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Channel: 建築エコノミスト 森山高至「土建国防論Blog」Powered by Ameba
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無駄撲滅PT「新国立競技場」ヒアリングに出席してきました。

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2014年9月25日におこなわれた自民党の行革推進本部の無駄撲滅プロジェクトチー­ムによる新国立競技場に関するヒアリングの模様です。ザハ・ハディド氏に対する­デザイン監修契約13億円について質疑してきました。

出席者:河野太郎議員、馳浩議­員、橋本聖子議員、大内達史(建築士事務所協会会長)、鈴木知幸(元・2016年東京­オリンピック招致準備担当課長、順天堂大学客員教授)、内藤廣(東京大学名誉教授・新­国立競技場コンペ選定審査員)、中村勉(東京建築士会会長)、森山高至(建築エコノミ­スト)、和田章(東京工業大学名誉教授・新国立競技場設計アドバイザー・元日本建築学­会会長)、文部科学省、JSC、ザハ・ハディド日本事務所
【自民党無駄撲滅チーム】新国立競技場の整備状況について 
(番組ID:lv194431584)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv1944...


今、建築家に問われているのはアンガージュマン。 そもそも日本に「建築家」という職能の定義はないのだから、建築家を自称するものらがどのように行動するかによって建築家は常に再定義されつづけることになる。 サルトルの言葉を借りれば「建築家はその時代の中に状況づけられている。 そこに存在することによって現代に働きかけているのである以上、建築家はその行動が意志的であることを決意しろ」ということだ。 サルトルの言う「engagement:アンガージュマン」は「社会参加」と安易に訳されているが、もっと広義に捉えるべきものだ。 「自らの存在の仕方に関する限り全面的に責任がある」ともいえるし、 「たとえ石のように押し黙っていてもその受身の態度がすでに一つの行動」なわけであり、その行動が自らの存在を定義する。 ならば、「建築家とは押し黙る人」と社会的には定義されてしまうことになるだろう。 もう一度いう。 「建築家はその行動が意志的であることを決意しろ」


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