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武将に学ぶ工務店経営24 大谷義継

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建築知識ビルダーズNo.24が出ました。

本号はですね、なんと宮脇檀特集です。


宮脇檀と聞いても、アラフォー(40歳前後)以下の方々にはピンとこないでしょうねえ。

しかしながら、アラシックス(60歳前後)以上の人にとっては建築家っと聞いてまっさきに思い浮かぶのは、宮脇檀さんか清家清さんなんですよ。

もちろん、丹下健三さんや黒川紀章さんもビッグネームなのですが、どちらかというと、万博まで、高度成長期まで、インフラ整備まで、その後は凄く偉い人になってしまって、お茶の間に出て来ることはなくなりました。

その高度成長期を経てみんながなんとなく豊になって、なんかマイホームも手に入るかもしれないなとなって、ファッションや音楽や映画を語る。そして休日のリビングや書斎で、自分で弾いた珈琲片手に、写真文化雑誌「太陽」や、メンズクラブで団二郎モデルのアイビー特集とかショーンコネリーやジャンギャバンとか眺めているとき!

文化的な建築家といえば、宮脇檀か清家清だったんです。

今では男の料理も普通になってきましたが、キッチンに立ってる姿を見せちゃう、珈琲にクリープを入れている姿を見えちゃうのも、宮脇檀か清家清だったんですね。

その特集が、建築専門誌ではなく工務店向け雑誌でおこなわざるを得ないということが、まさに現在の建築業界、いえ建築家業界の惨状を象徴していると思います。

宮脇さんと清家さんについては、またやるとして

今回も、武将に学ぶ工務店経営も頑張っています。
大谷義継です。
悲運の武将とも義の武将とも言われております。
今、大河ドラマで話題の「真田丸」、その主人公である真田幸村の義父でもあります。

丸山誠司先生によるものです。
戦国武将 大谷吉継

本年中に丸山誠司先生のイラストを展示しつつ「戦国武将としての地方工務店サミット (ナビゲーター森山)」といった趣旨での展覧会シンポジウムの企画を、方々(といってもエクスナレッジさん通じてOZONE等)にお願い中でございます。
ご主旨にご賛同いただける皆様どうぞよろしくお願いします。


おかげさまで『非常識な建築業界「どや建築」という病』が好調です

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先月の2月18日の刊行の拙著『非常識な建築業界「どや建築」という病』
建築業界の隠された暗部?実際は別に隠していたわけでもなく、旧態依然とした業界が、情報発信をしてこなかった、情報発信を怠っていただけの話なのですが、、、

実際に建築業界の方々からは、「余計なこと言うな」とか「言い過ぎだ」とかいう声は聞こえてこなくて、

むしろ、

「よく言ってくれた」(大手ゼネコン幹部)
「これ読んで施主にあたる行政がもっと建築業界について興味をもってほしい」(開発コンサル)
「よく、少ない頁数で重要な建築問題を俯瞰しまとめたね」(建築評論家)
「建築家や建築デザインの邪道から本道に戻ってほしい」(建築学科教授)
「面白い、スカっとした。」(中堅建築家)
「これ良い本ですね」(建築家重鎮)
「この内容マジっすか?」(高校生)
「学校の気持ち悪さがわかった」(建築学生)
「アルアルだらけで大きくうなずいた」(設計事務所スタッフ)

といったように、面白がっていただけたようで大変嬉しいです。

同時に、私が本意とするところの、「建築業界批判よりも、一般の方々が建築のことを理解しないと、この状況は変わらない」という点についても多くの賛同をいただいております。

まずは、その建築理解の妨げになっている「どや成分」、本筋の周囲に蛎殻のように堆積してくっついている「どや殻」を取り除いて、核となる部分を剥き身にしないといけないのです。

と、いう思いもありまして刊行以来、本を置いていただいている書店さんにはご挨拶、置いていない書店さんには置いていただくお願い行脚をこの一ヶ月ほど行き当たりばったりに続けておりました。

その様子は適時ツイートしておりましたが下記にまとめてあります。


『非常識な建築業界「どや建築」という病』(光文社新書)著者突撃。
街の書店さん販促大作戦。


この書店さん回りは非常に勉強になりました。

大型書店の新書担当者の方や個人商店の店主さんに、出版不況と言われて久しい我が国の書店事情だけでなく、本も八百屋や果物屋さん花屋さんといっしょで、生もの、だということです。

そして、商店街に生活必需品の商店と並んで本屋さんがある。

旅行や出張、転勤等で海外に行くと如実にわかるのですが、本屋さんの数が違います。減ってきているといわれているものの書店の数はとっても多い、前はもっと多かった、日本人は本当に本が好きですね。


出版の統計を見ても、新刊本は毎年8万冊弱も出ている。

統計局http://www.stat.go.jp/data/getujidb/index.htm
全国出版協会http://www.ajpea.or.jp/rip/index.html
出版科学研究所http://www.ajpea.or.jp/rip/index.html

一ヶ月にすると、6666冊。
一日に222冊。

そんなに出ている?
と思いますが、実はそうでもない。

本には種類というものがありますから、歴史だとか文学だとか理工だとか。
その文学でも英米文学、ラテン文学、日本、古典という風に分かれている。
また、ジャンルだけではありません。

専門書、一般という誰向けなのか?という分け方に、単行本、新書、文庫といった書籍形態にも違いがあります。

日本には図書の分類を決めたコードというものがありまして、それを見ると、内容ジャンルとして約100、形態で10、対象として10。
組み合わせでいけば、一般向けで、単行本で、絵画・彫刻という風に、10×10×100の1万種類

約1万冊の中からの222冊ということになります。
年間で考えても1万種類に各8冊相当ということであり、めったに発刊されないタイプの本もあるということです。
たとえば、子供向けの新書で採鉱・冶金の本とか、実用の絵本で民族・風習の本といったものは、あまり見たことがないでしょう。

むしろ、社会科学系や技術系、文学の文庫が占める割合が多いです。

発行点数の中で文庫は約8000、新書で4000という感じです。

つまり、社会科学系の文庫、大衆文学の文庫のジャンルがもっとも多いということですね。

その中でも年間8万冊もの発行部数の中で、ベストセラーの上位になるということはものすごいことです。

発行される本としての競争が50分の1、その中から年間ベストセラー100位に入るなんていうのは、800分の1ですから4万冊に1冊ということなんです。

統計を見ると、1万種類の本の中で、50分の1の毎日200冊の中で多くを占めるのが、大衆文学か社会科学系、技術系の本ということです。

むしろ、そこが売れる本ということになるでしょうか

確率統計的にそのまま積み上げると、大衆文学で社会科学系で技術をウリにした本。

たとえば、「大衆文学の歴史とその書き方」もうすこし分かりやすくするなら、「佐伯泰英の描く江戸の地図」とか「池井戸潤と話す現代日本の経済学」といったものが売れるということになります。

逆に、執筆するのならば、技術的裏付けをもって社会の仕組みを描いた大衆文学を書けばいいということになります。

と、本の経済学というものを考えてみたわけですけれど

その本を取り扱う書店さんの数が近年減っているのです。



書店数の推移
http://www.1book.co.jp/001166.html


「非常識な建築業界」書店まわりで分かったこと②

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この2~3週間ほどの間、『非常識な建築業界「どや建築」という病』(光文社新書)のご挨拶で出先からいきあたりばったりに本屋さん巡りをして、手書きポップ配布をしていたわけなんですが、


都内の山の手線主要駅からも書店さんが消えていました。
以前はあったはずなのに、、、と

もっともそれを実感したのが、高田馬場周辺です。
学生時代からよく知っている街だったから、というのもありますが、あるはずのとこにない。

高田馬場駅から早稲田通りを早稲田大学に向かって歩けば、かつては本屋さんだらけ
それが、ここ十数年で本屋さんが減りまくってラーメン屋さんだらけ


早稲田はもはや大学の街ではなくラーメンの街になり果てておりました。

それでも、気を取り直しまして駅前の芳林堂書店さんにも出向いたわけなんです。

『非常識な建築業界「どや建築」という病』(光文社新書)著者突撃。
街の書店さん販促大作戦。



ちょうど一ヶ月前の2月18日のことですが、そのときに新書担当の方とちょっとお話しました。

本日刊行されたばかりの「非常識な建築業界」という新書の著者のもので森山高至と申しますが、販促のご挨拶回りと書店さんの応援で、手書きポップ書いてきました。もしよろしければお使いいただけましたら幸いです。

実は、、新刊の入荷が止まっておりまして、、いつ入荷されるかどうかもわからないので、

えっ?どういうことですか?

取り継ぎ店の太洋社さん廃業のあおりを受けまして、、、、

そのニュースは知ってます

新規の取り継ぎ店さんが決まるかどうか怪しいんです。
なので、ここのところウチには、、、、週刊誌や週刊漫画誌も、、、、

えーっ!お客さんこんなに居るのに、仕入れできないんですか?

