おかげさまで、拙著『非常識な建築業界「どや建築」という病』が、光文社新書ランキングで1位となっておりました。
といっても、新書は生ものですので一瞬のことでしょうけれど、、、
この本に関しましては「一昨年以来の新国立競技場問題について何か書かないか?」といったお誘いもあったのですが、
この問題は未だ継続中ですし、それだけに絞ってもしょうがないだろうと考えていたものです。
新国立競技場問題は確かに象徴的事件ではありますが、その背景となっている建築業界全体をまずは、多くの人に理解してもらわないと、ただ単にデザインの話しだけではないし、景観の話しだけではないし、そもそもが設計した建築家だけの問題でもないのです。
というわけで、既に読んでいただいた方はご存じのように、「どや建築」は非常に網羅的にかつ複合した綾の紐解きを試みた本です。
昨日の4月10日のことですが、なんと!毎日新聞および朝日新聞の書評欄にてご紹介いただいたんです。
毎日新聞の評者は、かの松原隆一郎先生。
と聞いてすぐにピンっと来る方は本物の知恵者です。
松原先生はですね、知の格闘家です。
ご自分でもそう自称されていますし、そのままのHPがあります。
http://homepage3.nifty.com/martialart/
灘中学、灘高校と来て、東京大学の都市工学を卒業。
その後、経済学研究に進まれて社会経済学者です。
天才秀才、エリートという言葉がふさわしい方ですが、この間灘校でも柔道、講道館柔道三段、文字通り文武両道に秀でているというわけで、まるでマンガやドラマの主人公のごとくなんですが、
実際に、グラップラー刃牙の板垣先生にもアドバイスされているというのも素晴らしすぎる先生です。
そして、日本を代表する経済学者の一人として、グローバルエリートと闘っています。(山形浩生ともちょっと闘ってましたが)
経済学を、その価値を、その原義どおりに「経世在民」と説く人です。
「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」と読みますが、
経済というものが単に貨幣や金融の利殖や流通現象を計る物差しではなく、その大本に帰れば、人々の生活を社会をよりよくするための学問という意味です。
つまり、経済学者は現象を分析したり予測することも大事ですが、それはなんの為に!を重視する考え方です。
もちろん、経世と済民ですから、
自分だけよければいいという個人的欲望
今が楽しければいいという短期的欲望
であるわけがない。
社会全体を、それを構成する多くの人々の生活を、経済学によっていかに守れるか、といったことを考えている人といっていいでしょう。
となれば、なにかとっつきにくい強面、頑固者、もしくは切れ者、冷酷無比な、近寄りがたい威厳を放つ、といったイメージが浮かびますが、
本物やスターと同様にとっても気さくで優しい面白い先生なんです。
そして!格闘技といえば絞り込んで眉間に皺を寄せて語り出しそうな雰囲気ですが、プロレスも有り!むしろプロレス大歓迎!という、
これまた本物の教養を持つ知者ならではの、ノー権威、知識に階層なし、なんでもあり、ハイカルチャーとサブカルチャーを易々と越境されています。
その辺は東大都市工学出身の山形浩生先生といっしょですが、山形氏がSF系サブカルから環境関係を通じ社会や経済を論じるなら、
松原先生は、知性も実は身体の反応であって、強靱な肉体からバランスの取れた精神が発露されるという意味では、
肉体と精神の間でのハイカルチャーとローカルチャーの合一を果たされているというところからの、社会や経済の議論。
この松原先生はですね、槇先生がご指摘された一昨年来の新国立競技場問題で早くから多くの提言なさっておられて、尚且つ私にも励ましのお言葉をくださったり、もう感謝しかないんですが、
松原先生はその間に、なんとご自宅をご自分の書庫を、
これまた、本物の建築の格闘家ともいっていいでしょう、建築家の堀部安嗣さんに依頼して完成させていたというわけなんです。
つまり、新国立競技場問題で建築家自身が、建築家の立場がなくなるとか、デザインが否定されているとか、一般人は建築デザインがわかっていないとか、暗殺された、バカにされた、ないがしろにされた、わからへんねん、真似してない、とか、め々しく嘆いてる間に
なに、ギャーギャー愚痴っとんねん、と
ホンマの建築いうのはこういうもんちゃうんか!と
堀部安嗣さんとすっげえ建物建ててたんですよ。
その顛末は本にもなっています。
http://www.shinchosha.co.jp/gruri/date/part/profile/matsubara.html
まあ、それを見せていただいたんですけどね
このグルグルした渦巻き空間がそうです。
つづく