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千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場

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先々週、関東圏を襲った暴台風は、房総半島南部を中心に大きな被害を与えました。

その被害も、これまでの予想や観測史上を超えるような風によるものでした。

 

 

建物には様々な災害が襲いかかります。

一番みなさんが気にするのは地震、そして注意しているのが火事ですね。

 

江戸時代から、地震と雷と火事

 


これは、鯰絵(なまずえ)と呼ばれる今で言うポスターというか漫画の扉みたいなもので、
地震や災害のときに身を守る護符として、地震が起こる度に作者不詳で発行されたというものです。

庶民の不安を取り除くためのおまじないとして、災害の後に急速に広まっていったんですね。
 

 

それくらい、災害は恐ろしいものでした。

 

今とは違い、当時の一般的な日本の建築は、茅葺きに障子張りと燃えやすく、

また、建物の強度も、一部の贅を凝らした名工による寺社仏閣ならまだしも、庶民の長屋等ではそこまでキチント建ててない。

 

その結果、江戸の町は火事に大変弱く、日本の木造建築も石垣も地震が来る度になんとかして耐震の工夫を積み重ねた歴史でした。

 

それらの経緯を踏まえて、現在の建築基準は決められています。

 

そのために、建築物には耐震設計と、強度を担保する適切な工事が求められます。

また、火事を防ぐためにも、耐火構造や防火区画、燃えない建材といった耐火・防火設計とやはり適切な工事が必須です。

 

ただ、そのときに風の話しはあまり出て来なかった。

 

台風ではどちらかというと、これまでは大雨の心配をしていました。

大雨で川が氾濫し、床上浸水による被害です。

 

ところが、今回の台風15号の被害の多くは、風によるものなんですね。

 

 

日本に来る台風の風の吹き方は、右側からねじり込むように吹いてくる。

強烈な右フックで殴られる状況なんです。

 

風で屋根や壁が吹き飛んだ。

 

 

風で樹木が倒れてきた。

 

また、恐ろしいことに、風で電柱が折れた。

 

風で高圧鉄塔が倒れた。

 

そして、今回、問題にしている、ゴルフ練習場の柱が倒壊した。

 

 

こんな巨大な構造物が一気に全て倒れてしまうことがあるのか…

と戦慄しました。

 

で、現地に行ってきたんです。

 

つづく


千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場②

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千葉県の市原市のゴルフ練習場倒壊の現場から…の続きです。

 

この被害状況に関して多くのニュースが出ていますね。

 

こちらでは被害住宅の取材もされています。

2019.09.20 16:54 台風でゴルフ練習場の鉄柱倒壊 補償は? 住民の胸中(テレ東ニュース)

 

 

台風15号の影響でゴルフ練習場の鉄柱が倒れ、住宅を直撃した千葉県市原市。
復旧に向けた補償などゴルフ練習場側と今後どう向き合っていくのか。
住民たちが不安な胸中を語りました。
倒壊から12日目ですがいまだ状況は変わっていません。
鉄柱が大きく倒れ込み、車が変形しています。
またあちらの家屋では屋根が激しく崩れています。
今回の台風で、とくに衝撃を残した千葉県市原市のゴルフ練習場倒壊。
20代の娘が重傷を負ったこちらの男性。
許可を得て、家の点検に同行させてもらいました。
真っ二つに割れた天井が、衝撃の大きさを物語っています。
今そこが、うちの娘が休んでいた部屋なんですけど、こういう形で入ってきたのかな、本当に奇跡ですけど、頭にいかなくてよかった。
死者が出なくてよかった、他の家も紙一重だったと思う。
先週、被災した住民たちが要望し、ゴルフ練習場のオーナーによる説明会が開かれました。
住民:何世帯が被災しているか把握してます?
オーナー:それは...。
住民:住むところと、足(車)の確保は工事が終わるまではしてほしい。
オーナー:いくらというのは言えないんだけど、できる限りのことは...。
その場では、補償に言及したというオーナー。
しかし後日...。
弁護士が「私が拝見したところ、これは自然災害だ」と。
住宅の補償に関しては、各被災者で火災保険を使って修理していくことになると思います」と...(ゴルフ場側とは)円満に解決できれば一番いいなと思っています。

 

引用ここまで

 

一方、このような報道もある。

鉄柱倒壊「自然災害だから補償なし」ゴルフ練習場の言い分が大ヒンシュク

 

台風15号で千葉・市原市のゴルフ練習場の鉄柱が倒壊し、近隣住宅に被害が出ている件で、練習場側の弁護士が「自然災害なので家屋の修理費は支払わない」と被災住民に通達し、大ヒンシュクを買っている。

 9日の台風で倒壊したのは練習場の幅110メートルにわたるネットとその鉄柱で、高さ30~40メートルの鉄柱が倒れ、隣接する住宅13棟を直撃。発生から10日が過ぎても除去されておらず、住民らの憤りは膨らむばかりだ。

 11日には練習場の所有者が住民に説明会を開いたが「鉄柱を除去できる業者を探している」などと説明し、被害を与えた住宅については「すべて補償します」と説明。だが、13日ごろから練習場側の弁護士が被災住民に対し、こんな真逆のことを伝えてきたという。

「自然災害なので被災家屋はそちらの火災保険で修理していただくことになった。裁判をして負けた場合、多額の弁護料を払うことになりますが、大丈夫ですか」

 予想外の強い台風が原因とはいえ、被害を与えた側の主張としてはあきれるばかり。住民は「脅しのような言い草だ」と激怒している。

「法律的には、鉄柱とネットの設置や管理方法に不備があったかどうかがポイント。不備がなければ自然災害として補償を免れますが、全面的には認められないでしょう」(法曹関係者)

 国交省や市原市が調べると、鉄柱の基礎部分を固定するボルトが複数壊れていたことから、老朽化や安全対策に問題があった可能性が高まった。強風が予想されていたにもかかわらず、側面のネットを取り外しておらず、倒壊につながった可能性が指摘され、練習場側の責任が問われそうだ。

「練習場側としては、早期復旧を望む住民感情を利用し裁判を避け、少しでも補償額を減らす戦術かもしれないが、逆に住民感情を逆なでしかねない。もう少しソフトな言い回しで合意点を話し合うようにすべきではないか」と先の法曹関係者は話している。

 

引用ここまで

 

被害から二週間が過ぎようとしている今でも、まだこの倒壊鉄塔の撤去方法すら決まっていないんです。

ここでさらなる雨や風などの影響で二次被害もおきかないというのに…です。

どっちが悪いとか、誰の責任か、で、いきなり弁護士出してきている…、そんなこと言ってる場合じゃない。

 

そこで、こういう記事を出してもらいました。

専門家も指摘 千葉・台風被害の迅速復旧を妨げる行政怠慢

 

私もコメントしていますが、
 

「放置するのは非常に危険です。行政が代執行などの手続きを取り、対処すべきではないか。例えば、ゴルフガーデンと住宅の間を走る道路は市道です。交通の妨げになっていますから『公共の利益を確保する』などといった名目で介入する余地があるはず。そもそも、ゴルフガーデンの施設は欠陥性が高く、建設時に行政はしっかりチェックしていたのか。市には復旧を優先する意思が感じられません」(森山高至氏)

 

実際、このゴルフ練習場というものが、どういう構成になって、

どういう左様で倒壊してしまったのか…考えてみることにしました。

 

 

これが、上から見たところで、矢印の部分から見た写真がそれぞれこうです。

 

 

 

で、先日、近隣住民の方からお聞きしたのですが、元々の高さから(ボールが飛び出すとかの苦情?により)

さらに付け足している…ということでした。

 

確かに、一部が途中から上に延ばしてあるように見えますね。

 

 

また、国土地理院の電子国土webの地理院地図では、現在と過去の航空写真の比較が出来るのですが、

国土地理院の電子国土WEBによる千葉県市原市五井付近

 

 

この45年前の空撮を見ると…周辺はほとんどが畑だったということが分かります。
道路も市役所通り以外は未整備ですね。

 

で、この航空写真なんですが、非常に興味深い事実が分かります。

それは…、付近住民の方のコメントと、見た目の骨組み形状から、鉄柱を上に延ばしていることがわかるのですが、

 

平面形でも増築をしている、ということなんです。

昭和40年代の頃から、現在では赤い部分に拡げています。

 

 

つまり、このゴルフ練習場は、過去に2回増築と拡張をしているということです。

 

建築確認は提出されているという市川市のコメントがありましたが…、

この変化にほんとに対応していたのでしょうか?

 

基本、建物の変更や改造には、「安全側」「危険側」という考え方があります。

まあ、建物に限らないかもしれませんね、負荷をかける方での変更か、負荷を減らす方での変更か?が問われるんです。

 

建物なら、高さを高くすることは、風圧力でも地震力でも負荷が大きくなる「危険側の変更」にあたります。

同様に、建物重量を増やすこと、建物に入れる荷物の量を増やす積載荷重の増量も「危険側の変更」にあたります。

 

なので、既存建物の変更において、高さを低くすることと重量を下げることは「安全側」になりますが、

この、ゴルフ練習場のケースは「危険側」に寄っていった改造です。

 

この変更申請や増改築申請は適切におこなわれていたのか?がまず疑問なんです。

 

つづく

 

千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場③

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千葉県市原市のゴルフ練習場「ゴルフガーデン」の鉄柱が、

近隣に向かって倒壊した件の分析の続きです。

 

まず、わかったこととして、

 

平面の拡張をしているということ
 


▲ 1970年代の航空写真に現在の施設の輪郭を赤く記す

 

続いて、近隣の方々からのコメントとして、「あるとき、上に継ぎ足した。」

実際に、その形状を見ると、途中から上に伸びているのと、途中から構造素材の接続が見られます。

 

 

上空からの配置状況
 

 

 

さて、これらの情報と地図、現地の状況を元に、断面模式図を作成してみました。

 


図のような関係です。
台風の風は、房総半島の外側から、南東より吹き込んできています。

 

このゴルフ練習場の配置は、真北に対し45度ほど振れているため、

まさに風圧を真正面に受け止める格好になっています。

 

これですね、もう嵐にあっても帆を張ったままの帆船とか

 

 

強風に大凧を揚げようとするようなものなんです。

 

 

でも、ゴルフ練習場の壁は、帆布や紙と違って、風の抜ける網、ネットだよね?
そこまで、風圧力受けるんですか?スースーじゃないの?と思われるでしょう。

 

ところが!なんです。

たとえ、ネットでも、強風時には、風を受ける面積が大きければ、途方もない力を受けるものなんです。

 

風圧力は、速度圧×風力係数という式で計算するのですが、

 

速度圧というのは、ある速度でぶつかってくる物体からの力と考えていいでしょう。

 

なので、速度が同じなら重たい者、質量の大きいものの方が受け止める衝撃が大きくなりますよね。

ひょろひょろの人より、体重のある関取のタックルの方が衝撃は大きいでしょう?まあそんな理解でいいです。

 

では、風は重たいのか?というと、空気ですから重たくありません。

 

空気の質量は1立方メートルで1.2㎏です。

普段、まったく気にしないですけど…空気に重さがあったんですか?はい、あるんです。

空気抵抗というのはわかりますよね、団扇や扇子を動かすときのあの手にかかる加重、あれが空気の質量です。

 

なので、速度をもった物体の運動エネルギーは、V=1/2mV二乗(2分の1×質量×速度の二乗)です。

空気は1.2㎏だから、0.6×速度の二乗。これが速度圧

 

これに風力係数を掛ける。

 

風力係数というのは、周辺環境を考慮して実際には風の力をどう受けるのか…を、計算に見込むための数値です。

 

周りに建物が密集してるか、野っ原みたいなところか、地表からの高さは何メートルくらいのところか、あとビル風みたいな突風が吹くか、

といった、風圧を調べたいと考えている場所の条件を検討して導きだします。

 

今回のゴルフ練習場のネットの高さは20メートル以上であり、周囲にもあまり風を防いでくれるものもない…と仮定して、

速度係数を2.5としてみます。(ホントはいろいろ細かい計算をしないと出ない)

 

とすると、風速40メートルのときに、ゴルフ練習場の壁が受ける1㎡あたりの風圧力を計算すると、

 

0.6×40×40=960N/㎡

これに2.5を掛けると、2400N/㎡となりますが、風を受けるのは壁ではなくネットです。

なので、だいぶ小さくなります。

 

25ミリ角で2ミリの糸で編まれているとして、その1㎡あたりの密度を計算すると、1-(25-2)×(25-2)/25×25=0.15

なので、2400N/㎡の0.15は、360N/㎡となり、

ネットが受ける加重は1㎡あたりでいえば36㎏の重さを受け止める感じになります。

 

しかし、これが高さ30メートルで、柱間隔で幅10メートルの大きさとなると、

全体で受ける風圧力は、300㎡×36㎏だから、

10トン近い荷重が横から全体に掛かってきているといったイメージです。

 

もし、ネットを下に降ろすかしていれば、この帆の効果はないわけですから、柱自身が受ける風圧だけです。

その場合は、柱の面積が30センチ×30メートルなわけですから、0.3×30で9㎡に過ぎない。

9㎡×36㎏だと、柱一本あたり326㎏に過ぎません。

 

その風圧力を受ける柱の重さは、約10トンですから、風速40メートルといった風の場合には、

当然ながら自重だけでは転倒に対抗できない。

 

 

まず、ハシゴ状に組まれた柱の内側の鉄骨の基礎が浮き上がってしまったんだと思われます。

そして、外側の一本だけで踏ん張りきることが出来ず、転倒したと考えられます。

 

 

この足下のところをよくみるとわかるんですが、浮き上がりを抑えるためには、

鉄骨の根本が充分に基礎とつながって、基礎と杭がしっかりつながって、引き抜きを抑える構造になっていないとダメなんです。

 

 

そのためには、鉄骨の柱の根本はこうなっていなきゃいけないんです。

 

ガッチリと、基礎と杭がつながってなくてはダメ。

柱の何倍もの太さと厚みの「フーチング」という足がないとダメなんです。

 

 

 

それが、今回のゴルフ練習場の柱の根本はどうだったんでしょうか…

 

 

見てきました…

 

 

えっ?

