62年から、平成22年の民主党による再検討も、
すべてにおいて言えるのは、
それまで延々と受け継いできた築地現地再生計画のプランが基本的に間違っているから、
設計思想が築地の機能空間とズレているからです。
 
 
築地再生になっていない。
築地の機能空間を無視した、築地DNAを踏襲していない、
まったく別の顔をした平面計画を
築地の敷地に無理矢理押し込もうとしてきたからなんです。
 
だから、現地再生がうまくいかなかったんです。
 
それをひもといていきましょう。
 
つづく
 
 
 
 

築地再生計画はじめました⑬

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築地現地再生がなぜうまくいかなかったのか?なのですが

一般的にはこう言われております。
 
1.種地の不足 
駅や病院のように使いながら建て替えをしようとすると、どうしても一時避難場所というのが必要になります。A地点からB地点に一時的に引っ越し、C地点が完成したらAがそこに戻る、といったように引っ越しパズル、15の数字のパズルのもっと難しい感じです。
 
 
2.期間が長過ぎる
一度にすべてを新築できませんから、一部を壊しては作り移動して、さらに一部を壊して作り移動して、といったように。
佐藤修悦さんの「修悦体」として有名になったJR駅工事中のガムテープ文字を覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、工事カ所が何年にもわたり徐々に移動していたでしょう?そのような状況です。
 
 
 
3.工事費用が膨らんでいく
上記2.の工事期間が予想以上に延びることによる影響です。
4.運用に難がある。
市場の中を動きまわるターレやフォークリフトに加え、搬入トラックや買い出し人車両に、工事車両や重機が出入りする様子を実体験したところ、工事を進めていくに従い、やっぱり難しい、、という声が上がってきた。
 
これらの原因は、手を付ける前にどうして分からなかったのか?
もしくは、なぜそういった事態になったのか?といいますと、
これまでいろいろと検証してきたように、現地再生といいながら、
完成形の計画を立てるときにまっさらな状態から始めているからです。
 
築地に元からあるものを消してから、ないものとして、プランを考えている。
 
 
だから、こんなプランを立ててしまう。
 
 
これでは、築地ではない。
世界最大の水産中央卸売り市場として機能しない。
 
肝心のところが抜けている。
 
もう一度築地のコア機能部分を見てみましょうか
 
周囲に増築を重ねてきた部分をいったん外してみると、よりわかりやすいのですが、
これが築地のエンジンともいえる部分のプランです。
 
これまで、築地を語るうえで欠かせなかった特徴的な円弧。
皆さんそこにばかり注目しているのですが、円弧の中心に注目してください。
 
実は、この円弧と対を為して機能している最重要な部分が、なにやら妙なクシ形の部分。
カニの甲羅を外すと出て来るエラのような、手の指のような、
ちょっと有機的な形状をしております。
 
これ、平面図には買荷保管所と書いてありますが、現地では通称「茶屋」と呼ばれている部分です。
これが非常に重要な機能を果たすと同時に、非常にうまくデザインされているのです。
 
築地市場の空間モデルを思い出してください。
 
 
そして、これは空港に似ているんだ、といった。
駐機できる飛行機を増やすために円弧が採用されているのと同じように、
搬入の車両がたくさん並ぶことが出来る。
 
で、ゲルカン・マルクのテーゲル空港を見た。
 
 
実は、この円弧が搬入側の片側だけではダメなのです。
買い受けの搬出側にも駐機できなくてはいけない。
 
空港モデルでもそうですが、乗り換えの国内線側が必要。
 
 
その国内線側、築地でいえば搬出側でも、なるべくたくさん車を留めたい。
だから、こうなっている。
 
パリのドゴール空港です。
 
 
築地の「茶屋」と同じ。
 
 
こちらが、築地
 
 
 
続いて、この「茶屋」が持つ重要な機能について解説します。
 
つづく
 
 
 
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