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築地再生計画はじめました⑮

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私を知る人ならおなじみですが、

参照→真国立競技場へ15http://ameblo.jp/mori-arch-econo/entry-12041672080.html

この再生計画を新築地市場ならぬ、「真・築地市場計画」と名付けたいと思います。

 

 

 

そして、これは戦後のどさくさ増築を重ねて迷宮と化した築地市場の建築空間が秘めていた、真のポテンシャルを再度開放することにもつながります。

 

 

80年も経過している建築が再生できるのか?と問う向きもあろうかとは思いますが、

現に今、80歳で現役の施設です。

しかし、長年の無理無策がたたって、あちこちケガしてボロボロです。

 

ざっと代表的なものをご紹介しますと

 

 

床、そして床に接するカ所の痛みが激しいです。

 

 

 

荷卸しの場所もトラックやフォークがぶつかる場所です。ちなみに上の写真右側が築地における魔のヘアピンです。荷崩れや渋滞の危険カ所でもあります。

 

 

上の方を見上げますと、床補修が優先されている故か、おそらくまったくメンテされていません。鉄骨の耐火被覆が剥がれていますが、これはアスベストではありません。

 

 

コンクリートの角はだいたい丸くなっています。軒が低いとおそらく背の高いトレーラー等が衝突するのでしょう。外壁が剥がれたカ所があります。

 

 

青果と比較すると分かりますが、いかに水産市場が過酷な用途条件であるかが分かると思います。青果は水を使わないため床の痛みも少ないですね。

野菜は段ボールの梱包がメインですから実施床に水播くのは御法度です。

 

といったような要補修カ所が築地には数百カ所あります。

ですが、これで立派に機能してきた、頑張ってきた施設なのです。

 

ちなみに、この写真撮影したのは昨年の7月の夏日でしたが、市場内部に鳥が入ってくるとか、屋根の隙間や壁の隙間に虫がいるということはありませんでしたよ。

 

本当に不思議なのですが、ハエとか蚊とかといった飛行する小さな昆虫が見当たらなかったです。

 

築地を真に再生するのであれば、これらの補修の付け焼き刃ではなく、現行法の元でどのように対応していくのか?を考えていかねばなりません。

 

築数十年といった古い建築をどうにかしよう、というときに立ちふさがってくるのが、

「既存不適格」という言葉です。「きぞんふてきかく」と読みます。

 

 

「法律が出来る前から存在してるけど、今の法律ではちょっとマズいよ」という意味です。

 

日本で建築の法律が整備されたのは明治時代ですから、それ以前。

そして、戦後あらたに制定された建築基準法があるから、それ以前。

 

まあ、前者の代表的なものとしては、江戸以前の犬山城とかですかね。

後者のものとしては、戦前の洋館建築とか戦後すぐの市庁舎とか、けっこうあります。

 

あなたは、「既存不適格」です!って言われちゃったら、もうダメぽなイメージがするでしょう?

ところが、そうでもないのです。

この「既存不適格」の概念の存在で救われるケースもあるのです。

 

そこを解説していきます。

 

法律はすべて定義で出来ています。

たとえば、建築基準法上の「道路」とは、法第42条というところに書いてありまして、


建築基準法第42条第1項第1号(1項1号道路)
道路法による道路(国道、県道、市道等)
建築基準法第42条第1項第2号(1項2号道路)(開発道路等)
土地区画整理法、都市計画法その他の法令による道路
建築基準法第42条第1項第3号(1項3号道路)
建築基準法施行時以前より存在する道路
建築基準法第42条第1項第4号(1項4号道路)
道路法、都市計画法その他の法令により事業計画のある道路で特定行政庁が指定した道路
建築基準法第42条第1項第5号(1項5号道路)(位置指定道路)
土地所有者が築造し、特定行政庁からその位置の指定を受けた道路
建築基準法第42条第2項(2項道路)(みなし道路)
建築基準法施行の際、既に建築物が立ち並んでいる4m未満の道路で、将来は4mに拡幅が可能と特定行政庁が指定した道路
建築基準法第42条第3項(3項道路)
将来も拡張困難な2項道路の境界線の位置を中心線から1.35m以上2m(3m)未満に緩和する道。※ただし、崖地などは2.7m以上4m(6m)未満
建築基準法第42条第4項(4項道路)
 6m区域内にある道路幅員6m未満の道路で特定行政庁が認めた道
  1号・・避難・通行に安全上支障が無い幅員4m以上の道
  2号・・築計画等に適合した幅員4m以上の道
  3号・・6m区域指定時に現存していた6m未満の法42条適用の道路

建築基準法第42条第5項(5項道路)
6m区域指定時に現に存していた道(4項3号)で幅員4m未満の道。6m区域指定時に境界線とみなされていた線を境界とみなす。
建築基準法第42条第6項(6項道路)
幅員1.8m未満の2項道路 (建築審査委員会の同意が必要) ※古い城下町に多い。

 