 

 

 

ええーっ!!

 

 

小さ!

 

 

 

この四角いの独立基礎にもなってないじゃん…深さも足りないし…

 

 

 

ちょっと呆然としました。

 

 

 

 

そのときの写真をどうぞ

 

 

 

全部、なんの抵抗もなく、足上げちゃってます。

 

 

 

引き抜きに抵抗した後すらありません。

 

これは…全然、ダメです。

 

 

なんで、こんなことになっているんだろうか?

 

そして、なんで、この住宅地側だけが転倒しているんだろうか…と考えているうちに、

 

あることに気付いたんです。

 

つづく

 

千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場
千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場②

千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場④

千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場④

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千葉県市原市の倒壊したゴルフ練習場「ゴルフガーデン」の問題の続きです。

 

鉄骨の基礎下が杭にもつながっておらず、基礎としても小さすぎるという状況を見て、反対側に回ってみました。

 

倒れていない方のネットと鉄塔です。

 

 

そこから、倒れた側を覗いてみる。


 

反対側からだと、鉄柱がみな倒れてしまい、ネットが倒壊していることがよくわかります。

 

そして、倒れた柱の足下の四角い物体が見えています。

 

 

どうなんだ、この裏側、基礎か杭か何かにキチンと繋げてあったのか…と

 

アップにしてみましたが…

 

 

なんにも繋がっていないようですね。

 

 

 

これは、一度、このゴルフガーデン敷地内に立ち入りして、基礎下の状態を調査する必要がありますよ。

 

そして、それは特定行政庁の責任で審査なのか検査なのか、しなきゃいけないと思いますよ。

 

で、この倒壊状況を見ていて、ふと気付いたことがあるんです。

 

それ以前から、なぜ、こちらの住宅側が壊れてしまったのか…とも聞かれ、

 

台風は左回りに風を起こすので、南東から強い風が吹いてきて真正面だったんですが、手前のマンションが防風林の役目をしたのかもしれませんね。と答えてました。

 

 

しかしながら、この壊れたかたを見ていて、ちょっと気付いたことがあるんです。

 

 

角のところは倒れていないんですね。

 

で、もう一度、平面で確認してみると、倒れたヶ所は住宅地側だけ…、このラインは何かに関係あるような…

 

 

 

ハッとして、例の過去の航空写真と比べてみました。

 

 

そして、同じ大きさでさっきの「倒れたライン」を置いてみました。

 

 

これ、昔のゴルフ練習場の配置とリンクしてるんじゃない?

 

この過去のリフォームで拡張された部分の工事と、元々の工事の部分で被害状況が違っているんではないか…ということです。

 

 

 

つまり、壊れたところが築45年の部分で、
反対側はその後の増築部分、それに挟まれてた古い部分はなんとか壊れなかった…

 

 

そういう風に見ることができるんですね。

 

となると、これは当時と今とで工作物に対する要求強度が変わったのか?

それとも、設計・工事した業者のレベルが違ったのか?

はたまた偶然か?

 

いずれにしても、これ、工作物申請と工事監理と、運営維持管理の指導について、

特定行政庁の関わり方が問われる案件であることは間違いないですよ。

 

そして、市原市は特定行政庁ですよね。

 

 

また、こういったゴルフ練習場の工作物申請と検査済証や運営維持管理について、

国土交通省も一斉調査とか必要なんではないでしょうか。

 

そもそも工作物申請の中で、このゴルフ練習場って、どう捉えればいいのか?

そこからして、みんなよくわかってないと思うんです。

 

つづく

 

千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場
千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場②
千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場③
千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場④

千葉でゴルフ練習場が倒壊!の現場⑤

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千葉県市原市のゴルフ練習場の倒壊問題、今朝も、テレビで採り上げられたようです。

テレビ朝日 【羽鳥慎一モーニングショー】  JCCテレビすべて
鉄柱直撃・住宅補償めぐり全面対決か
住民vsゴルフ練習場・住宅補償めぐり全面対決か。
被害住民は「台風で仕方ないが自宅の修繕費用は多少は負担してもらいたい」。
ゴルフ練習場の弁護士は「今回は天災のため住宅は各自火災保険」。
弁護士・高橋裕樹に話を聞く。
裁判になった場合のポイントはゴルフ練習場側の台風への備えが十分だったか。
ゴルフ練習場のオーナーは対策として天井部のネットは下ろし側面は固定式で下ろせなかった。
市内の他の6つのゴルフ練習場のうち4つが台風接近時にネットを下ろした。
下ろしていないところは周辺に民家がない。
下ろしたところも下ろしていないところも被害はない。
5年前に千葉・鎌ヶ谷市でも鉄柱15本が倒壊し被害が出た。
これを受けて市原市は市内のゴルフ練習場に強風が予想される場合は事前の安全点検、ネットを下ろす対策を求めていた。
きのう、台風17号が接近し福岡のゴルフ練習場では前の日に全てネットをおろした。
ネットは可動式が主流。
風対策として、ネット自動昇降システムがあり、規定の風速に達すると警報機が鳴りネットが自動で降下する。
元三重県知事・北川正恭、ニューヨーク州弁護士・山口真由のスタジオコメント。

 

千葉県市原市のゴルフ練習場の倒壊問題、今朝も、テレビで採り上げられたようです。

この問題がなぜ、多くの方々の関心を呼ぶのか…についてですが、

こうしたゴルフ練習場は各地にたくさんあり、よく目にするからなんですね。

 

 

ひとつには、ゴルフに縁がない人にとっても案外身近な問題だと考えていると言う点と、

もうひとつは、自然災害によって巻き起こった被害の派生的被害であること、

 

いわばドミノ倒し的に被害が広がっているケースで、二次被害、三次被害の補償や救済がどうなってしまうのか…という、

人々の不安や疑問の検証をともなっているから、いわば社会制度の事例研究、ケーススタディになってきているからです。

 

 

災害で自分の家が倒壊した半壊した全損した…というときのために、保険があります。

その保険にはいろいろな種類というかオプションがあって、

 

最近では台風・竜巻等による損害、
雪災・ひょう災による損害、
落雷による損害、
洪水・集中豪雨・土砂崩れによる損害、

地震による損害、

等々です。

 

そして、その保険の範囲も「住宅」と「家財」は別別になっています。
なので、家財も保障を受けたい場合には「家財」分も加入しておかなくてはなりません。
 

 

尚、「建物」には、付随するものも含まれます。たとえば、門や塀、垣根や車庫、室外機など、家の中にある建築設備のガス台や浴槽やエアコン、エレベーター等です。
「家財」には。家具や衣類、家電製品等です。また家財には現金や通帳や証書、知的財産、データ等は含まれず、たとえば現代では必須となってきているコンピューター関係の大事な資産としてのデータや仮想通貨のパスワード等は含まれないというわけです。

また、地震による火災には、火災保険単独ではカバーされず「地震保険」とセットで加入が必要です。

 

今、このゴルフ練習場被害で人々の関心が高いのは、

隣家の被害で受けた自宅の被害が保険上どう扱われるのだろうか…ドミノ式被害に補償はつくのだろうか…なんです。

 

まず、火災についてなのですが、隣家の火事から燃え移ったドミノ式被害、これは保障されます。

消火活動による水濡れも同じく保障対象です。

 

続いて、楽雷、これは隣家への落雷による過電流により自宅の家電が破損、これも保障されます。

 

突風や竜巻などの「風災」ですが、飛んできたものでガラスが割れたような場合、これは保障されます。

これは、「建物外部からの飛来・落下・衝突」とみなされ風が原因なら「風災」となります。

一方、自動車の飛び込みや、ボールの飛来などの人的要因が事故原因の場合は「飛来・落下・衝突」となります。

 

ただし、これらの保障項目は各社ごと、保険商品ごとの契約状の細かい約束で変わってきますので、

どういう保険に入っているのか…によってその保障内容も保障金額も違ってきますから、

この問題についてテレビ番組では、ぜひ保険の専門家からの意見を聞くべきなんですね。

 

ですが…、保険会社はテレビもっとも大きなスポンサー企業のひとつですから、何か保険会社に不利になるようなこと、

つまりは、保険料をたくさん払うことになるような方針のコメントが出ることは恐れてしまいます。

同時に、保険の専門家はFP(ファイナンシャルプランナー)等ですが、彼らも保険商品を売る側なので、
どうしても保険会社や保険制度にはナーバスになってしまいます。

でも、保険会社もこうした事故のときに、積極的に保険制度と保険商品について、テレビや新聞、雑誌、ラジオで積極的に説明や解説をして、

出来ることと出来ないこと、有利・不利についても説明するべきなんです。

そして、人々を安心させて欲しい。

 

なぜなら、我が国の国土は、地殻変動の大きい峻険な山々にモンスーン気候特有の高温多雨、

そして熱帯性低気圧が高度に発達した台風が頻繁に都市部に襲いかかるという、極めて自然災害の被害確立が高い地域であり、

それらの甚大な被害からも、国民が何度でも立ち上がれるような機運が国家の原動力としても、絶対的に必須だからなんです。

 

一度の自然災害で家屋敷資産の一切を失い再起できないような事例をとにかく無くす、

そのための制度づくりや助け合いの気風が、長年にわたり我が国が築いてきた社会のあり方だと思うんですね。

 

 

飢饉のときに備蓄米をきちんと領民に放出できた藩が名君と呼ばれるのはそのためです。

 

自然災害の救助の仕組みや復興の仕組みに、建設や土木事業も大事ですが、保険制度と融資制度は極めて重要です。

もっとも大事なのは失った家や家財などが保障されること、何もかも失って借金だけが残るようなことにならないようにすることが大事です。

そうでなければ、この国で生きることは、自然の猛威の前で、ただただ不安であることになる。

将来の事故や災害に備えて、ひたすら貯蓄や縮こまるようなことになり、社会の活気や経済的な損失が長期にわたり残ります。

 

311の東北震災以降、欠けているのが大丈夫、復活出来る、仕事を辞めなくていい、工場をたたまなくていい、家はちゃんと建て直せる、田畑や港も復旧できる、二重ローンや借金だけが残るようなことにはしないよ、なぜならここは日本なんだから…。

そういったメッセージを実務レベルで発信している個人や企業が少なすぎるからなんです。

 

あいかわらず、情報商材やネットやなんだかわからん方法で、仮想なんとかで、株で儲けたと称する輩が、

本出したりベストセラーとか騒ぎたてて、ちっとも面白くもなんともない…というみんなの気持ちが、底流にはあるんです。

 

つまり、自然災害と不景気マインドは一体化しているんです。

 

続きはまた後で書きます。

 

 

 

 

 

 

 

台風一過、洪水を防いだ荒川の話です。

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超巨大台風といわれていた台風19号でしたが、懸念されていた荒川や多摩川での首都圏における最悪の事態は避けられましたね。

しかしながら、現在までに各地の被害も明らかになりつつあり、特に長野県の千曲川における氾濫被害は今なお続いており予断を許しません。

 

新幹線の車両が浸水 千曲川氾濫 長野



 

新幹線の車両が浸水 千曲川氾濫 長野
2019年10月13日 7時30分
JR東日本によりますと、台風による大雨で千曲川の氾濫したことで、長野市赤沼にあるJR東日本の長野新幹線車両センターで新幹線の車両が水につかる被害が出ているということです。
しかし周辺が浸水しているため、職員が近づくことができず、詳しい状況を確認できていないということです。
この車両センターは新幹線の車両の車庫になっているほか、修理も行っていて、浸水した影響で今後の新幹線の運行に影響が出る見通しだということです。