はい、、、、とりあえず、このポップはお預かりはしますが、、、お役に立てないかもしれません。


その一週間後のことでした。芳林堂書店さんが自己破産しました。
大変なことが起きているなと実感したわけなんですが、、、
この一ヶ月の間で実は同じようなことが全国で起きているのです。
もっと大きなニュースにならないといけない問題です。


芳林堂も破産、書店閉店が止まらない日本--書店復活の米国との違いとは?
林 智彦(朝日新聞社デジタル本部)
http://japan.cnet.com/sp/t_hayashi/35078425/

、連鎖閉店や連鎖倒産の流れは、まだまだ続くのでは? とも言われ、取次自主廃業にともなう余波は、収まる気配がありません。

 流通は産業の血管のようなもの。そこが詰まれば、末端である書店はなすすべもありません。理屈の上ではわかっていたことですが、2001年の鈴木書店、2015年の栗田出版販売の倒産では、今回のような大規模な「連鎖閉店」は筆者の記憶にありません。他の取次に切り替える「帳合変更」ができれば、商売を続けることは可能なはずですが、それすらできないということなのか……。


上記記事を読んでいただければ分かるのですが、何が起きているのかといいますと
出版不況とかなんとかいわれながらも、普通に健全経営していた、地域の人達が毎日利用していたような街の書店さん。

そこが、「商品を入れてもらえないから」という理由で廃業や倒産しているのです。

本屋さんなので、毎日売れるものと長期に店頭に並ぶものもありますから、その状況は見えにくかったわけですが

街の八百屋さんが、生鮮市場で仕入れられない、魚屋さんが築地で魚が仕入れられない、材木屋さんが木場で木材を仕入れられない、お客が居るのに!なんです。

もっと分かりやすくいうなら、コンビニに配送トラックがこなくなって商品棚がこういう状態だということです。


今、日本中にこのような状況で書店を継続するかどうかの岐路に立っているところがいっぱいあるのです。

太洋社の自主廃業が2月8日、私が芳林堂さんに出向いたのが2月18日、すでに一ヶ月経過しております。

これは早くなんとかしないと大変なことになります。

なぜ、こんなことが起こっているのか?といいますと、「取り継ぎ制度」というものと「取り継ぎ会社」というものの動きが、
中小企業イジメの銀行のごとき行動、
まるで銀行の貸し剥がしのごとくになっているからなんですね。

ちょっと、この件は引き続き書いていきたいと思います。

この取り継ぎの仕組みなのですが、その前に野菜とか魚の流通はどうなっているかといいますと

生産者から、仲買人や協同組合等を経て卸売り市場から小売り店に流れていきます。
この矢印の流れと逆に代金が支払われていくわけです。

東京都中央卸売市場HPより

仕入れから小売りまで、それぞれの立場で仕入れ値や販売額を決めて、買い取っていく流れです。
商品は途中様々なルートを経ますが、生産者から消費者の元へ一直線です。

これに対し出版の取り継ぎ制度とは、本を仕入れて売るのではなく、本の販売を委託するというかたちをとっています。
そして売れ残ったものは返品できる。
商品が腐らない、傷まないという前提だから可能なのです。

このような返品可能な取引はアパレルの小売りでもおこなわれていますが、書籍の場合は商品の点数が非常に多いことと、配本先も非常に多いということ、それをひとまとめにしているのが取り継ぎ会社です。


販売委託というカタチをとっています。
出版社は大手取り継ぎ会社に本を送る、取り継ぎ会社はそれらの出版社から送られた本を全国の1万数千社の小売り書店それぞれに配本するのです。

そして、他の商品とここが違うのですが、売れ残った本は返品出来ます。返品された本は取り継ぎ会社から出版社に返本されます。

このようなループを描いているのが出版取り継ぎの特徴です。




太洋社」が自主廃業…出版業界でなにが起こっているのか
http://news.livedoor.com/article/detail/11181482/


http://japan.cnet.com/sp/t_hayashi/35078425/

書店さんが減っていることについて、それだけでなく出版事情についていろいろとまとめてあるサイトが下記にあるのですが

書店数の推移

http://www.1book.co.jp/001166.html

先月新潟に行ったんだが

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全国の工務店さんのバイブル的機関誌「新建ハウジング」(新建新聞社)に早速採り上げていただいておりまする。

このときの顛末については、あらためて私もレポートする予定ですが、本日は予告編としてご紹介したいと思います。(以下、新日本プロレス実況時代のTV朝日「ワールドプロレスリング」、古館アナの声でお読みいただければ幸いです。)

ここ、越後の地はかつて戦国時代には長尾景虎あらため上杉謙信が戦国最強といわれた精鋭軍団により統治したことで知られております。そして昭和に入りましては、今太閤と呼ばれた田中角栄の出身地でもあります。冬は雪と風が厳しく非常に温熱条件の厳しい舞台なわけであります。

本日はオーガニックスタジオモデルルーム、吹き抜け上部アリーナ席から、実況と解説、不肖わたくし建築エコノミストこと森山高至でお送りいたします。

今、ゆっくりとリングに登場する「オーガニックスタジオ」選手は、新潟で、『手の届く自然素材の家』をきゃっちフレーズに地域に根ざした快適住宅を新たな住宅文化にまで高めようという勢いのある工務店戦士、相模稔であります。
オーガニックスタジオ新潟 公式HP

そして!そことタッグを組もうというのが、建築家のアイプラスアイ飯塚豊。限られた空間で快適な家をつくるための秘訣を大公開した『間取りの方程式』というベストセラーをひっさげての軍師登場であります。
■i+i 設計事務所

さあ、山本さん、このタッグ非常に面白い展開が予想されるわけなんですが、

そうですね、古館さん。このオーガニックスタジオ、略してオガスタなんですが、設立6年目にして確固たる力をつけまして、既に年間20棟の依頼が来年まで埋まってしまっているんですよ。

来年まで?てことはですよ、そこに割り込む形で飯塚選手とのタッグ戦に挑んだというわけですか?

そういうことになります。さらにですね、オガスタには建築家の山下真選手が専属でおりますから、飯塚くん山下くん、それぞれのお互いの技と技がぶつかり合う素晴らしい試合になるんではないでしょうか

 山下 真

さあ、そういったあたり、どのように展開していくのでありましょうか。ますます目が離せない様相を呈しているわけなんですが、試合前の控え室インタビューがありますので、そちらをご覧ください。



磯崎新さんによるザハ・ハディドさんへの追悼文

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Prayers for her soul will be held at London Central Mosque on Wednesday, 6 April 2016 at 12:30pm.

ザハ・ハディドさんのための礼拝が本日LONDON CENTRAL MOSQUEで行われます。

磯崎新さんによるザハ・ハディドさんへの追悼文です。



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For Zaha Hadid.

 

Architecture has been assassinated.

 

Upon hearing the tragic news about Zaha Hadid, I became angry.

 

When she appeared in the world of architecture thirty years ago, I thought of her as the savior who would revive architecture from its moribund condition.

 

As an architect, she was fated to bear two handicaps  her culture and her gender  but she turned these into a launching pad for the creation of an image of diffused tension. Instead of the tricolor banner depicted by Delacroix, she raised the flag of architecture and guided us like the figure of a Muse. I cannot believe that figure has vanished. It seemed that her career had just begun. If we assume her creation of design imagery to be an innate talent, the next task is its architectural realization, which has been unexpectedly suspended despite having just begun.

 

The figure of architecture that she embodied as latent potential has vanished. It is an immeasurable loss.

 

There had been a plan to realize, several years from now, a glimpse of this imagery on an island nation in the Far East. However, the government of this country, as if preparing for a new war, used the imagery of Zaha Hadid as a trump card to attract people to the Olympic Games, but failed to control the project and discarded it due to a skillful manipulation of the xenophobia of public opinion. Zaha herself, caught up in this opportunistic drama, never compromised her integrity as a professional architect. But her level of anxiety is unimaginable.

 

It was an assassination of architecture.

Once again, I become angry.

