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Channel: 建築エコノミスト 森山高至「土建国防論Blog」Powered by Ameba
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国立競技場の解体工事が決まらない理由 2

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既存躯体図の基礎部分にある杭について続きです。




この足元にあるフーチング(靴底)の下をよく見てみますと



この赤く塗った部分が杭です。

で、フーチングという靴底の裏から生えていきます。

建築専門家とか機械設計者でないと分からないことのですが、
この絵だけみたら杭が5000本以上も!あって大変っ!ていっても
スパイクみたいなもんだからすぐ抜けるんじゃね?と思われるでしょう。



違います。
上の断面図を見て直観的に感じるようなイメージじゃないんです。


杭の先っぽを見てください。
ふにゃ~とした記号になっていますよね。

これは「まだまだ続いていますけど、紙からはみ出すので、書くのは省略しました」という意味です。



どこまで続いているんでしょうか?
以前、ザハ案アーチの問題を検討したときに調べましたよね。

新国立競技場の基本設計が終わらない理由3



支持地盤といわれる固いところまではいってなきゃいけないんで
まあ、20m以上はいってるんじゃないでしょうか

20mというと7階建てのビルくらいです。

とすると、さきほどの基礎フーチングと杭のリアルイメージはこうです。

ええー!長が!

と思うでしょう、支持地盤まで20mといわれるような土地では、普通のビルでも大体こんな感じに、曲芸の竹馬に乗っているようなものなのです。

で、この長さのものが各フーチングの下に杭打ちされています。


国立競技場の片側スタンドの全体像ではこんな感じなんです。

本当は地下構造部分の方がデカイんです。

つづく










国立競技場の解体工事が決まらない理由 3

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国立競技場の現況基礎と杭状況について考察してみたわけですが、
フーチング一箇所あたりの予想杭状況から

下図のような姿を想像してみれば


国立競技場の解体工事の困難さというものがご理解いただけたかと思います。

もう、なんべん言ったところできりがないのですが、新国立競技場計画の有識者たちはおそらく、建築の本当の知識が不足しているわけですから、こういった建築の技術的問題を予想することも指摘することもできなかった。
そんな人達をアドバイザーに選んでしまったことを、そろそろ認めて、悔やんで、己の失態を噛み締めてほしいと思います。

で、ここからが実際の解体工事会社が決まらない理由なのですが

私の推理では
なぜ、解体工事入札が混乱し続けているかというと、

1.発注者側とその有識者に建築解体の知識がないために
2.何をどこまで解体していいのかが分からない。
3.よって解体部分と解体要領の指示が出されていない。
4.結果、解体工事業者の側もあてずっぽうで入札している。

です。

1.はこれまでの解説で証明されたかと思います。
2.ですが、このどこまで解体していいのか?については新国立競技場の設計が完全に出来上がっていないから、だと思われます。

といいますのも、これまでの解説により皆さんは理解できていると思うのですが、杭をすべて引き抜こうとした場合に、各既存の杭の本数と種類と打ち込み深さを把握できないと、見積もりができないんです。

杭の長さが予想と違っていたら、大損します。
抜き取り中に不測の事態が起きたら、大損します。
場所の問題でいきなり一本づつ重機をセットすることは出来ません。
杭の抜き取り後の処理方法により見積もり金額は大きく変動します。

おそらく、適切な解体工事メニューを示さないで、通常の木造住宅や小規模ビルに適応するような早見表、建設物価指数とかを用いた簡易な目安「坪単価いくらいくら」でJSCは入札価格を決めているからだと思います。
それは無理もありません。JSCは建築の素人です。ところが彼らが頼るべき有識者が的確なアドバイスの出来る人達ではないからです。

で、もし杭の全抜きとりをやろうとすると、地下構造部分だけで国立競技場解体工事予算の70億円を食ってしまう可能性もあります。

構想日本 代表の加藤秀樹先生によれば、JSCの国立競技場解体予算として200億円が計上されているらしいのですが、実際に解体工事にあてがわれているのは70億円でしかなく、埋蔵物調査費用が4億円、JSC移転関係諸経費として126億円なんだそうです。

「国立競技場解体予算を徹底解体しよう。」加藤 秀樹 | 構想日本 代表
http://bylines.news.yahoo.co.jp/katohideki/20141003-00039651/

なんか変ですよね。

たとえば家を新築するとして、新築住宅の工事費が2000万円。
まあ、これは分かります。
既存家屋解体費用200万円だが、実際は70万円ということにして、父親の書斎の移転諸経費130万円なり!とか隠しているのがバレると家族はその費用配分を疑うんではないでしょうか。
「お父さん!その130万円何に使うの!」と嫁が怒り出すと思います。
だって家の中にお父さんの書斎コーナーつくってもらえばいいわけですから。
もしかして、前の転勤先の福岡で中洲の近くのどこかに秘密でワンルームマンションとか借りてるんじゃないかしら、とか疑われます。

まあ、そのような不透明な予算配分をしているらしいのですが、
それでも彼らとしては解体費用を決めないことにはどうにもならないわけです。

で、おそらく、費用リスクのある既存杭の引き抜きをしないで、杭残置による工事を検討しているのではないかと思うのですが、

これはこれで難しいんです。

建築の構造って難しそうですが、その基本は積み木です。
要は、上のモノが下のモノに乗ってればいいんです。

上から下まで垂直に力が伝わる状況、重力だけなら(これを専門用語で鉛直荷重といいますが)、積み木自身がつぶれない限り単純に積み重ねるだけです。

ヨーロッパの大陸側のように、地震のない安定した地盤に乗っかっているなら、アクロバットなことしない限り積んでればそれでOKです。

以前その辺の地盤の違いについて考察してみましたよね。
参照:「進撃の巨人」における建築的考察6


そこに地震や風によって水平力が加わるから建築がつぶれるのです。



ただ積んだだけの昔のレンガ造の壁とかが壊れるのはそのためです。
で、この建物の水平力への抵抗のために、さまざまな工法、金具や素材が生まれたのです。

基本は、木造でも鉄骨でもコンクリート造でも
横から押されても外れたり折れたりズレたりしないように、なんです。

そういった構造強度基準の改正が日本では何度もおこなわれて、地震に強い建築、地震に強い街づくりが出来上がっているのですが、

特に近年では、昭和56年の新耐震基準によって大きく耐震性能が変わりました。
これは昭和53年の宮城県沖地震を踏まえてのものです。

このときに、前後の近代化した鉄骨やRC構造のビルやマンションでの杭が折れたりの被害が続出し、それまでの、「杭は硬い地盤まで鉛直荷重を伝えればいい、沈み込みだけ止めればいい」といった判断基準ではダメなんじゃないか?という意見が出るようになったんです。

それでも、あくまで建設省の通達で一定規模以上の建物に、杭の水平抵抗力を検討するよう行政指導がでているだけで法改正にはいたりませんでした。


その後、平成7年に阪神淡路大震災が起こり


そのときの被害状況をふまえて、平成12年の基準法改正で構造計算が必要な全ての建物にたいし、杭の水平抵抗力を検討することになったんです。


結果、以降の新築建物では杭も水平力を受けても大丈夫なように考えなくてはならなくなりました。


地盤と建物との関係の中で、杭も横方向にフラフラしないように検討しとけよ。となったのです。


結果。
ますます、国内にあるビルのほとんどが古い杭のままではダメで、古いビルを取り壊しての新築時には引き抜くか、引き抜かないで場所をズラして新規杭を打つしかない状況になり、解体して土地を売り買いするときに、この既存杭の処置は費用面でも問題になり、特に狭い敷地だと引き抜こうにも重機が中に入れない、新規にズラして打つスペースもない、とかいった問題も生じてしまったのです。

そこで、10年前くらいから既存杭のそのまま利用、既存杭を残したまま新規構造を考えたり建てられるようにする方法が検討され始めました。

これは国土交通省でも積極的に研究を奨励しています。


じゃあ、国立競技場も既存杭を残して新築できるのか?って?

今の新国立競技場計画では出来ませんね。

引き抜くどころか、もっと大変なことになるんじゃないかと思っています。

なぜ既存杭を残すことができそうもないか、を引き続き4で解説します。


国立競技場の解体工事が決まらない理由 4

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既存杭がどのような影響を与えるのか?の続きです。

引き抜くとなると5000~1万本も存在し、
場合によっては杭の引き抜きだけで解体工事費の70億円を使い切ってしまうおそれがある、という話でした。

既存杭を撤去しないで残す場合は、古い杭が新しい建築の基礎の邪魔にならないように一定の深さまで取り去る必要があります。
そのうえで、少し離した場所に打つのです。

既存杭を生かすことを昨今は提唱されているということでしたが、その場合の方法の提案や実例も多くなってきました。


この方法は古い杭も新しい杭もみんなで支える、というものです。


そのために、単独で下向きにのみ効いていた古い杭を新規杭と横つなぎする基礎梁や一定の厚みをもった基礎板(スラブマット)
で杭頭をつないでいくのです。


この原理は下の写真を見ていただければ、ひと目でわかるでしょう。







基礎梁でつなぐことにより古い杭も新しい杭もみんなで支えていますね。




スラブマットっぽいのはこれです。


縦横に渡すことで杭がびっしり、面で支えています。



あと、周辺に余裕があればこのような工法もあります。


道路や橋などの1本柱にはぴったりです。

バットレスというのは脇から支える構造要素なのですが、日本建築ではあまり登場しなくて、ヨーロッパのゴシック聖堂などでは「フライングバットレス」として特徴的に使われています。


この「フライングバットレス」という言葉は、建築用語の中でも、「ネガティブフリクション」に次いで、バンド名にしたいカッコイイ言葉のひとつだと思っているんですけどね。

構造部のディテールが外側の露出させてあり、蝙蝠や翼竜の羽根の骨みたいで、荘厳かつ幻想的なイメージを生み出しています。


写真のシャルル大聖堂ではバットレスの先端にさらに棘を出したりしてあるため、構造要素がどこなのか見えにくいですから、これも分かりやすい例を写真で出しますと



下で支えているカギのついた棒、火消しのときに使った道具、鳶口(とびぐち)といいますが、その棒がフライングバットレスと同じ役目を果たしています。

いずれも、杭頭の水平変位に抵抗しようというものです。


実際に現在の国立競技場と新国立競技場案の平面的関係はどうなっているのでしょうか



「無駄にデカイ問題」はすでに多くの方々がご指摘されて、
皆さん十分に理解できているとおもうのですが
、やはりデカイですね。


なぜ、こんなものを進めていこうとしているのか本当に理解に苦しみます。

新国立競技場案で、国立競技場の既存杭を残置、もしくは再利用できそうなものなのか、
具体的に平面図上で重なり方を見てみましょうか


ぜんぜん、ダメですね。

無理です。

旧形状と重なり合う部分が半分もありません。

では、断面形状はどうなのでしょうか、

これが新国立競技場2014年5月28日時点の案です。
ちなみに、半年以上経過してもこれ以上進んでいるとの情報はありません。


で、現国立競技場の断面図。
青いところが躯体、赤いところが杭。


大きさを合わせてみましょう。


西側はグランド面に飲みこまれた上状態、
東側は地下室がぶつかっていますね。

それにしても、つくづくフザけた計画です。

東西方向ではまだこの程度の違いですが、南北方向になるともっと凄いことになります。


なんだ?これは。
大バカヤロー!


