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「どや建築」という病 (光文社新書) あとがき

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非常識な建築業界 「どや建築」という病

見本誌が届きました。



2月9日は伊東豊雄先生はじめ新国立競技場B案の制作者の方々のシンポジウムでした。

当日の様子はすでにYoutubeにUpされていると思いますので、会場に来れなかった方、中継を見逃した方もぜひ、そちらをご覧くださいませ。
コンペの審査会でおこなわれたB案チームのプレゼンテーションをそのまま伊東豊雄先生、日建設計の三井さん、竹中工務店の丹野さん、高井さんが再現されています。

そして、審査委員会のお一人香山先生が、開口一番「絶対にB案の方がよかった。なぜこれに決定しなかったのか、、、」審査会の様子についても可能な限り発言されています。

同時に、中沢新一先生の爽快な捌きによる司会っぷりも見事です。


そのときに、このフライヤーも会場に置かせていただいたのですが、書籍の方、もう間もなく店頭に並ぶと思います。



で、先日のまえがきに続きあとがきを公開します。

あとがき

 本書のタイトルに「非常識な建築業界」を提案してくれたのは、光文社新書編集部の三野知里さんです。打ち合わせのなかで、私が何度も非常識という言葉を使っていたところからの着想でしょう。ただ、私の頭のなかにあった「非常識」は、漢字ではなくカタカナのほうの「ヒジョーシキ」でした。

執筆した内容は辛辣ですが、そこにはある種のギャグ的、ネタ的な意味合いもあり、いざとなったら「ごめんごめん、いろいろ書いたけどあれは半分冗談なんだよ」と笑って済ませられる余地を残そうと考えていたのです。

新書執筆というかたちで建築業界の一端を暴き(ほんの一部ですが)、一般に垣間見させてしまうのは、業界内から見れば、おそらく私のほうが「非常識」です。建築業界の人たちから、「そこまで言わなくてもいいじゃないか」「森山め、余計なことを言いやがって」と怒号が飛んでくる様子が目に浮かびます。

しかし、新国立競技場問題に関して、責任の所在を徹底的に曖昧にしようする業界関係者たちの態度を見るにつけ、その考えも変わりました。「それでも工事は進めなければならない」と、旧国立競技場をさっさと解体し、「デザイナーは悪くない」と十数億円ものデザイン監修料をザハ氏に支払う。「審査委員に落ち度はない」と審査委員長は何度も会見を拒み、「ゼネコンも悪くありません」と見積りの明細は公にしない。

業界全体をあげて火消しや隠蔽に向かう様は醜悪以外の何ものでもありませんでした。「これはもう、退路を断って徹底的に書くしかない」。そんな思いから、「ヒジョーシキ」は「非常識」に変わりました。

白紙撤回後、あらためて開催された新国立競技場のコンペで選び直された「A案」についても、ザハ案の「パクリ」ではないかという疑惑が浮上するに及び、一連の問題に対する「非常識のきわみ」にはただただ呆れるばかりです。


本書では、主に新国立競技場問題に端を発する「設計」の問題と、傾斜マンション問題で発覚した「施工」の問題を取り上げました。しかし、もう一つの大きな問題、「行政」の問題は紙幅の関係で取り上げることができませんでした。本文中では触れませんでしたが、少しだけ述べておきましょう。

2015年11月、東京都文京区に新しく建てられた分譲マンションで、信じられない「事件」が起こりました。建設時に取得したはずの「建築確認」が、完成直前になっていきなり取り下げられてしまったのです。これにより、そのマンションの購入者は入居ができないどころか、建物自体が取り壊されるかもしれないという事態に立ち至りました。建設前から周辺環境への影響が取り沙汰されていた建物のようですが、建築法規上、一度は「適法」と判断された建物です。

「建築確認」とは、一般に行政の許可制度と誤認されることが多いのですが、実際は公的な「許可」ではなく、あくまで「確認」です。建物を建設する側が「適法な建物です」という書類を作成し、役所や民間の確認検査機関が「確かに適法です」と「確認」するだけの制度です。なぜ「確認」なのかといえば、「許可」にしてしまうと許可した行政側に責任が生じてしまうからです(同じ問題が10年前に起きた「耐震強度偽装事件」でも取り沙汰されました)。

「適法」だったはずが「適法ではなくなった」のは、建築確認の申請内容の解釈に無理があったためです。「解釈」という行為には、属人的な幅があります。建設側は「適法な建物です(自己申告)」と主張しましたが、マンションの周辺住民を含む建設反対派が「適法ではない部分がある」という審査請求をかけた結果、「たしかに適法ではない部分がある」と建築審査会により解釈し直されました。

そこには、建築法規の体系が条文の論理構成によってつくられた成文法ではなく、もともとの古い社会から存在した人々の社会的規範や常識をもとに法制度化した慣習法から発展していることの、制度的限界が示されています。

本文中にも出てきましたが、日本の建設業従事者は全就労人口の約1割を占めています。この数字は、おおざっぱに言えば身近なところに一人や二人、必ず建築関連の仕事に就いている人がいるということです。

つまり、あなたの身近なところに、建築業に関する事件や不祥事の裏側について当事者の立場で解説してくれる人材が豊富にいるということです。

私は大学の建築学科を卒業後、建築士の資格を得て設計実務に携わりましたが、同級生には建築士の資格を経たのち施工管理技士となり、建設現場の管理に従事している人もいます。また別の同級生は、市役所に入ったのち建築士の資格を得て、いまは建築行政全般の仕事に携わっています。個人で設計事務所を開設し、いったんは民間の建築設計に関わったのち、いまは民間の確認検査機関に転職した人もいます。

建築関連といっても、新国立競技場のような華やかなプロジェクトに携わっているのはごく一部の人で、その多くは道路整備や護岸工事をはじめとする、日本国土を災害などから守るためのインフラ業務に関わっている人だったりします。

このように、建築業界への関わり方は人それぞれですが、みな同じような知識を身につけ、同じような技術的バックボーンをもっている人たちともいえます。今後、建築業界に絡むニュースを耳にしたら、あなたの身近にいる建築業界の人たちに意見を求めてみてください。彼らこそ、建築業界を知るための最も優れた解説者になってくれるはずです。

そうやって、私たち一人ひとりが公共施設をはじめとする建築の諸問題に常に意識を向けていれば、閉鎖的な建築業界も少しずつ変わっていくはずです。

建築業界独特の非常識のなかには、それでもいくつかの常識や希望、日本経済再興のためのヒントが隠されています。そのことを心に留めたうえで、再度本書を開いていただければ、また違った一面も見えてくることでしょう。

最後に、「どや建築」という私の発想にいち早く興味を示してくれ、本書が世に出るよう多大なるご協力をしてくださった藤山和久氏に御礼申し上げます。

2016年 1月
森山高至


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