 

Arata Isozaki

 

 

ザハ・ハディドへ

 

〈建築〉が暗殺された。

ザハ・ハディドの悲報を聞いて、私は憤っている。

30年昔、世界の建築界に彼女が登場したとき、瀕死状態にある建築を蘇生させる救い主があらわれたように思った

彼女は建築家にとってはハンディキャップになる2つの宿命―異文化と女性―を背負っていたのに、それを逆に跳躍台として、張力の漲るイメージを創りだした。ドラクロワの描いた3色旗にかわり、〈建築〉の旗をもかかげて先導するミューズのような姿であった。その姿が消えた、とは信じられない。彼女のキャリアは始まったばかりだったではないか。

デザインのイメージの創出が天賦の才能であったとするならば、その建築的実現が次の仕事であり、それがいま始まったばかりなのに、不意の中断が訪れた。

彼女の内部にひそむ可能性として体現されていた〈建築〉の姿が消えたのだ。はかり知れない損失である。

そのイメージの片鱗が、あと数年で極東の島国に実現する予定であった。

ところがあらたに戦争を準備しているこの国の政府は、ザハ・ハディドのイメージを五輪誘致の切り札に利用しながら、プロジェクトの制御に失敗し、巧妙に操作された世論の排外主義を頼んで廃案にしてしまった。

その迷走劇に巻き込まれたザハ本人はプロフェッショナルな建築家として、一貫した姿勢を崩さなかった。だがその心労の程ははかりはかり知れない。

〈建築〉が暗殺されたのだ。

あらためて、私は憤っている。

 

磯崎 新

『非常識な建築業界』が知の格闘家に褒められた

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おかげさまで、拙著『非常識な建築業界「どや建築」という病』が、光文社新書ランキングで1位となっておりました。
といっても、新書は生ものですので一瞬のことでしょうけれど、、、


この本に関しましては「一昨年以来の新国立競技場問題について何か書かないか?」といったお誘いもあったのですが、
この問題は未だ継続中ですし、それだけに絞ってもしょうがないだろうと考えていたものです。

新国立競技場問題は確かに象徴的事件ではありますが、その背景となっている建築業界全体をまずは、多くの人に理解してもらわないと、ただ単にデザインの話しだけではないし、景観の話しだけではないし、そもそもが設計した建築家だけの問題でもないのです。

というわけで、既に読んでいただいた方はご存じのように、「どや建築」は非常に網羅的にかつ複合した綾の紐解きを試みた本です。

昨日の4月10日のことですが、なんと!毎日新聞および朝日新聞の書評欄にてご紹介いただいたんです。


毎日新聞の評者は、かの松原隆一郎先生。


と聞いてすぐにピンっと来る方は本物の知恵者です。

松原先生はですね、知の格闘家です。

ご自分でもそう自称されていますし、そのままのHPがあります。
http://homepage3.nifty.com/martialart/

灘中学、灘高校と来て、東京大学の都市工学を卒業。
その後、経済学研究に進まれて社会経済学者です。

天才秀才、エリートという言葉がふさわしい方ですが、この間灘校でも柔道、講道館柔道三段、文字通り文武両道に秀でているというわけで、まるでマンガやドラマの主人公のごとくなんですが、
実際に、グラップラー刃牙の板垣先生にもアドバイスされているというのも素晴らしすぎる先生です。


そして、日本を代表する経済学者の一人として、グローバルエリートと闘っています。(山形浩生ともちょっと闘ってましたが)

経済学を、その価値を、その原義どおりに「経世在民」と説く人です。
「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」と読みますが、

経済というものが単に貨幣や金融の利殖や流通現象を計る物差しではなく、その大本に帰れば、人々の生活を社会をよりよくするための学問という意味です。

つまり、経済学者は現象を分析したり予測することも大事ですが、それはなんの為に!を重視する考え方です。

もちろん、経世と済民ですから、
自分だけよければいいという個人的欲望
今が楽しければいいという短期的欲望
であるわけがない。

社会全体を、それを構成する多くの人々の生活を、経済学によっていかに守れるか、といったことを考えている人といっていいでしょう。

となれば、なにかとっつきにくい強面、頑固者、もしくは切れ者、冷酷無比な、近寄りがたい威厳を放つ、といったイメージが浮かびますが、

本物やスターと同様にとっても気さくで優しい面白い先生なんです。

そして!格闘技といえば絞り込んで眉間に皺を寄せて語り出しそうな雰囲気ですが、プロレスも有り!むしろプロレス大歓迎!という、
これまた本物の教養を持つ知者ならではの、ノー権威、知識に階層なし、なんでもあり、ハイカルチャーとサブカルチャーを易々と越境されています。

その辺は東大都市工学出身の山形浩生先生といっしょですが、山形氏がSF系サブカルから環境関係を通じ社会や経済を論じるなら、

松原先生は、知性も実は身体の反応であって、強靱な肉体からバランスの取れた精神が発露されるという意味では、
肉体と精神の間でのハイカルチャーとローカルチャーの合一を果たされているというところからの、社会や経済の議論。

この松原先生はですね、槇先生がご指摘された一昨年来の新国立競技場問題で早くから多くの提言なさっておられて、尚且つ私にも励ましのお言葉をくださったり、もう感謝しかないんですが、

松原先生はその間に、なんとご自宅をご自分の書庫を、
これまた、本物の建築の格闘家ともいっていいでしょう、建築家の堀部安嗣さんに依頼して完成させていたというわけなんです。

つまり、新国立競技場問題で建築家自身が、建築家の立場がなくなるとか、デザインが否定されているとか、一般人は建築デザインがわかっていないとか、暗殺された、バカにされた、ないがしろにされた、わからへんねん、真似してない、とか、め々しく嘆いてる間に

なに、ギャーギャー愚痴っとんねん、と
ホンマの建築いうのはこういうもんちゃうんか!と

堀部安嗣さんとすっげえ建物建ててたんですよ。

その顛末は本にもなっています。

http://www.shinchosha.co.jp/gruri/date/part/profile/matsubara.html


まあ、それを見せていただいたんですけどね


このグルグルした渦巻き空間がそうです。

つづく







知の格闘家と、真・闘う建築家、堀部安嗣とは

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社会学者の松原隆一郎先生と建築家の堀部安嗣さんが、すごい建築を建てていた!の続きです。

その顛末は以下のサイトでも詳しく掲載されていますが

新潮社の「阿佐ヶ谷書庫プロジェクト」のページです。
http://www.shinchosha.co.jp/tonbo/blog/matsubara/


あふれる本をどうにかしたい、実家の思い出を残したい――。

“イエ”の歴史そのものである祖父の半生を遡りながら新たな“家”を建てる――気鋭の建築家に思いを託し、たった8坪で始まった家づくり。土地探しから竣工まで、その過程を施主と建築家、それぞれの立場から描いたドキュメント。施工の詳細や図面など図版多数。小説家・ 松家仁之による書庫訪問記も収録。



実は!不肖、森山、この内覧会に参加していたんです。
アートコーディネーターの森桜さんのご案内により!です。
http://morisakura.com

この建物を設計した方は堀部安嗣さんといいますが、
今、日本の建築家界でもっとも注目されている。

新国立競技場問題のザハ案頓挫からA案パクリ疑惑をはじめ、傾斜マンション杭問題等々、建築業界への信用がゆらぐなか

その動向に、堀部の動向に注目が集まりまくっている!
すくなくとも私は注目しまくっています、20年以上も前から。

気になって気になって気になって、注目し過ぎて、
決して、堀部安嗣建築は見ねえ!というのを20年以上も前より貫いてきました。



私が堀部さんを知ったのは、堀部安嗣?えーっ?何これ!と
注目というか瞠目したのは、1994年のことです。

当時まだ、私もこんな感じの生意気盛りでした。


▲95年の頃

で、堀部さんの何に驚きまくったかというと

「南の家」という作品が、、ある雑誌に小さく掲載されていたんだと思うんですが




な、なななな、何い!
この人、建具、なんでこんな処理出来てるのか!

今の時代にここまでの建具作成する実力のある若手いるのか!
外壁と建具が吉村順三じゃん。

壁が左官で床が幅広、庭に大きく開けて、、、
これ岩倉実相院じゃんか!てゆうか齋藤裕の流じゃん。
なんで?こんな処理知ってる人が居るわけ?俺以外に

これは、ですね。

当時というか、それ以前のときから、私は日本の伝統建築の良さを伝統建築によらず設計デザインしよう、というのがテーマだったわけなんです。
しかも、モダニズムに寄らないで、和を構成的に抽象的に扱わないで、伝統工芸や素材表現を駆使して、という。

近代の「建築」という概念がそもそも欧州中心にものですし、その中でル・コルビュジェとかいう人がモダニズムの基本メソッドを開発流布した後は、基本そのコルビュジェデザインの範疇でなければ「建築」じゃない、という風潮で来ているなかで、西洋「建築」の概念を出発点にしながらも、日本的感性をどのように表現するか、という。

まあ、いってみれば日本語ロックみたいなものを目指しておったわけなんです。
出来れば、建築の「はっぴーえんど」とか、「ジャックス」とか、「外道」とかみたいなもの?


だから、齋藤裕さんとこに行ったわけなんですが、

で、自分の仕事の初期もそういったことしてました。


この家なんかは、四国の栗林公園にある菊月邸を写そうとしていたわけなんです。


同時に、強い自然素材を使いながら抽象的な扱いにしようとか



スイス人の建築家ヘルツォーク&ド・ムーロンのGoetzミュージアムなんかにリスペクトして


まあ、そんな感じにやってる人は、少なくとも同世代には、いない。
と思っていた。

まず、異種材料の混交は大変だし。

左官は割れるし、木材は反るし、ディテールは難しく危険になるし、
第一、素材を見に行って、工場で加工指示できるような人、観念的なコンセプト中心の建築界の中で具体的なモノづくりに賭けてるような人はいないと思っていた。

少なくとも、同世代には
いるはずはない

齋藤裕の流は

と思ったいたわけなんですが、、、

GA JAPANという建築雑誌がりまして、現在でも優れた建築デザインの作品を厳選して採り上げるという、まあ建築のフォーミュラニッポンみたいな本がありまして

実は、私の上記の建物も
GA JAPAN13号(1995年1月号)に掲載いただいて、まあちょっとというか、かなり小天狗になっていたんです。

ところが!
なんです。

その半年後

GA JAPAN16号(1995年9月号)
そこに、「ある町医者の記念館」というものが掲載されていたんですね。


えっ、ええー!!