結局、2014年5月28日付けの新国立競技場案の断面図には肝心の基礎下周りが出ていないので、既存解体でどういう処理をするべきなのかよくわからないんですよね。

これは、きっと解体業者さんも同じで上物の解体だけでいいのか、基礎の下まで解体するのか、その場合どこまで解体するのか誰も的確に指示出してないんじゃないかと思うのです。

あと、一番謎なのがこの長手方向にある二カ所の下向きのヘッコミ部分なんですよ。

やっぱりやるつもりなんですかね、下向きの巨大アンカー。

この件も設計図が出てくる前に予測しましたよね。
参照:新国立競技場の基本設計が終わらない理由3

このようなエントリーを書いておりましたら、またまた有志の方が面白いものを送ってくださいました。

付近の地盤状況に関する情報です。


これが現在の姿ですが、地面の下はこうなっています。


外苑西通りは元は川でしたから低地、埋め立て(ピンク色)ですね。


明治時代の地図でははっきり川です。


初代競技場、初代の日本青年館、現在の東京体育館は徳川邸です。


前回のオリンピックの前までは外苑西通りがありません。


千住院下の千駄ヶ谷トンネルも登場して現在の姿にほぼ同じです。


元が川底ですが、地下15~16メートルで支持地盤出ますね。


ここも川底なんですが地下10mで一気にグラフが右に寄っています。

このグラフは右に寄ってる方が固い地盤であることを示します。

信濃町入口方向は地下20mからですね。

神宮球場のあたりも地下20mくらいです。
全体に東京都内でじゃ結構良い方の地盤です。

結局、今の新国立競技場計画の基礎下の処理はどうなりそうかといいますと、下図のようになります。

ピンクは現国立競技場の杭がからんでるところ、おそらく引き抜き。
薄紫が新国立競技場で杭打つか何か地盤触るところです。


断面図だとそのバカバカしさが少しやわらいでますが平面図で見ると、
こうなります。


えっ?

ほとんどじゃん、土地のほとんどの範囲を地下20mくらいまで掘り下げるのか、、、、

採掘現場みたいになるね。


いやあ、もうやめといた方がいいと思いますよ。
これは

もう改修でいいよ。
久米さんでいいですよ。

なんでJSCは建築のこと本当にわかってる久米設計を外して、
建築のこと知らない有識者なんかに任せたかなあ。


久米設計が国立競技場の主治医なんだから少なくとも診察の方針とかに関わってもらっていないと正しい治療が出来ないですよ。

上モノだけで建築じゃないんだから。

有識者会議に関わっている建築家は医者でいえば藪医者どころか、もはやモグリなんじゃないかとすら思えてきます。


では、国立競技場の耐震改修方法について、久米設計さんはどう考えていたのか。

現国立競技場の現状杭が鉛直方向にしか効いていないのをどのように耐震改修しようとしていたのかを見てみましょう。



久米設計と創業者の建築家久米権九郎については下記を予習しておいてください。



5につづく、
国立競技場の解体工事が決まらない理由」は5で終わり。

で隅田川スタジアム計画の続きをやります。


国立競技場の解体工事が決まらない理由 5

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現在の国立競技場をどのように解体できるかを検討することを通じて、
いかに当時の建設技術者の粋を集めて建設されているか


同時に当時の敗戦の焼野原から15~6年しかたっていない時期に、
ヨイトマケの唄にも歌われているように、重機などない人力の土木作業
様々なインフラ整備や民間工事の人出不足や急激なインフレの中で、
本来なら働き盛りであったはずの30代40代の男性を戦争で失った中で、


出来るだけ立派な出来るだけ簡素に出来るだけ無駄なく建設されているか、がご理解いただけたかと思います。

単に解体工事といってもやみくもにぶっ壊せばいいわけじゃないんです。

解体工事にも技術がいるのです。


同時に、解体を考えることで生きている建築のことも逆によく分かるのです。


解体といえば、「解体新書」という書物があります。
阿蘭陀(オランダ)語で「Anatomische Tabellen」(ターヘル・アナトミア)
といいます。


江戸時代後期1774年に日本語に翻訳されたことで有名です。
阿蘭陀語の辞書もなにもないい中で、
杉田玄白、前野良沢の二人で3年がかりで翻訳にこぎつけたものです。この解体新書の翻訳を通じて蘭学が進み、多くの西洋由来の書物が翻訳出版されるようになったという大業です。

同時に、医学の進歩も急速に進みました。

吉村昭さんの小説作品で「冬の鷹」というのがありますが、そのあたりの当時の二人の苦労をうかがい知ることができるでしょう。

杉田玄白と前野良沢は、刑場で処刑された罪人の腑分け(解剖)を申し出て人体の構造を知ろうとします。
それまでの漢方医療における経絡と施薬だけではどうしても治療できない病気や怪我をなんとかしたいという一念でした。


その時にターヘル・アナトミアで描写されている通りの臓器や骨格を目にしたことで、翻訳を決意することになるのです。


同様にして、国立競技場の解体工事が決まらない理由を理解することで、ではどうすればいいのか、、という久米設計の改修検討書が誰でも読み解ける準備が出来たというわけです。

では、いきますか。

国立競技場のターヘル・アナトミアです。


実は2008年の時点で現状がどのようであるかの検討がなされていました。
耐震補強にもいろいろな手法があるのですが、どのような方法論がもっともふさわしいかを検討しています。

ブロック合体の手法

結果はこれだけですべてが解決ではありませんが、偏心率が改善されるというものです。

偏心率というのは文字通り、心が偏っている、という意味です。
なんの心かといいますと、
建物には重心と剛芯というのがありまして、重心というのは全体の質量の中心です。剛心というのは強さのバランスの中心です。


この心がズレていると、力がかかったときに剛心回りに建物が回転してしまい、より大きな変位を起こすため、剛心と重心は一致している方がより健全な構造物になります。

例えば、ラグビーのスクラムで力と力が重心を一直線に結んでいる場合は押しあいですが、どこかが弱まってしまうとスクラムが回転して崩れてしまいますよね。そんなイメージです。

上記の検討は、まず偏心率を少なくして改善することを目指した検討です。

続いて基礎梁の増設効果の検討です。



これはやりましたね。上部構造にとっては足固めです。

基礎梁の増設は効果大です。
お神輿のかつぎ棒です。



これはあまり聞きなれないでしょう。「スリット効果」についてです。

このスリット入れるとなぜ耐震性が向上するのかというと、短柱を防ぐことで柱のせん断破壊を回避するいうものです。

参考:鹿島建設「柱はねばりが肝心」
http://www.kajima.co.jp/tech/seismic/hokyo/030623.html
この粘り強さのことを、靭帯の靭と同じ時を書きますが、
靭性(じんせい)を高めるように、といいます。

具体的には柱の根本や頭にくっついている腰壁や下がり壁にスリットを空けるのです。






この耐震スリットも効いていますね。

これはどういうことかというと、スキー靴っていうのは、とりあえず足首をガチっと固めてもらった方が安定して滑れますが、

転んだり、急な外力がかかったときに、板からバンって外れてもらわないとスネの骨を折りますよね。
これと同じように柱と梁の間での地震に抵抗するときの粘り強さの動きのためには多少のアソビがないと柱が折れてしまうのです。

この原理を逆に攻めに応用したものが、プロレス技では「アンクルホールド」ですね。


続いて免震装置の導入を検討しています。





免震とは、地震の揺れに耐えるのではなく、受け流す、いっしょに揺れる部分と本体を離す、ダンパーと言われる装置を使い揺れを吸収させることをいいます。

この検討結果で素晴らしいのは揺れを完全吸収という大げさな目的ではなく、免震作用によって、前述の重心剛心のずれ、偏心率を下げようとしているところですね。

結論としては効果はあるものの、二重基礎を構築する必要があるため大がかりな工事費用になることを憂慮しています。

建築というジャンルでは実験室でプロトタイプを作成して量産するようなプロダクトとは違いますから、エンジニアリングの判断の中にワーカビリチー(作業実行しやすさ)と経済性を考えることが出来る人が真の建築家と呼べると思います。

この耐震計画はただ単に外科的に手術でガンガン強くしようというのではなく、ひとつの手法効果が他の手法にも連携してトータルで効くような、いってみれば漢方薬のような統合的思想がはいっていて素晴らしいです。

今となっては新国立競技場案を比較するなら、なんの憂慮もない金額でしょうね。



次は純粋エンジニアリング判断ではなく、法学的な正当性に言及しています。基準法上の要求というのは、このルールを守っていればそれなりに正しい建築が出来る、というひとつの早見表でもあるんですが。



あっさり可能でした。

ここからはさらに、構造の専門家ならではの検討もされています。
それは、部分部分に分けられている国立競技場を完全に一体化してみたらどうなる?という検討です。





ここで大変興味深い検証がなされています。
杭にも関連した地盤の問題です。
この敷地はそもそも地盤が外苑西通り(元河川)向きに傾斜して流れていますからね。
改修でも新築でもそこが非常に重要なポイントでもあるわけです。