 

近年は台風の大型化は気象変化の激しさから毎年のように各地で自然災害の被害が伝えらえます。

昨日も関東への台風上陸前にも、震度4以下で事なきを得ましたが、地震も起きていたんですよ。

 

 

台風の来襲中に地震が起きるとは、肝を冷やしました。

 

そのよいうな災害列島である日本では、多くの先人が治水に尽力して今があるのですが、

特に、東京を含めた首都圏における治水というのは江戸開闢以来、多くの改善計画や大胆な国土改良計画が、

営々と、綿々と繰り返されてきて今があるのです。

 

特に、東京は江戸時代から湾を埋めたてることによって都市の拡張をしてきていますから、

なんども水害に見舞われています。

 

 

この国土地理院の地図において、青いところ水色のところ、というのはほぼ海面です。

さらには、満潮だ、大潮だ、といったタイミングでは水面下になっていることもあるでしょう。

 

 

東京都建設局も発表しています。
東京の低地の概要

 

ピンク色は満潮時に海面下となるエリアです。
故意ピンク色は、干潮時にも海面下となっているエリアを指します。

 

 

堤防より低いということはオランダと同じです。

 

 

 

今回の台風でも、これらの河川が持ちこたえたのは、過去の災害の分析からそれなりの対策が取られてきていたからです。

しかも、その対策は戦前の明治、大正時代に練られたものなんです。

 

国土交通省 荒川下流河川事務所に詳しく紹介されています。

 

この図が現在の東京の主な河川の状況です。

東京の東側を流れる大きな川として、真ん中にある太く力強い川、これが荒川ですよね。

 

 

荒川といえば
この土手が有名ですよね。

 


3年B組金八先生の通学シーンですね。
オープニングだけでなく、数々のエピソードで金八先生と生徒たちが、荒川の土手のロケがありました。

 

最近で、荒川といえば、これかな~、
『荒川アンダーザブリッジ』 中村光。

さまざまなキャラが、荒川で共同生活していましたね。

 

 

そんな荒川。

聖地化してます。

 

ちなみに、『男はつらいよ フーテンの寅さん』は、荒川ではありません。

江戸川です。
 

 

そういった意味で、ドラマや映画に登場する東京の川といえば、江戸川か荒川か、というぐらいに有名ですね。

 

ところが、なんです。

今、我々が荒川だと思っているのは、もともと荒川ではなかったんです。

 

いや、そもそも、明治、大正のころまでは、荒川はないんです。

名前としては、あるんですが、あの巨大な河川がない。
 

 

ややこしいんですが、今の隅田川が元は荒川でした。

もっと、言うと、隅田川が荒川になる前は大川で、大川の前が、隅田川だったという「改名」というか、

結婚、離婚、再婚を繰り返して名前が変わったみたいな…感じ?です。

 

それはですね。

江戸は都市の氾濫をふせぐために、なんども治水が試みられて、

河川の付け替えや合流や分流といった、巨大な土木工事を繰り返しているからなんですね。

 

100年前と今ではずいぶん違うんです。

 

 

これって、凄くないですか?

 

川がないんですよ。


でも、今は川があるんですよ。

 

 

どうやったんだろう?こんな凄い工事…途方もない感じしません?

 

人力でやったみたいです。

17年もかけて…

 

  

 

ていうか、17年でやれちゃったんだ!という方に驚きました。

当時は重機もなにもない時代なんですよ。

 

スコップとかツルハシとかで掘って、モッコを担いでトロッコを押して…

 

 

こんな感じに川通しちゃうんで、よろしく!って大胆な図面も残っていますが…

これは難工事ですよ。

 

 

この地図で見ても、当時の既存の川や運河と比べても幅が凄い。

また、流れもこれまでの自然河川に比べて、ストレート。

いくつもの道路や鉄道も横切っていますね。

 

こんな大胆な工事、よくやれたな、と、本当に尊敬するんですが、

これやった人は、パナマ運河の工事にも参加していたという人なんですね。

 

そんな世界的な工事に参加していた日本人が居たのか!ってビックリするんですが、

その人の名は、名前もなにか、スーパーヒーローの役名みたいでビックリするんですが、

青山士(あおやま あきら)といいます。

 

カッコイイ!!

 

つづく

 

 

 

 

台風一過、洪水を防いだ荒川の話②

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今の荒川は、荒川でなく、今の隅田川が元は荒川だった…の話の続きです。

 

この左の図のとおり、昭和になるまで、「今の荒川」はありません。

 

 

このでっかい荒川は、人工の川なんです。

だから、生まれたときの名は「荒川放水路」と、人工っぽい名前がついていました。

完成は昭和5年です。

 

「放水路」と名付けられたように、荒川(今の隅田川)からの水を逃がすためにつくられたものです。

 

日本は、そのモンスーン気候という高温多雨な気象要因と、峻険な山々から海岸までの距離が短く、

毎年のように台風や大雨があれば、洪水にみまわれていました。

 

 

こうした水害の様子を、仮名絵本にした仮名書魯文の『安政風文集』では、現代でいえば写真誌のような生生しいルポを書き残しています。

 

 

氾濫した川からの浸水で、人々は屋根や木の上に避難していますが、風雨が続く中助けはまだ来ていません。

 

 

床上浸水した江戸の街、運河に浮かぶ家財道具や瓦礫です。

 


屋根が吹き飛ばされた町家、逃げる人々は胸まで水に浸かっています。

 

このような、ひどい洪水が毎年のように起きていたのが江戸の街だったんです。

 

明治になってからもそれは続いていました。

明治29年、35年、40年にも大きな水害がありましたが、明治43年の東京大水害は大変な被害をもたらしています。

 

 

 

『メディアに見る 明治 43 年の東京大水害』 東京・埼玉大水害 100 周年記念講演会実行委員会より

 

明治時代ですから、写真記録も残されています。

 

 

 

 

明治維新から40年を経過し、被災地は家内制手工業の職住接近型の中小製造業はじめ工業地帯となって、

富国強兵の日本の工業化を支えていました。

東京都からの建議書等の影響もあり、国家としても東京の治水に万全を期す必要に迫られたのでした。

 

そこで、満を持して登板したのが沖野忠雄です。

 

 

この人はですねえ、安政元年に豊岡藩で生まれます。

豊岡は兵庫県でも山陰側の城崎温泉の山側に位置する街です。

 


明治3年に藩の貢進生として大学南校、其の後の東京大学に入り、物理学修得のためフランスに留学。
ここで土木建築を学び、帰京後、内務省の土木技師になった人です。

日本の治水港湾工事の始祖と呼ばれ、河川改修工事に彼が関わらなかったものはないとまで言われています。

淀川と大阪湾の整備で力を奮いました。
淀川もしばしば氾濫を起こす暴れ川として有名でしたが、沖野の手にかかりようやく水害を克服しました。
また、淀川の流砂のため大型船の入港が難しかった大阪港を整備し、今日までの大阪の経済的基礎を築きあげた人です。

 

もう一人、荒川放水路の建設で活躍したのが、その沖野の片腕、原田貞介です。

 

 

原田も明治16年に東京大学に入学しましたが、学生ストライキの活動を経て退学。

ドイツに自費留学して河海工学を学び帰国したという異色の経歴です。

内務省の技師として、主に設計の方で、ひとまわり年の離れた沖野と共に淀川の堤や大阪築港で大活躍しています。

 

 

沖野と原田の写真ですが、

どことなく「水曜どうでしょう?」の名コンビ、ミスターこと鈴井隆之と大泉洋を思い起こさせる雰囲気ですね。

 

土木というのは建築と似ていますが、英語のシビルエンジニアリングのシビルの語源。

人々の、市民の、みんなの技術工学という意味では、より公共性の高い、縁の下の力持ち的な仕事であって、

インフラストラクチャーの名のとおり、普段はその存在や恩恵は見えない気づかない。

 

建築家のように華々しく、アーチストぶることもなく、もちろん、たった一人で構想することなどできないものです。

 

同時に、長い時間をかけて多くの人々と連携して組織として仕事をします。

だから、組織を動かせる力量がある人間でないとできません。

 

また、長期的視野で地域社会を見る視野の広さを深さ、実行に至るまでの利害関係者の調整、

粘り強く実直な面と大胆かつ爽やかに多くの人を引き付け、

行政や政治家や議会に意見し、地域住人を納得させ、将来の人々にこそ評価される、そんな仕事です。

 

そういった稀有な力が集まって、荒ぶる大川、荒川に挑んだのです。

 

そこに、パナマ運河から帰ったきたばかりという、青山が合流したのでした。

 

 

しかし…、青山士、なんで、パナマ運河なんかに行ってたんでしょうねえ。

青山もですねえ、その名のとおり武士の魂、というか気合の入った男なんです。

 

つづく

 

 

 

台風一過、洪水を防いだ荒川の話③

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荒川放水路に関わることになる青山士(あおやまあきら)が、なぜパナマに行ったのか?というところからです。

 

なぜ、パナマなんかに行ったのか?というと…

これはですね、当時の人より、現代人の我々の方が共感しやすいと思うんですが、

 

それは!明治から大正にかけての立志伝中の人々の中でも珍しい、

ちょっとビックリなんですが、堂々と言ってます。

 

青山さん、なぜ、パナマに行ったんですか?

それは、

「自分探し」のために、です。

 

はあ?自分探し?

って思いました。

 

それはですね、士(あきら)のお爺さんの影響があるからなんです。

 

アキラのじいさんは、宇宙を平和にすると書いて、青山宙平というんですが、前島密と共に、

地域振興や資産を背景に静岡県内初の国立銀行の設立に協力しました。

「普済院規則」に従い、奉仕活動を行って身寄りのない生活困窮の大人と子供、身心障害者の救済に尽力し、

東海道本線の着工に際しては、土地を提供し中泉駅舎(現 磐田駅)に用地を提供した地域の立志伝中の人物です。

 

こーんな、厳しい風貌をしています。

 

 

ああ、こんなジイさんがいたんじゃあね、アキラは悩みますね。

また、ジイさんもきっとアキラを追い込んだと思います、お前はいったい今世で何を為すのか?

 

土木学会の土木人物アーカイブスというページがあるのですが、そこでアキラのことが採り上げてあります。

 

なぜ青山は、そんな難しい所に、大学を出てすぐ飛び込んだのか。

それは一言で言えば彼の人生観ですね。

第一高等学校にいたときに、彼はほとんど毎晩、眠れなかった。

それは、自分は何のために生きてきたのか、自分は死ぬまでに何をなすべきかということで悩んだそうです。

悩みに悩んだ青山は、内村鑑三の教会に通います。

その教会で内村鑑三の教えを受けた。

その講話の中に「後世への最大遺物」という標題の講話がございます。
人生にとって一番大事なことは、子供や孫のためになるような仕事をすることこそ人生の生き甲斐である。

そのためには土木技術者になることだと。

内村自身が河川工事とか土木の現場を見るのが大変好きだったそうです。

この工事は後世にどう役立つだろうか、あるいは現在の一般民衆にとってどういう意味があるだろうか。

 

これは!!まさにアンパンマンの思想です。

 

みなさんは、アンパンマンの歌を知っていますか?

正しくはアンパンのマーチというんですが、

1988年の放送開始ですから1985年前後生まれの子供たち、今の35歳以下の人たちはみんな知っています。

 

 

そうだ うれしいんだ 生きる よろこび

たとえ 胸の傷がいたんでも

なんのために 生まれてなにをして 生きるのか

こたえられないなんて そんなのは いやだ!

今を生きる ことで 熱い こころ 燃える

だから 君は いくんだ ほほえんで

そうだ うれしいんだ 生きる よろこび

たとえ 胸の傷がいたんでも

ああ アンパンマン やさしい 君は

いけ!みんなの夢 まもるため

 

なにが君の しあわせ なにをして よろこぶ

わからないまま おわる そんなのはいやだ!

忘れないで 夢を こぼさないで 涙

だから 君は とぶんだ どこまでも

そうだ おそれないで みんなのために

愛と 勇気だけが ともだちさ

 

ああ アンパンマン やさしい 君は

いけ! みんなの夢まもるため

時は はやく すぎる光る星は 消える

だから 君は いくんだ ほほえんで

そうだ うれしいんだ生きる よろこび

たとえ どんな 敵が あいてでも

ああ アンパンマン やさしい 君は

いけ!みんなの夢まもるため

 

 

なんのために 生まれてなにをして 生きるのか

こたえられないなんて そんなのは いやだ!