こ、こ、これは、、、

幾何学的に処理してあるところは確かに現代の近代の建築ではありながら、小さな空間ではありながら、最小限に限られた建築ではありながら、

オール左官、オール塗り回し、幅木無し、曲切断面表現


これ、、俺がやりたかったヤツだよ~  orz

何んだよこれ?ていうか堀部さんって何者なんだよ!

というわけで小天狗の鼻が思いっきりへし折られて、
二度と、二度と、見るか!堀部安嗣。

ああ、もうやめやめ、日本的空間とか素材にこだわるの
左官塗りも建具製作も銘木も金かかるだけだし、やめやめ


となって、私はハイテク建築とか工場生産によるプレファブリケーションの方に行ってしまうことになったのです。

つづく



本年度のマンガ学会大会では「SOIL」

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おかげさまで、本年度の
日本マンガ学会第16大会で研究論文発表をします。
日程:2016年6月25日(土)、26日(日)
場所:東京工芸大学 中野キャンパス(東京都中野区本町2-9-5)

マンガの背景空間におけるニュータウンについてです。

ニュータウンがもはや必ずしも幸せな未来を暗示していないということをマンガの中で分析します。


発表趣旨
マンガ背景空間における住宅地の効果とその意義について考察する。
作品世界において家庭をその背景空間におくことは主人公の性格、家族背景の描写におけるリアリティを獲得するうえで有効であることはいうまでもない。多くの作品世界において普遍的家族像というものが設定されてきた。顕著な事例としては昭和40年代以降の少年マンガに設定された一戸建て核家族の形式である。当時の世相に応じ、地方出身者が東京をはじめ大都市に定住し、それまでの我が国の家庭に見られたような祖父母を含めた多世代の大家族制から、夫婦と子供だけによる世帯が一般的となったことと期を一にしている。


今回採り上げるのは、カネコアツシ先生の『SOIL』です。



本稿では、カネコアツシによる「SOIL」をニュータウン空間の分析題材として採り上げ、これらマンガにおけるニュータウンの空間の意味と意義についてを検証する。

そもそもニュータウンとはどのように定義されているのであろうか、ニュータウン(new town)はそのまま「新しい街」と捉えることが出来るが、19世紀イギリスにおける産業革命による労働者の都市部への移入に対する生活環境の受け皿として開発された街に端を発する。その後は都市への人口増加に伴い、交通機関の発達と平行して都市の過密化への対策として郊外に新たに建設された新しい市街地のことである。

近代化と平行して世界各国に見られる現象であるが、我が国におけるニュータウンは戦後の高度成長期に、イギリスの「田園都市計画」、アメリカの学者ペリーの「近隣住区論」等の影響を受けて始まった。特に日本のニュータウンは、都心への通勤を前提としたベッドタウンとしての性格が色濃い。日本におけるニュータウンの定義については、国土交通省がニュータウンの把握を目的に、以下の3つの条件を満たす住宅地として開発された地域をニュータウンと定義している。

1.1955年度(昭和30年度)以降に着手された事業。2.計画戸数1,000戸以上又は計画人口3,000人以上の増加を計画した事業で、地区面積16ha以上のもの。3.郊外での開発事業(事業開始時に人口集中地区(DID)外であった事業)。そのうえで「全国のニュータウンリスト」を作成している。

「全国のニュータウンリスト」によれば、昭和30年からの60年間で約2000カ所あまりのニュータウンの計画がある。そのうち昭和40年から昭和50年の開発事例が1014カ所と半数以上を占めており、大阪万博が開催された昭和45年がまさにピークである。これは我が国の大衆文化の揺籃期から発展期、少年マンガ誌の発刊時期とも一致している。当時のマンガ作品、特に藤子不二雄作品を代表とする少年マンガの多くに典型的に見られた核家族家庭の成立には、この時代のニュータウン開発に依拠した「新しい街」という背景が存在していたということである。

「SOIL」では、このニュータウンに潜在していた数々の問題点を徐々に顕在化する手法をとる。日常生活の中に埋もれていた個人の抑圧された願望とニュータウン開発の過程で消去し埋没していたはずの歴史的事件がリンクする。普遍的で健全であるはずの現在の日常が、特殊で異様な過去の非日常的存在に浸食されていく。まっさらで無個性で抽象的に描かれていたはずの街や家庭が実は元々その場所に存在していた事象の大きな影響下にあることが具体的に示されていく。その過程で、ニュータウンとそこに依拠していた各家庭や家族関係やコミュニティが徐々に崩壊し、逆に古い村や自然や呪術、個人的な発露といったものが、地霊(ゲニウスロキ)の力を借りて顕わになっていくのである。

・・・


知の闘魂と堀部安嗣と

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堀部さんのことを書いておりましたら、割と評判が良い。
そして!松原先生による『非常識な建築業界「どや建築」という病』の書評を読んで本を買っていただいた方も多い。

みなさん、ありがとうございます。

松原先生の唱える社会経済学がどのようなものであるのか。
はたまた堀部とは、安嗣とは。

ええ、堀部安嗣論をそろそろ本格的に始めてみるか、
という矢先のことです。

なんと!堀部安嗣さん、本日平成28年4月18日付けで、日本建築学会賞を受賞されました!!
https://www.aij.or.jp/2016/2016prize.html

これはですねえ、凄いことなんですよ。

1949年、敗戦後日本がまだ独立していないころに始まったもので日本でもっとも権威のある建築の賞です。


谷口吉生さんの御尊父、谷口吉朗さんに藤村記念館という作品で第1回の賞の授与を受けられ、今年で第68回。
毎年1件から3件、該当作無しのときもある。

ということは、68年間でざっと200件あまりしかない。
68年間で建築家200人しか受賞していない。
そんな賞です。


1世代に大学の建築学科や専門学校を卒業し設計実務に就く人は、つまりは建築の同級生というのは、日本中全部合わせて約4万人弱。

その中で、意匠設計の道に進む人が2割いるとして8000人。
その中でも、建築家と他人からそう見做される人、約1割の800人。
その中から、コンスタントに高い作品性をもった建築を設計する人1割強と見て100人とした場合に

68年間では6800人の優れた建築家が存在しているということになるわけですが

その6800人から、200人ほどしか日本建築学会賞受賞者はいないんです。

この68年間で建築を学んだ人約300万人からの200人
意匠設計に取り組む人約55万人からの200人
68年間の建築家の約5万人の中からの200人なんです、建築学会賞は。
1世代から1人受賞者が出るかどうかもわからない。

これは、どういうことかというと、学会賞ですから他の研究分野材料学や構造学、設備や環境学の博士論文で賞をもらうようなもの。

なので、建築学会作品賞の方は、そのまま大学教授になってしまうというくらいの業績ですね。

だから、2回目以降の建築家のお名前もアントニン・レイモンド、前川国男、村野藤吾、堀口捨巳、丹下健三、山田守、坂倉準三、吉村順三、といった歴史、歴史的ビッグネームが並びます。

物件も、戦後の復興を日本の高度成長期を担うような大型公共建設物。戦後の街の顔になったような建築物で皆さん受賞されています。


つまり、建築意匠の深みというだけでなく、各時代の社会情勢をも含めたその年代を代表するような作品でなければならない。

なので、住宅とかいった小さな物件での受賞者は非常に少ないです。

清家清、篠原一男、宮脇檀、安藤忠雄、林雅子、高須賀晋、伊東豊雄、石井修、山本理顕、坂本一成、石井和紘、村上徹、東孝光、岸和郎、齋藤裕、渡辺明、大谷弘明、椎名英三、、、20名ほど

しかも、長年の業績に対しの方々もいらっしゃるので

単体の小規模物件そのものでの建築学会賞は

宮脇檀、安藤忠雄、伊東豊雄、山本理顕、坂本一成、石井和紘、岸和郎、齋藤裕、渡辺明、大谷弘明、椎名英三

そして堀部安嗣

つまり、小規模物件でありながら、何かの時代精神を現し、巨大な公共建設物に勝るとも劣らない文化的な貢献をもった作品というのは、

68年間で20人しか受賞できないくらいのハードルなんです。

つづく







建築家ジョージ国広さんからです

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【熊本地震の情報まとめ】
 
◎42ヶ所の施設で無料の充電サービスが提供
 http://mobilelaby.com/blog-entry-free-battery-charging-spot…

◎公衆電話マップ(熊本市内無料 4月16日 9時43分現在)
 https://www.ntt-west.co.jp/…/m…/guidemap/118079470_470557900
 
◎熊本市の給水ポイント 4月16日(第7報)19:30現在
 http://www.city.kumamoto.jp/kinkyu/pub/default.aspx?c_id=3
 
 ※熊本市内水道局に直接行けば、ほぼ待たずに一人6Lのお水がもらえるそうです(駐車場有)
 