はい、これは熱による膨張にどう対処するかの検討です。

孫悟空の頭を締め付けるワッカのようなもので膨張による過度の引っ張り力にプレストレスかけるって書いてあります。

プレストレス導入というのは建築構造の手法の中でも、私がもっとも好きな方法論なのですが、内部応力をあらかじめ導入しておいて、一見静かに見えるにも関わらず思わぬ力を秘めさせる手法です。

「カイジの鉄骨渡り」でもやってるだろうと以前予測しました。
カイジの鉄骨渡りに関する建築的考察1


つづく?終わらせないと、、、




映画:みんなのアムステルダム美術館へ

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今週よりロードショーです。
『みんなのアムステルダム国立美術館へ』公式サイト


「10年も!閉館していた世界的美術館、そこでは何が起こっていたのか?」国立美術館の改装工事が、市民からの設計案への反対による騒動を追ったドキュメンタリー映画です。



ぜひご覧になってください素晴らしい映画ですよ。
カメラワークといい美術品の映像表現と人物描写。ドキュメンタリーとは思えないステーリー性と象徴性に詩的メッセージ。
美術館に限らず公共施設とは国民、市民にとっては大きな家でもあるのです。



この映画に推薦のコメントを寄せられた、山田五郎さん(評論家)、岩井希久子さん(絵画保存修復家)、襟川クロさん(映画パーソナリティー)、北川フラムさん(アートディレクター)、木下史青さん(東京国立博物館デザイン室長)、幅允孝さん(ブックディレクター)と錚々たる顔ぶれの皆さまの末席にて、

私の紹介コメントは以下です。

みんな本気で考えた。だから揉めた。
悩んで怒って呆れ果てた。
でも、みんな納得の美術館が出来上がったという
そんな素敵なお話しです。」




国立美術館という施設の意味や市民や国民の想いと地域文化、そして建築家や専門家の役割と職務に対する誠意、その場合の篤実な行政の役割、この映画を見ると、この建築が実は、美術館の姿をしたアムステルダム市民のための大きな家なんだってことがわかります。


試写会でのレビューはこちらにまとめてあります。
『みんなのアムステルダム国立美術館へ』を観てきました


この映画を見てもあらためて思いましたが
オリンピックスタジアムの問題についても

みんな本気で考えよう。
そして揉める。悩んで怒って呆れ果てるまで。
でも、みんな納得のスタジアムが出来上がるという
そんな素敵なお話しににましょうよ。

国立競技場の解体工事が決まらない理由 6

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現国立競技場の解体工事は大変なんだよ、の解説がつづいているさなか
昨日のことですが、選挙結果と関係あるのかないのか、
俺へのあてつけなのか、12月15日付けで

オスカー・ニーマイヤーさん死去(2012年12月5日)
12月15日生まれの建築家

他に12月15日生まれの気になる人は、
谷川俊太郎、早川義夫、ポール・シムノン、ホセ・カレーラス、近藤等則、松尾スズキとかかな


とりあえず次のような報道。

国立競技場の解体業者、決定 取り壊しは年明けに

東京五輪のメイン会場として建て替えられる国立競技場の解体業者が15日、決まった。事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)は、2工区に分けて発注した競技場南側の業者として、関東建設興業(埼玉県行田市)と約15億円で契約したと発表した。当初7月開始予定だった取り壊しは、年明けになる見込み。
 JSCは8月、2回目の南工区の発注で関東建設興業と約18億6千万円で契約を結んだが、手続きミスを指摘され入札をやり直した。今月2日にあった3回目の開札では、複数業者の応札額が最低基準価格を下回り、適正な工事が出来るか調査していた。落札額が前回より3・6億円安くなったのは、工事で出るゴミをJSC側が処分するなどの内容に変えたためという。北工区はJSCが業者を調査しており未決定。

朝日新聞
http://www.asahi.com/articles/ASGDH5WCGGDHUTQP01B.html

JSCのHPでも発表されています。






どこが落とすのかなあ、、と思ってましたら
なんと!
再度、埼玉県は行田市の関東建設興業さんでしたね。

でも、確か前回の2回目入札で官製談合うんぬんで調査と捜査をおこなっているとかいないとか、そしてその報告もないままなんですけどね。

で、因縁のフジムラさんがまたしても二着。

その辺については、私の知識の管轄外ですから現時点で何も申し上げることはないわけですが

これまでの解説で解体工事というのも現場の状況をよく調べ、次に何が建つのか、を考えて壊さないと大変なのが事実です。

建築業における解体工事の市場規模は、除却届を提出しているものが年間2500万㎡程度といわれており、実際は軽微なものを含めてその倍5000万㎡くらい、5000億円規模の業界といわれております。

ひとくちに、解体工事業者といいましてもふたつの在り様があります。

ひとつめは、建設業許可の管轄の総合建設土木業の全体の中で500万円以上の解体工事をやる業者→これは建設業許可業者。
ふたつめは、建設リサイクル法で登録している500万円以下の軽微な解体工事をおこなう業者→これが解体工事業者。

全国で1万社ほどの解体業者がいますが、後者がその8割を占めています。

結果として全社約2千社の建設業許可の解体業者、元請けポジションの会社があり、大型の公共案件等では大手、中堅、中小ゼネコンが受注したものを、下請け、孫請けに流していくという重層構造になっています。

一時、その社歌で有名になった日本ブレイク工業という会社がありました。解体業をもっと世に知らしめようということでずいぶん有名になりましが、同様にそんなに大きな会社ではありませんでした。残念なことに経営破たんしてしまったようです。

「天体戦士サンレッドのテーマ曲」も歌われている萬Zさんの「日本ブレイク工業社歌」好きだったんですけどね。




そのような解体工事業界ですが、

1500社が加盟している業界団体「社団法人全国解体工事業団体連合会」から社団法人全国解体工事業団体連合会提出資料 - 環境省なる資料が提出されており、業界の事情がよくわかります。

また東京都内の解体業者団体一般社団法人東京建物解体協会はHPもありまして、都内解体工事業の正会員企業さんが並んでいます。


足立区
 永島工業(株) [専務理事]
 (有)大内解体工業所 
 (株)三田土木 
 (株)黒姫 [監事
 春日解体工業(株) 
 川口解体工業(株) [理事] 
 麻生土木(株) 
 (株)カシモト 
 (株)萩生田商事
 (株)東陽クラブトウェンティワン 
 (㈱)明世建設
 (株)新政工業

大田区
 京浜運送(株) 
 金沢商店(株) 
 酒井建設工業(株) 
 カイタイ工業
 (株)伊藤解体工業 
 (株)八重洲組
 リプロ興業(株)
 板原工業(株)

北区
 ハウスブレーカー工業(株)
 南雲興業(株)
 津久波工業(株) [理事]
 (株)髙山工業 [会長] 
 深澤工業(株) 
 定山鋼材(株)
 髙成建設工業(株)

墨田区
 (株)高野工業所 
 (株)アサバ 
 (株)タジマコーポレーション 
 (株)柳原解体 
 (株)中橋工務店 [副会長] 
 三和解体工業(株) [理事]
 (株)丸初田中興業 
 木山興産(株)
 ベステラ(株)
 オカコー(㈱)東京支店

江戸川区
 桂興産(株) 
 (有)ホリグチ工務店 
 西川金属(株) 
 (株)フジムラ 
 (株)チップ興業
 (有)力開発

台東区
 大竹工業(株)
 (株)東京解体工事工業所 
 関東建設興業(株)東京支店 
 永井産業(株)

千代田区
 (株)阿野組
 (株)高橋工務店 [副会長]
 (株)光解体 
 (株)エコシスホールディングス

新宿区
 (株)内村工業 
 (株)ライフエコロジー
 (株)あさひコーポレーション
 互恵建設(株)

品川区
 (株)小林商店 [理事] 
 新栄興業(株) [理事]

港区
 東亜道路工業(株)
 (株)マツヒロ 
 新東洋土木(㈱)

中央区
 (株)大都 東京支店

渋谷区
  東京造園(株) 
 豊島区関東路材(株) 
 (株)杉山工事 

板橋区
 都商事(株) [理事]
 (株)六大工業

荒川区
 AOKI(株) 
 (株)関野工務店 

江東区
 (株)ナベカヰ 

世田谷区
 (株)未来  

杉並区
 山口工業(株) 
 (株)アーバン黒岡工業 [監事]
 (株)日向興発 
 (株)NIKKO

練馬区
 (株)朝日重機 
 (株)TNK 
 (株)サカキ重機

文京区
 (株)アサノ大成基礎エンジニアリング

武蔵野市
 (株)大島屋

三鷹市
(株)丸利根アペックス

府中市
 池田土木(株) [理事]
 (有)御幸工業 
 
国分寺市
 三和建設(株)
      
立川市
 (株)エコワス

多摩市
 (株)ジャパン・リサイクル・システム

東村山市
 古酒建設工業(株)

町田市
 アスベックス(株)   

あきる野市
 (株)三浦屋興業

稲城市
(株)川上商店

市川市
(株)枝川工業

所沢市
(株)ユーワ


都内の解体業者もいっぱいいるのに、彼らは今回は受注できないんですかね。それとも関東建設興業の下請けやるのかなあ。

そもそも、本来ならゼネコンが元請けに入るのが順当な大工事だと思うんですけどね。

この「社団法人全国解体工事業団体連合会」と「一般社団法人東京建築解体協会」両方で会長を務められているのが、北区の(株)高山工業ですが、HPの実績欄を拝見いたしますと、確かに両団体の会長というだけの実績です。