 

ってことで、アキラは東京大学の土木学科に行ったんです。

しかしながら、そこでもアキラの悩みはまだまだ解けない。

俺は…土木技術者になれる。

しかし…ただ漠然と土木技術者になれるというのでは、抽象的であって、

具体的にどういう仕事をすべきなのか…。

 

それが彼の次の悩みでした。

 

地球上で人類のために最も大事な仕事は何であるのか…、

俺は俺は、それを俺は…やりたい。

 

当時の世界情勢の中で地球上で最も大事で人類のためになる仕事は…

パナマ運河しかない…というのがアキラの結論でした。

 

だから 俺は いくんだ ほほえんで です。

 

ああ アオヤマ アキラ やさしい 君は

パナマにいけ! みんなの夢 まもるため

 

です。

 

 

つづく

 

 


五輪会場の見直しの考察

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この2週間ほど、東京五輪の会場の見直し議論が話題ですね。

事の発端は、今月の16日の夜のニュースで、突如、「札幌での開催を検討」と報じられました。

まだ二週間も経っていないんです。

 

東京五輪 マラソン・競歩「札幌での実施を検討」IOC発表 2019年10月16日 21時14分

東京オリンピックのマラソンと競歩について、IOC=国際オリンピック委員会は16日、猛暑の対策として会場を札幌に移すことを検討していると発表しました。
来年の東京オリンピックでは、猛暑の対策が大きな課題でなかでも屋外で長時間、競技が続くマラソンと競歩は大会の組織委員会が開始時間を招致段階の計画から前倒しするなど、さまざまな対策を検討してきました。
これについてIOCは、16日、マラソンと競歩の会場を札幌に移すことを検討していると発表しました。
理由として、オリンピック期間中の気温が札幌では東京に比べて5度から6度低いことをあげています。
また、今月30日から東京で行われる大会組織委員会と準備状況などを確認する調整委員会で、東京都や国際陸上競技連盟などと具体的な話し合いをすることを明らかにしました。
マラソンと競歩は、今月まで中東カタールのドーハで開かれた世界選手権で、気温が40度を超える日中を避けスタートを午後11時半すぎに設定して行われましたが、女子マラソンでは68人のうち完走したのは40人で、4割を超える選手が途中棄権となるなど、猛暑の中で競技が行われることに選手や関係者から不安の声が上がっていました。…

一部抜粋


NHKに続き時事通信でも

マラソン、競歩の札幌実施検討=東京五輪、IOCが猛暑懸念  2019年10月16日21時29分

【ロンドン時事】国際オリンピック委員会(IOC)は16日、猛暑下での開催に懸念がある2020年東京五輪のマラソンと競歩について、会場を札幌に変更して実施することを検討すると発表した。IOCは既に大会組織委員会や国際陸連に変更の提案を伝えている。

 IOCは変更理由として、大会期間中の札幌の気温が東京より5~6度低いことを挙げている。30日から11月1日に東京で予定されているIOCの東京大会調整委員会で、この問題について議論する。
 東京五輪のマラソンは女子が8月2日、男子が同9日、競歩は7月31日と8月7、8日で、いずれも都内での実施が予定されている。暑さを考慮して、当初の計画からマラソンが午前6時、男子50キロ競歩が午前5時半のスタートに早められるなどの対策を取ったが、選手や関係者への健康面の影響を懸念する声が絶えなかった。 
 9月から10月にかけてドーハで開催された世界選手権では、気温30度超、湿度70%超の環境下で行われたマラソンで棄権者が続出する事態も生じていた。

 

というわけで、このニュースはロンドン発だったんですね。

なぜ、いきなり会場の変更を検討しなければならなくなったのか…

 

IOCバッハ会長は、こう言ってます。
「(変更の検討について)…われわれが暑さに関して深刻な懸念を示している…」

 

 

セバスチャン・コー国際陸上連盟会長は、

「「今回の提案についてIOCと大会組織委員会と緊密に連携し検討していく。…マラソンと競歩の最高のコースを作るために尽力する…」

 

 

と、歩調を合わせていますね。

 

 

それに対し、日本の関係者のコメントが以下なんですが…

みなさん、この段階では「情報収集」、「情報収集」と、突如降ってわいたような話となっていますが…

 

 

この、最初のニュースの時点で、すでに東京都のコメントがありません。

ロンドン発のIOCの発表を受けて、同じように「情報収集」と答えるはずの東京都の関係者コメントがないんです。

つまり、報道前の時点では、東京都や都知事には取材もしていなかったんでしょうか

 

このニュース報道を受けた形で約1時間後に以下のニュースが出ました。

 

小池都知事「多くの課題残す」=東京五輪マラソン2019年10月16日22時58分

東京都の小池百合子知事は16日、国際オリンピック委員会(IOC)が東京五輪のマラソンと競歩を札幌に移して実施する検討をしていることを受け、「計画が唐突な形で発表された。このような進め方については、多くの課題を残す」とのコメントを発表した。
 さまざまな暑さ対策はハード・ソフト両面から講じてきたとした上で、「各自治体が準備に励んできたところでもあり、組織委員会とも連携しながら、関係者に対する十分な説明を求める」とした。

 

そして翌日の報道

 

小池都知事「ベストな形話し合う」=「光栄」と札幌市長-東京五輪マラソン会場変更 2019年10月17日15時48分

東京都の小池百合子知事は17日、国際オリンピック委員会(IOC)が東京五輪のマラソンと競歩の会場を札幌に変更する検討に入ったことについて、「アスリートファーストは重要だ。どのような形がベストなのか話し合っていきたい」と述べた。都庁で記者団の取材に応じた。
小池知事は「コースとなっている各自治体は盛り上がって、準備をしてきたという事実もある」と指摘。IOCに対し、変更計画について十分な説明を求める考えを強調した。

一方、札幌市の秋元克広市長も同日、市役所で取材に応じた。「IOCから札幌という具体的な名前が出て驚いた。光栄に思う」と歓迎の意を示すとともに、「東京五輪の成功に最大限協力したい」と述べ、受け入れる姿勢を改めて示した。
 また、札幌市で実施すれば、市が目指している2030年冬季五輪招致の後押しになるとの見解も示し、「五輪にふさわしい町と認識してもらうことが、30年招致につながるのでは」と語った。
 北海道の鈴木直道知事も同日、都内で記者団の取材に対し、「仮に札幌で開催されることになれば、北海道を挙げて短期間にさまざまな体制を整えていかないとならない」と述べた。

 

小池都知事のコメントが出ました。

「アスリートファーストは重要だ。ベストな形を話し合っていきたい。」

 

 

そして、当の秋元札幌市長は

「札幌という具体的な名前が出て驚いた。光栄に思う…東京五輪の成功に最大限協力したい」

とのことでした。

 

 

ということでしたので、10月17日の時点では、

「ああ、そうなんだ、札幌に移るんだ。まあ、それはしょうがないよね」って、

「すんなり決まって良かったね」って思ってましたよ。

 

だって、そもそも東京都の夏の平均気温は8月で、最低気温が26℃、最高気温が31℃にまで上がっています。

平均では27℃近い。

 

環境省は熱中病の予防のために指針を出していますが、この表を見てわかるように、

原則的に運動は中止ですよ。

 

毎年のように、夏休みの野外活動で警戒をおこたったスポーツの現場での、子供の熱中症被害も出ています。

 

こんなスポーツ時の熱中症データもあって、温度と湿度の両方が高いケースはさらに危険でしょう。

 

そもそも、通常の生活でも危険なレベルの暑さが続くのが、日本の夏。

特に、緑地や河川からの涼風がのぞめない、蒸し暑くカンカン照りが続くのが都心の夏です。

 

 

だから、スポーツ選手だけではなく、大会委員やボランティアスタッフ、観客の方々にとっても危険な暑さなんです。

上記表を見ればわかるように、普通の生活でさえ要警戒なんです。

 

しかも、日本で一番暑い時期である7月後半から8月前半に、

さらに日本の中でも夜間・日中ともに温度が下がらない都市で、

その都市の中でも、コンクリートやアスファルトに囲まれ、風も吹かず空調機からの排熱の激しい東京で、

マラソンをやることは狂気の沙汰と言われてきました。

 

だから、会場を移すか時期を移すかは、最後まで検討されるべき問題だったんですね。

 

ところが…なんです。

10月17日の報道で徐々に変更までの経緯が明らかになってくると…

 

森会長「受けなくては」=マラソン、競歩の札幌開催案-東京五輪 2019年10月17日19時32分

2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長は17日、暑さ対策のため五輪のマラソンと競歩を札幌で開催する案を国際オリンピック委員会(IOC)が示したことに関し、「組織委としては受けなくてはいけない」と語った。
 森会長は都内で報道陣の取材に応じ、「IOCがバッハ会長の判断で札幌に移すしかないと決めた。暑さ対策の一環で、やむを得ない」と述べ、IOCの強い意向が働いたことを明らかにした。バッハ会長の判断にはドーハで行われた世界陸上で酷暑のため棄権者が続出したことが影響したという。組織委は東京都と日本陸連の考えも尊重し、30日から都内で開かれるIOC調整委員会で協議する。
 IOCが札幌を提案したことについて、森会長は「国際マラソンの経験もあり、過去に五輪も開催している。30年冬季五輪への意欲もあり、ここにしたいと思うのも無理はない」と話した。
 マラソンの発着点だった新国立競技場の販売済みチケットについては「基本的に代金をお返しする」とした。会場変更に伴って追加の経費が発生した場合は、IOCに負担を求める考えを示した。

 

森会長は、まったく聞き分けがいいんですね。

「IOCが決めた…暑さ対策が…やむを得ない。札幌にしたいと思うのも無理はない。」

 

 

 

札幌変更案、納得できる説明を=橋本五輪相

橋本聖子五輪担当相は18日の閣議後記者会見で、猛暑への懸念から東京五輪のマラソンと競歩の会場を札幌に変更する計画が示されていることについて「(選手は)コースをイメージしながらトレーニングしてきていたと思う。戸惑いは誰もがあると思う」と述べた。その上で、この問題が議論される30日からの国際オリンピック委員会(IOC)調整委員会などでの協議で「納得のいく説明」がされることに期待した。 
 スピードスケート、自転車の選手だった橋本五輪相は「元アスリートという立場からすると、(会場が)どういう結果になっても受け止めなければならない」との認識も示した。

 

橋下聖子オリンピック大臣も

「(会場が)どういう結果になっても受け止めなければならない…」と、聞き分けがいい。

 

 

なんだかですね、急に聞いた、ビックリした、えっ?って思った…、けど、いいんじゃない?受け止めようやむを得ない。

って落ち着いていますね、皆さん。

 

ところが、この17日のみんなの落ち着きぶりを見てからの、この方の反応が凄いです。

 

まずは、こちら


小池都知事、マラソン「北方領土で」=東京五輪会場変更案に

東京都の小池百合子知事が17日、2020年東京五輪のマラソン、競歩の会場を札幌に移す案を国際オリンピック委員会(IOC)が発表したことに関連し、「涼しいところなら『北方領土で』と声を上げていただければ」などと発言していたことが分かった。小池氏は同日、記者団に対し「今回突然の札幌と、北の方だったので、一案として申し上げた」と説明した。

 同日午前、都内で開かれた連合東京の定期大会でのあいさつで発言した。関係者によると、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長についても言及し、「(ロシアの)プーチン大統領と親しいので、『平和の祭典を北方領土で』と呼び掛けてみるのもありだ」と語ったという。

 

いやあ、ダメでしょう、この発言。皮肉にもなっていない。

ヤケクソの憎まれ口を叩いてしまいました。

その意は、

「涼しいところがいいなら、『北方領土』でやればいいじゃない?森さんロシアのプーチン大統領と親しいんでしょ!」です。

 

さっそく怒られました。

ロシア外務省から


「スポーツを冗談に使うべきでない」ロシア 小池知事発言に

東京オリンピックのマラソンと競歩の会場を札幌に移す案について、東京都の小池知事が「北方領土でどうか」などと発言したことに対し、ロシア外務省は、北方四島はロシアの領土だと強調したうえで、「スポーツは対立を引き起こすような冗談に使うべきではない」と批判しました。

東京都の小池知事は17日、連合東京の定期大会に出席し、東京オリンピックの猛暑対策としてマラソンと競歩の会場を札幌に移す案について「涼しいところと言うんだったら『北方領土でやったらどうか』ぐらいのことを、連合から声を上げていただければと思う」などと述べました。
この発言に対してロシア外務省や東京のロシア大使館は18日、公式のツイッターやフェイスブックなどで「小池知事にご参考までに申しますが、日本には気候の涼しい土地が十分にある。しかし、ロシアの南クリルの島々は日本のものではない」とコメントして、北方四島はロシアの領土だと強調しました。
そのうえで「スポーツは結び付きをもたらすべきで、対立を引き起こすような冗談に使うべきではない」と、小池知事の発言を批判しました。
ロシア外務省は、これまでに東京オリンピック・パラリンピックの公式ホームページについても、北方領土が日本の領土として地図上に表示されていることを取り上げて批判していて、領土問題で改めて日本をけん制した形です。

 

いやあ、危ねえ!!

