昨日より始まった森博嗣ミステリードラマ化「すべてがFになる」
そのタイミングに合うように、なんと
ユリイカ 2014年11月号 で森博嗣特集があります。
特集=森 博嗣 -『すべてがFになる』『スカイ・クロラ』から『MORI LOG ACADEMY』まで・・・クラフトマンの機知
長く実写化不可能と言われてきたS&Mシリーズの映像化がついに実現!
本特集ではミステリィ作家の枠におさまりきらない森博嗣の作品とその人に迫る。
目次予定*
【インタビュー】森 博嗣
【対談】清涼院流水×杉江松恋
【イラストエッセイ】萩尾望都/山田章博/浅田寅ヲ/スズキユカ
【論考・エッセイ】よしもとばなな/円堂都司昭/森山高至/佐藤泉/河野聡子/
渡邉大輔/佐藤俊樹/西川アサキ/飯田一史…and more!!!
資料*
森博嗣主要作品解題 編=渡邉大輔
この「すべてがFになる」というタイトル。
なんだろうすべてがFって?イニシャル?藤井さんとか?
Fっていえば、僕なんかの場合は六田登先生のF1レーサーを描いた名作、赤城軍馬の「F」だよな。っていうのが普通ですよね。
「なん人たりとも、俺の前を走らせねえ!」というやつです。
バブル景気華やかしき頃、そのようなことと無縁の僕の狂人師匠の元での建築修行中に、心のよりどころとしていたのがこの「F」です。
もちろんこの「F」ではありません。
・・・・・
これです。
ワンボードマイコンと言われるものです。
で、表示に使われているのが赤いデジタル表示のLEDです。
TVモニタもキーボードもありません。
テンキーのみ。
分解したテレビの基盤とかでもないし、ジャンクでもないですよ。
これで完成品、これで売られていました。
これが1980年当時の中高生で手に入る唯一のコンピューターでした。
(本当は他社でも東芝のEX80とか富士通のLkit16とかもあったんですけど、将来BSボードを追加したりTVモニタ出力できる可能性が高かったのがこのNECのTKだったんです。)
当時、最先端を走っていた工学社の「I/O(アイ・オー)」という雑誌があったのですが、(今でもありますね)そこの「売りたし書いたしコーナー」に森山少年は何回かハガキを送って、当時の京都大学生の方からゆずってもらって手に入れました。
このコンピューターにプログラムを書き込むのに、今でいうOSもない、ましてや、BASICとかC+とかのプログラム言語でもない、
もっと機械に近い言葉「アセンブラ」というのをつかって命令を入力していたんですね。
機械はですね、マシン語というのをしゃべってんです。
こんな、「00100011100 0111100110 011101000110 0000110001」
二進法です。
これをもう少しだけ人間に分かりやすくしたのがアセンブラです。
このアセンブラを使うときに数字は16進法で記述したのです。
一二三四五六七八九十と、次が十一、十二ですよね。
この漢字表記では十に「字」があてはめられていますが、
アラビア数学の素晴らしかった点はゼロをつかって「十」の表記をしなかったことなんです。
昨今、世間を賑わす「イスラム国」そして数十年前から続く中東紛争、それらのもたらされる欧米経由のニュースから日本の一般では、イスラム世界は何か、野蛮な遅れた文明であると錯覚させられているのですが、違います。17世紀くらいまでは、特に13世紀くらいまでの科学文明はアラブ世界の方が圧倒的に進んでいました。
いまでも、科学用語や幾何学用語のその証拠がのこっています。
アルコール、アルカリ、アルケミー、アルジブラ、こういった用語の頭にある「アル」は、アラビア語の定冠詞、「al-」なんです。
で、いまでも使われている数字のことをアラビア数字というのは、アラビア起源だからなんですね。1234567890はアラビア語なんです。
ですが、ゼロの概念、桁を上げる概念はインドで発明されたものです。
「十」を使わないで「1」と「0」を組み合わせて「十」としたことが、
数学をものすごく発展させたんです。
今普通に使われている数のシステムは十進法ですが、十まで数えると桁があがる。
いくつまで数えると桁が上がるかを決めたものが進法といいます。
二進法では、2になると桁が上がるので、1までしか数えません。
1、10、11、100、101、110、111と数字が進んでいきますがこれは、それぞれ1、2、3、4、5、6、7を現しているんですね。
十六進法というのは16まで数えたときに桁が上がる数の数え方なんです。
1~順番に9まできて、まだ10にならず、Aを使い、次がb次がc、d、E、Fとなります。
「すべてがFになる」とは、この「F」なんです。つまり十進法でいう15のことです。
と、同時にLEDの表示の最後がFですから、すべてがFになるとは、これ以上先に進めない、何かの終り、つまりは世界の終りを暗示していることになるわけです。
こういった理数系雑学知識と最新の科学工学が随所にちりばめられて、物語の様々なキーになっているのが森博嗣ミステリーの魅力です。