いろんな人の検証によっても、JR東日本の見解によっても、
原宿駅の駅舎は取り壊さなくてもよさそうになってきています。
ひとまず、ホッとしましたが、
しかしながら、現状の原宿駅がキャパシティーを超えた昇降客が利用していることも事実です。
原宿駅が抱える結節点的役目ゆえでしょうが
ひとつには、明治神宮への参拝、代々木体育館を経てNHKに至る動き、そして表参道を下って明治通りに至る華やかなな最新ファッションや文化、一方北側の出口である竹下通り側はすでに30年以上もの間ティーンや観光客のメッカともなっております。
原宿駅が出来たのは大正10年(1921年)、ちょうど明治神宮創建と同時です。その2年後には国立競技場も完成しています。
2020年東京オリンピック時には実は100周年を迎えようという建築ですが、いまだに現役としてほぼ変わらぬ姿で利用されている、という奇跡の建築ですね。
ほぼ同じころに建設された渋谷駅を見てみると、その奇跡のほどがわかります。
この渋谷駅も相当イイ。
大屋根の妻面を細かく格子割したアーチ型の窓に、ちょっとズドンとした時計塔が組み合わされたものです。
ゴシック様式を簡易的にした、もしくは駅舎という産業的インフラ建造物でありながら、正面が顔となるよう、ゴシック様式を意識したものといった方がいいかもしれません。
この、同時期の渋谷駅と原宿駅を比較してみるとよくわかりますが、原宿駅の方が、軽快かつ洒脱、そして爽やかで可憐な感じがしませんか?ちょっとした白樺派、避暑地の駅みたいな。
この建物を設計した方は、今でいえば役所の中の営繕部みたいな人です。長谷川馨(鉄道省)氏です。
近代建築の遺構の調査をたくさんの写真入りでご紹介されていることで、わたくし界隈では有名なHP
「関根要太郎研究室@はこだて」
には、もっと詳しい写真がありますので、ぜひそちらをご参照いただくとして、当時日本中でさまざまなインフラ整備がおこなわれていた時代に、鉄道だから市役所だから機能中心でいいだろうではなく、鉄道だからこそ、大勢の人々に使われる公共施設だからこそ、小さな自己表現にこだわるのでもなく、
かといって機能や生産性のみを理由にした技術的解決のみのルーチンワークに堕すのでもなく、駅という建築物はどういう表現であるべきか、、を考えた多くの市井の建築家が存在していました。
旧横浜駅もこの長谷川馨の設計です。
なんか、今見ても素晴らしいですよね。
古いから素晴らしいとか、歴史の○○様式だから素晴らしいというのではなく、
何かこの「様式」という意匠手段には積み重ねられてきた、建築表現上のコツといったもの、普遍的に通ずる造形原理、美の原理というものがあるに違いないと私は考えています。
なぜなら、私に限らず現代に生きる多くの人たちは、中世に生きたわけでもないし、ルネッサンスの時代を経験したわけでもない、にもかかわらず、様式的解釈の知識を持たない中高生の頃から、四角四面の現代建築よりも、こうした建築の方が何か感じ入るものがあったと思うのです。
逆にいえば、様式を単なる歴史的知識といった風に考えて、現代建築からその造形原理を排除したところで、建築家はつたない経験や足りない教養の中で、小さな個人的発露の自己表現に走ってしまっているから、多くの方々の賛同や共感を得られなくなってしまっているのかもしれません。
かつての横浜駅の様子です。
着流しのかっこいいおじさんが歩いていますね。
つづく
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