「見本市」とは商談をおこなう場、その起源はドイツのライプツィヒといわれており、
850年もの歴史があります。
これが、会場です。
ドイツ後で見本市のことを「メッセ」といいますが、
これは、キリスト教の“ミサ”(英語では mass、ラテン語ではmissa)のことを、ドイツ語では“Messe”と表記します。
「見本市」という言葉は“ミサ”に由来しているとも言われています。
世界中で「見本市」は開かれているのですが、ドイツで開かれる見本市がいろんな意味で世界一と言われています。
それは、そこに商品を出す、出場することにステイタスがあるからです。
高校野球なら甲子園、とか高校ラグビーなら花園、みたいなものです。
見本市の聖地ですね。
ライプツイヒは。
銅版画や切手にもなっていますね。
街の中に見本市をおこなうための商館が建てられていたのですが、そこはちょうど通り抜けできるアーケード街のつくりとなっていました。
この元見本市会場であった商館は現在でも、メードラー・パッサージュ街としてライプツイヒの重要な歴史的観光スポットのひとつとして残されています。
ミラノのガレリアをモデルとしたそうですが、世界初の見本市会場専用の建築とは、アーケード街だったのです。
ここをそぞろ歩きしながら、いろいろな商品を見て歩いたというわけです。
確かに、アーケード街は雨に濡れることもないし、半野外ですが適度に温度も管理された空間です。
その後に郊外に作られた大型の施設はこのようなものでした。
見本市=Mustermesseのから取ったダブルMのマークが有名で、歴代さまざまなデザインを考案したり、ポスターデザインに活用されています。
ライプツィヒがそうした市場の会場として発展していったことにはいくつかの歴史的経緯があります。
この街は、中世ヨーロッパの流通網で陸路の大動脈の交点に位置していたのです。
ローマから北に延びる「帝国の道」そして東西を結ぶ「国王の道」と呼ばれた街道の心臓部がライプツィヒだったのです。
そのような地理的条件と、当時の領主間での商工業の振興競争といったものもあったでしょうが、長い歴史を通じてここでのメッセにブランド力をヨーロッパ全域にわたる商業的活力の原動力みたいなものが埋め込まれていったのです。
ヨーロッパ、特にドイツ、さらにはライプツイヒとフランクフルトの歴史を調べると、「見本市」重要性と「見本市開催都市」の優位性がわかってきます。
見本市とは文字通り見本の市場であり、その場で消費者に直売するのではありません。
製造メーカーなら販売代理店を探したり、商社なら新製品を探したり、小売業者は店の目玉となる仕入れ商品を探したり、開発者は他社製品の動向を見たり、技術者は最新技術を把握したり、もうありとあらゆることが巻き起こっているといっていいでしょう。
「見本市」は祭典でもありながら競争でもあります。
企業や商品が格付けされる場所でもある。
大相撲の本場所のようなものであもある。
なので、何年ごとに開催されるか、毎年何月頃に開催されるか、といった予定が大事です。
同時に、定まった場所も大事です。
そして、継続した歴史が大事です。
ある産業ジャンルにおいて、ライプツイヒメッセに出展することを目標として、商品開発をしていたり、その機会に他社と情報交換しようと準備しています。
なぜ、ドイツで見本市がここまで盛んであったのか?ということをより理解するために、
ドイツの歴史をもう少し掘り下げていきますと、非常に面白いことがわかります。
ヨーロッパ諸国はローマ帝国の支配が崩れて以降、フランク王国として統一されていました。
そのフランク王国がいくつにも分裂したり合体したりを繰り返しながら、現在の近代国家に統合されていったわけですが、その中でも現在のドイツはイギリス、フランスが主権国家体制を築きつつあった15世紀~16世紀にも多数の領邦国家(ラント)に分裂していました。
現在のドイツ領内が300ものラントに分かれて数百年も推移していただけでなく、独自の通貨発行権や関税徴収権まであったというわけで、ゆるくドイツ王の名目支配は受けていましたが、、、
実質はどこの邦にどういう身分で生まれてくるかによってずいぶん人生が違っていたわけです。
ちょうど、人気漫画ベルセルクの中に出てくるひとつひとつまったく体制が異なる都市のようにです。
このころ日本では応仁の乱から戦国時代です。
つづく