特に、平成に入ってからの都内の主だった解体工事実績が凄いですね。大型開発案件、インフラ系でも大活躍されています。

平成~

日本たばこ産業泰野工場 ジェイティ本社ビル 安田倉庫本館ビル
中央合同庁舎赤レンガ棟 日本郵船品川倉庫 東京国際フォーラム
ジェイティ古河倉庫 羽田国際空港ターミナル 成田第一ターミナル北棟サテライトフィンガー 勝永溜池ビル 川崎競馬場 永田町二丁目 日本都市センター会館 
聖路加国際病院 東海大付属高輪高校 ガレリア・ユギ 旧丸ビル 池坊御茶ノ水学院
帝蚕倉庫 日本精工多摩川工場 旧江東清掃工場 キリンビール東京工場 
第一ホテル大森 生涯学習センター ニッピ 明治製菓京橋本社ビル 東京ホテル浦島
日本フィルター朝霞 合同庁舎7号館 ニューロッテプラザ JR病院 芝浦4丁目計画
代々木ゼミナール 丸の内二丁目 御茶ノ水セントラル 六本木1丁目 丸の内2丁目計画新築工事躯体内装解体工事 御茶ノ水セントラルビル解体工事 御茶ノ水セントラルビル
解体工事(地上部)解体-2(躯体解体) 新日鐵ビル全館改修計画内装解体工事
KS4-6計画解体(地下部)他工事解体-1(本体解体) 東京都美術館改修工事 真如苑総本部改修工事 大伝馬町ビル解体工事 京王吉祥寺ビル解体工事 北品川5丁目再開発赤坂プリンスホテル解体工事 そごう八王子店内装解体工事 都立大泉高校解体工事
鉄鋼ビル解体工事 羽田国際線ターミナル ヒューリック新宿ビル 他


さらに本年のことですが、「解体工事業」は「とび・土工・コンクリート工事」から分離独立して、許可業種のひとつに昇格しました。

日刊建設工業新聞より
国土交通省は、建設業法で定める建設業の許可業種区分に「解体工事」を新設する。現行28業種に新区分を追加する業法改正案を24日開会の通常国会に提出する。許可業種区分の見直しは、1971年に建設業を登録制から許可制に切り替えて現行区分を設定して以来43年ぶりとなる。
この全解工連(全国解体工事業団体連合会)の会長、高山眞幸氏は「循環型社会を構築するため、解体工事業の知識と技術の必要性を訴えてきた」と感慨深かったそうです。
http://www.decn.co.jp/?p=4240

というように、解体工事も建築ストック活用、資源の再利用や廃棄物の適切な処理も含めて循環型社会における建築工事技術上の重要な役割と認識されたわけです。

といった全解工連会長の尽力と無関係のところで、なんだか焦りに焦って、やみくもに決めたことにした!決まったと上の者に報告したいんです!といった風のある国立競技場の解体工事業者決定の報です。

まず、工区割が間違っている。


これまで、地盤や杭や基礎の問題を見てきた今では誰でも分かりますよね。
これが現国立競技場の復元立面図です。(久米設計作成)


この建物は敷地が西に向かって下がっているんです。
同時に基礎の状況も南北ではなく東西で違うんです。

同時に、地上部だけを壊しても意味はない。
地下がある、杭がある。

だから、正しい工区割はこう!


しかも、報道で発表されたように想定解体費用の18億に対し、
13億円で落札し、だけど契約が15億ってなんだ?それ?
中身を見せろ!
消費税?デカいなあ。

同時に、一番妙なのが解体処分費用をJSCもち?だから値段が下がる?
処分しないで敷地処理というのなら減るというのは理解できるが、

処分費用別立てって
なんにも下がってねえじゃん!

むしろ、これからもっと増えるじゃん!

もしや、、、処分場見つかってないまま応札させたのか?

全解工連さんたちにちゃんと筋通して入札してんのか?
東京建築解体協会とかに話つけてる?

それに、今の入札額には俺がもっとも心配している杭の処理代金入ってないぞ。

これ、年越しまでのゴマカシなんじゃないんでしょうか。
それで文科省もJSCの中の人も異動の辞令を待ってるのかな。

そもそも二回目の入札での不可解な状況について多くの人は理解できていないと思うのです。

10月6日の東京新聞の記事をご紹介しておきます。


東京新聞(10月6日)
国立解体 不可解対応 入札やり直し 入札前日に費用内訳開封

http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/tokyo_olympic2020/list/CK2014100602100016.html



記事の引用

七月の再入札では、両工区に延べ十三社が参加。JSCは、入札前日から不可解な動きを見せていた。入札参加業者が入札書と工事費内訳書を持参し 七月の再入札では、両工区に延べ十三社が参加。JSCは、入札前日から不可解な動きを見せていた。入札参加業者が入札書と工事費内訳書を持参した際、入札前にもかかわらず、JSCの担当者が開封して中身を確認したのだった。

 「いきなり封を開けて中身を見たので『えっ』と思った」。業者の一人は目を疑ったという。内訳書を見れば、業者の入札額が分かるからだ。しかもJSCは同じ日に予定価格を決めた。業者側は「各社の入札額を先に確認してから、予定価格を決めたと疑われても仕方ない」と批判する。

 そして入札当日。両工区とも最低価格を提示したのは都内の業者だったが、JSCは「特別重点調査」の対象として契約は保留。南工区では二番目に低い価格を示した都内の別の業者も調査の対象とした。

 特別重点調査は、過度な安値落札による手抜き工事や「下請けいじめ」を防ぐため、国土交通省が二〇〇六年に導入した制度。過度なダンピングの疑いがあれば、発注側は業者から積算根拠などの説明を求め、合否を決める。国交省によると、同省が一二年度に発注した公共工事約九千件のうち、特別重点調査の対象はわずか五件で、うち失格は一件だけだった。

 調査に対し、両社とも大量の追加資料を提出し、見積もりの正当性を主張したが、失格。「JSCの調査は書類の形式的な不備などを挙げるだけで、具体的な指摘はなかった」と口をそろえる。国交省の担当者は「業者にとっては死活問題なので丁寧に調査する。書類の不備で失格とすることはない」と説明する。

 結局、南北二つの工区で両社の次に低価格を提示した埼玉県内の業者が落札した。落札額は計三十八億七千百八十万円(税込み)。最低価格を提示しながら失格となった業者が、検討委に苦情を申し立てていた。

特別重点調査の方法や内容について、JSCの担当者は本紙の取材に「国交省と同じ基準で適正に判断している。この低価格では適切な工事ができない恐れがあると判断した場合、失格としている」と説明。七月の入札で二社を失格とした理由については「どこが駄目だったかということは、業者の不利益につながるので言えない」と答えた。


五十嵐敬喜(たかよし)法政大名誉教授(公共事業論)の話 五月の入札は業者の入札金額が高すぎてやり直しになったのに、七月の再入札では安い価格を入れた業者を十分な説明もなく失格としており、不可解だ。検討委の指摘は形式的な手続きの問題点にとどまるが、JSCに入札のやり直しを提案したのは、それだけ疑惑が濃いということだろう。国会で追及すべき問題だ。

引用終わり

この記事を読んでもらえれば明らかなように、JSCが何をやったかといいますと

1.入札前に、各工事会社の見積もり金額を見た。

2.その後で予定価格を決めた。

3.北工区、南工区ともにもっとも安い入札額を示したのはフジムラ、次が関口興業

4.フジムラと関口に「書類の不備」と難癖をつけた。(国交省はありえないこと)

5.一番、二番を失格にして、関東建設興業に決定と発表。

6.フジムラが苦情申し立て、官製談合の疑いありとして捜査

以上の結果、三度目の入札となったわけなんですが今回は関口興業もみんな降りていて、再入札に参加しているのはフジムラと大和小田急建設と前田産業だけなんですよね。

ただ、ここで二回目の入札結果を再度見てみると、難しい解体工事の現場管理体制やその後の新築との連携を考えるなら、本来ならゼネコンの安藤・ハザマが順当なんですよね。
で、低入札でもいいから選ぶとすると、大和小田急建設なんですよ。

7月の強引な落札結果とそのプロセスを見る限り、JSCさんといえども役人さんなので、本来の性向なら、ここまで目立つ横車というか無理な行動、さらには捜査対象となるような危険な行為はまっさきに避ける、逃げるはずの人たちのはずなんですよねえ。

それが決死の覚悟で関東建設興業に落とさせたうえで、経緯の公開もないまま、三回目の入札でも決行しているその動機というか、思い切りの良さったら、政治家の行動に近くて役人であるところのJSCっぽくないんですよ。

何か確変したんですかね。

もし、そこまでの思い切りというか度胸が出てきたのなら、是非ここはさらに確変して、計画の見直しくらいまで言及してほしいものです。

以上。

久米設計の改修案の肝や概要の解説は別シリーズでやります。

オリンピックは大丈夫なのか? 14

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いよいよ、ラグビーワールドカップ2019、
そして東京オリンピック2020に向けて、
都内待望の球技専用スタジアムの建設可能性について

仮称)隅田川スタジアム(ETUにするなら)
仮称)浅草スタジアム(外国の方にはこちらのほうがいいかも)
仮称)ミズベリースタジアム(こんな意見も出てました)

の建設計画を検討してみたいと思います。


候補地はここ、


台東区リバーサイドスポーツセンターです。



で、いきなりスタジアムの外観を考えるんじゃなくて、
検討を合理的に進めるためのシンプルな形状を与えてみます。

ガンバスタジアムとかもこっからスタートしていますよね。

実は、スタジアムは最終的にどんなに変わった形状にしようとも、
サッカーのピッチの大きさと形状が決まっているわけですから、
まず上記の配置がスタートラインなんです。

で、この平面計画をスタンド傾斜を考慮して3D化するとこうなります。


観客席の最初の部分です。
スタンドの段数は30段くらい

これで収容人員は1万8000から2万人くらいまでいけます。

とりあえず敷地に置いてみましょう。



おっ?
入らなくもない、むしろ入る。

ちょっと工夫が必要な感じしますね。

つづく

オリンピックは大丈夫なのか?15

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東京オリンピックをイーストトウキョウで!浅草主体で!江戸情緒で!
大江戸オリンピックを!の続きです。

二万人規模のスタジアムならこうでした。



では、4万人規模の場合はどうなんでしょうか?




