前回のブログ記事
について、かなりの反響でした。
えーっ、2年たって何にも解決してないの!
とか
市場問題ヤベーじゃん。
とか
ビッグサイトってそういう使われ方してたのか
とか
築地市場移転問題だけではなく、オリンピック準備段階での心配や東京都の都市計画についてのご意見等、
さまざまなご感想いただいておりますが!
もっとも、多くの人が興味を持たれたのが!
フジテレビ問題。
お台場移転はどうだったのか?20年目の検証。
そうだったのか!という驚きと同時に、そうなんだよ!森山さん、よく書いてくれた!というテレビ製作現場の声。
特に、産業の城下町構造についての感想もチラホラ。
それだけではなくて、この10年で各局が社屋の新築をおこなっていますが、
建築についてどう思う、局の建築のことを書いてくれ!との要望も寄せられております。
そうなんです。
局の建築について、いろいろ思うところあるんです。
そもそもTV局というのは、映画製作現場の延長にあると思われがちなのですが、、、、
むしろ、最初はそういう映画製作現場と同じようであったと思われます。
ですが、結果としてTV局と映画撮影所は、似ていますがけっこう違います。
市場でいえば、築地市場と産地市場、水揚げ港くらい違います。
私はテレビ局に頻繁に出入りしたことで局の建築構造がわかりましたが、
20年ちかく前に東映さんのお仕事に関わったこともありまして、
練馬の東映撮影所に出入りしたこともあり、その違いがよくわかりました。
同時に、現在の首都圏キーステーションの建築がそれぞれに立地やプランで大きく違いがあって、
非常に興味深い傾向を示しています。
見た目だけでも結構違います。
まずNHK。
渋谷区神南2-2-1、完成は1974年、設計は建築家の佐藤武夫さんです。
実は、佐藤武夫さんだけでなく、10年がかりで多くの設計者との連携で出来上がったものなんです。
株式会社山下寿郎設計事務所
株式会社武藤構造力学研究所
日本技術開発株式会社
株式会社梓設計
株式会社日建設計
始まりは昭和39年、1964年です。
なんと!前回の東京オリンピックのメディアセンターとして、建築されたものがNHK放送センターの前身なんです。
なんだ!オリンピックメディアセンターが後の放送局になってる、ちゃんとしてんじゃん!昔の日本人。
昭和の社会人、設計者、ゼネコン、みんなちゃんと考えてくれてました。
だからこそ、このNHKの社屋40年たっても、損傷もなく、今でも活躍してます。
公園通り含めて、立地もよかったんですけどね。
オリンピックメディアセンターのときの写真がこれです。
それが、増築されて、今があります。
ね?四角の窓がギッシリ並んでるデザインのところを見ると、オリンピックメディアセンター時代と一致するでしょう?
ちょうど、これらの建物ができる前のワシントンハイツ時代の写真を見ると、その非現実感に卒倒しますけどね。
後ろの丹下さんの近未来建物が牧歌的なヨーロッパの田舎町に降臨してるかのうようであり、同時に周囲は既に都市化されており、このワシントンハイツの緑とコロニアルスタイルの住居群が箱庭的で、不思議な現実感のない風景です。
ワシントンハイツとは、大戦後の日本を占領していた米軍が代々木に有していた、兵舎と宿舎の軍用地の総称です。
つい、50年前の風景です。
放送開始順にご紹介するなら、続いて日テレ
本当はNHKよりも先に開局する予定だったテレビ局です。
正力松太郎っていっても今の若い人にもピンとこなきゃ、若くない人にも大変なつかしい名前でしょう。
戦前、戦後をつなぐ魔神のごとき人物ですが、
その人が初代の社長です。
なんか、めちゃくちゃ怖そうなんですけど、、
昭和にはこういう怖そうな、なんかもう話しつけちゃうような、大人がたっくさん居ました。
今の日テレは新橋の南側、汐留と言われる場所に高層ビルとしてあります。
これが放送開始の頃の社屋。
そしてタワーです。
正力松太郎さんって人は、タワーが好きだったみたいなんですけど。
高さ550メートルを超える正力タワーなるものを新宿に建てようとしてました。
つづく