谷口吉生先生の京都国立博物館「平成知新館」解説の続きです。
谷口さんは今回非常に画期的な配置デザイン計画をされているのですが、それは日本の美術空間を建築化しているということです。
東側入り口受付からのアプローチが「絵になっている」しかも西洋式透視図法の絵ではなく、浮世絵によくみられる自由な視点、トリミング、強弱、近景、中景、遠景の構図になっているということでした。
同時に明治時代の博物館に対しては脇役に徹している。
つまり、今回の谷口建築の真骨頂は同じ敷地で軸線を90度ひねったときに違う場の印象を生じせしめているということなんです。
「一粒で二度美味しい」というやつです。
東西方向の軸線では西洋式庭園の脇に控えた存在として位置しながら、南北方向の軸線では日本的美術景観を現出させている。
東西方向の軸線では西洋式庭園の脇に控えた存在として位置しながら、南北方向の軸線では日本的美術景観を現出させている。
建物だけを比較すると、片や明治期のルネッサンス様式の西洋建築、片や平成のミニマリズムモダン建築が、120年の隔たりがあるにもかかわらず互いに補完しあっています。
入口受付部分ですが、多くの方々が指摘しているようにミース・ファン・デルローエのバルセロナパビリオンを彷彿とさせるようなシャープな処理です。
今回の谷口建築の見どころはですね、ズバリ「目地」です。
目地というのは、ものとものの接合面のライン処理のことですね。
普通はレンガとかタイルの材料の接合面をいいます。
ここに詰めてある材料を目地材といいますが、モルタルや漆喰、最近はシリコンシーリングという固まるとゴムみたいになるボンドのようなものが詰めてあると思います。
が、谷口さんは「詰めてない」、「隙間にしている」もしくは「詰めてないように見せる」なんです。
そして「目地を通す」まっすぐに、同じ幅で。
これが、なっかなっか難しいんです。
大体、有名な建築家の作品といわれるものでも、有名デザイナーと言われる店舗インテリアのデザインでもこの目地を見ればわかりますね、その実力は。
同時に、建築家やデザイナーを目指す人達は、目地にうるさくない先生についていても、しょうがないとも言えます。
なぜなら、目地処理をどうするか、、を考えることによって、表面仕上げだけじゃなく、その下地処理、構造との取り合いの検討も含め、施工精度や施工のコストにものすごく影響を与えます。
だから、目地を考えることからみんな逃げたいんです。
この入口部分の壁面
目地といってもこの距離だとただの細い線ですが
石の頂部をよく見ると
石の頂部をよく見ると
離してある。
石と石の間が!
これはですね、非常に難しい技です。
この目地幅の細さでビシッと離すのは、
目地として透かすとなると出角になって立体として見えてきますから、石の小口面、断面も表面と同じように磨く必要が出てきます。
同時に頂部、スカイライン、空との切れ目ですが、あいかわらず笠木をつけてない!にもかかわらず雨だれの汚れとかもついていない!
いったいどうやってんだ!
5年前の外苑前のビルでも書きましたが、谷口さんの凄さはギリギリピシピシの仕事やってんのに劣化してないってことなんです。
5年前の記事:谷口吉生さんの新作レポート
よく、本当に頑張ったシャープなデザインの店舗や建物が次第に薄汚れて、シャープでミニマルゆえに、レンガや木部のように劣化を風合いとして吸収できないで、悲しい感じになってるのを見かけませんか?
ひどいものになると、完成写真のときが一番凄くて、実際に見に行くとグッチャグチャでカビカビになってるものも多いですよね。
ミニマルアートもそうですが、観念的なコンセプトの作品はそういった大体経年変化に耐えられないんです。
ところが!谷口先生の場合、なぜか、建築が老いない。
デザイントレンドを追わないのもありますが、はじめからそういった時間の経過とは無関係なところに屹立しているんですよねえ。