どうやら4万人超えて5万人規模にはもっていけそうです。

ちょっとキツイですかねえ。

敷地にキチキチにみえますが、片側は隅田川ですからね。
はみ出したっていんです。

外苑のザハ案なんか敷地ギチギチで逃げ場もなく道路も鉄道もはみ出してたんですから


隅田川には現在18の橋がかかっています。

まず、重要文化財としての永代橋、勝鬨橋、清州橋です。


戦前に掛けられた東京都選定の歴史建造物に指定された橋もあります。蔵前橋、白髭橋、厩橋、両国橋、駒形橋、言問橋、吾妻橋、千住大橋です。

この敷地は台東区と墨田区を川を挟んで結ぶ歩行者専用の橋ですが、めずらしいX橋として有名です。


この橋の正面にスタジアムを設定できればなかなか絵になりそうですよね。

その辺も考慮した配置計画はこんな感じです。



スタンドの断面計画はこんな感じです。



競技場ピッチをそのまま素直に囲みこんでスタンドを配置し屋根を掛けたスタジアムの姿はこのようになります。

シンプル イズ ベスト といった感じの構成ですが
どことなく和風の雰囲気がただよってきました。

隅田川をわたる桜橋からアプローチしてみましょう。


引き続き、次々と隅田川スタジアム案の写真をUPしてみたいと思います。


オリンピックをイーストトウキョウへ 1

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次の東京オリンピックは江戸情緒でおもてなし提案についてです。
「オリンピックは大丈夫なのか?」シリーズ全15回において、リアル「ジャイアント キリング」隅田川スタジアム計画というものを検証してみました。

こんな感じに








場所は東京下町を代表する観光地浅草からも近く、東京スカイツリーの目の前、隅田川も流れ、春には桜、夏には花火、落語にも登場する数多くの名所にも恵まれています。





いまだに海外からの観光客にも一番の人気スポットです。




川面に面したウォーターフロントといっても、湾岸エリアのような近代に埋め立てでつくられた、ヒューマンスケールを大きく逸脱した巨大な区画と広すぎる道路ではなく、古くからの江戸の文化が根付くところが魅力です。


ところが、戦後は繁華街や若者文化の中心が、ベッドタウン開発により私鉄の始発駅である新宿や渋谷などの西へ移動し、ちょっとさびしくなっています。




でもこの辺は東京駅を中心として考えた場合に、半径4キロ圏内なんです。四谷や六本木、浜松町ぐらいなものです。


この東京の交通網の地図を見ていただいても一目瞭然なのですが、江戸城、現皇居を中心に放射状にのびる路線に対し、リングが足りないんです。

蜘蛛の巣でいえば、こんな状態です。

リバプールFCスクール完成しました。

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古い公共施設を活かしてつかおうの事例として、以前記事でご紹介していましたリバプールFCサッカースクール計画ですが
 参照:将来のサッカー日本代表が生まれるかも


出来ました。

こんな感じです。


ちょうど夕暮れがせまる日没前でしたので西日を受けて、芝生にリバプールレッドの色彩が映えてました。




完成した姿を見れば、なにか初めからサッカーFCのクラブハウスにしか見えませんが、この建物は元々千葉県南房総市の旧丸山中学校の技術家庭教室だったんです。

過去最も多いときで700人の生徒数だったそうですが、近年の少子化の影響で生徒数は100人近くまで減少していました。

この学校敷地は平成17年に移転し、新丸山中学校として立派な新校舎が建設されていましたが、その丸山中学校も今年平成24年で閉校して、再統合により嶺南中学校が開校されています。

最初見に行ったときは、こんな感じでした。


構造は鉄骨、外壁はALC
(発泡軽量コンクリート板)で外装も塗装の剥がれやカビ等によりかなり傷んでおり、サッシ関係も枠が曲がったりして建付けも悪くなっていました。


内部は雨漏りしてました。机の上のバケツがそれを物語っています。



壁面にはなつかしい技術家庭の授業で使う機械や電気関係の資料関係がかかっていますね。
この自転車の標本は昭和30年代のマルキン号ではないでしょうか

とまあ、このような状態から、どうしたものか、、で始まったプロジェクトだったんです。

南房総市って聞いても千葉県の人でないと、にわかにはどこにあるかわかりませんよね。市町村合併で生まれた新しい市なんです。

場所は房総半島のほぼ先端に近いところです。





こういう地図を見ますと戦国RPG「信長の野望」を思い出しまして、なんか館山を包囲して攻め込みそうな勢いですが、館山市も南房総市もがっちり戦国大名里見氏の所領です。
里見氏といえば滝沢馬琴による江戸時代の長編伝奇小説「南総里見八犬伝」で有名です。


と、南房総の歴史に酔っててもしょうがないんですが、なんとか限られた予算で既存施設をうまく再利用しようということでこんな提案をしておりました。




着工後は、施工に携わる方々の頑張りにより




無事完成にいたりました。
旧丸山中学校ご出身の職人さんも電気や設備や仕上げ工事に関わっていただいてました。








リバプールFCサッカースクールHP
リバプールFCよりコーチが来られてサッカーを教示するだけでなく、英語の勉強も同時に出来てしまうというのが素晴らしいと思います。
開校の募集に既に応募がかなり集まっているとのことです。

スクールの企画・運営組織の株式会社Sports Management Internationalさん記者会見の様子です。




少子化でどんどん学校がなくなっていくのはさびしいものですが、こうして古い校舎がかつての思い出を残しながらレガシーを継承しながら再生されて、町に新たな事業を興し、同時に国際文化交流の場になるなんて、とっても素晴らしいことです。

ほんとに小さな建物ですが、地元の子供たちの将来に大きな夢を与えてくれることを願っています。


それではみなさま良いお年を!

来年も常時フルスロットルで頑張っていきたいと思います。

PR: 選ばない、だまされない 模倣品・海賊版-政府ITV

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犯罪組織の手助けをしてしまうかも!偽物を選ばない、だまされないための注意点とは?

安藤忠雄研究5

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安藤忠雄研究1 「安藤忠雄」がもはや、ひとつのジャンルである。
安藤忠雄研究2 「安藤忠雄」は実は独学ではない。水谷頴介さんが師匠
安藤忠雄研究3 「安藤忠雄」の先行者たち。RC打ち放しの先達三人衆
安藤忠雄研究4 「安藤忠雄」のキャッチフレーズ、「都市、個人、光」とは


安藤忠雄研究の5です。

今、発売中の建築専門誌「GA JAPAN」の132号でビックリすることが起きました。それは連載記事「二川幸夫の眼」に鈴木恂先生が登場されていることなんです。

このGA 132はですね「買い」なんです。

今、卒業設計や卒業論文を作成中の建築学科の学生は、こんな俺のブログを無料で読んでいる場合ではないんです。
すぐ買いに走ってください。

お正月の放映された番組「建築は知っている」にも登場されている藤村龍至さんと隈研吾さんが、日本の建築界の今と将来を占うといった趣旨で対談されているだけでなく、安藤忠雄さんの上海の劇場と磯崎新さんの上海のホールが並んで掲載されているという号なのですが、槇文彦さんや谷口吉夫さんの新作は次号で紹介するのでしょうか。
だとすると、編集方針だけで現状を批評していこうという意味で、凄い詰将棋というか詰め碁のような展開になるのですが。

GA JAPAN132
http://www.ga-ada.co.jp/japanese/ga_japan/img/ad/201412_GAJ.jpg



鈴木恂が二川幸夫を語る!といわれても、建築関係者以外、いやいや建築関係者であってもかな~りマニアックな意匠作家主義者、しかも鈴木恂氏が若手建築家の超絶ホープで建築雑誌をガンガン賑わしていたのは30年も40年も前のことでもあるし、なんのことやら、ですよね。

しかし、今の建築学生たちでもGAギャラリーはよく知っていると思うんです。
鈴木恂氏はこの建物の設計者です。
そして、幾何学的純度の高いRC打ち放し建築を日本で初めて実現したひとです。


その鈴木恂先生は私の大学時代(建築学科)の恩師でもあるのですが、建築写真家で編集者でもあるGA創業者の二川幸夫さんとの蜜月時代のお話しを決してされたことがなかったんです。

これは凄い謎でした。
また聞ける雰囲気ではなかった。


また、続きを書きますね。








安藤忠雄研究6

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安藤忠雄研究1 「安藤忠雄」がもはや、ひとつのジャンルである。
安藤忠雄研究2 「安藤忠雄」は実は独学ではない。水谷頴介さんが師匠
安藤忠雄研究3 「安藤忠雄」の先行者たち。RC打ち放しの先達三人衆
安藤忠雄研究4 「安藤忠雄」のキャッチフレーズ、「都市、個人、光」とは
安藤忠雄研究5 「安藤忠雄」のミニマリズムのルーツ鈴木恂建築の凄さ


安藤忠雄研究の6です。

ということで、初期鈴木恂建築をもう少しみてみましょうか

KAH6606石亀邸という作品があります。
INAXレポートに解説もありますが、http://inaxreport.info/no187/feature2.html

活き活きとした世界中の子供たちの写真で有名な写真家の石亀秦郎さんのご自宅です。http://www.ishigame-office.com/index.html

ここでは、大きなボリュームを食い破る空間とはめ込まれたガラスのキューブといった非常に彫刻的な構成が見てとれますね。



ここでも、ソル・ルイットにかなり先行しています。


鈴木恂はほぼ同時代にこのような空間とボリュームの実験的表現に取り組んでいましたが、今の現代建築というのは、この1960年代から1970年代にかけて、現代美術界に衝撃を与えたミニマルアートやプライマルストラクチャーから多分に影響を受けている、むしろもってきちゃってる人が多いのです。

たとえば、プライマルストラクチャーの代表的作家のひとり
ロナルド・ブレイデン(Ronald Bladen)1966年作品




おなじくプライマルストラクチャーの作家
ロバート・グローズブナー(Robert Grosvenor)の作品




こないだのザハ展の展示風景みたいでしょ?