◎災害に伴う道路情報 http://cyber.pref.kumamoto.jp/…/Content/asp/topics/topics_l…
 
◎熊本県避難所マップ
 http://crisis.yahoo.co.jp/shelter/list/43/ 
 
◎Google災害情報 避難所 ルートマップ
 https://www.google.org/publicalerts?hl=ja
 
◎ペット同伴避難受入れ施設~熊本市「竜之介動物病院」
 https://www.facebook.com/akihiko.tokuda
 
◎炊き出し&支援物資集積地点
 https://www.google.com/maps/d/viewer…
 
 益城町役場
 グランメッセ熊本
 熊本県民総合運動公園陸上競技場
 弓削小学校
 長嶺小学校
 月出小学校
 西原小学校
 龍田小学校
 託麻西小学校
 託麻北小学校
 帯山小学校横

◎人工透析をされてる方へ透析可能な医院です(16日7:00現在)
 http://saigai-touseki.net/result/
 
◎熊本市内で緊急時の無料WIFIが利用可能
 http://news.mynavi.jp/articles/2014/05/27/00000japan/ … 
 「設定」→「WiFi」開き、SSID→ 00000JAPAN に接続
 
◎NHKニュース、スマホで同時提供中です
 http://www3.nhk.or.jp/news/live/index.html
 
◎ライフライン情報
 http://kumanichi.com/saigai/
 https://www.facebook.com/KUMANICHIs/
 
◎災害対応型給油所一覧
 http://www.zensekiren.or.jp/08syohisya/0807/01/01#kumamoto
 
◎通れた道マップ
 http://www.toyota.co.jp/jpn/auto/passable_route/map/
 
◎災害伝言ダイヤル
https://www.city.kyotango.lg.jp/kcfd/yobou/sonae/sonae.html
 
◎画像の入浴施設が無料開放して下さってるそうです。
 
====================
 
◎こちらは支援向け情報◎
 
・【熊本地震速報】災害・寄付・ボランティア情報まとめ
http://volunteer-platform.org/emg/jishin20160414/
 
・益城町役場
http://www.town.mashiki.lg.jp/default.aspx?site=1
 
・【熊本城】一口城主制度
 (熊本城復元整備事業の財源に充てられます)
http://www.manyou-kumamoto.jp/event/castle.cfm?id=480
 
・ネットで寄付・提供ができるサイトの情報
https://peraichi.com/landing_pages/view/prayforkumamoto…
 
・避難所用間仕切りシステムへの寄付金

早稲田大学エクステンションセンターでの講義 「げんだい建築考」

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早稲田大学エクステンションセンターでの講義

げんだい建築考 
社会における建築の意味・価値を考える


【主な講義内容】
・「建築」と「言葉」 ― メディアとしての建築、建築のコミュニケーション機能
・「建築」と「かたち」 ― 世界共通の建築のカタチとは
・「建築」と「素材」 ― 木と土か石、現代では?
・「建築」と「歴史」 ― 社会的背景に影響をうけ、また影響を与える建築
・「建築」と「世界」 ― グローバル化に相反し、風土に合わせる建築の世界

明日はその2回目ですが、前回の講義のレジメを掲載しておきます。





明日は
「建築とかたち」
です。

建築エコノミストが石垣にこだわる理由

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熊本城の被災と復元可能性から脚光を浴びている、石垣積みの技能集団穴太衆。
かつて、日本全国にこの穴太衆のネットワークがあったわけですが、戦後のある時期から、擁壁工事はコンクリートに置き換えられていきました。

結果として石垣工事はロストテクノロジーと化そうとしているわけですが、築城に限らず、石垣工事がいかに大切なのか。
その理由について述べておきたいと思います。

まずは、雑誌「建築知識」2010年4月号に掲載した私の原稿をご紹介しておきます。


石垣工事の是非は、文化財の保護にとどまらない大きな問題なのです。

つづく


早大エクステンションセンターでの講義 「げんだい建築考」②

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早稲田大学エクステンションセンターでの講義の2回目

げんだい建築考  
社会における建築の意味・価値を考える


【主な講義内容】
・「建築」と「言葉」 ― メディアとしての建築、建築のコミュニケーション機能
・「建築」と「かたち」 ― 世界共通の建築のカタチとは
・「建築」と「素材」 ― 木と土か石、現代では?
・「建築」と「歴史」 ― 社会的背景に影響をうけ、また影響を与える建築
・「建築」と「世界」 ― グローバル化に相反し、風土に合わせる建築の世界

今週はお休みですが、前回第2回目の講義のレジュメを掲載しておきます。

「かたち」の美しさとはどこからくるのか?という内容です。

「美しい」は感覚的なものであり、定量化出来ないと思われがちですが、美しさの根底には「快感」があり、快感とは「分かる」、「理解できる」ということからやってきます。

なぜ、分かることが快感であるのか?というと、美を最新の脳科学では、情報処理速度と結びつける理論があります。

雑多な情報を整理することで、情報処理が楽になりストレスが解消される、つまり「分かる」ということは「安心」であり、危険や混乱を察知ることにつながっています。

「美しさ」とは「分かる」ことです。



ここまでが講義の前半です。
後半の重要な理論は受講生の方々だけへの秘密です。

そのうち、まとめてみたいと思います。

早大エクステンションセンターでの講義 「げんだい建築考」③

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早稲田大学エクステンションセンターでの講義の3回目

げんだい建築考  
社会における建築の意味・価値を考える


【主な講義内容】
・「建築」と「言葉」 ― メディアとしての建築、建築のコミュニケーション機能
・「建築」と「かたち」 ― 世界共通の建築のカタチとは
・「建築」と「素材」 ― 木と土か石、現代では?
・「建築」と「歴史」 ― 社会的背景に影響をうけ、また影響を与える建築
・「建築」と「世界」 ― グローバル化に相反し、風土に合わせる建築の世界

第3回目の講義のレジュメを掲載しておきます。
次回の14日は休講です。28日に補講します。

今回は建築の「素材」についてですが、まず「素材」という考え方はどこからきているのでしょうか?
自然界にあるもの、出来後のすべては「素材」として存在はしていません。まず「素材」とは考え方、観念なのです。

「元素」という観念が洋の東西を問わず太古より思想哲学の中心的話題に位置してきましたが、
それは、森羅万象曖昧模糊と生々流転する「世界を分析」できれば、「元素に分ける」ことができて、「世界を記述できる」ようになる。

世界を記述出来るならば、
森羅万象曖昧模糊と生々流転する様を予測したり、「世界の再構成も可能になる。」ということにつながるわけです。

それが、科学(古い科学は現在では占いや迷信といわれますが)を生じる源泉ともなりました。

結果として「素材」の発見が新しい世界を生み出したといえるでしょう。

というわけで、建築と素材を改めて考えてみましょう。

「土」、「木」、「石」は自然にあるがままを物理加工して建築素材として使われるものです。

料理でいえば、刺身とかサラダのようなものです。

その後、この
「土」、「木」、「石」に加えて「火」「水」に相当する、熱処理や化学反応を用いて生まれた「人工素材」が登場しました。

しかしながら、その「人工素材」が一般化して100年程度しか経過していないのです。


人工素材は大量生産と流通と大量消費を前提としており、現代の建築素材、たとえばプラスターボード、ビニルクロス、サイディングといった最低廉価素材と思われているものも、プラント投資と社会インフラに支えられて始めて成り立つものです。




建物の構造強度と素材特性は密接な関係があります。
素材の特性に応じて、様々な建築が地産地消されてきました。

現代では、構造強度の「分析」によって、この素材の特性を半ば無視、むしろ無理を利かせることも可能になってきています。

といった内容でした。


建築の鉄人、村野藤吾とは

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昨年から、話題にはなっていたんです。
もしかして壊されてしまうかも、、、、、と

新国立競技場問題の陰に隠れていましたが。

国立競技場も解体されてしまったように、
2015年はですね、日本中で戦後の名建築と言われた建物が壊されるかもしれない、もう壊した、これから壊す、といったような建築の危機。

後世、平成27年2015年は建築解体年といってもいわれるようになるかもしれません。

私はこれを全国の建築解体危機として問題視しています。

と、いいましても、社会的背景を考えてみればやむを得ない面もあるっちゃあ、あるんです。

それは、戦後の復興で建設された各地の公共施設や社会インフラが、ほぼ50年を超えてきて、なんらかの社会的寿命を迎えているからなんです。

少子化で廃校になってしまった。
産業が衰退してしまった。
利用頻度が減った来場者が減った。
維持費がかかる。

といったような。

しかしながら、これらの公共施設は建設当時は「まさか50年も経たずして解体されるとは?!」思ってもみなかったようなものばかりです。

戦前の施設といえば公共でもなんでもほとんど木造。
そして、江戸時代から数えれば200年は経過していたものの、火事や災害、戦災の空襲で焼失した。

それに引き替え、燃えない建材としてコンクリートを推奨。

構造が、「100年以上持つ」と思われた、豪語していた当時の新しい技術(そして今もこれしかないのですが)、関東大震災以降に登場した同潤会アパートに見られるような耐震性、鉄筋コンクリート構造であったからです。

