築地市場がいかに素晴らしいか、
その根幹をなす卸売市場法について解説する!と名打った記事でしたが、
今週、大変なことが起きました。
それは、築地市場の守り神である水神社、その水神さまを一部の業者が勝手に動かしました。
中沢新一氏も憤慨 築地「水神様」の遷座強行で神様不在に
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/232511
「複数の市場業者からなる魚河岸会内部では、もともと『6月中に取り壊し作業に入る』と囁かれていました。しかし、会員の間で反対の声が広がり『遷座は移転の直前』で意見がまとまっていた。にもかかわらず、何の前触れもなく、作業は強行されてしまった。移転はまだ3カ月も先です。多くの業者が『神様不在』の状況を不安視しています」(魚河岸会会員)
実際、一部業者からは「聞いてない」「勝手になことをするな」「罰が当たりやしないか」と不安の声が上がっている。明治大学「野性の科学研究所」所長で人類学者の中沢新一氏はこう言う。
「仮遷座を強行する市場関係者の方たちは何か勘違いをしているのではないでしょうか。庶民の間に根付く神道にとって、社殿とそこに収められているご神体は魂を込める『器』ではあれど、それ自体が神様というわけではありません。神様はおまつりした方たちの心に宿るものです。そして、信仰は、例えば祭りでお神輿を担ぐといった行為をもって、地域全体に広がるものなのです。築地の水神様の歴史は古い。地域の方は皆、水上様が日本橋から移ってきた経緯や根拠を深く理解している。本来、神社を移転させるなら、氏子全体の総意を得なければなりません。一部の関係者のみで強行するというのは、過去に例を見ませんし、地域の方たちの心を踏みにじる暴挙であると言わざるを得ません」
2日午前11時時点、水神社は閉鎖され敷地内では重機が社殿の取り壊し作業を進めている。3日には鳥居が解体される予定という。強引なやり方は許されるのか。
引用おわり
この記事で書かれているように、水神社というのは築地市場が出来たはるか昔、天正18年(1590)徳川家康が江戸幕府を開いたときに江戸に移住してきた摂津の国の佃村・大和田村、現在の大阪の西成区の漁師たちが、大漁・海上安全と子孫繁栄を祈願して「弥都波能売命(みつはのめのかみ)」を祀った「大市場交易神」です。
その後明治34年に神田神社の境内に「水神社」本殿を建立し、その後、築地市場が日本橋から移るにあたって遥拝所が市場内に建立されたものです。
葛飾北斎の富嶽三十六景の中にも、日本橋魚河岸から見た富士山の図がありますが、神田明神から数えても魚河岸と水神社の関係は400年以上にわたるものです。
市場が日本橋から築地に移ってから、はや80年以上を経過しておりますが、
つい、先週までは、水神社は築地の守り神として鎮座ましましてございました。
これをですね、一部の不埒な連中が壊してしまったんです、昨日。
平成30年7月4日、築地の一部の業者が水神社をぶっ壊した。
なんですが、そんなこと軽々しく出来ないはずなんですよね。