建築知識 ビルダーズ 2012 Winter No.11
にて、立花宗茂公を取り上げました!
この方はですね。
戦国敗者復活戦で勝ち抜いた人なんです。
勝負で勝ったというより人柄で勝った。
もちろん、いくさも上手なんですが、
その逸話がかっこよすぎなんですね。
また、宗茂の親父さんも凄いんですよ。
実の親父は高橋紹運、義理の親父が立花道雪
まず、この二人は親友にして主君大友宗麟を最後まで支援する。
大友宗麟が酒色に溺れて、島津に蚕食されつつある中でも
見捨てなかった、裏切らなかった。
島津2万の兵に囲まれ千人弱で高橋紹運は持久戦を戦い抜きます。
そのときの戦いの舞台になった大宰府の岩屋城は、
以前九州大宰府の工務店チケンホームさんとこに遊びにいったおりに
水城を見て、さらにその裏山が岩屋城ということで大感激した覚えがあります。
宗茂は高橋紹運の長男であったにもかかわらず、親友の立花道雪から
懇願されて養子に入って、立花宗茂となります。
ところがですね、道雪の娘さんは誾千代(ぎんちよ)というのですが、
道雪が溺愛のあまり7歳で城主にしていたがために、
大変なわがまま娘でありまして、といっても武芸に秀でた優秀な娘でしたが、
尊敬する親父さん道雪が見込んだほどの立派な好青年宗茂に対し、
「父がどういったか知らないけど、あたしはあんたなんかを城主としては認めないんだからね!」
と、涼宮ハルヒも顔負けのツンデレ元祖みたいな女性であったそうです。
というわけで、柳川城主となる宗茂なのですが、
慶長の役では、完全孤立し全滅寸前の加藤清正を単独で救いにいって、
2万の兵に3千で突撃し清正を救い出したり、
関が原のときも、豊臣に恩義がある、と西軍についたり、
その後、浪人しても臣下が乞食同然の生活をしながら宗茂を支え、
柳川藩主に返り咲くなどいろんな逸話を残した人です。
なので、以前福岡県の大川市に頻繁に訪問していた折には、
私は宗茂公を偲んで頻繁に柳川城下にも訪問していたのでした。
今回も秀逸なる宗茂公のイラストを書いていただいたのは、
丸山誠司先生です。