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Channel: 建築エコノミスト 森山高至「土建国防論Blog」Powered by Ameba
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オリンピックは大丈夫なのか? 5

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オリンピックは大丈夫なのか? 4
でご紹介した1896年の第1回オリンピックアテネ大会で使われ
2004年のアテネオリンピックでもマラソンのゴール会場として再利用されたスタジアム。



Panathinaiko Stadium「パナシナイイコスタジアム」といいます。
ギリシャ語では(Παναθηναϊκό Στάδιο)と表記するようですが
千年以上前といいましたが、本当はもっと途方もなく前です。
紀元前329年に建築されて、紀元前250年に改修されて、
紀元前131年には大理石によって再建されてました。


紀元前が出るとわかりずらいので、今から何年前かといいますと
2333年前に建築されて、2264年前に改修されて、2145年前に再建された。
ということになります。
この時代はですね、ローマ時代です。
と同時にマケドニアのアレクサンダー大王の時代です。

中国では戦国時代、秦・楚・斉・燕・趙・魏・韓の七国に分かれており、
始皇帝とか出てくる前の孟賞君の頃です。
宮城谷先生の小説でずいぶん描かれていますが、中国史の中でも一番面白いころですね。
曹操、劉備、孫権らで有名な三国志のまだまだ前500年くらい前です。

日本はこのころはそうだったかというと、よく分かっておりません。
第6代の孝安天皇という記述が古事記や日本書記にあるだけです。


という風に途方もない歴史的建造物なわけですが、
この長い時間を越えてその価値が問われるという建築というジャンルの凄さです。
建築文化はその文明が滅びても後の世の人々にその姿を見せることができるんですね。
言葉が通じなくても、また失われたとしても、その数十世代過去の人たちと感性の交流を交わすことができる。

インカやマヤのように誰もいなくなった都市がジャングルの中から発見されたり、エジプトのように砂漠の中から掘り出されたり、人工衛星から発見されたりしていますよね。

建築学では本来そういった歴史的系譜の中でそれぞれの時代ごとに何が接木できるのか、、を考える学問なのですが、
日本の建築家の場合、そういった歴史的な教養を蔑視する傾向が戦後70年を経ても続いています。

それは、私がほうぼうで何度も繰り返し述べていますが、太平洋戦争で都市爆撃を受けて大規模に街や環境が失われてしまったことにもよりますが、

同時に建築教育やデザイン教育の過程で、なにかまっさらなニュートラルな敷地に各々が、個人的発露で自己表現をするのが建築デザインなのだという教育を、大学でもこの数十年おこない続けており、そういった人材教育がここ二世代続いています。

文化というのは三世代にわたり改組や変更を受けるとかなり危険な状況を生み出します。つまりおじいちゃんと孫までが同じ思想的フォーマットを植え付けられると、ゆり戻しがかなり難しくなってくるからです。

そういった意味では、新国立競技場問題において80歳を超える建築家の先生が一所懸命になって若者に呼びかけている意味を、今の20代の建築学を学ばれている学生や建築の仕事に就いた若者たちは真剣に噛み締めてください。

あなた方が、この80歳以上の老建築家の命がけの言葉を受け継げなかったとき、本当に日本の建築文化は死ぬのです。

同時に、私を含め40代50代の建築家はどうか目を覚ましてください。

この建築文化のバトンを受け渡すリレーの中心に位置しているのは貴方なのです。

と、また熱くなってきたので休憩します。

つづく











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