今、ロシアとの外交における日本の北方領土問題は暗礁に乗り上げており、政府としても懸念事項なのに、

余計なこと言って揚げ足とられたらどうするつもりなんだよ!

相手は歴史的に見ても外交交渉ではいつも性質悪いロシアなんだぞ!と思いました。

 

で、ロシアから怒られたから、次はこうですよ。

 

 

東京五輪マラソン 被災地開催の可能性

東京オリンピックのマラソンと競歩の会場を巡り、IOCが札幌での開催案を提示したのに対し、東京都が東日本大震災の被災地での開催について検討を進めていることが関係者への取材でわかりました。
 マラソンや競歩の開催地を巡っては、IOCのバッハ会長が10月16日に暑さ対策として開催場所を札幌に移す計画を発表しています。これに対して東京都はスタート時間を早めることなどを検討していますが、関係者の取材で東日本大震災の被災地での開催についても検討を進めていることが新たに分かりました。 小池知事は、被災地での開催について明言を避けましたが、関係者によりますと東京都側からすでに宮城県などに対し開催の可能性について相談しているということです。
 東京都は10月30日から都内で開かれるIOC調整委員会で、東京開催を軸に複数の案を提示するものとみられます。

 

これもですね、いきなりというか単にその場だけ勝ちたいのか、実にいいかげんな発言です。

そもそもですね、復興五輪でボート会場を東北の長沼に移転しようとして調査入っていたのに、

宮城県知事も準備と誘致の検討に入っていたのに、あっさりぶん投げたやん。

 

しかも、「被災地」って言葉を使えば、みんなが黙ると思ってやがる。

あんなあ、ここ数年は毎年のように災害の規模が大きくなって、正直、日本中が被災地やねん。

 

この発言後にもなあ、千葉では大雨の被害が広がっているんだ!

その場しのぎで適当なこと言って、周囲を巻き込むな!バカめ。

ロシアも東北も怒らないので私が怒っておきます。

 

その次に出てきたのが、早朝というか夜中の3時にスタートという提案。

これを東京都が出しているという噂が流れました。

 

小池百合子都知事「とくダネ!」生出演でマラソンの午前3時スタート報道に「それはないですよね」

東京都の小池百合子知事が25日放送のフジテレビ系「とくダネ!」(月~金曜・前8時)に生出演した。
 IOC(国際オリンピック委員会)が提案した東京五輪のマラソンと競歩の会場の札幌開催案を聞いた時の心境を「青天の霹靂というのはこういう時に使うんだなと思いました」などと振り返った。
 小池知事はこの日午後、IOCのジョン・コーツ調整委員長と面会する。番組では、東京都が東日本大震災の被災地での開催、あるいはスタート時間を早めることなどを検討していることを報じた。
 こうした報道に小池知事は「そういう案もあります。一部報道で午前3時なんてありますけど、それはないですよね」と述べた。さらに「被災地については都庁の中にも復興五輪って言っていたんだから被災地でっていう声もあります」とした上でコーツ氏との会談で「ただ東京で準備をしてきたわけですから、やはり東京でこれだけのことをやっていてというそのところについてしっかり伝えたいと思います」と明かしていた。

 

 

そもそもですねえ、東京オリンピックにおける夏の暑さ対策って、ほんとに心配されていたんですよ。

にもかかわらずですね、

 

 

こんな傘をかぶればいい、とか

 

 

こんなもんを首に巻けばいい、とか

 

 

手桶にヒシャクで打ち水をすればいい、とか

 

 

 

しまいには、アサガオを見ればいい、とか

 

 

まあ、この3年も4年もの時間がありながら、なんの有効な対策も取ってこなかった。

だから!こういう事態になっているんです。
 

マラソン・競歩、札幌開催案 ドーハの暑さ引き金

 

…暑さを考慮して深夜に開催されたが、男女のマラソン、20キロと50キロの競歩では棄権者が続出。高温多湿の悪条件下で、選手が続々と車いすやカートで運ばれていくシーンは衝撃的だった。…

 

 

まあ、そんなこんながあって、週明けの10月30日の会議で正式に決定するといわれております。

私の聞く限りにおいては札幌にほぼなるだろうといわれておりますが、どうなることやら…

 

札幌にするにしても、早く決めないと11月に入って雪が積もってしまうと、コースの調査等ができなくなってしまうんですよ。

 

まあ、今回はマラソン会場についてでしたが、他にも東京オリンピック会場には、

まだまだ問題を抱えて放置されているものがありますから、引き続きそれらの問題を紹介しつつ解決策はあるのか…

考えていきたいと思います。

 

2につづく

五輪会場の見直しの考察②

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こんな記事が出ていますね。
一部抜粋しますと…

小池百合子氏vs橋本聖子氏の謀略戦 マラソン札幌開催の次は 2019.10.29 07:00  週刊ポスト

急転直下で札幌への「移転」がIOCから発表された東京五輪のマラソン開催地。開幕まで300日を切ったタイミングでの発表は、小池百合子・東京都知事をはじめ、多くの人には唐突な印象を与えた。しかし、橋本聖子・五輪担当相にとっては突然ではなかった。開催地変更の内幕を探ると、「1年後」を見据えた“2人の女政治家の闘い”の構図が浮かび上がってきた。

◆「小池には知らせるな」

 オリンピックの最終日に行なわれる男子マラソンは「五輪の花」と呼ばれる。その花形競技のマラソンと競歩の開催地変更が国際オリンピック連盟(IOC)から通告されると、「マラソンがない東京五輪なんて、東京の五輪じゃない」(元キャスターの木村太郎氏)という声があがった。

 それでもIOCのバッハ会長は「札幌に移すことを決めた」と発言し、開催地変更は既成事実化しつつある。明暗を分けたのは2人の女性政治家だ。

 IOCから“事後通告”を受けた小池百合子・都知事は「東京は最後に知らされたんじゃないか。まさに青天の霹靂だ」と地団駄を踏み、東京からマラソンを奪い取った形の“道産子大臣”橋本聖子・五輪担当相は“してやったり”とばかりにこう凱歌を上げた。

「北海道がさらに大きな舞台となっていくのは非常に喜ばしい」

 地元の北海道で開催したい聖子と東京開催を譲れない百合子──“重量級”の女性政治家2人のバトルの緒戦は橋本氏の“完勝”に見える。

・・・・・・

 

「小池にはマラソン札幌開催をギリギリまで知らせるなというのが森会長周辺の暗黙の了解だった」

 組織委員会関係者は“小池外し”が最初からの作戦だったと語った。森氏と橋本氏は秘密裏に札幌開催へ国内での根回しに動いた。10月8日に組織委員会は五輪チケットの第2次申し込み受付の延期を決め、翌9日には森氏が首相官邸で安倍首相と会談、10日には森氏と橋本氏が一緒に札幌市長と会談した。

「小池知事はチケット販売延期の理由を『関係者の調整がついていない』と聞かされていたし、森会長の札幌行きも全く知らなかった」(都庁幹部)

 小池氏が札幌開催案を組織委員から聞かされたのは、IOCの発表前日の10月15日。森氏に対し、「どうして私に電話を下さらなかったのか」と食ってかかったが、その時にはすでに外堀は埋められていた。

◆「2030年札幌五輪」の思惑

「灼熱の8月に東京でのマラソン開催は選手に死者が出かねない」。それがIOCの開催地変更の理由だ。

 だが、変更の経緯には不自然に映る点がある。ドーハの世界陸上の女子マラソンが見直しのきっかけだったのなら、IOCがマラソン開催地の見直しを検討する際、世界陸上を主催する国際陸連の意見を聞くのが自然な流れのはずだ。

 しかし、IOCが国際陸連に伝えたのは発表当日だった。「IOCに札幌開催を働きかけたのは日本側」と見るのは組織委員会関係者だ。

 

といった記事。

最後の方では来年の東京都知事選挙にも言及していました。

 

確かにですね、橋本大臣は元五輪選手なんですよね。

 

 

1984サラエボ、1988カルガリー、1988ソウル、1992アルベールビル、1992バルセロナ、1994リレハンメル、1996アトランタ、7回もオリンピック出てる。

なんで、4年に一度のはずのオリンピックに7回も出られるんだよ?と思われるでしょうが、

橋本選手は、水陸両用、夏季冬季連続、スピードスケートと自転車競技の両方で活躍されていたんです。

 

 

つまり、橋本聖子さんは、オリンピックの申し子、日本を代表するアスリート。

SEIKO HASHIMOTOは、世界的に有名な大選手というわけです。

そもそも、聖子さんというお名前も、前回の1964年東京オリンピックの聖火からちなんだともお聞きしています。

一流のスポーツ選手というのは、世界中の方々とも競技を通じて繋がっています。

 

なので、五輪大臣にはピッタリですね。

 

私が以前、新国立競技場問題のときに委員として出席した自民党行革推進本部無駄撲滅PT「新国立競技場」ヒアリング でも、

五輪競技場の在り方や五輪開催後の利用方法について心配され、橋本聖子さんは出席されていました。

 

 

この時からずっと五輪の成功に尽力なさってきた方のお一人です。

 

 

この会議で私もご挨拶させていただいていますが、一流スポーツ選手らしい大変スパっとした雰囲気の先生でしたね。

 

ここで、歴代の五輪大臣を振り返ってみましょう。

 

 

新国立競技場問題の頃は、下村大臣だったんですね。

そういう意味では、私は桜田大臣以外の方にはお目にかかったことがあります。

 

このまますんなり札幌開催になるんでしょうか…

マラソン以外の会場についてはどうなんでしょうか…

 

つづく

 

シンポジウム 「葛西臨海水族園の長寿命化を考える」のお知らせ

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シンポジウム 「葛西臨海水族園の長寿命化を考える」 

主催 一般社団法人 日本建築学会 

日時 2019 年 12 月 19 日(木)13:00〜17:00 

会場 建築会館ホール(東京都港区芝 5-26-20) 

 

 

<主旨> 葛西臨海水族園は、1989(平成元)年のオープン以来 5,500 万人超の市民が訪れ、今や市民にはなくては ならない存在となっている。その水族園も 30 年の月日を経て、飼育設備と一部の躯体の老朽化が進み、バ リアフリー対策も含め施設の増改築を考える時期を迎えている。 東京都は 2018 年「葛西臨海水族園のあり方検討会」を開催し、2019 年 1 月に「葛西臨海水族園の更新に 向けた基本構想」の報告書を発表した。

今年度には新たな水族園(新施設)の建設に向けた「葛西臨海水族 園事業計画検討会」が開催されている。

 

 しかしながら基本構想には「既存施設とは別に建築する建物(新施設)に水族園機能を全て移すことを基 本とした検討」、「既存施設については、水族園機能を移設後、施設の状態等を調査の上、そのあり方につ いて検討する」と記されており、既存施設から水族館機能を全て取り除き、状況によっては既存施設を取り 壊す可能性を示唆する内容となっている。

 

今日まで既存施設についての議論が全くなされないまま、新棟あ りきで計画を進めようとしている都の計画策定方法には見直しが必要である。

すなわち既存水族園について 建築的・文化的価値を論じ、その健康度を再調査した上での、将来を見据えた既存施設のあり方と大水槽を 有する新棟の必要性とその相互の連携、将来に向けたサステイナブルで健全な水族館施設の運用方法の検討 が必要である。

 

 水族園の一部の機能(中小展示水槽、教育・展示・事務所・飲食物販など)は既存施設の活用が充分に考 えられ、そのためにも新たな水族園の施設要件等の検討と同時に既存建築の長寿命化を検討していくことが 先決であると考える。

 

 本建築は現代日本を代表する建築家の一人である谷口吉生(1937-)の設計による名作である。

『90 年以降 の水族館の展示手法や建築空間においても格段に質が向上したのは、葛西臨海水族園の出現によるところが 大きい』と高く評価され、まさにターニングポイントになった水族館である。 

 

この建物の有する文化的及び水族館的価値について改めて考え、建築の長寿命化を考慮した適切な公園の 整備計画の策定を検討いただきたく、「葛西臨海水族園の長寿命化を考える」と題して緊急シンポジウムを 実施する。

 

<プログラム(予定)> 

総合司会 安田幸一(東京工業大学教授、東京都葛西臨海水族園検討会委員) 

13:00 会長挨拶 竹脇 出(京都大学教授、本会会長) 

13:05 基調講演 槇 文彦(槇総合計画事務所代表) 

