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Channel: 建築エコノミスト 森山高至「土建国防論Blog」Powered by Ameba
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ことわりをあきらかにする男、山本理顕②

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山本理顕さんの、建築家としてのキャリアをスタートさせた「山川山荘」。その始まりで既に、大きな問題意識で設計をされていた。家とはなにか?です。家とはなんのためにあるのか?です。普通、建築家というのはこんなことは考えない。家は住むためのものじゃないか。家は家族のためにあるんじゃないか。で済ませる。そして、建築家は依頼主のために設計をして報酬を得る。そう考えて、日々また建物の設計をしているのが普通です。しかし、理(ことわり)を顕(あきらか)にする理顕さんは違います。次の問いが生まれる。住むとはなにか?家族とはなにか?です。住むとは?うーん、生きること?生活するための拠点に居ること?家族とは?あらためて聞かれるとなんだろうか?肉親?というところで、普通は詰まってしまう。理顕さんは違います。もっと全体を見つめる。小さな家であっても、その家を成り立たせている全体像と仕組みまで、細かなところまで見る。顕かは顕微鏡の顕ですからね。 その結果、「家」というものを、それだけで考えてはいけない。そう考えることはおかしい。「家」を依頼された施主のためだけ、建設された敷地の中だけ、で完結的に考えてはいけない。それは建築家のフィクションである。そう、提唱されています。ちょうど、人とは何か?を考えるときに「人」=「個人」と捉えてはダメなのと似ています。人とは何?と問われたら、まずは私とか貴方とか、個人から発想しますよね。だから個人でいいんじゃない?、人を考えるときに個人から始めちゃいけないの?と思いますが、それですね、ダメなんです。「個人」というのは、いわゆる「人の存在形式」ではないからです。「個人」とはなにか、個人は一人のこと?集団から離れた人物?「個人の意見」とか、スポーツの「個人戦」とかで使われる用語ですが、「個人」のみを考えていては、「個人」から出発し続きをみる

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