それが、50年ほどで解体。

以前より度々ご紹介している青木茂さんの例をひもとくまでもなく、これらの建築物の箱部分は、手を入れていけば本当はまだまだ使えるんですよ。

木造の建築物が数百年の時間を耐えうる、、というのも、ほったらかしではなく、随時手を入れていたから残っているんです。
同時に、社会の変遷で機能上使われなくなった建物は、新たな機能に転用してきました。

鉄筋コンクリート構造でも同じなんです。

なぜ、何が今、解体危機問題かといいますと、、

村野藤吾建築が解体危機です。
まった無しです。

村野藤吾?と聞いても一般の方々、九州地元の八幡の方々でも、あまりピンとこないでしょう。


もう、30年以上も前にお亡くなりになっていますが、戦前戦後を通じて日本の建築界を代表するような御仁です。

もっと世界的に有名になってもいい建築家です。

プリツッカー賞が建築界のノーベル賞とか言われていますが、当のジェイ・プリツッカーとやらがまだシカゴで最初の商売のモーテルを買う前から、村野藤吾は巨匠でした。

様々なジャンルでそういう方がいますよね。

世界的な世界で通ずる実力を持ちながら、たまたま時代や環境の制約、また世界基準に準ずることを潔しとしなかったことで、、という方。

レーサーではついにF1で走らなかった星野一義さんとか


メジャーにいけばもしかしたらイチローのごとく活躍した篠塚選手とか


孤高の天才数学者の岡潔とか


ま、村野さんもそのたぐいです。

日本が国際社会にデビューしたころには最晩年に達してらっしゃいました。

その村野さんが地元で設計した小さな図書館。

北九州市八幡図書館、1955年竣工。
60歳、還暦です。

と、聞きますと、よくある当時の地方の公共施設に見られるような、杉板の木目がガサガサして暗く重い感じのコンクリート打ち放し建築を思い浮かべるかもしれませんが、、

こんな建物です。

こちらの画像は「建築マップ:北九州市立八幡図書館」および
https://twitter.com/take_all_aさんによる以下のブログ
http://allxa.blog114.fc2.com/blog-entry-1221.html
の画像を引用させていただいています。

尚、当初の5月11日時点でhttps://twitter.com/take_all_aさんに了承無く引用させていただいたことをお詫びいたします。
その間の経緯http://togetter.com/li/974327



なんか、、、カワイイ。

何々、この模様、というかデザインパターン。

これは煉瓦タイルとコンクリートで作られています。
昔のマイコン、初代ファミコンのゲームキャラのドット絵みたいに


なんか、ですね。
北九州市はこの建物を壊そうとしているらしんです。

図書館の老朽化にともなう建て替え?ならしょうがないんじゃないか?
森山!なんでもかんでも残せ残せとかうるせい!思うむきもあるでしょう。

ところが!なんです。

既に新しい図書館は建っているんです。

だから!この旧図書館を壊して建て替えるわけではないのです。

じゃあ、なんで壊すんだ?と思われるでしょう。

ちょっとにわかには信じられなかったんですが、、、、

駐車場にするらしいです。

ただの地面に戻してアスファルト敷いただけの平面駐車場に。

ただじゃなくて、100円入れるTIMESみたいな無人機械式の駐車場かもしれませんが、、


そんなに駐車場不足してんのかよ!どんな大都会なんだよ!北九州市!と思って


調べて見ましたら
、、、
、、、



まわり、空き地だらけじゃん!


この北九州市の愚挙につきまして、

同時に、建築の鉄人である村野藤吾につきまして、

集中的に連載をかましときたいと思います。

つづく


建築の鉄人、村野藤吾とは②

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八幡図書館解体に関する続きです。

図書館壊して、駐車場にするとはいったいなんだ!と憤っていたわけですが、いろいろと調べていますと、どうやらただ単に更地にするわけではないことがわかってきました。

このような計画があるようです。

新北九州市立八幡病院基本構想
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/page/hospital/bureau/news/pdf/kihonkousou.pdf


今ある北九州市立八幡病院が、築37年経過し朽化のため、建て替える。そのための移転先として旧小学校跡地に移転する。というものです。

でも、上記の地図では八幡図書館も八幡市民会館も別敷地で関係なさそうですよね。


建て替える予定の病院とはこんなのです。


なるほど~
パッと見まだ、新しい感じしますが、、使えそうですけどね。
1978年頃の建築設計トレンドを反映するように、赤茶色の煉瓦タイル仕上げというのも泣かせます。

上記の八幡病院は基本的にモダニズムの素直なラーメン構造(縦横格子のように柱と梁が決まった感覚で並んでいるもの)にタイル仕上げだと思いますが、


その2~3年前の1975年に、建築家山下和正さんによる青山にあるフロムファーストビルが1976年に建築学会賞を受賞したこともあって、1970年代後半から1980年代前半まではこの赤茶色煉瓦タイルはすごい流行したのです。


こちらの画像は「北九州市立八幡図書館」でも正面からの壁面構成が非常にわかりやすくご紹介されていた
https://twitter.com/take_all_aさんによる以下のブログ記事
http://allxa.blog114.fc2.com/blog-date-200908-8.html 
の画像を引用させていただいています。

上記写真でも低層部の店舗空間は、思い切った大ガラスの光が建物全体の煉瓦仕上げの塊の足下をすーっと切り開いてあって、自然と中に入ってしまいたくなる印象を持ちません?

一時期の日本の現代建築の特に商業空間を含んだ集合住宅等のデザインを席巻した、1.複合的な迷路空間に、2.立体的な幾何学の凹凸による陰影、3.そして彫りの深い入り口や窓といった開口部の非常に抽象化された造形、4.手触りのある素材、5.植物の緑が映える小路という手法です。

https://twitter.com/take_all_aさんのこの写真はそういったこの建物の特徴を非常によく捉えていると思います。

電気が点いてないと暗いのが難点ですが、フロムファーストビルは中庭形式にもしてあるので、意外と中の廊下や路地は明るいのです。



で、話しは戻り八幡病院のことですが、建て替えの理由です。

まあ、確かに1978年といえば、新耐震前の建物だしなあ。

「新耐震」というのは耐震基準の違いのことなのですが、日本は国土に地震災害が起こるごとに建物の耐震基準を改定し続けているのですが、特に!1981年に行われた改正が、それ以前と以降で大きく異なっているのです。なので1981年6月以降の建物(完成ではありません、建築確認申請の日時です)は、現基準に大概即していますが、それ以前の建物で現基準で照らし合わせると、著しく耐震強度が不足するケースがあるのです。


そして、その後に計画案が発表されていました。

新北九州市立八幡病院基本設計について(平成27年5月20日)

http://www.city.kitakyushu.lg.jp/page/hospital/bureau/news/pdf/27_yh_khn_ot.pdf


後ほどまた続きを書きます。


駒沢再生計画が登場!

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昨年、こんな記事を書いていました。
2015年9月の頃ですから、新国立競技場計画がいったん白紙になり、ではその後はどうなるのか?
新コンペにはザハさんエントリーするのか?
といったことが話題に上っていた頃です。

外苑新国立計画は凍結し駒沢競技場の活用へ1
外苑新国立計画は凍結し駒沢競技場の活用へ2
外苑新国立計画は凍結し駒沢競技場の活用へ3
外苑新国立計画は凍結し駒沢競技場の活用へ4
外苑新国立計画は凍結して駒沢競技場活用へ5

もう、こんなグチャグチャになったんなら、駒沢競技場を再活用しましょうよ、といった提案でした。

あれから、新コンペのA案、B案、そしてザハ案パクリ問題ときて、その後は新国立競技場計画について、なんの報道も進捗状況の発表もありませんよね。

やっぱり、難しいんですかね。

なんか、問題抱えてんですかね。

やっぱり、駒沢競技場なんじゃないの?と思っておりましたら!


なんと!東京オリンピック2020に起死回生の妙手
「駒沢再生計画」が!
今週の頭、5月23日に日経アーキテクチャーのシンポジウムで発表されていたんです。

その発表者の名は!

建築家、大江匡(おおえ ただす)。


なんと!あの大江さんが!
大江さんキターーーー!!と思いました。

槇文彦さん「景観と歴史を感がえよう」、
伊東豊雄さん「旧国立を直して使おう」、
磯崎新さん「もう原っぱしておこう」、に続いて!

いやあ、やっぱ日本の建築界、層が厚いわ。

みんな大江さん知らない?知らない人は居ないと思うんだけど。
実は、大江さんは超有名人なんですよ。

建築に関する受賞歴だって凄いし

それだけじゃない。

実は、ほとんどの人が大江さんとは出会っている。
かつて、NEWSの解説者として毎日お茶の間に登場していた、あの理知的で物腰やわらかく爽やかな先生をおぼえていませんか?

きっとどこかの大学の先生なんでは、、、とか、○○総研の主任研究員とか、日経新聞の論説委員、、とか、勝手に想像していたでしょう?