13:30 東京都が進める葛西臨海水族園基本事業計画概要と問題点 柳澤 要(千葉大学教授、東京都葛西臨海水族園検討会委員)

 13:40 葛西臨海水族園のライフサイクルについての概説 村田博道(森村設計副社長)

 13:50 講演 

安部義孝(ふくしま海洋科学館長、元東京都葛西臨海水族園長)

 仙田 満(東京工業大学名誉教授、本会元会長) 

古谷誠章(早稲田大学教授、本会前会長) 

松隈 洋(京都工業繊維大学教授、DOCOMOMO Japan) 

15:20 休憩 

15:30 討論会 討論会司会:森山高至(建築エコノミスト) 

16:20 会場からの質疑 

16:50 まとめ 田中友章(明治大学教授、本会総務理事) 

申込方法 Web 申込み https://www.aij.or.jp/event/detail.html?productId=625213 よりお申し込みください 

参加費無料・申込み先着順(定員 150 名) 

問合せ先 日本建築学会事務局 事業グループ 一ノ瀬 TEL:03-3456-2051 E-mail:ichinose@aij.or.jp

「葛西臨海水族園の長寿命化を考える」が話題に

3年半ぶりに再開!大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメです⑦

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3年半ぶりに再開!します。

大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメですシリーズです。

なぜか!それはですね、

3年前にJRはですね、「壊しはしない…駅付属の集会施設か待合として保存する」ことを検討って言ってたのを、

覆しやがったから!です。

 

えー!!ってビックリした。

なに言ってんの?と

 

テレ朝NEWS JR原宿駅の木造駅舎 東京オリパラ後に解体へ[2019/11/20 06:33]

来年3月に向けて建て替え工事が進むJR原宿駅の現在の木造駅舎が来年の東京オリンピック・パラリンピック後に解体されることになりました。
 JR原宿駅は現在の駅舎が老朽化したため、隣に新たな駅舎を造る工事が進められていて、来年3月21日の始発から新駅舎での運行が始まることになっています。JR東日本は19日の会見で、現在の駅舎を来年の東京オリンピック・パラリンピックの大会後に解体することを明らかにしました。

 

おいおいおいおいおい、ちょっとまてよ!です。

ここで、いったい、何が起きているのか?

原宿駅とはなんなのか?私の過去記事で復習してみましょう。
 

大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメです① 1924年(大正13年)に竣工した木造建築駅舎、もうすぐ100周年を迎える貴重な建物

 

 

大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメです②  原宿駅の空間特性と昇降客数と利用頻度に地域の特性を分析してみます。

 

 
大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメです③  原宿の駅舎の設計は、長谷川馨(鉄道省)氏です。素晴らしい旧横浜駅も彼の設計です。
 
 
大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメです④  なぜ、原宿駅が駅舎とホーム共に、ピークの乗降客をさばき切れていないのかを解説

 

大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメです⑤  原宿駅はピーク時に人が道にまで溢れている、駅舎の建て替えだけでは解決できない
 
 
大正ロマンの原宿駅は取り壊してはダメです⑥  原宿駅は、わざわざ混むように導線計画をしているともいえる人為的要因。
 
 
以上の①~⑥までを読んでいただいたうえで、解決策を提案し、原宿駅の温存を図りたいと考えています。
 
つづきはまた書きます。
 
 
 

嵐電北野白梅町駅、もうちょっと真面目に考えようや

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原宿駅のことで憤ってたら、こんなことを教えてもらいました。

京都の嵐電の駅舎の話です。

 

ちょっとビックリするような話なんですが、

嵐電なんて聞いても京都の人か京都通の人しか知らないと思うんですね。

京都の中心部は通っていません。

京都駅にもつながっていないので、バスやタクシーに比べて、普通に京都観光に行っても乗らないかもしれない。

東京でいえば、井の頭線とか、世田谷線のような

 

しかし、この停車駅名を見ていただければわかるように、京都の西側の著名な観光地や古刹を網羅した駅です。
だから、京都通には、むしろこの嵐電が好きという人もいますね。

この嵐電の一方の始発駅、北野白梅町の駅舎が建て替えなんだそうです。

まあ、確かに相当古かったしなあ…と思いました。


こんな感じ。

駅というよりも、昔の街の映画館みたいな雰囲気ですね。

 

だいぶ建物も古くなっているんですが、我々建築マニアにとっては、今となっては垂涎のつくりをしております。

 

 

フランスの建築家でハイテク建築の元祖、ジャン・プルーヴエとか、

 

 

戦後日本で最初の鉄骨造の住宅を手掛け、

ケーススタディハウス以上に洗練された、モダニズム建築の元祖、広瀬鎌二を彷彿とさせる、

 

 

軽量かつ無駄を省いてつくらた構造計画、既成の重量鋼材ではなく、

アングルやプレートを組み合わせて組まれたトラス梁に、

柱間に煉瓦を充填して作られた壁面処理。

そして、全面スチールサッシュ。

まあ、今の建築現場ではすべてロストテクノロジーと言ってもいい素材と処理で出来ています。

 

旧車をレストアするように、この建築を見ると、

いやあ、綺麗にさせてもらいたいなあ…と建築マニアなら誰しも思いますね。

錆びをケレンして塗装をし直すと相当生まれ変わるんだけどね…このころの鉄骨造は…

 

この駅の最大の魅力は「ターミナル駅であること」です。

 


 

ターミナル駅というのは、終着始発駅のこと。

いわゆる鉄道網の端駅を指します。

 

映画に出てくる素晴らしいシーンではまずターミナル駅が使われますね。

 

ニューヨークのグランドセントラル駅、100年の歴史があります。

 

 

ロンドンのキングスクロス駅、ハリーポッターでも有名です。

 

 

パリ北駅、旅の始まりの予感でですよね

 

 

鉄道網をどんどん相互乗り入れさせちゃってる日本では、この風情ある大型のターミナル駅が非常に少ないんです。

上野駅がかつて東北方面に向かう、東北方面から止まる巨大なターミナル駅でしたが、もはやそういった雰囲気はなくなりつつあります。

 

阪急の梅田駅は巨大なターミナルが健在で、あの横広がり目にすると壮観ですよ。

 

 

かつての東急渋谷駅もターミナルでした。

これでよかったのに…、相互乗り入れしてもろくな事にならなないのに…

 

 

阪急の梅田駅も昔の東急の渋谷駅も、残念なのは屋根の高さなんですよね。

ニューヨークやロンドン、パリ駅に比べると天井高さが足りない、そして頭上から明かりが落ちてこないとダメです。


その貴重な日本のターミナル駅のひとつが、嵐電の北野白梅町駅なんです。

ミニサイズですが、空間の縦横の高さの比とトップライトによる採光、という良いターミナルの条件は満たしています。

 

 

2両しか乗り入れてませんけど、非常に良い感じ。

ターミナル空間

 

ただし、相当古くなっているのは事実、できれば欧米のようにうまく改修して長く使ってほしい。

そしてもっともっと風情を増していってほしいところです。

いまどきの鉄道サイトの作り方さんのところにも工事準備のレポートがあります。

 

ですが…まあ建て替えもしょうがないのかな…と思いました。

 

新駅の完成予想図を見るまでは…

 

それが…

 

 

まさかの…

 

 

これでした…

 

 

駅じゃない…

 

バス停…

 

え?

 

ええーーーー!!

 

建屋がない…

 

 

これはイカンだろう?

 

嵐電廃止するのか?

 

それほどの手抜き…

 

ていうか、駅舎があるかないか…この違いは大きい。

 

なんでこんなことになっているのか…

 

 

 

鉄道ニュースで記事になっています。

嵐電北野白梅町駅2020年3月リニューアル 駅とバス停を一体化

 

 

駅とバス停を一体化…それは別にいいけど、なんで駅舎を無くす必要があるんだよ!

 

ってことです。

 

計画図らしきものもある…

 

 

どうやら、駅の一部をえぐるようにバス停を設置しようとしているんですね…

 

それで、駅舎を壊している…

 

これ、本当に駅舎壊さなきゃバス止められないのか?

 

という疑問です。

 

こういうケース、検討が不十分という場合が多い。

 

もう一度、初めから検証してみた方がよさそうですね。

 

つづく

嵐電北野白梅町駅、もうちょっと真面目に考えようや②

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嵐電の北野白梅町駅が消えてしまう…問題の続きです。

 

今までずっと街に存在していた、こんなに感じのいいターミナル駅を壊して…

 

 

駅ではない、何か別のモノにしてしまう…というヒドイ案

 

 

駅舎であれば雨に濡れることもなく、風に吹きこまれることもなかったでしょうに…

そもそも、街の顔としての佇まいが消去されています。

 

今までこれなんですよ。

なんか昔の映画館みたいな雰囲気です。

これなら駅と言える

 

 

なんでこんな無茶苦茶な案が作成されたんでしょうか…

 

とりあえず、現在の嵐電の駅を図面化してみましたよ。

 

 

トラス構造がなかなか綺麗な建物なんです。

最小限の構造でありながら、屋根や壁からうまく採光してありますよね。

 

 

これが現地なんですが、
この敷地はちょっと特殊な配置になっていますね。

道路が南北にある。

 

 

道と道に挟まれて

ちょうど、駅が川の中の中州のように見える。

 

路面電車?と一瞬思ってしまうんですが、そうではありません。

 

で、もう一度、計画平面図

 

 

これ、別に駅舎を無くさなくてもいいじゃん。

なんでこんな計画しちゃってんだろうか…

 

理由はですね。

バス停を入れようとしているからですね。

 

なんで?と

わざわざ、駅舎をエグらなくてもいいじゃないですか。

まず、この今出川通りを対向させているのもどうなのか?

府道101号は西向きの一方通行なんだから、今出川を東向きの一方通行にしてしまえばいいんじゃないでしょうか?

というより、府道101号を今出川通りに組み込んでしまえば、今出川通りは嵐電挟んで対向道路になるんじゃないですかね。

 

また、この配置計画のように鉄道線を1本にするんであれば、バス停の配置はこうじゃないでしょうか

これなら、駅を壊さなくてもいいんじゃないでしょうか?

 

ただ、どうしてもバス停を真ん中に取りたいなら、建物の構造の改修で処理できるんではないですかね

この建物は鉄骨造で平屋なので、壁を抜くことはできるんです。

 

壁の一部をエグることをうまくデザインに取り入れて、脇にエントランスを仕込んだ建築の事例があります。

 

ポルトガルの巨匠

アルバロ・シザのガリシア美術館です。

 

 

建物の脇を大きくエグってスロープを入れてありますが、

この凹みを、バス停に見立ててみれば、元の駅のホームとバス停をうまくつないで、かつ建物で覆うこともできるでしょう。

 

ちょうど、バスが近づいてきた様子の写真です。

 

 

ガリシア美術館が、嵐電の北野白梅町駅と見立ててみれば、非常に似たシチュエーションではないでしょうかね。

 

駅は街の顔なので、カンタンに消したり壊したりしないで、慎重に計画を進めていただきたいと思います。

 

以上


葛西臨海水族園が平成の名建築である理由①

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いやあ、ついに来ましたよ。

 

 

絶対にブッ壊しは止めとけ、これだけは壊しちゃいかん!の大本命

葛西臨海水族園の大危機、の大発生です。

 

何を言っているんだと…

いったい全体、どんだけバカなのかと…

 

マジ呆れました…

途方もない間違い…

 

5年前の新国立競技場問題、結局最初の案はうまくいかず、絶対壊すな!リニューアルして再生しろ!と、

あれほど繰り返し繰り返し言っておいた国立競技場を壊してしましった。

で、元の国立競技場を超えるような新国立競技場は建ちませんでしたよね。

 

 

 

3年前の築地市場移転豊洲市場問題、結局、豊洲市場はうまく動いていない、絶対壊すな!リニューアルして再生しろ!と、

あれほど繰り返し繰り返し言っておいた築地市場を壊してしましった。

で、築地市場のような全世界から支持されていた偉大な魚市場は、この世から消え去ってしまいましたよね。

 

 

 

 

愚行につぐ愚行、愚策につぐ愚策、失敗に次ぐ失敗、無駄遣い、優良資産の喪失、黒字経営から大赤字経営へ。

もうね、アホかと。バカかと。

 

問い詰めたい。

こんな失策の連続を続けている、小池都政とその配下たち、バカな部下たち、徹底的に問い詰めたい。

 

 

検討しているとは聞いていたんですよ。

葛西臨海水族園は築30年を迎え、設備の更新時期でもるし、さあ、これからどうしていくかを検討していると、

その検討会議では、施設の健康チェック、いわば人間ドック的なことがおこなわれているものだろう…と信じていた。

 

ところが!なんです。

 

葛西臨海水族園のある地元、江戸川区選出の都議会議員の上田令子先生のブログにとんでもないことが書いてある!