私が何を言いたいかというと、ザハがパクッてるとか現代アートからアイデアを持ってきていると言いたいのではなく、建築ではタイムリーに同時代性をもった作品を生み出すのは非常に難しいということなんです。

極端な例をあげると、吟遊詩人とか歌、俳句はその場で思っていることを瞬間に表現できますよね。
次がインプロヴィゼーションのジャズとか楽器をつかった音楽表現でしょうか。
そこまで、オンタイムじゃなくても自己の責任で制作したりできる文芸や絵画、彫刻くらいまでなら時代の動きに追従可能なんですが、建築はね。
無理。

急いでも2年は他ジャンルの流行、時代の雰囲気から遅れる。

普通は計画依頼段階から完成まで大型案件なら4年くらい、しかも完成からメディア発表までさらに数カ月、1年ほど。
つまりは、5年くらいのギャップが発生するんですよ。

だから、建築表現は時代にアイデアとして5年先行するか、行き過ぎたアイデアは逆に評価は5年くらい遅れてくるもんなんです。

そういった意味では、真に新しいことや真に新しいモノを作ろうとする人はいないんです。
既に評価がある程度定まった表現形式から一歩も二歩も遅れて、場合によっては4歩くらい遅れてパクる、導入してる人の方が賢いという事実があります。

それを考えるとこの70年前後の鈴木恂テイストというのは他に突出して、むしろ周囲から浮いていたとさへいえるんですよね。

だから、鈴木恂の真価は見えにくかったはずなんですけど、そこで植田実と「都市住宅」なんです。
http://inaxreport.info/data/INAX170_15_37.pdf


この「都市住宅」という雑誌については以前から何度かご紹介していますが、「住宅から都市を考える、結果、人と社会を考えることになる」という意味では、今考えてみれば総合文化誌といっていいでしょう。
参考:建築専門雑誌がなぜ廃刊に追い込まれるか 3

ここで、鈴木恂は3回も特集記事が組まれています。
昭和46年、52年、59年のことです。
しかも、「都市住宅」誌は基本作家個人の作品集的な号は出さないんです。異例のことなんですよ。

その頃の建築家はですね、現代以上に、いわゆるソーシャルアーキテクトを標榜としている人がいっぱいいました。

社会における建築と建築家の意義を考える系の、目の前の社会問題を解決したい系の、市民運動の延長としての建築家像を模索する系の、資本主義文明と工業化社会の行き着く先を憂う系の若手建築家がごちゃまんと居た。

むしろ、そっちしかいないと言ってもいいくらい。
「賛成の反対の賛成なのだ!」とかいう建築家がいっぱいいたんですよ。

その中で、ニュース新聞で目に付くような社会現象とは距離をとって、世界中の民家や遺跡を見てあるきながらも、それらの異国趣味を直接取り入れるのでもなく。

特定の同時代の建築家にリスペクトするのでもなく、自己表現的住宅で芸術家ぶるのでもなく、自己の夢想する巨大建築のひな形を住宅で試すのでもなく、過去でも現在でも未来でもない建築。

人の知覚する空間を現存在として現前させるような建築、何かに律しられた生活=空間のかたち、ともいうべき普遍的な価値要素を、光と影に還元集約した建築の殻と生活の力が心即体と合一したような建築。

それを、もっとも明確に表現し、いかなるシーンでも世俗的意味を濾過して同質に構築するための素材として最適化した具体の素材としての、コンクリート打ち放し建築を標榜していました。

それくらい、当時の鈴木恂は独自の「MAKOTO WORLD」を築いていたわけです。

ですから、鈴木恂さんに住宅を依頼されたお施主さんはご自身も芸術家の方が多いです。

下記のSIH 7311 という住宅の写真ですが
大空間の端っこに取られた半円のトップライトから大きく太陽が入り込んでますよね。
単純に見える部屋が日時計というか、光のインスタレーションといってもいいのではないでしょうか。
このような表現というかコンセプトは単純に芸術としての建築とも、仕掛けられたギミックとも言い難い、陽の光だけによって何かの崇高さが生じているという不思議な住宅です。
芸術家のアトリエと聞いています。


何もない空間に太陽がある。
ここから住手がどのように住みこなすか、、がテーマ

とまあ、このような厳しいの優しいのかわからないツンデれな建築でもあります。

「新国立競技場、問題の焦点」建築ジャーナル 2015 2月号

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ザハ・ハディドのデザインなのか、強引な都市計画決定なのか、巨大すぎる国家事業としての公共工事のあり方なのか、企画の稚拙か、はたまた審査員のリーダーシップなのか。「新国立競技場、問題の焦点」建築ジャーナル 2015 2月号



誤記のお詫び:「新国立競技場、問題の焦点」建築ジャーナル 2015 2月号 …の私記事中におきまして間違いがありました。既存国立競技場の改修案を提出されたのは、伊東豊雄先生、大野秀敏先生、今川憲英先生です。 読者の方々、関係者の皆様に深くお詫び申し上げます。

オリンピックをイーストトウキョウへ 2

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東京オリンピックを東地区に寄せることで何が出来そうかの続きです。

非常に興味深い計画が2000年に当時の運輸大臣の諮問機関「運輸政策審議会」にて答申されています。
それは「エイトライナー・メトロセブン構想」です。


環状8号線道路、環状7号線道路の下に地下鉄を通そうというものです。
この計画、10年以上前に出されたものの宙に浮いていると思われてるらしいのですが、違います。昨年も検討調査発表をおこなっています。
そして、来年度平成27年に第二回の答申を控えている計画なのです。

都市建設1 エイトライナー促進協議会の実施結果について
www.city.itabashi.tokyo.jp/c_kurashi/064/.../attach_64453_10.pdf


検討資料にありますように、いまのところ全区間の総費用は1兆円を超える見込みになっています。
が、スマートリニアメトロ方式の採用により1割くらいの費用縮減も検討されているようですね。
http://www.jametro.or.jp/linear/

これをですね、先行部分開通させてみてはどうかと思うのです。
東西の両翼部分「亀有~葛西臨界公園」15キロと「荻窪~武蔵小杉」キロの部分です。
全体で60キロメートル1兆円なら、とりあえず半分の5000億円ですよね。
しかも、これは新国立競技場計画のようなフル税金ではないんです。
確実に利用者がいますからね。


蜘蛛の巣の横糸が少し増えました。
が、まだ東側はスカスカです。
同時に、エイトライナーはかなり外走っていますね。
これを見ても、
実は東京の都市開発は西に寄り過ぎていることがわかります。

とりあえず、これくらいにしはしたい、というのが下図です。

西側は将来メトロセブンが分岐して伸びていくことで地下鉄化できそうですが、東側の赤いラインこれは荒川沿いなんです。

川かあ、、川じゃなあ、、と思われるでしょう?

ところがですね、もしかしたら川で良かったのかもしれないんです。

そこでもイーストロンドンオリンピックが参考になるのですが、、

ロンドンはですね、都市の中にロープウェイを走らせたんです。


これを荒川沿いに走らせましょう。

これが荒川なんですけど


隅田川とは違ったひとまわり大きなスケール感ですよね。

これがイーストロンドンに出来たロープウェイ「エミレーツエアライン」です。今ではすっかり観光名所らしいですね。


なんかシチュエーションが近いんだけど、、セイムシチュエーションなんですけど、、、

ロープウェイは通常の交通網ではちょっと使いずらいという声もあるかもしれません。
モノレールの方がいいかなあ

で、ですね公共交通網のコスト比較の資料を見つけました。
(国土交通省)
wwwtb.mlit.go.jp/chubu/kikaku/chikousin/toshin2/toshin2_shiryo5.pdf





ひきつづき、荒川河川沿いにどんな交通網を整備するべきか検討していきましょう。

で、荒川についてなんですけど、
実は!荒川は自然の川ではない!って聞いたら、
えええー!っとにわかには信じられないですよね。

土木好き、土木応援団を自称する私でも「荒川が人工の河川」ってしったときは、うなりました。
すげえと、信じらんねえと。

というのもですね、それって運河でしょう?
運河っていえば、そりゃもう大変な工事なんですよ。

中国の歴史でも神になった
禹王(うおう)は黄河の治水に成功した伝説の人です。圧倒的な科学力をもちながら非攻を貫き城を守ったといわれる墨家も、この人々を救う難事業に挑んだ禹王を大禹と呼び尊崇していたといいます。

ただ掘ればいいってもんじゃないですからね、掘っって水を流すんですから、しかも上流から下流まで綺麗に流すっていうのは至難の業でしょう。
近現代でも運河は大変なんです。

スエズ運河を拡張せよ 五洋建設の挑戦part1
スエズ運河を拡張せよ 五洋建設の挑戦part2
スエズ運河を拡張せよ 五洋建設の挑戦part3



しかも、この荒川づくり、江戸時代と明治時代にわたってやってます。

荒川沿いに交通網を整備することの意義を問う意味でも、先人たちの自然との闘い、技と汗と苦労の歴史、荒川をコントロールしようと挑戦した江戸の土建屋の心意気を汲み取るためにも

ちょっと荒川の歴史をひもといてみましょう。

その前に、現代の私たちから見る川と明治以前の川の役割はずいぶん違うということを理解しておかなくてはなりません。

昔は、川は今で言う道路、それも高速道路みたいなものなのです。
なぜかというと、鉄道やトラック輸送が整備されるまでは物資の輸送は船に頼っていたからです。
江戸の街が出来上がったころも、各町の主要な船着場と運河、水路を整備しています。
そうでないと、材木とか食料とかの重量物や大きな物資を運び込むことができないからなんですね。

上の図の青いところが水路です。
で、当時の最大の輸送船が千石船です。


千石というのは重さとか体積の単位ですね。「せんごく」と読みます。
一石(いっこく)と言われても具体的には、イメージしずらいと思いますが、よく大名の所領を何万石といいますが、それは1年間の米の生産量をあらわしています。

現代の私たちでも一升瓶なら大体分量がイメージできますよね。
一升瓶の10本分が一斗(いっと)とおいいます。
灯油や塗料の一斗缶くらいまでなら見たこともある人も多いでしょう。
この一斗缶を10缶で一石です。
つまり、100升が一石なんです。
それが1000積めるというのが千石船です。

米一石の重さが40貫と言われており(1貫は3.75キログラム前後)
150キログラムですから、千石船は15万キログラム150トンの積載量ということになります。大型トラック(20トンクラス)8台分くらいのものを運んでいたことになります。


正確には船の積載量を見る場合にはその後二転三転していますから、多少異なっていますが、イメージとしては百石船がちょうど今の佐川急便とかクロネコヤマトのトラックみたいなものでしょう。


ですから、当時の船着場は今で言う空港とか流通センターとかみたいな感じで大いににぎわっていたわけです。


昨年から南房総によく行っているのですが、今でこそ陸の孤島のようなどんずまり感のある房総半島なんですが、各港々、町々にビックリするほど立派な神社や古刹、大きな民家があったりして非常に感慨深いのです。
江戸期は房総半島、特に内房は海産物や農産物はじめ醤油や味噌といった加工食品等々の江戸への一大流通集散地だったわけです。同時に陸路をいくより江戸湾を横切る方がずいぶん早く着くわけですから、そういった意味では田舎ではなかったんですね。

