Quantcast
Channel: 建築エコノミスト 森山高至「土建国防論Blog」Powered by Ameba
Viewing all articles
Browse latest Browse all 676

現国立競技場はチューンナップ出来るのか②

$
0
0

「我々建築家は、
貴重な人命を預かる容器を造る事を念頭に置いて、
まず立派なデザインをする前に、
丈夫な建物を造ると言う観念を忘れてはなりません」

久米権九郎の言葉ですが、権九郎の父民之助も建築家でした。
幕末の1861年に沼田藩、現在の群馬県沼田市に生まれ工部大学校(現在の東京大学工学部)を卒業後、宮内省に入り皇居造営事務局御用係となって皇居二重橋の設計・造営に携わった後、実業に転向。
鉄道工事のほかタバコの生産にも関わり事業は大成功します。
その後、衆議院選挙に出馬し当選、国会議員を務めた後に金剛山電気鉄道を設立、晩年は故郷の沼田城址に沼田公園を整備するなど立志伝中の人物です。

関東大震災により夭折した兄民十郎は日本のモダニズム洋画家の先駆で、将来を嘱望されていました。
つい数年前のことですが2009年、民十郎の絵が89年振りに発見され話題となっています。

これは今見ても凄い絵です。


1920年帝国ホテルの個展で発表されたという「支那の踊り」です。
イタリア未来派やイギリスのヴォ―ディズムにも関わりがあったということで欧米での評価も高かったそうですが、この横長の構図の中でくねって渦を巻くように運動変形した人物と、古櫃然と静止した室内そして文様の入った丸い敷物との対比は、現代美術のフランシス・ベーコンよりも何か魔術的な趣です。

この兄がまだ30歳で亡くなったのです。
地震で建物が倒壊してしまったことによって。

当時ドイツ留学中の建築学生であった権九郎は、思うところがあったのでしょう。
「日本住宅の改良」というタイトルで日本の木造住宅の耐震化を目指す建築論文と提案をドイツにて記しています。

1929年帰国の後、友人の渡辺仁と共に渡辺久米建築事務所を開設しました。

つづく



Viewing all articles
Browse latest Browse all 676

Trending Articles