新国立競技場の基本設計案は、
「お前は既に死んでいる」状態であるという解説の続きです。
これまで、多くの方々が景観とか規模とか費用とか、具体的かつ、
数値化しやすい部分で批判しまくっています。
それらはいってみれば計画を成立させる前提条件や計画の中に流れる条件やその後の問題点を内部から破壊しようというものです。
この計画に秘孔は708ありますから、
僕も北斗神拳で、いくらでもそういった秘孔を突くことは出来るのですが、もはや、一般の方々でも上記のような具体的破綻についてはよく御存じの状況になって来ています。
しかしながら、私が最初に言いましたように、
何が一番先に死んでいたかというと、
「ザハ案がもう死んでいる。」んです。
それは、計画案は外部から直接的に破壊されました。
南斗聖拳によってです。
南斗聖拳とは陰の北斗神拳に対する陽の拳法です。
「外部から突き入れてすべてを破壊する」というものです。
どのようにザハ案のすべてが破壊され、
同時にザハ案の良さはなんだったのか、
コンペの審査議事録が公開されましたけれど、
そこにもザハの真の良さについて言及はなく。
相変わらず審査委員長も、
ザハ押しの人もキチンと解説しないので、やっときましょう。
今回の敷地がコンテクストのない湾岸で規模も小さく運営がうまくいく施設計画であれば、むしろ私がザハ案が死んでいくことをくい止めようとしていたかもしれませんよ。
これがコンペ後公開されていたザハ・ハディドによる計画案です。
で、要項を逸脱して高速を跨いだ計画が果たして選ばれていいのか?
という疑問が出て、南北を入れ替えた時期
建築構造が成立するかどうかは別にして左側の骨組みに右側の白い仕上げやガラスや膜面が覆っていることが分かりますよね。
建築というのは、基本壁や柱で構成され外装というのがそれを全面に覆いますから、どちらかというと外骨格、昆虫や甲殻類のような骨組みになりやすいのです。
しかしながらザハが提案したこの建築はどこが画期的かといいますと、
面で支えていない。面的な要素がないことなんです。
つまり、内骨格なのです。同時に南北に軸をもっていた。
建築の形態は合理性をつきつめていくとバクテリアや藻類、植物のように球体になるのが一番合理的なのですが、生物は進化の過程で移動を取り入れたため、移動を前提とする生物は線対称になって背骨状の器官があります。
同時に背骨に支えられるように消化器官が伸びていくため、やはり前と後ろが生まれるのです。
ザハ案の魅力のひとつは、動かない建築に、移動のメタファーが埋め込まれているところなのです。
その骨と骨の間を結びつける外套膜、蝙蝠の羽根のような内部骨格と伸びる皮膚的な要素に分けられていますね。
もっと規模の小さい建造物であればこの生物学的コンセプトは活きたと思うんです。
しかしここまで巨大であったため、自重すら支えられず、このデザインは自壊していったのです。
それを、見抜くことができなかった審査員たちは、結局僕に言わせれば、他人事で真剣に見なかったか、エンジニアリング的に素人なんです。
ザハの元々のデザインは壁面とか膜面といった面で構成されているのではなく、
からまる太い棒状の骨組みが、マングローブの根茎や、蔦の幹のように生み出された隙間を、
人が小魚や昆虫のように動きまわり、
そこから入る光とエンドレスにつながるサーフェス。
新国立競技場などは僕にはVaginaではなく、マゾーン。
ある種の巨大な食虫植物、ラフレシアとかウツボカズラのようにも見えていました。
それが、今、こうなっている。
上からの模型写真ではまだザハの面影を残しているように見える人もいるかもしれません。
わかりにくいですが、現実化するために、
まったく違った構造システムにダウンチューニングされています。
立面図
断面図
う~ん。
う~ん。
う~ん。
う~ん。
続きは後ほど、、、