というわけで、荒川づくりは交通網の整備の一環でもあったわけです。
で、なぜそんなに難事業に取り組んでまで人工河川をつくったかといいますと、荒川の名のとおり、荒っぽい川、洪水や氾濫を引き起こす荒ぶる川、竜の棲家だったわけです。

その洪水対策で川の流れを変えてやろう、という壮大な計画です。



洪水を防ぐことで田畑を増やし人が住めるようにする。
上の地図で備前堤(びぜんつつみ)と書かれた赤い部分が堤防です。
なぜ、「備前」なのか
それは、この計画を取り仕切ったのが備前守・伊那忠次だったからです。
この伊那備前守という人はちょっとどころかすげえカッコイイ人なんです。まあ、真の建築家とはどういう人か、というお手本です。

以前、ご紹介した竹中藤兵衛は織田信長配下の武士でしたが
戦国ゼネコン 竹中藤兵衛 巻の1

この伊那忠次は徳川(松平)家康の配下、
正確にはその息子松平信康の臣下でした。

松平信康については戦国ゆえのエピソードとはいえ、家康にとっても非常にかわいそうな事件があったのです。

伊那忠次については3に続く


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オリンピックをイーストトウキョウへ 3

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荒川沿いに交通網を整備したいよね、の続きです。
川はかつては運送のための高速道路だったというお話しでした。

だから、というか中沢新一先生のアースダイバー的にもそうですが、結果として都市におけるイイカンジの場所に川は流れている!ってことです。

平安京の造営時にもそうですが、地勢をみて四神を祭るように、新たな都市を生み出そうとしたときに、かつては川の位置を考えなければどうしようもなかったことがわかります。

まず、飲料水の確保がありますし、生活排水の処理もあります。
世界の四大文明、インダス文明、エジプト文明、メソポタミア文明、黄河文明も全部川沿いですものね。

それに加えて都市に絶対必要なネットワーク、輸送です。
コンパクトシティ論が盛んですが、どうもうまくいっていないのはモータリゼーションとの摺合せに失敗しているからではないでしょうか
現在の都市は道路によるトラック輸送が主流ですから、この川の機能が高速道路網に変化しているわけです。

この高速道路のICがちょうどリンパ節のように機能し、そこから一般道が指先や足先まで至る毛細血管のように整備されていることにより、初めて、年賀状が必ず元旦に届いたり、アマゾンで購入した書籍が翌日届いたりする、現代の生活が成り立っているわけです。


では、高速道路に寄り添って街区を形成すればいいじゃないか、、とならないのはですねえ。

高速道路の高架や路版のボリューム感、そのスケールが人が落ち着いて暮らすには、ちょっとキツすぎるからなんですよね。
インター脇に商業ゾーンや学校や団地の併設に成功している都市はまだまだないんじゃないでしょうか?
結局、イオンモールがドカンっと出来て、駐車場が広がる、人が歩くにはポッツーンと寂しさを感じるオーバースケールになっていると思います。


都会なら、例えば首都高に面した上層階ならまだ眼下の風景になりますが、、地上部の歩行空間は本当に暗い、インダストリアルなスケールにほとほとイヤになります。

▲現代の高速道路

そこがかつての輸送網である川や運河の風情との大きな違いです。

▲昔の高速道路



で、荒川づくりの話でした。

伊那備前守(いなびぜんのかみ)という人はどういった人かといいますと
徳川家康の家臣です。

家康の苦労話は有名ですよね。

三河の隣国の駿河と遠江で戦国随一ともいえる勢力を誇った今川氏に支配され、子供のときに今川に人質に出されました。が、その護送中に織田氏に誘拐され織田氏の人質になり、再度別件での人質交換で今川氏に出されるという、とんでもない子供時代を送っています。

このあたりを一番うまく描いているな、と私が思っているのは小島剛夕・小池一夫先生による「半蔵の門」という作品です。


忍者服部半蔵を主役に据えたマンガですが、半蔵ほどの腕前の忍びが将来になんの展望も見ることのできない状態の人質の少年竹千代(後の家康)に仕えていくお話しです。


一般に豊臣秀吉が苦労人扱いをされていますが、位は低かったといえ家族や友人の中で過ごした秀吉よりも、家康の、戦国時代の力関係とはいえ、モノのように行ったり来たりされた頃の精神的苦痛はいかばかりかと思います。


信長が桶狭間で当時の主君である今川義元を破った際に、初めて正真正銘自分の城と配下を持ちますが、そこからも一苦労あったんです。

自分の部下、特に優秀な連中が一向一揆に走ってしまったからです。

ここまでの経緯を振り返ると、家康はけっこうキツイ。お爺さんの清康は部下に殺されて、父親も命を狙われて、自分家も会社も人のモノになって相手の会社で下働きみたいな状況にずっと置かれていた。
その親会社が倒れた隙にベンチャー企業を興したと思った束の間、こんどは部下や腹心たちがみんな離反して、会社や工場を占拠したわけです。

こんときの一揆勢に伊那忠次の父親は属していたそうです。
結局家康は一揆を鎮圧しますが、伊那氏は出奔したまま12年間どこに居たかわかりませんでした。

鉄砲の威力を天下に知らしめた織田信長VS無敵の騎馬軍団を擁する武田勝頼の決戦で知られる「長篠の戦い」で、家康軍に陣借り(押し掛けボランティア活動、成果報酬型のインセンティブ営業マンみたいなものでしょうか)して功を立てたことで、帰参を許されました。

家康は一向一揆で敵方にまわった本多正信も後に帰参を許すだけでなく重臣にまで取り立てています。
一度退社したどころかライバル企業で活躍した人物を再雇用して役員に据えたわけですから、能力採用で有名なのは一般には織田信長ですが、徳川家康も相当な度量です。

そこから伊那備前守の活躍が始まるわけですが、家康が江戸に入り築城と同時に都市改造に取り組みます。

「利根川の東遷、荒川の西遷」と言われる大事業です。

昔の江戸には利根川がガツンっと思いっきり流入していたんです。
そして荒川もそこに流入していたというわけで、現在の埼玉県越谷市あたりで合流し、大雨が来るたびにガンガン暴れまくって洪水を起こし川筋も変えるといった状態で耕作地にもならず危険なエリアでもあったわけです。


これを、二つに分け引き離したことで江戸の町は発展するだけでなく、銚子から北関東にまで至る水運を活用できるようになったわけです。

これにより東北方面からの物資や狭山丘陵からの木材の搬入等も可能になり大いに江戸の発展に貢献することになったのです。

この土木事業は忠次から息子、孫と伊那家代々の取り組みにより60年かかって成し遂げられました。
そのため、河川改修技術、作堤技術などの土木技術において「備前流」と呼ばれる一流となりました。

このような土木事業は江戸だけのことではありません。

大阪湾における治水は豊臣秀吉以降綿々と続けられて今の大阪の街があります。


また、濃尾平野の治水では、薩摩藩が担当しましたが、木曾川、長良川、揖斐川の三大河川の分流に挑戦したものの、度重なる工事中の洪水等で資金難に陥り、さらには幕府の役人たちの嫌がらせにも合い。
最終的に薩摩藩士51名自害、病死も入れれば100人近い薩摩藩士が死亡、土木技術者の内藤十左衛門も自害。工事完成後に家老の平田
靱負が割腹自殺を遂げるという、後に「宝暦治水事件」という大事件まで起こっています。


そのような先人のおかげで今の土地がある。

日本の国土は豊かな自然を愛すると言われますが、峻嶮な山々に寒暖の差、急激な降水や台風、そして地震や火山の噴火といったように、現実には遠い過去から、自然の猛威、脅威にさらされ続けているわけです。

それらの危険な要因を辛抱強く取り除き、少しづつ低減させ続けてきた結果として、今の日本の国土と我々の生活の安定があるのです。

それをになってきたのが、俗にいう土建屋、土木建築事業です。
僕が土木工事は国防産業なんだ!と常々言い続けているのはそういうわけです。

土木のことを英語ではCivil Engineeringといいますが、これを直訳すれば、市民工学、公民工学とでもいえると思います。

一瞬に流れ去る大雨の水を貯めて活用するダム、川の氾濫を抑える土手、崖くずれ山崩れを抑える擁壁、波の浸食を抑える防波堤、土石流を抑える砂防ダム、流通経路を確保する高速道路や道や鉄道や波止場や駅。

これらは今日や明日、必要になったらすぐに準備していらなくなったらすぐに廃棄できるようなものではないのです。


だからこそ、建築や土木事業の計画には長期的視点が必要で、かつ短期的利益や瞬間の利権等々で企画実行してはいけないのです。

谷口吉生さんの京都国立博物館「平成知新館」を見てきたよ

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谷口吉生さんの京都国立博物館を見てきましたよ。

昨年の9月に開館していましたが、なかなか行くことができず、やっと行ってきました。
既に多くの方々がその素晴らしさをいろいろなところでおっしゃっていますよね。

谷口先生といえば、そのシャープに研ぎ澄まされた建築のエッジ、素材が石だろうが金属だろうが、木だろうがガラスだろうが、その面をピシーッと合わせて、本物の素材で厚みも質感も重厚にギッシリ詰まっているはずなのに、何か厚み数ミクロンの画像テクスチャーを貼りつけたみたいな、非現実的な魔術的な仕上げのサーフェスに毎度驚かされるわけなのですが、、、

今回も凄いですよ~。

冬でしたから芝は枯れていますが、黒松の向こうに見えるベージュの板。
「あ~!谷口さんが、暖色つかってる!」です。


昨年、何かの写真でチラっとみたときにも「えっ!暖色?」と思ってたのですが、行くまですっかり忘れてたんですよ。

暖色、寒色というのは美術を始めたときに最初に習いますよね。


青い系は冷たく感じる、赤い系は温かく感じるというものです。


自販機のつめた~いあったか~いでもおなじみですが、これは世界中の人類共通なんです。
暖色は交感神経に、寒色は副交感神経に働きかけるという科学的調査もあるそうです。