そのときのニュース解説者の大江匡さんは、建築家だったのです。
しかも!クオリティの高い建築をいっぱい造ってきた。



なのに、なんで大江さんのことを今時の建築学生は知らんのかというと、なんで大江さんは見たことがあっても、建築家大江匡というイメージを一般の方々がもっていなかったかというと、

大江さんは人前で威張らない、大言壮語しない、建築建築いわない。

ニュース解説に徹していた。

と、同時に柔らかくしなやかに、サラサラとスマートに

そういう人だから、

新国立競技場問題のような、ガチでドロドロした薄暗い底なし沼のような計画に、まさか物申されるとは!!

その大江さんの駒沢計画案を、不肖、森山、入手いたしました!

ていうか、大江さんが僕のところにお送りくださったのです。

あの駒沢の塔が見えますね。


平面計画、すっぽり収まっているじゃないですか。

既存施設の改修、いわゆるレガシーというやつです。


おっしゃるとおり。
これが正解なんじゃないですかね。

で、今からこんなこと言って間に合うのか?と思われる方もいらっしゃるでしょう。

それが!間に合うのです。


工程計画まで出来てる!

そして!そのお値段とは!

えー、、ざっくり500億円となります。
今の計画案の3分1以下。

さすが!大江匡。

抑えるべきところを抑えている。

少ない枚数で重要なことをカッチリ説明してあります。

この計画案について解説するつもりが、解説の必要がない。

要は「外苑よりも敷地が広いし、周辺の交通機関や環境整備を含めて対応しやすい。」以上。

というわけです。

大江さんはですね、もう今からずいぶん前に、拙著『非常識な建築業界「どや建築」という病』の前に、建築界の現状を予測されていたんです。
12年前の記事を読んでみてください⇒
www.k-system.net/butsugaku/pdf/081_report.pdf

同時に、建築家の職能を解体し拡張し再統合してこられました。


僕もそういったことに偶然出っくわしてなんとかその場しのぎでやってきた、いわば嵐に翻弄される小舟のように、いつも沈没スレスで流されてきたわけなんですが、

大江さんは明確に目標意識をもって取り組まれていた。

実は!僕の前にはいつも大江さんがいたんです。

僕が、ずっと以前、ソフトメーカーと工務店向け住宅用CADの開発を手伝い始めた頃に、既に大江さんは設計事務所のフルCAD化とデータークラウドの開発とご自分の事務所のCAD運用を進められていたし

たとえば、僕がシャール・ボーヴィスの日本進出でCM業を学んでいるときから、既に大江さんの事務所のプランテックは、企業の資産運営管理のクライアントサービスを始めていました。

また!プロパティデータバンクという不動産管理クラウドのベンチャー企業のシステムUIや顧客調査の手伝いをしている頃に、
既に大江さんの事務所のプランテックは日産の生産施設のトータル管理をされているのに出っくわしました。

そして、大江さんはとっくに日本型の建築家像、「アトリエ型設計事務所」、「私小説型の建築作品」、「小劇団型の建築家活動」にきっぱり見切りをつけて、建築設計から総合クライアントサービスファームのような活動に移られています。

同時に、先ほどのニュース番組。

建築界では自己表現のために取材を受けたがる人は大勢いますが、そうではなく、マスメディアの中で刻々と入れ替わる人々が関心をもつテーマを、瞬間的に多くの人々にわかりやすい説明をするという、いわば、知力の反射神経を要するような難しい仕事をずいぶん前にされた。

そういう方ですから

新国立競技場の泥試合なんかには、建築業界の茶番劇といった状況には、もはや関心がなく、対岸の火事がごとくに、冷笑されているのではないか、、くらいにしか思っていませんでした。

違っていました。大江さんマジでした。
「漢」と書いて「おとこと読む系」でした。



打ち合わせが始まるのでつづきは後ほど

大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメです①

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ビックリするニュースが飛び込んできました。

原宿駅建て替えへ 東京五輪までに 現駅舎の保存は未定
朝日新聞デジタル

 JR東日本は8日、山手線の原宿駅(東京都渋谷区)を、東京五輪のある2020年までに建て替えると発表した。近くに五輪会場の国立代々木競技場があり、混雑が見込まれるためだという。
 JR東によると、現駅舎は1924(大正13)年に建てられた。洋風の木造2階建てで、都内の木造駅舎としては最古とみられる。
 14年度の1日の平均乗車人数は約7万人。駅構内の通路が狭く、近くでコンサートがあると駅を入場規制する日もあり、五輪に向けて建て替えを決めた。
 新駅舎は現駅舎の南西の隣接地に線路をまたぐようにつくる。ホームを一つから二つに増やし、東側にしかない出入り口を西側にもつくる。乗客の使うスペースは2倍になる。
 現駅舎を取り壊すかどうかは、まだ決めていないという。JR東の冨田哲郎社長は「地元の皆様や渋谷区の意見もうかがい、検討したい」と話した。工事は早ければ今年中に始める。(石山英明)


http://www.asahi.com/articles/ASJ685JVBJ68UTIL02W.html

原宿駅を取り壊すかも?東京オリンピックに合わせて?
いやいやいや、逆でしょう。
東京オリンピックに合わせて、明治神宮の最寄り駅としてむしろ原宿の顔にしなきゃでしょう。

いったい何を考えているんだと!
なんで、原宿駅に目をつけるんだと!
確かに、古い建物ではあるが、古いからこそいいんですよ。

原宿駅といえば1924年(大正13年)に竣工した木造建築で都内で現存する木造駅舎で最も古いといわれているものですよ。


以前、新国立競技場問題のときに再確認したように、この表参道はじめ明治神宮外苑周辺は特別な場所なんですよ。

そして!この原宿駅舎は太平洋戦争のときにも空襲で爆撃され、直撃弾があったものの、奇跡的に不発で奇跡的に消失をまぬがれたという、本当に貴重な建物なんだ。


それを、なぜ、わざわざ壊す。
まだ壊すと決まったわけではないようですが、油断してはいけません。
壊しかねない。

まだ記憶に新しいですが、関係者というのはペーパーが出ると、自動装置のように、ロボットのように、思考停止して前に進めることしか考えなくなります。

設計図が未完成なままで、計画推進を焦ったJSCのように。
旧国立競技場のように。

もし、新国立競技場計画白紙撤回が決まったときに、旧国立を解体してなければ、壊してなければ、保存再生、再活用だって真面目に検討できたんですから。

原宿駅だって、ここで解体を阻止せねばなりません。
なぜなら!

新原宿駅と称する計画案はこんなシロモノだからなんですよ。

はあ?
イオンモールですか?これ?


オフィスビルのエントランス通路ですか?これ?

いや、これはない。
なさ過ぎる。

誰がこんな適当なCG作ってんだろう。

どうせ、鉄骨ALCにアルミルーバー、スパンドレルとかで、安っぽい、どこにでもあるような、郊外型FC店舗みたいな絵を描きやがって。

大バカ野郎。

かつての、朝まで生テレビの大島渚監督にように怒鳴りたい。

バカ野郎!バカだから言ってんだ!この大バカ野郎!

今の、素敵な、ちょっと牧歌的な、かわいい、大正ロマン風味の、洋館的意匠が、原宿の顔なのに。


確かに、元々の想定以上に原宿には大勢の人々が集まるようにはなった。手狭である、というのも分かる。

それと、立て替えとは話が別なんだよ。
新築キチガイめ。

平面計画はこうなっている。

この原宿駅計画はぶっ潰すことに決めました。

続きはまた書きます。


大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメです②

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原宿駅の建て替えに関してのつづきです。

原宿駅が取り壊されるかも?について、実に多くの方々からご意見をいただいています。
また、twitter上でも「原宿駅」で検索をかけてみるとわかりますが、
https://twitter.com/search?q=原宿駅 &src=typd

「東京駅みたいに古い建物を活かしたほうがいい」
「オリンピックだから立て直すのではなく、オリンピックだからこの建物が必要」
「混雑は解消してほしい」
「古さと新しさは融合できる」
「これ以上、文化遺産を壊すな」
「かわいい建物だったんだ」
「戦争を生き延びた建築だからこそ大事だ」

といったようなご意見が飛び交っております。

さっそくTBSラジオの「森本毅郎ッスタンバイ!」では採り上げたようですね。
http://www.tbsradio.jp/43992
その中で、JR東日本さんのコメントが発表されていました。

「解体するか保存かについては、今後、地元や渋谷区と検討します。新しい駅舎を建てる上で、今の駅舎が邪魔になるなどの支障はないので、新しい駅舎が2020年に開業しても、今の駅舎が残る可能性もあります。」

なるほど、なるほど、ひとまずは強引な破壊はやらん!と、
JRもよくわかっている。
国立競技場を速攻破壊したJSCとは違う。

また、新国立競技場問題以来、いろいろとアドバイスもいただいている公共交通機関のご専門家、そして鉄道事故等ではTVのわかりやすい解説でもおなじみの交通コンサルタントの阿部等先生からはメールいただきました。

