見本市がドイツ発祥で、ドイツで進化し、ドイツで継承され、
ドイツの伝統になり、ドイツの見本市がブランドになり、
ドイツの一大産業に発展したというお話でした。
なぜ、ブランドが確立されていったかというと、
「同じ場所で長い間」続いてきたからです。
あらゆるブランドといいますか、伝統的な価値や格といったものは皆これを背負っています。
昔から、高校野球は甲子園だったから、高校の野球部は今も夏の甲子園に出たいし、
駅伝は箱根で始まったから、大学の陸上部はお正月の箱根駅伝に出たいのです。
ドイツの見本市ほどではありませんが、近代になって京都で始まった展示会があります。
京都の名店・名匠が会する「洛趣会(らくしゅかい)」
昭和3年(1928)から文化の日とその翌日に開催されてきた歴史ある展示会で、
その特色のひとつが、京都の有名なお寺を会場にすることです。
さらに、この会にはだれでもが参加できるわけではない。
参加する老舗からの招待状を受けた人しか入場できません。
キャッチフレーズは「売り申さず、お賞(ほ)め下され」
この場では展示物は売りません。
しかし、わたくしどもの代々の仕事の力量を見といてください、
そして、覚えといてください、
最高のものとは何かを、
それがお分かりになる方と、
代々に渡って末長くお付き合いをする。
という老舗の思いが込められているというわけです。
今の日本の経済がものづくりの世界が苦境にあえぐひとつの要因、
激安無教養な商品群世界に取り巻かれた結果、陥ってしまっている刹那地獄
なんでも安ければいい、早ければいい、用の足しになればいい、ポイントが増える、
使い捨てればいい、また買えばいい、どこにでもある、だれでも手に入る、
コンビニに置いてある、通販で明日届く、郊外モールに売っている、
さらにコレもお付けしまして、リサイクルショップで0円で引き取ってもらえる、
といった価値観とは対極です。
要は、お客さんの目が肥えてもらわないと、よいものは作っても売れない。
顧客のレベルが上がらなければ供給側の切磋琢磨も生まれないのです。
そして、一定量の製品が売れてくれないと、匠の技も続きません。
業物を支えるだけの普通の良いもの、
それを学んでいる丁稚さんの商品もそれなりに売れる体制がないと、修行も不可能。
つまり、特別な金持ちだけが良いものを知っているという世界では技術も産業も伸びない。
老舗や名店の品を、貴族階級だけのものとしないで、一般庶民や大衆までが商品知識を持ち、ものの良しあしや、品格を見定めることができるようになるまで、安定した社会と庶民の生活水準が向上するまで、ものすごく長い時間を必要とします。
日本はあるときそういった水準に達していたのです。
だから、日本中、東北から九州までどこにいっても、
すごい焼き物があり、すごい漆塗り椀があり、すごい着物があり、すごい金細工があり、
すごい革細工があり、すごい木彫りがあり、すごい金工があり、すごい神社があり、
すごいお寺があり、すごい石垣があり、すごい庭があったんです。
今、そういったものが、戦後に入って生み出せているでしょうか?
地場産業の衰退と村の過疎化
これは、日本だけの話ではなく、ヨーロッパ諸国でも同時に起きていることです。
そして、そうしたマーケットが縮小し続ける中で、新たな価値や評価を意外なところから、見つけてもらえる、そのような各地の地場産業が出会う場所が見本市なのです。
つづく