日本は太平洋戦争で負けました。
このことについては戦後70年間実に多くの人々が様々に語っておられます。
体験談、多くの著書、当時のニュース、いろいろなご意見もあります。
毎年八月になれば今でもこの戦争に関しての多くの言説があります。
子供のころからそうでした。
出身が岡山県西部でしたのでテレビ局は岡山系列と香川県系列そして広島系列の、
両方が受信できる環境だったんですね。
TV朝日系列では瀬戸内放送と広島ホームテレビ
TBS系列では山陽放送と中国放送
日本TV系列では西日本放送と広島テレビ
フジ系列ではテレビ岡山とテレビ新広島
テレビ東京系列のテレビせとうちは当時はありませんでした。
そして、8月ともなりますと広島県系列の局では原爆に関する報道や番組が特集されます。
それらを見ていますと、
子供心に、
なぜ日本は戦争で負けたんだろう?
なぜ、戦闘に関係のない福山とか岡山の町まで爆撃されてしまったんだろう?
そもそもなぜ戦争を始めてしまったんだろう?
なんで広島に原爆を落とされてしまったんだろう?
と疑問が沸いたものです。
同時に、昭和40年前後生まれは大体そうだと思うのですけど、私も多分に漏れずプラモ少年でしたからそのような大局観とは別に、
タミヤ模型の戦車とかハセガワの戦闘機とかニチモの戦艦とか作りまくっていましたので、それらを通じて戦史に詳しくなっていくんですよ。
戦時中の日本が資源のないアジアの小国が、明治維新から100年も経たない状況下で、日露戦争でやっと目鼻がついた状況下の20年やそこらで、よくここまでの技術力でゼロ戦や三式戦飛燕やイ号潜水艦とか戦艦大和や武蔵や、空母飛龍や大鳳とか局地戦雷電とかエンテ翼試作機の震電やロケット機秋水、ジェット機橘花とか、
よくもまあ、作れたもんだよ、、と感慨深かったものです。
同時に、そういった現場の技術者の努力をフイにしてしまうような作戦命令、建造計画。
特に航空兵力が雌雄を決するということがあきらかなのに、実際に真珠湾攻撃では空母を中心とした機動力で戦果を挙げた体験があるにもかかわらず、多くの軍事関係者がわかっていたのにもかかわらず、日露戦争時のバルチック艦隊との帝国海軍による日本海海戦勝利の幻影にこだわって、大艦巨砲主義により現状を無視して建造された戦艦大和が、世界最大の規模と当時の造船技術の粋を集め、当時の金額で1億3000万円(現在の金額に直すと1300億円とも1600億円とも言われていますが)という膨大な戦費と人材を投入したものの、時代遅れでまったくモノの役にも立たず、最終的に天一号作戦という片道燃料のみを搭載して沖縄に特攻するという悲劇を生んでしまったのか、
子供ごころに非常に疑問をもっていたわけです。
なぜなら、個別の兵器開発の技術力では日本の技術者も欧米に負けてはいなかった、資源不足もたとえばジェット燃料を入手が困難な石油に代わるバイオ燃料、松根油で飛ばそうとか無茶だけど先駆的な発想、現場の人達はギリギリで頑張っているにもかかわらず、大本営はじめ参謀本部は帝国大学出の超エリート集団にもかかわらず、一体全体何やってたんだよ!なぜもっと大局観をもってある程度のところで事を収める努力をしなかったんだよ!と憤っていました。
また、戦前と戦後は別世界と思っている人が多いですが、そんなことはないんです。明治大正時代から実に多くの人々が欧米に留学もし、海外からも人も招き、海外で経済活動をおこなう日本人も多くビジネスも多様におこなっていた。国際事情だって政府関係者だけでなく多くの民間人も理解しているはずなのに、なぜこうなった!という大きな疑問がまったく解けないんですよね。
同時に、日露戦争以降の日本の経済戦略、外交戦略や軍事戦略に関して、中学生のころから何度も地図上での机上での模擬戦、自分なりに相当回数シミュレーションをおこなってきています。
どう考えても1930年、昭和5年頃から論理的にみて愚策をとっている。
新国立競技場問題について考えていると、これが大戦中の戦艦大和の建造といっしょだという意見にはまさにそうだな、と思わざるを得ないんですよね。
だいぶ話がそれましたが、ここ数カ月の新国立競技場にまつわる推移をおさらいしてみたいと思います。
つづく
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新国立競技場問題・史上最悪の作戦に向かう②
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