で、谷口吉生先生は、これまでほぼオール「モノトーン、少し寒色寄り」
グレーに少し青か緑が入った素材に黒、そしてグレー、シルバー。


簡単に色彩構成課題にしてみるとこんな感じ



それなのに、今回はベージュかあ、、
また続きを書きますね。

谷口吉生さんの京都国立博物館「平成知新館」を見てきたよ2

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京都国立博物館の平常展示館・平成知新館についてです。

谷口吉生さん設計の平常展示館の50年前に森田慶一さんの初代があったというお話でした。
そして、その建物は同時代の建築とはちょっと違う、だいぶ違うぞと、ただしすごく古めかしいのかというとそうでもないんです。


色は白いしコンクリートラーメン構造だし、建物の技術は明らかに現代のものです。
では、なぜ同時代性を感じないのかといいますと
それは、明治に建てられた片山東熊の本館に合わせた、配慮した、親和性を持たせたからに違いありません。

いわば、脇役に徹した、引き立て役に徹した。
むしろ、現代の建築家や建築が見失ってしまってる「脇役力」。

新たに建てられる建築が、元々の景観の中での、空間全体の中での、歴史的連続性の中でのデザインにおける統合的な位置と意味、建築的文脈といったものを意識しているからにほかなりません。

実は、建築というのはまず脇役からなんです。

これを専門家は難しい言葉でコンテクストとかいいます。

建築や美術哲学系の先輩や助教あたりが、さかしらぶって知らない人を脅すときに使う語彙のひとつですが、なんのことはない、前提という意味です。

文脈、脈絡、背景、前後関係とも訳されますが、言語学の言葉ですね。

コミュニケーションを考えたときに会話をお互いが理解するのにも、その状況や背景を互いが了解しておかねば意味が通じなくなる、取り違えてしまう、そのコミュニケーションを成立させるために互いが共有している情報、前提のこといいます。

たとえば次のようなスキット

親方「おい!はち!あれ持って来い!」
はちが金槌(ゲンノウ)を差し出す。
親方「違えよ!絞める方だよ」
はちが片側が尖っている金槌を差し出す。

まず、上記の会話がなんとなく大工さんの会話ってわかるのは、我々になんらかの共有事項があるからなんです。
「親方」「はち」で落語に登場する職人さん?
「金槌」大工?

そのうえでこのスキットの中に入って考えると、二人の会話というか親方の命令は言語的には、「あれ」はなんのことか不明です。
でも、親方とはちの間では「金槌」とわかっている。
「絞める」も通常の意味では首を絞めるとか、、ですが、ここでは木に釘を深く打ち込んで見えなくすることです。
ここには「大工仕事というコンテクスト」が埋まっているから成り立ってんですね。

で、森田慶一先生に戻りますけど、
建築にも当然コンテクストがあります。
なんにもない砂漠の真っただ中に建設されたラスベガスのような特殊事情を除き、むしろあらゆる敷地にはあらかじめ、これまでの事情がある、常にコンテクストがある。

建築はアプリオリにコンテクストありき、なんです。

真っ白な無垢の紙の上に計画が始められると考えている建築家がいたとしたら、それは浅はかな幻想です。

あっ、「アプリオリ」も建築・美術・哲学系の人がかっこつけて人を脅すときによく使われてる言葉ですが、なんのことはない「はじめから」という意味です。

という意味で、森田先生はモダニズム建築ではなく、いえ本当はモダニズム建築なんですが、既存の博物館のルネッサンス様式に親和性を持たせようとして、通常モダニズム建築なら梁と柱を同面にして抽象的フレーム表現にしたりするところを、柱面を二段式に凸凹させて、柱優先とし梁面は引っ込ませて下げたり等々の凹凸でディテールを作り、基段に相当する地面から1mくらいのラインにも梁を通してある。

いわば、カール・フリードリッヒ・シンケルとかの新古典主義みたいなモダニズム手法による古典表現といったような、再々解釈をされているわけです。

陰影を出している凸凹のディテールを全部消してモダニズム処理してみるとあきらかに、その意味がわかるでしょう。



▲柱のエッジが前に出て梁引っ込んでいる(本物)

▲柱のエッジ無くし柱と梁揃え平らに合成(モダニズム変換)


今の建物は大体まっ平らな処理にになっているでしょう。
しかも窓ガラスも壁つらに合わせて凹凸のない陰影のないファサードが多いはずです。

という50年前の森田慶一先生の「コンテクストを読んで親和性を獲得する「脇役力」の事例を見てみたわけですが、

では、谷口さんはどうしているのか、谷口さんにも「脇役力」があるのか。

合わせてきてますね。


ただし、谷口先生は様式に対しては呼応するのではなく、徹底的に引いています。

既存の建物に対しては抽象的な壁になっている、ちょうど能舞台の橋掛かりの羽目板みたいにです。

明治時代の片山東熊先生建築をシテに意識してワキに回っています。
シテというのは仕手とも書きますが、能における主人公のことです。

ただし、昔の正面、西側正面としてみれば!です。


実際、今回の平成知新館は非常に日本らしい意匠になっています。
建築物そのものの前に、風景を西洋式透視図法(パースペクティブ)で見せるのではなく、
物理的距離を超えたバーチャルな奥行を出している。


特に、今回みなさんが写真撮りまくっている東側アプローチにおいては、浮世絵の手法です。


近景、中景、遠景にオブジェクトを配して遠近感をより感じさせています。

上記の絵を見ていただくとわかるように、遠景の水平線と空の靄、真ん中の松、手前の道や屋根という3つの景色をひとつの画面に重ねて奥行や距離が表現されています。

日本の美術手法や概念を表す「真、行、草(しん、ぎょう、そう)」という考え方があります。
華道や作庭だけでなく料理の盛りつけや調度品の取り合わせなど様々なシーンで、美的感性を磨くための指針となる考え方ですね。

真は中心で主役です、行は律儀で補完的で背景的です、草は自由で伸びやかで儚い、といったところですが、捉え方や解釈は状況により曖昧ですが、修行を重ねた名人でも、まったくの素人でも必ず了解され得るところが日本の文化として面白いところです。


ここで真ん中に位置する松の樹ですが、実際には建物を大きく超えるような大樹ではありません。しかしアプローチの景色では真(しん)の役割を果たし、奥の建物のきっちりした背景は行(ぎょう)といってもいいでしょう。
そして手前のヤマモモ?のさわさわとした枝振りが草(そう)です。

受付の庇と壁、一段上げた床でぐるりと切り取った風景は
入場前のアプローチからもうかがい知ることができる。
ここではいわゆる「見越しの松」になっていますよね。


この受付脇のトンネルのような抜けは、葛飾北斎の富嶽三十六景の「尾州不二見原」という作品を想いだしました。




まだまだ谷口さんの建物の解説します。 3につづく

谷口吉生さんの京都国立博物館「平成知新館」を見てきたよ3

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谷口吉生先生の京都国立博物館「平成知新館」解説の続きです。
谷口さんは今回非常に画期的な配置デザイン計画をされているのですが、それは日本の美術空間を建築化しているということです。


東側入り口受付からのアプローチが「絵になっている」しかも西洋式透視図法の絵ではなく、浮世絵によくみられる自由な視点、トリミング、強弱、近景、中景、遠景の構図になっているということでした。

同時に明治時代の博物館に対しては脇役に徹している。


つまり、今回の谷口建築の真骨頂は同じ敷地で軸線を90度ひねったときに違う場の印象を生じせしめているということなんです。



「一粒で二度美味しい」というやつです。
東西方向の軸線では西洋式庭園の脇に控えた存在として位置しながら、南北方向の軸線では日本的美術景観を現出させている。


建物だけを比較すると、片や明治期のルネッサンス様式の西洋建築、片や平成のミニマリズムモダン建築が、120年の隔たりがあるにもかかわらず互いに補完しあっています。


入口受付部分ですが、多くの方々が指摘しているようにミース・ファン・デルローエのバルセロナパビリオンを彷彿とさせるようなシャープな処理です。

今回の谷口建築の見どころはですね、ズバリ「目地」です。
目地というのは、ものとものの接合面のライン処理のことですね。

普通はレンガとかタイルの材料の接合面をいいます。


ここに詰めてある材料を目地材といいますが、モルタルや漆喰、最近はシリコンシーリングという固まるとゴムみたいになるボンドのようなものが詰めてあると思います。

が、谷口さんは「詰めてない」、「隙間にしている」もしくは「詰めてないように見せる」なんです。


そして「目地を通す」まっすぐに、同じ幅で。

これが、なっかなっか難しいんです。

大体、有名な建築家の作品といわれるものでも、有名デザイナーと言われる店舗インテリアのデザインでもこの目地を見ればわかりますね、その実力は。

同時に、建築家やデザイナーを目指す人達は、目地にうるさくない先生についていても、しょうがないとも言えます。
なぜなら、目地処理をどうするか、、を考えることによって、表面仕上げだけじゃなく、その下地処理、構造との取り合いの検討も含め、施工精度や施工のコストにものすごく影響を与えます。
だから、目地を考えることからみんな逃げたいんです。

この入口部分の壁面



目地といってもこの距離だとただの細い線ですが
石の頂部をよく見ると


離してある。

石と石の間が!

これはですね、非常に難しい技です。
この目地幅の細さでビシッと離すのは、

目地として透かすとなると出角になって立体として見えてきますから、石の小口面、断面も表面と同じように磨く必要が出てきます。

同時に頂部、スカイライン、空との切れ目ですが、あいかわらず笠木をつけてない!にもかかわらず雨だれの汚れとかもついていない!
いったいどうやってんだ!
5年前の外苑前のビルでも書きましたが、谷口さんの凄さはギリギリピシピシの仕事やってんのに劣化してないってことなんです。
5年前の記事:谷口吉生さんの新作レポート

よく、本当に頑張ったシャープなデザインの店舗や建物が次第に薄汚れて、シャープでミニマルゆえに、レンガや木部のように劣化を風合いとして吸収できないで、悲しい感じになってるのを見かけませんか?
ひどいものになると、完成写真のときが一番凄くて、実際に見に行くとグッチャグチャでカビカビになってるものも多いですよね。

ミニマルアートもそうですが、観念的なコンセプトの作品はそういった大体経年変化に耐えられないんです。

ところが!谷口先生の場合、なぜか、建築が老いない。
デザイントレンドを追わないのもありますが、はじめからそういった時間の経過とは無関係なところに屹立しているんですよねえ。



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