「原宿駅は建替えせずに混雑を解消できる」

https://t.co/Ct3DOw8gRc
https://t.co/8N3AeaVAOV

上記HPの提案書をお読みいただくと分かりますが、阿部先生はJR東日本が掲げた新築すら、する必要はなく、既存ホームの活用も含めた最小限での駅ホーム混雑緩和をご提案されています。


これは、どういう意味かといいますと、都内はじめJRの各線の中には、長大なホームを持ちながら改札が少ない駅はまだまだ多く、電車の最後尾や最前部に乗車した場合に、移動も大変なケースがたくさんある、と。

それは、かつて改札が人力であったことの名残であり、現在のように自動改札が当たり前となった今、監視カメラとの併用により改札は増やせるはず!その対応方法を取ることで多くの駅の混雑や不便さを解消できるはず!むしろ、原宿駅がそうした新改札増強化の先鞭たれ!とのご意見なのです。

確かに、今ではすっかり忘れてしまっていますが、かつての駅の改札は人力だったのです。

電車を降りて改札に向かいますと、ちょうど大勢の昇降客の人波をつっきるよ舳先のようなブースに改札員さんがずらりと並んでおりまして、「キャラ、カンカンカン、カラ、カンカンカン、キャラ、キャラ、カンカンカン、、、」と、リズムを刻みながら、次々とキップにハサミを入れていたんですね。


今、思い出してみると、あれだけ大勢の人々を次々とさばいていくのは神業だったと思います。



たまに、新人さんに出っくわすと、その改札口だけが渋滞したりしてましたが、数ヶ月もすると、その改札員さんもスムーズなドラミングになっていらっしゃるなんてのを、朝の通勤、通学時に毎朝みなさん観察されていたと思います。

そのような事情もあったため、かつては改札口は出来るだけ集約したかった。しかしながら、自動改札機が登場した今、そのような改札の集約ではなく、改札の発散の方が合理的であるという、阿部先生のご意見は私も正解だと思います。

特に!原宿駅の場合は、小さな駅でありながら、昼と夜、夏と冬といったように、昇降客の増減がはなはだ激しいところです。
地理の授業でならう気候区分でいえば、ステップ気候みたいな


私が最初に勤めた齋藤裕建築研究所が神宮前6丁目にあり、20代の前半から、その後の20年間を原宿駅を最寄りとしてきた私の経験からいっても、原宿は常時込む駅ではありませんでした。

たとえば、朝一なんていうのは、原宿駅には企業本社も少なく、店舗関係も開店は10時頃からが普通なので、山の手線から千代田線への乗り換え以外は、大して人は昇降しません。

夜も、9時を過ぎたあたりからは、中高生の街ですから、原宿の竹下通りは8時くらいで終わってしまうので、大して人は居ない。

観光客が始動する午前11時前後と、中高生が来襲する午後3時から夕方6時くらいがピーク。



季節でいえば、年末の表参道クリスマスイルミネーション、年始の明治神宮初詣がピーク、次に新入生がどどっと来襲する3月4月、GW、そして夏休み、といったところがピーク。

常時大勢の人が昇降する駅ではないのです。



原宿駅周辺の土地の利活用や居住者状況を見てみれば一目瞭然なのですが、駅の西側は明治神宮です。


この付近には会社の本社も少ないし、住んでる人も少ないのです。一方商業施設や企業が存在する場所には、地下鉄千代田線や銀座線の駅もあり、いってみれば原宿駅で昇降する人たちは、原宿のみを目指してきているといえるでしょう。

では、現在の原宿駅の問題をどのように解決していけばいいのでしょうか?

それを考えるためにも、駅だけではなく、駅周辺を含めて検討していかなくてはならないでしょう。

原宿駅に限らず、駅というものは改札出口と街へのつながりの部分が顔になります。

皆さんもある駅を思い浮かべて、すぐに駅舎が浮かぶことはあまりないでしょう?むしろ駅を出たとことろ、駅前の雰囲気、状態、駅建物を取り囲む周辺全体渾然一体とした空間的な把握が薄ぼんやりと浮かぶのではないでしょうか?

新宿駅東口、と聞いて浮かぶのは人混みの向こうに見えるアルタとか、渋谷駅、と聞いて浮かぶのも人混みのスクランブル交差点の向こうに見える道元坂方面の109とか

つまり、普段の利用者にとっては駅そのものよりも、駅と街のつながり部分の空間的な雰囲気が、その駅の顔なのです。

原宿駅は、現在2カ所の改札がありますが、この2カ所はまったく性格を異にする面白い駅なのです。

その秘密は高低差にあります。

駅ホームと改札の関係を示すモデル図がありますが、

この絵のピンクのところは空中、地中の通路です。
駅舎は左側の端っこの表参道口のところだけです。

駅というのは、線路に並行するホームとそれをつなぐ通路が複雑にからみあった内蔵をひきずっていて、いってみれば人の循環器のようなものです。
駅舎はその入り口部分にある顔や目や口のようなものです。

その顔にあたるのが、現駅舎です。


それが、以下にようなものに変わってしまうということは、建築のキャラクターが変わってしまうということを意味しています。


同寸法パネルを連続で張って、そのパネル割の一部をアルミサッシュで割っただけのもの、このような建築は生産側の事情、安く済ませたい、工期を縮めたい、で自動的に決まってくる形状なのです。日本中、世界中に増殖する似非モダニズムの安物建築です。

拙著『非常識な建築業界「どや建築」という病』の中でデザイナーの「どや顔建築」をご紹介しましたが、
このタイプの建築は、「どや建築」ではなく、もう一方の問題建築、「カオナシ」です。


つづき

大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメです③

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いろんな人の検証によっても、JR東日本の見解によっても、
原宿駅の駅舎は取り壊さなくてもよさそうになってきています。

ひとまず、ホッとしましたが、
しかしながら、現状の原宿駅がキャパシティーを超えた昇降客が利用していることも事実です。

原宿駅が抱える結節点的役目ゆえでしょうが
ひとつには、明治神宮への参拝、代々木体育館を経てNHKに至る動き、そして表参道を下って明治通りに至る華やかなな最新ファッションや文化、一方北側の出口である竹下通り側はすでに30年以上もの間ティーンや観光客のメッカともなっております。


原宿駅が出来たのは大正10年(1921年)、ちょうど明治神宮創建と同時です。その2年後には国立競技場も完成しています。

2020年東京オリンピック時には実は100周年を迎えようという建築ですが、いまだに現役としてほぼ変わらぬ姿で利用されている、という奇跡の建築ですね。


ほぼ同じころに建設された渋谷駅を見てみると、その奇跡のほどがわかります。


この渋谷駅も相当イイ。
大屋根の妻面を細かく格子割したアーチ型の窓に、ちょっとズドンとした時計塔が組み合わされたものです。
ゴシック様式を簡易的にした、もしくは駅舎という産業的インフラ建造物でありながら、正面が顔となるよう、ゴシック様式を意識したものといった方がいいかもしれません。

この、同時期の渋谷駅と原宿駅を比較してみるとよくわかりますが、原宿駅の方が、軽快かつ洒脱、そして爽やかで可憐な感じがしませんか?ちょっとした白樺派、避暑地の駅みたいな。

この建物を設計した方は、今でいえば役所の中の営繕部みたいな人です。長谷川馨(鉄道省)氏です。

近代建築の遺構の調査をたくさんの写真入りでご紹介されていることで、わたくし界隈では有名なHP


関根要太郎研究室@はこだて」
fkaidofudo.exblog.jp

には、もっと詳しい写真がありますので、ぜひそちらをご参照いただくとして、当時日本中でさまざまなインフラ整備がおこなわれていた時代に、鉄道だから市役所だから機能中心でいいだろうではなく、鉄道だからこそ、大勢の人々に使われる公共施設だからこそ、小さな自己表現にこだわるのでもなく、

かといって機能や生産性のみを理由にした技術的解決のみのルーチンワークに堕すのでもなく、駅という建築物はどういう表現であるべきか、、を考えた多くの市井の建築家が存在していました。

旧横浜駅もこの
長谷川馨の設計です。


なんか、今見ても素晴らしいですよね。

古いから素晴らしいとか、歴史の○○様式だから素晴らしいというのではなく、

何かこの「様式」という意匠手段には積み重ねられてきた、建築表現上のコツといったもの、普遍的に通ずる造形原理、美の原理というものがあるに違いないと私は考えています。

なぜなら、私に限らず現代に生きる多くの人たちは、中世に生きたわけでもないし、ルネッサンスの時代を経験したわけでもない、にもかかわらず、様式的解釈の知識を持たない中高生の頃から、四角四面の現代建築よりも、こうした建築の方が何か感じ入るものがあったと思うのです。

逆にいえば、様式を単なる歴史的知識といった風に考えて、現代建築からその造形原理を排除したところで、建築家はつたない経験や足りない教養の中で、小さな個人的発露の自己表現に走ってしまっているから、多くの方々の賛同や共感を得られなくなってしまっているのかもしれません。

かつての横浜駅の様子です。
着流しのかっこいいおじさんが歩いていますね。


つづく


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