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Channel: 建築エコノミスト 森山高至「土建国防論Blog」Powered by Ameba
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葛西臨海水族園が平成の名建築である理由⑫

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そして、いよいよ葛西臨海水族園の計画が始まるんですね。

 

そのときに掲げられたテーマは次のようなものです。

 

海辺の自然と調和のとれた公園
 昭和47年(1972)、葛西臨海公園は都市計画決定された。この時点では、すべてはまだ海の中ではあったが、海面を含めた公園区域の面積は184.8ヘクタールであり、戦後の公園・緑地の都市計画決定では最大級の広さ、開設された公園としても当時で都内最大であった。

 都はさっそく庁内に、港湾局、首都整備局、建設局、企画審議室、財務局など関係局から成るプロジェクトチームを編成し、海上公園構想づくりに取り組んだ。昭和59年(1984)にまとめられた基本計画の概要には、こんな記述がある。「本計画は、海との深いつながりを永い間もってきた葛西地区の歴史をふまえながら、都の公園系統計画に基づき海辺の自然と調和のとれた公園とするものとし、それが地域の振興、活性化にも寄与するような計画とする」。

 以来、開園に至るまでの間には、状況の変化に合わせて、未調整部分について3回の大きな変更がなされた。なかでも重大な変更は、当初の自然観察園が、より具体的かつ大規模な水族園の計画へと変更されたことであろう。

 葛西臨海水族園は、水族館ではなく「水族園」である。それは、建物としての水族館という既存の概念を打ち破ろうとする姿勢から生まれた、新しい固有名詞である。この水族園は、単なる展示パビリオンではなく、水界の自然が身近に満喫できる水族の楽園として位置づけられている。東京の海(東京湾から伊豆七島、小笠原諸島)から世界の海まで、魚はもとより海鳥類まで広く収集し、生態的なテーマ展示を主体に、ショー的な面も加え、公立施設に相応しい知的な娯楽を提供する。東京の海の自然の保護と回復についての啓発の場、生物の環境・自然・人との関わりあいが学べる場など、「海と人との交流の場」としてのあり方も追求されている。


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