 

上田令子先生はですね、もうなんか江戸っ子のお姐さんが、フーテンの寅さんのマドンナもやれたんじゃないか?というくらいに、

なんかマンガやドラマの主人公みたいなキャラで、

徹底的に弱い立場の方のために頑張っている正義のミカタ、セーラームーンみたいな人です。

 

「参上!」ですもんね。

 

お姐が行く!:守れ、葛西臨海水族園。【第1章】委員の意見が反映されぬ謎の検討会

 

このブログ記事をまずは読んでみてくださいよ…

 

つづく

葛西臨海水族園が平成の名建築である理由②

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葛西臨海水族園が、

どれだけ画期的な建築というかランドスケープというか、エポックメイキングな水族館か、

行ってみればすぐにわかるのですが、

行ったことない人、

わかっていない人も多いでしょう。

 

この建築はですね

 

建物であって建物ではない

 

ランドスケープであってランドスケープではない

 

水族館なんだけど水族館だけではないんです。

 

あの、有名なというか、葛西!といえばあの、

温室みたいなガラスのドーム

 

 

これが、建物ではない。

中身はないんです。

 

水族館の本体はこの水の底にあるんです。

 

 

 

全体を上から見ればわかりますが、

 

ガラスのドームの周りにある丸いお皿の部分

水盤の部分の下

 

 

ここに建物があるんですね。

 

模型で見るともっとわかりやすいですが

 

 

 

つまり、我々がよく知っている葛西臨海水族園のガラスドームというのは、屋上なんです。

屋上の階段の出入り口があのガラスドームなんですね。

 

つまりは、

これなんです。

 

通常のビルでいうところの、屋上の階段室と物干し

 

 

 

 

 

 

すごくないですか?

 

この屋上以外を全部埋めて、

 

建築本体を消しているんです。

 

 

なんのために?

 

遠くの海とつながる景色のために、景観のために、ランドスケープのために!なんです。

 

 

建築家なのに、建築本体を隠して、見えなくして、ランドスケープを優先した造形。

 

こんなのはですね、世界中探してもありません。

すごい建築コンセプトです。

 

かつて、アルゼンチンの建築家で、エミリオ・アンバースという人が、

ランドスケープと建築を融合したような計画案を出していました。

 

 

1980年代には、この大地に埋め込まれて一部にしか建築が露呈していない、ロマンチックで幻想的でSF的な建築アイデアは日本でも非常に人気がありました。

 

 

初期荒巻義男の幻想SFとか、SFニューウェーブなスペキュレイティブ・フィクション、科学技術中心ではなく、思弁的かつ哲学的な空間を現出させるハーラン・エリスンのようなイメージですね。

 

この緑化された建築のアイデアは時代を先取りしていました。

アンバースのアイデアは実現が待望されていたわけですが

 

数十年を経て現実化された一部の建築デザインは、模型で感じられるような、日本人が感じ取るような、自然景観との一体性というよりも、そこに置かれたオブジェクト

 

 

緑化を駆使し、緑化をデザイン要素として取り込む

 

 

ちょっと強引なくらいな緑化仕上げ…

 

 

という感じになってしまい…

 

アンバースが世に登場したときに、みんが思い描いていたような、

この模型を見たときに感じ取っていた先進性と同時に響く、太古の歴史感

 

 

少なくとも私が大期待していたような、圧倒的なスケール感、世界観、自然観といったものは、

現実のアンバース作品では実現されていませんでした。

まあ、言ってみればアンバースの建築は遺跡表現なので、

具体的建物でこのデザインをかぶせようとすると機能齟齬や、管理コストがかかり過ぎるんでしょうね

 

その後、こういった建築を作ろうとする人は現れませんでした。

また、こういった建築が現実に機能するビルディングタイプもなかなかない。

 

それが!

 

自然とつながっていくような建築とランドスケープの交歓と融合に大成功している唯一無二の建築が、

葛西臨海水族園なんです。

 

 

自然景観の中で、

人の手で生み出されたものがあることによって、

 

その自然景観を感知させる。

 

それが絶景といわれるものです。

 

 

 

 

 

そして、これらの絶景は維持管理されながら長く後世に伝えていくべきものなんですね。

 

現代建築の中でも、葛西臨海水族園は、これらの歴史遺産に匹敵するはずのものなのです。

 

しかも、葛西臨海水族園は、水族館ではなく、「園」と名付けられていますよね。

それには理由があって、この葛西周辺の自然環境というものは、

ひとり、谷口吉生さんの手になるものではなく、

 

それこそ、多くの人々が、かつて、この江戸の海で暮らしていた人々が、

近代の開発や工業化の中で失ってしまった海や浜や渚を、

長い時間をかけて取り戻してきた、やっと自然に近づいてきた、

そういう、もっと大きな空間。

 

様変わりしてしまった江戸の海の再生に成功した、とても大切で貴重な場所なんです。

 

 

次は葛西臨海公園とはどういった経緯でどうしてつくられたものなのか

 

葛西という町、江戸川区の成り立ちについて解説したいと思います。

 

つづく

 

 

 

葛西臨海水族園が平成の名建築である理由③

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葛西臨海水族園のある葛西という場所なんですが、

実はかなり古い地名なんです。

葛飾区史より

 

 

平安時代には下総の国に葛飾郡が成立している。

 

なんでこんなに細長く東西に分けたんだろうか?と現在の我々から見ると、

首をひねってしまいますが、

 

 

当時は物流のハイウェイが陸路でなく水路、川なので、川を沿いに国境を決めていたんだと思います。

そして、この葛飾郡が東西に分けられたんです。

 

東の葛飾だから葛東(かつとう)、西の葛飾だから葛西(かさい)です。

 

 

葛西にはお城もありました。

名前もそのまんま、葛西城。

 

ここに、現在の東京エリアの全域に覇を唱えていたのが、豊島氏です。

豊島氏の一族が葛西城に入って、葛西氏を名乗るようになりました。

 

現在では豊島区の地名でしか残っていませんが、

豊島氏は現在の練馬区の石神井公園にあった石神井城を居城とする大大名だったんです。

 

その分家といえる葛西氏が大きく世に出るきっかけは、源頼朝の挙兵を助けたことによります。

そのときの葛西家当主が、葛西三郎清重でした。

頼朝は伊豆で平家打倒を掲げて挙兵するものの、石橋山の戦いで敗れ、安房(今の南房総)に脱出します。千葉で援軍を得た頼朝はさらに、葛西三郎の援軍を受け勢力を盛り返していきます。

三郎は身内の江戸氏にも頼朝に味方するように説得します。

 

そのころの様子を描いた浮世絵「隅田川筏渡之図」にも葛西三郎は描かれていますね。

 

 

葛西三郎清重は、江戸湾を舞台に活躍する海の武将ですから、

ワンピースでいえば、10人目の仲間、ジンベエってとこでしょうか。

 

 

折からの重臣で鎌倉幕府の御家人になり、奥州総奉行に任命されました。

晩年の肖像画が残っていますが、見た目もなんだかジンベエに似ている。

 

 

太田道灌に敗れて、本家の豊島氏は滅亡してしまったんですが、

葛西氏は戦国時代を生き抜きその後は東北に拠点を移していましたが、

豊臣秀吉の小田原参陣に遅れたせいで改易となってしまうのでした。

 

 

この葛西城、現在の地図で見るとどこにあるか?といいますと、

京成線の青砥駅の近く

 

現在の東西線葛西駅とも、葛西臨海水族園ともずいぶん離れている。

 

 

なんで、こんなに離れていても葛西なの?というと前述のとおり江戸川の西だからです。

 

と、同時に昔、葛西城があったところから、どんどん海岸線が沖に後退しているんですね。

江戸の町は湿地帯だったところを、

埋め立てや干拓によって土地利用できるように頑張り続けて成立してるんです。

 

 

現在の葛西駅があるところも、かつては海だったんです。

 

23区全体を見てみるとわかりますが、江戸川区は東は千葉県と接していて、北に葛飾、西に墨田と江東に接していますね。

 

 

かつて海だったところが埋め立てられていった…という割には、あまり海に接していない。

海岸線が狭い。

 

その唯一の海との接点が、この江戸川区地図の南の先っちょにある小さなカモメみたいなところ,

 

それが、葛西臨海公園の人工渚、西なぎさ、東なぎさ、なんです。

 

 

江戸川区が唯一海と接しているところです。

 

この、なぎさで、2012年のことなんですが、すごいことが起こりました。

 

それは!

 

50年ぶりに、東京湾で海水浴の許可が出たのです。

 

 

50年ぶりということは、

昭和40年以前からずーっと、東京湾は人の泳げない海、死の海だったということです。

 

 

東京湾に限らず、高度成長期には各台都市近郊の海岸線には数多くの工場コンビナートが形成され、

そこから発生する煤煙や工業廃水が垂れ流されました。

また急激に膨張した都市人口から排出される汚泥やゴミといったもので、河川も海も汚れきっていたんです。

 

 

今では信じられないかもしれませんが、「公害」が怪獣にもなったんです。

昭和40年代に登場したヘドロ怪獣です。

 

ゴジラ対ヘドラ

 

 

ヘドロ怪獣ザザーン(「帰ってきたウルトラマン」)

 

 

ヘドロ怪獣ヘドロン(「スペクトルマン」)

 

 

おそらく、当時の子供向け特撮番組の制作者や脚本家のおじさん達が、

当時の子供たちに、

 

このまま好き勝手に科学文明が進んで、

大量消費や環境汚染が進んでいくと地球は大変なことになる。

どうか君たちの手で、この暴挙を止めるんだ!

 

というメッセージを送っていたんだと思います。

 

というわけで、昭和40年男の私なんかは、地球を守らなきゃいけない!と思うようになり、

地球環境を守らなきゃいけない!と思うようになり、

公害問題を考えるために、横浜国立大学が設置した安全工学科に進学してやろう、と、

思うような子になっていました。

結局、建築学科に行ってしまったんですが…

 

しかし、この海を絶対に綺麗にする!と誓った海の男達がいたのです。

まさに、公害怪獣と戦い続けた男達が!

 

この50年ぶりに東京湾での海水浴を実現できたのは、

海の浄化を目指して30年以上も地道な活動をつづけた人がいたからです。

その人の名は、関口雄三(せきぐち ゆうぞう)さんといいます。

 

そして、地元の江戸川区葛西でNPO活動をされている仲間たちです。

 

東京都内湾で約50年ぶりに「海水浴」復活 
認定NPO法人ふるさと東京を考える実行委員会理事長 関口雄三

 

 

東京都内湾の海水浴の復活に向けた行動を開始してから35年が経過した2012年の夏、ついに葛西海浜公園で海水浴を復活させ、「遊泳禁止」看板は「許可なき遊泳禁止」に変更となった。

海水浴ができる東京湾を取り戻すことは東京湾を再生させることであり、それによって東京湾が豊かになり漁業が盛んになることでもある。

 

東京都内湾から「海水浴場」がなくなって早や半世紀が経ってしまった。
私の生まれは、東京湾奥の葛西である。そこは半農半漁の村、主要な産業は海苔養殖。私の生まれた家も海苔養殖と農業をやっていて、子どもの頃はよく手伝わされたものだ。

近所の子どもたちも皆、働き手として学校に行く前にあさりの行商などをしていた。私も父親のベカ舟を借り、ゴカイを掘り、釣り人を舟に乗せ、自ら櫂を使って案内するという小遣い稼ぎをやったりしていた。

私は自然の中で育ってきた。潮が満ちた時は泳ぎ、潮が引いたときは、潮干狩りや野球をしたものだ。そうしたなかで、「自分の身は自分で守れ」、さらには「自分のふるさとは自分で守れ」ということを体得したように思う。


そんな葛西の海も昭和30年代の高度経済成長期になるとどんどんと汚れていき、1962(昭和37)年には東京都内湾の漁業権が一斉に放棄されてしまった。「漁師がいなくなると海はダメになる」というのが私の体験からくる信念だが、漁業権放棄後は、さらに海は汚くなり、海水浴場も消滅してしまった。
 

私は、私たちの時代に失ったものは私たちの時代に取り戻し、次世代につなげるべきと考えており、東京都内湾の海水浴の復活に向け行動を起こすこととした。

「海水浴ができる東京湾を取り戻す」ことは「東京湾を再生させる」ことであり、それによって「東京湾が豊かに」なり「漁業が盛んになる」ことでもある。しかも「豊かな海」があれば、それがある限り、漁師が世代を超えて生活でき、地域社会が成立することにつながる。豊かな海は、自立した地域を再生するために「かけがえのない場所」なのである。


1977年に東京都内湾の海水浴の復活に向けた行動を開始してから35年が経過した。

何事に付け、失ってから取り戻すのは大変な労力が必要となる。私たちはさまざまな紆余曲折を経て、2012年夏、わずか2日間ではあるが、地元の葛西海浜公園で海水浴を行うことができ、これをきっかけに東京都の「遊泳禁止」看板の文言が、「許可なき遊泳禁止」に変更され、2013年には13日間、2014年は20日間と日数を増やして海水浴を実施し、多くの人々が訪れた。

 

 

実は、先日、このスーパーヒーロー、関口雄三さんとお会いしてお話を聞いてきましたよ。

なんか、リアル海の男、ジンベエでしたよ。

 

 

つづく

葛西臨海水族園が平成の名建築である理由④

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さて、みなさん、これはなんだと思います?