と、ことこまかに決まっている。

なので、法律以前の建て物には現行法における、存在認定がなきに等しいのです。

 

どういうことかといいますと、法律上で人間の存在を認証しているのが戸籍ですよね。

出生届けと同時に戸籍が作られる、するとその人は法律上社会に存在することになり、義務教育やその他様々な国からの福利厚生や、同時に納税とかいったような義務も発生する。

 

その建築における戸籍に相当するのが登記ですが、これは課税のための財産登録であって、建築基準法と連動して建築物の構造や機能までを詳しく記したものではありません。

 

実質的に戸籍に相当するのが、建築確認と検査済み証と考えてもいいでしょう。

そこには何階建てであるとか構造は何とか、ちゃんと窓はあるかとか、建築物の主要な要素を記入したうえで、建築確認は計画する予定の建て物が法律に合致しているかどうかを確認し、検査済み証はその確認申請どおりに建築がなされた、ということを確認するものです。

 

なので、建築基準法以前の建て物や、建築確認申請を紛失してしまったケース、検査済み証を受けていないケース等々により、将来的に増改築を試みようとしたときに支障が出ます。

 

昔の建て物を、今の建て物の基準に合わせようとしても、建築確認申請がない、ということになると、元になる公的な認定資料がない、戸籍がないから法律上は非存在ということになります。すると、増改築できません。

 

そのようなケースでも、古い建物を再生している人が居ます。

私のブログをお読みの方であれば、みんな知っている再生建築のスーパーヒーロー、

青木茂さんです。

 

参照→新国立競技場の建設コンペをめぐる議論について15

 

このときの紹介では、確認申請のない築40年の廃墟を再生した、とサラッと書いていますが、その手法こそが、「既存不適格建築の確認」なのです。

 

どういう意味かといいますと、

確認申請がない建築物は法律上は取り扱えない建築物になってしまい、合法的に増改築出来ないといいました。

それで、諦めたら廃墟のままです。

 

そこで、青木さんが取った手法が、「既存不適格建築の確認」

 

「既存不適格建築」とは

「法律が出来る前から存在してるけど、今の法律ではちょっとマズいよ」でした。

 

そのことを確認してくれ!と役所と協議したのです。

その狙いは、

「今の法律ではちょっとマズいけど、法律が出来る前から存在しているよ」と、

あらたな出生届けを出し直しているようなものなのです。

 

これが認められると、次に出来ることは、

「現行法に沿うように建て物を直すよ」と意味での確認申請を出します。

で、工事が終わったら、検査済み証を受けると、なんと!

元、廃墟だったはずの建て物が、確認申請と検査済証をもった立派な新築建物と同じ権利をもちます。

 

結果、金融機関から融資を受けることも出来るようになる。

ただ、古い建物をキレイにして使っていますというのではなく、まったく新生させたのです。

 

 

さらに、平成24年度より、増築範囲をそれまでの1/2までから、もっと増やせるようになり、既存不適格建築の混在の取り扱いも出来るようになりました。

 

 

 

これらの法改正は、国土交通省の既存ストック活用政策にのっとったものです。

青木さんはそうした時代の変化のはるか先に再生建築に取り組まれたきたのです。

 

http://aokou.jp/

青木さんのHPには、そういった奇跡的な事例がいくつかありますが、その中でも白眉なのが、

1933年に建設された、戸畑市役所庁舎を図書館に再生です。

 

 

築地市場の建設が1935年ですから、それよりも古かったのです。

 

 

築80年以上でしたから骨組みを調査しているときは、こんな具合だったそうです。

 

 

それが、こんなおしゃれな図書館になった。

 

 

これ、地元の人は嬉しかったと思いますよ。

長い間、80年といえば4世代くらい経過するぐらいの長さですから、

街の顔として慣れ親しんだ建築物、街を代表する建築。

おそらく地元の小学生の写生の授業ではだいたいこの庁舎描いたんじゃないですかね。

 

それを壊さないで再生した。

立派な人達です。

 

町村合併により中心市街地では大型のおおげさな庁舎が一過性の流行に乗ったドヤ建築として建ち、その反面吸収された側の町村には、無残にも壊されて空き地化したままの、庁舎や学校や図書館や市民ホールがあった場所を見る度に思います。

どうにかして残せなかったのか、何か新たな用途に変換してでも残すべきである。

なぜなら、街のカタチが変わるから、街の顔が消えるから、想い出がなくなるからです。

 

いつも言ってるように建築は50年経過してからが勝負なのです。

 

過去記事でも書いていますが公共事業の理想的な最終形態は「文化財」になることです。

築地市場は、今その資格を得たのです。

 

箱モノの経済学とはなにか①

箱モノの経済学とは何か④日本の意匠について 

箱モノの経済学とは何か⑤地域資産のつくり方

 

なので、現在の古い築地をそのまま残すのではなく、ここで手を加え、

新たな価値を追加したうえで次世代に渡す。

それこそが我々の使命だと思いませんか。

 

つづく

 

 

 

 

 


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