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北海道百年記念塔を知っていますか?

みなさんは、北海道百年記念塔を知っていますか?
たぶん知らないでしょう。

 

北海道出身の方でも知らないかもしれない、でも札幌の人ならみんな知ってる。

建築家でも知ってる人と知らない人といるかなあ…

でも、北海道出身の建築家ならみんな知ってるはず、です。

 

つまり、札幌出身の人か北海道出身の建築家なら知ってる。

札幌の建築家なら絶対に知ってる、そういう塔です。

大阪万博と同じころ、昭和45年(1970年)完成。

 

SF的、超、未来派建築、

こんなんです。

 

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えっ!!

って思うでしょう?

 

これ、飛ぶの!

 

宇宙!って感じ

 

種子島宇宙センター?って感じ

 

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北海道開拓の100年を記念して建てられたものです。

コンペティションによって選ばれた。

 

100年持つことを条件に、今年でちょうど50年目です。

 

ですが、

 

なんと、

 

これもまた、

 

壊されようとしているんです。

 

なぜ!

 

このことを知ってる建築家も、前述のように札幌の建築家以外には知られていません。

 

なので、お知らせしたいと思います。

 

今日から、みんな知ることになります。

 

北海道百年記念塔の危機、です。

 

 

 

 

ここで、この建築が建てられた時代をおさらいしておきましょう。

 

今から十一年前ですが、私のブログでこういう記事を書いてました。

https://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-10318603056.html

 

 

https://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-10318967446.html

 

 

1970年に開催された大阪万博です。

 

ちょうどこの大阪万博とその前のモントリオール万博は、現代建築の萌芽の時期で、

次々と新しい工法、新しい素材、新しいシステムが開発された時期だったんですね。

いわば、世界中の建築界が青春だったときです。

なので、今でいうITベンチャーやゲーム会社やAI事業のごとく、建築や土木がホットな時代です。
個人のポッと出の建築家や、

まだ、20代の大学生みたいな自称建築家が製図版と鉛筆一本をを頼りにして、アパートの一室で新規事業を開始する。

そして、アイデアひとつでいきなり世界に知れ渡るようなミラクルな時代でした。

 

大阪万博では、建築家の黒川紀章さんが大活躍してましたね。

 

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まだ30代の黒川紀章さんは、国家プロジェクトに取り組むだけでなく、新素材や新工法の開発、社会資本整備への提案、
社会資本の新陳代謝を目指したメタボリズム思想や、飛行機や鉄道の発展で高速に広範囲に移動する人類の進化を、ホモモーベンスと名付けたり、ビジョンファウンダーでもありコピーライターでもあり芸術家でもあり科学者でもあり、タレントでもある。
コンピューターの活用や国土開発の方針などありとあらゆる日本の社会学のジャンルに画期的な提言をおこなっていました。

 

こんな経歴ですよ。
 

黒川 紀章(くろかわ きしょう、本名:くろかわ のりあき、1934年(昭和9年)4月8日 - 2007年(平成19年)10月12日)
日本の建築家(一級建築士)、思想家、実業家、政治活動家。

日本芸術院会員。フランス建築アカデミーのゴールドメダル
1957年(昭和32年)京都大学工学部建築学科卒業。在学中は西山卯三に師事。
同年東京大学大学院工学研究科建築学専攻修士課程へ進学。
東大では丹下健三研究室に所属し指導を受ける。東大在学中に「株式会社黒川紀章建築都市設計事務所」を設立。
1964年(昭和39年)東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程単位取得退学。
1969年(昭和44年)に株式会社アーバンデザインコンサルタントと社会工学研究所を設立。
1959年(昭和34年)に建築理論メタボリズムを浅田孝、大高正人、槇文彦、菊竹清訓、粟津潔、栄久庵憲司、川添登らと提唱。
1960年(昭和35年)、メタボリズム・グループとして世界デザイン会議に参加。
社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市や建築を提案した。
メタボリズムに基づいた増築・取替えの可能な建築として中銀カプセルタワービル(1972年)などの作品がある。
博士課程時代の数々の構想案や、磯崎新の代理でアスペン学生デザイン会議に参加するなどの結果、
学生時代から国際的に著名で、海外の作品も数多い。

 

そういう、もう、天下無双の建築界の自在神、そのような存在であった黒川紀章。

巨人、大鵬、卵焼き、長嶋茂雄とかそういう存在です。

 

 

その黒川紀章がこの北海道百年記念塔のコンペではぶん負けた。

 

負かしたのは、地元の井口健。
しかも、久米設計所属

札幌市今金町出身
札幌工業高校昭和32年建築課卒。

札幌工業高校同期の機械課卒、竹原(エレベーター設計)佐々木(鋼製躯体築造)も協力。

 

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ジャイアントキリングですよ。

 

しかも、ただのローカルデザインコンペじゃありませんよ。

コンペの審査員に当時の建築界、都市計画界の重鎮が勢ぞろい。
佐藤武夫審査委員長と田上義也・大野和男・高山英華・谷口吉郎・横山尊雄(北海道大学教授)の道内外建築家6名
島本融・前田義徳・阿部謙夫(北海道放送社長)・関文子(北海道教育委員)の学識者4名

 

井口健さん、こんな方です。

 

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実は、展覧会が開催中なんです。


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https://100kinentou-oufukushokan.com/about/

 

 

つづく


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