 

葛西臨海水族園が平成の名建築である理由③でご紹介した

リアルジンベエこと、

関口さんからいただいたんです。


 

 

ラベルに書いてあるとおり、浅草海苔の佃煮でしょ?と、まあ、思われると思います。

そう書いてあるからね。

 

しかし!見る人が見れば、これは衝撃的な事実。

もしくは、本当?マジ、マジで浅草海苔?しかも葛西産?

ありえないだろ?というものなんです。

 

なぜなら、浅草海苔は絶滅していた(東京湾では)からなんです。

 

えっ?なにそれ?浅草海苔って浅草で売ってるんじゃないの?と、まあ思われると思います。

違います、浅草で売ってるから浅草海苔ではなく、浅草海苔という海苔の品種なんですね。

 

 

昭和初期までは、東京湾は日本一の海苔生産地だったんです。

なので、「江戸前海苔」、「本場海苔」とも呼ばれていて、浅草海苔は、味、香り共に一級品として知られ、養殖が難しく、希少で高級品として通ってました。

 

どうやったら、海苔が生えるのか…、殖えるのか…、産地の江戸でもよくわからないままだったんですね。

 

海苔は、放っておけば生えてくるものでもなく、その生態は結構複雑繊細で、

安定的な養殖技法が確立したのは戦後なんです。

 

海苔JAPANより

 

海苔は、生育の途中で牡蠣殻等の貝殻内で糸状体という、一見、海苔には見えないようなカビのような状態で夏を越さないと育たないということが発見されて、種苗技術が確立したんです。

 

 

その発見をした人は、イギリスの海藻学者で、

キャスリーン・メアリー・ドリュー・ベーカー 

Kathleen Mary Drew-Baker (1901~1957)という方です。

 

 

まさに、日本の海苔の母といってもいいでしょう。

 

現在の海苔の産地である有明海では、ドリュー女史を恩人と称え有明海が一望できる宇土市住吉町の海岸にに女史の顕彰碑を建立しています。

 

日本の漁業生産高1兆6000億円のうちの、約4分の1が養殖です。

 

その日本の海面養殖業の全生産高のうち、海藻類が4分の1であり、

海藻類の中でも海苔が8割を占めていますね。

つまり、日本人がもっとも好む海藻は海苔であり、それはドリュー博士の発見によって、養殖技術の確立した戦後に飛躍的に伸びたといえます。

ところが…なんです。

かつての日本の海苔生産でも品質で最高級のアサクサノリはどうなのか?

江戸時代から300年以上も名産品として、昭和初期まで海苔の生産日本一で最高級と謳われていた浅草海苔の東京湾ですが…

 

 

消えました…。

産業ごと…

せっかくの一大発見の恩恵を被ることなく、アサクサノリは死にました。

完膚なきまでに消えました。

 

昭和初期までは、この地図でいう赤いところ、ここがいわば海苔の産地。

海苔だけじゃない、江戸湾の豊富な魚介の生息域でした。
 

三番瀬を未来に残そうHPより
 

これがですね、戦後こうなりました。

ほぼ全部なくなりました。

ほぼ全部、埋め立てられた。

 

 

結果として、アサクサノリはいなくなりました。

海が汚れただけでなく、漁民が消えたからだけでもなく、アサクサノリは貝と共生していたので、

干潟に育つ貝がいないと、糸状体時代を生き延びられないからですね。

 

ちょうど、前回の東京オリンピック直前の1960年前後に、

港湾整備のための漁業権の放棄と共にアサクサノリの養殖は消えてしまったんです。

 

その後、長い間、50年近くも

この浅草海苔、東京湾では絶滅していると思われていたんです。

千葉県立中央博物館の菊池先生の調査でも東京湾では発見できず

 

 

絶滅危惧種アラクサノリの生育状況 
千葉県立中央博物館 分館海の博物館 担当研究員 菊地 則雄

 

それが、2006年のことですが、東京湾で生き延びているアサクサノリが発見されました。

 

こういう干潟の葦の根本なんかに付いているそうです。

 

 

それくらい、超希少なアサクサノリ。

それが、佃煮になっている。

 

だから!大変に驚いたのです。

 

しかも!葛西産とある。

江戸時代の俳諧の指導書である「毛吹草」という書物があります。

 


著者は、松永貞徳の弟子で松江重頼。正保2年(1645)に出版されたものです。

貞門俳諧の作法や、発句・付句の作例、季語やことわざ、諸国名物などを収録しています。

その中で、「下総国」の項目に「葛西苔 カサイノリ」とあり、「是ヲ浅草苔トモ云」と書かれています。

 

つまり、葛西産の浅草海苔というのは正真正銘の本物の浅草海苔なんだ!ということなんです。

 

ビンのラベルをもう一度みますと、はっきりと「葛西産」と書いてありますね。

なぜ、これが現代に?と、驚いたわけなんですが、

 

 

それくらい希少なもの。

同時に自信の表れ、決意表明、そういった意味が込められている。

なぜなのか?

なぜ、これが存在するのか?

 

前述した関口雄三さんらが養殖しているからなんです。

NPO法人 ふるさと東京を考える実行委員会

 

 

動画:東京湾の再生をめざし、海の守人として
海苔やワカメの養殖体験を ボランティアで行う「NPO漁師」

 

2018/12/21
東京湾の天然の浅草海苔の養殖に成功しました。
今回は、(株)フィスコの関根さんの協力で、東京湾で採れた天然浅草海苔から糸状体を培養し、胞子を出させて、海苔網に付け、葛西の海で育てて、収穫できるまでになりました。快挙です。

 

 

凄いよ!

 

 

 

竹ヒビというのは、貝殻で夏越しをした海苔が育つための足場の役目をする竹枝のことです。

 

かつての海苔の産地には、海の畑と呼ぶにふさわしいこの海苔ヒビがずーっと植えられていました。

 

当然、海苔だけでなくこのヒビの周りを隠れ家にする小魚や干潟の生物がたくさんいたんだとおもいますけどね。

 

浮世絵にも描かれています。

 

海岸線にずーっとワサワサとあるのが海苔ヒビです。

 

 

逆にいえば、海苔を復活させるには、貝もいなきゃいけない、水がきれいにならなきゃいけない。

いろんな生き物がやってきて、周辺のなぎさの環境が自然に戻らないとなしえないんです。

 

 

この人工なぎさで海苔が取れるようになったんです。

凄いことだと思います。

 

 

つづく

 

 

葛西臨海水族園が平成の名建築である理由⑤

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この葛西臨海水族園なんですが、

この周辺環境全体を整備しているということなんですね。

しかも、30年がかりだったんだということ…

 

では、30年前はどうだったのか?

さらにもっと前はどうだったのか?

 

知りたくないですか?

 

私はですね、教えてもらってきました。

 

昭和40年以前、トウキョウオリンピック前の葛西はこんな感じだったそうです。

 

 

漁村の風景ですよね。

 

 

牛を飼っている家もあったりして、江戸川区の南というのは、半農半漁の町だったそうです。

ここ葛西から5~6キロしか離れていない銀座という町は、昭和35年に既にこうでした。

 

 

 

 

 

 

 

この葛西の家の写真を見ると家の向こうに白い壁のようなものが見えますが、

 

 

これは海苔干し場ですね。

 

 

これが、なぜ消え失せてしまったのか?というと、地図を見れば明らかなんですが、

 

 

この遠浅の海と浜辺が、昭和40年代には完全になくなっているんです。

 

 

電車も通って、道路も通って、もはや葛西の街と海は完全に断絶されてしまいました。

 

 

実際に、この頃の東京湾はほぼほぼ、こういう状態であったのは前回見たとおりです。

この黒いろところは全部そうです。

漁業が消えて、渚が消えて、砂浜がなくなってしまったところを示しています。

 

そして、東京の海はヘドロだらけで、死んだ海と呼ばれていた頃に、このままじゃいかんのじゃないか?

という意見が出されたんです。

 

そこで、「東京都海上公園構想」なるものが出されました。

昭和45年、1970年のことです。

 

東京湾の汚染状況を視察した当時の東京都知事の発案でこの構想は始まりました。

美濃部亮吉さんですね。

 

 

この構想は、同年8月に全庁的な検討が行われ、12月策定、翌年1月に公表されました。
その内容はといいますと、
 

「東京都海上公園構想」 
まえがき
東京の街は、都民が自らの街として愛着を持ち得る住みよく美しい街でなければならな い。
そのためには、澄んだ空気、深い緑、青い水面などの自然環境の保全と回復を図り、 都民が明日への活力を養えるようなうるおいといこいを与えるための施設が必要である。
しかし、現在都民は、深刻な公害や都市過密の中での生活を余儀なくされているが、 これら限界を超えた環境破壊の現況にあって、東京の東南部に位置し、区部のほぼ三分 の一の面積を有する葛西沖から羽田沖までの海域は、都民と自然とのふれ合いの場とし て利用し、保全する配慮がなければならない。
この構想はこのような認識と反省のもとに、従来計画されている近隣公園のほかに、 都民のための海上公園を体系的に整備しようとしてとりまとめたものである。

 海上公園の基本的考え方
 (1) 海の都民への開放は、葛西沖から羽田沖までの海面全域にわたる一体的な構想のもとにすすめる。
ア 葛西沖など残された海岸や水面は、都民が海に親しみ、明日への活力を養える よう計画的に保全する。
イ 埋立地には、都民が自然に親しみレジャーやスポーツを楽しむ場を積極的に確保する。
ウ 港のエリアを都民にとって魅力的で親しみ易いきれいな場として整備する。
(2) 海 - 海浜(港)- 陸上と続く一連のレクリエーションスペースの中で、青少年 や老人、婦人など都民のさまざまなレクリエーション活動が有意義に行われるよう施設は効率的、重層的に組み合わせ配置する。
 (3) これらの具体化にあたっては、都民の参加を得てよりユニークなアイデアを投入す るとともに、公園施設の運営管理には、都民の知識、経験を積極的に活用する。
(原文から抜粋)

 

 

これら、当時の高度成長期を終えて次の日本がどういう方向に進むべきかという、様々な構想はですね、当時の日本建築界の日本の都市計画界のスーパーサブ、知る人ぞ知る天才プランナー浅田孝によって作られたものなんです。
 


浅田孝は丹下健三さんの右腕と言われているんですが、丹下さんには右腕はいっぱいいましたからね。

黒川紀章さんも磯崎新さんもそうだし、大谷幸男さんがそうでしょう。

 

浅田孝はですね、丹下さんのいわば軍師です。

曹操にいける荀彧、もしくは郭嘉。

劉備にとっての諸葛孔明。

秀吉にとっての竹中半兵衛、黒田官兵衛。

 

そんなポジションでしょうね。

評論家の川添登は浅田孝のことを、こう呼んでいます。

「建てない建築家、書かない評論家、教えない大学の教授」と。

 

浅田孝が関わった計画を並べるとちょっと凄いですよ。

 

川崎駅周辺地区再開発構想

能登半島地域総合開発計画

大阪万博

メタボリズムグループ

南極大陸昭和基地

高速道路・道路標識のサインシステム

みなとみらい21地区の開発

横浜ベイブリッジ構想

港北ニュータウン

横浜こどもの国

世界デザイン会議

香川県の五色台開発

坂出人工土地

沖縄海洋博プロデュース

総合研究開発機構(NIRA)設立

本四連絡橋(瀬戸大橋)

 

そして、美濃部亮吉東京都知事時代に提案した「広場と青空の東京構想」です。

 

 

ちなみに、この装丁デザインは、東京都の報告書なんですが…粟津潔です。

 

 

 

 

粟津潔さんとは、この頃、一世風靡したグラフィックデザイナーですが、単にデザイナーにとどまらず当時の若者の表現活動の指針になったような人ですね。

 

 

 

粟津潔さんに政策提言書のデザインを頼むとは、当時の都庁の役人連中もとってもイカしてますよね。

それに引き換え、今回の都庁の役人にざまといったら…

特に、都庁建設局の公園課の課長の野上のざまといったら…最低です。

 

つづく

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